闇に咲く花Short Story

黒鵺、初めてのお使い

「いい?クロワッサンよ。クロワッサンくださいって言うのよ」
「クロ‥‥ワッ‥‥サンだな。クロアッサン」
「違うでしょう!?クロワッサンだってば〜。もぉ〜!いい?売店に行って、パンのコーナーに行って、そこでね、クロ──」
「うるせぇなぁ!わかってらぁ。そう何度も言うんじゃねぇよ」
 夜11時。どことなくイライラしているは、黒鵺を相手に、買い物リストを書いたメモを読み上げている最中だ。
 今日、は深夜勤。しかし、うっかり夜食を買っておくのを忘れてしまった。
 当直はの2人だけなので、どちらも抜けられないのである。
 黒鵺は、やけに苛立っているをしげしげと見つめる。
(ったくよぉ〜。そんなに腹減ってんのか?なにも今すぐ食わなきゃ死ぬってもんでもないだろう?──しっかし、夕飯食って、夜飯食って、更にまた食うか?普通)
 夜中に急に叫ぶように呼び出されて、何事かと急いで駆けつければ、まさかこんなしょうもない頼みだったとは‥‥。
 医務室に着けば‥‥目は吊り上がり、苛立ちのオーラを纏ったを目の前にして、来るんじゃなかったと後悔した。
 黒鵺は、腹を空かせたを怒らせたらどうなるかを知っている。ピリピリしているの機嫌がこれ以上悪くならないよう‥‥気を使っている。
(この俺が、たかが人間の小娘相手に気を使うなんてよぉ‥‥。らしくねぇよなぁ)
 黒鵺は、ふぅっとため息を吐いた。腕を組み、俯瞰して、軽蔑するような目でを見つめる。“威圧”を与えたつもりだが‥‥それでもは竦まない。というよりは‥‥そもそも、与えられた“威圧”に気づいてさえいなかった。
(大抵の妖怪は、これでビビるんだけどな‥‥)
 黒鵺は、ガックリと肩を落とすも、思わずフッと笑ってしまった。
 こんな用件で呼び出され、「ふざけるな」と一喝したかったが、それでも自ら買いに行くと名乗り出た黒鵺。
 理由は‥‥黒鵺の『面倒くさい。行きたくない』オーラを感じ取ったが、それならばと、別の妖怪に頼もうとしだしたからだ。
「う〜んやっぱり心配だわ!私、やっぱり陣に──」
「うるせぇ!あんな奴に出来るなら俺にでもできらぁ。心配するんじゃねぇよ」
 黒鵺はメモをらくらくと読み上げながら、「要はここに書いてある物を買ってくりゃいいんだろ?簡単じゃねぇか。なぁ〜蔵馬」と、一緒にいた蔵馬の腕を小突いた。
「‥‥」
 しょうもないことで言い争っている黒鵺とを、蔵馬が白い目で遠巻きに眺めている。
 の悲痛な叫び(?)を聞いて、大慌てで部屋を飛び出した黒鵺の後を追った蔵馬。
 てっきり、の身にもなにか遭ったかと思ったのだが──。
「おい蔵馬、聞いてるのかよ。‥‥ったく、しゃぁねぇだろう。まぁ‥‥俺の早合点は認めてやるよ」
 蔵馬が肯定してくれないことが不満らしく、黒鵺はムスッとしながらメモをクシャッと丸めて胸にしまった。
「ちょっとぉ、せっかく書いたメモをクシャクシャにしないでよ〜」
「あぁ?」
「いい?くれぐれも、黙って商品を持ってくるんじゃないわよ。それは立派な‥‥」
「犯罪だろ?、俺がそんなことすると思ってんのかよ」
(どの口が言うのよ!だって、あなた盗賊じゃないの)
 は腰に手をやりながら、お金持った?どこにいれた?今いくら持ってるか知ってる?もう1回メモ見ようか?道分かる?地図書いてあげようか?変な物買ってこないでね。
 まるで子供に言うような台詞を連ねる。
「いちいちうるせぇなぁ。俺は盗賊の副将だぜ。道に迷ったりしねぇよ」
「そんなこと言って。魔界と人間界では勝手が違うじゃない。こんな建物、魔界には無いでしょう?」
 そう言いながら、は医務室の白い壁をコンコンと拳で叩いた。
「心配すんじゃねぇよ」
「あとね、クロワッサンを買ったら「ありがとう」ってちゃんと言うんだからね。『ありがとう』よ、『ありがとう』。ほら『ありがとう』って言ってみて。ねぇ‥‥ちゃんと聞いてるの?」
「‥‥」
 後ろで薬品の整理をしていたは、悪いと思いつつ、つい吹きだしてしまった。
「あっそうそう、お釣りも持って帰ってくるのよ。ぜぇったい、自分のものにしちゃだめだからね」
 黒鵺は顔を真っ赤にしながら、「、てめぇ‥‥。あとで覚えてろよ」と捨て台詞を吐き去って行った。
 は医務室のカウンターから身を乗り出し、黒鵺の後姿をじっと眺めていたが、手元に置かれていた内線電話が鳴り響き、受話器を取った。
「はい医務室。──はい、はい、わかりました」
 処置室へと入って行くの後姿を、今度はと蔵馬が眺め‥‥処置室のドアが閉められた瞬間、は苦笑いを浮かべながら蔵馬を見つめた。
 ‥‥何か言いたげなである。案の定、そのまま踵を返して帰ろうとした蔵馬は腰布を掴まれ、恐る恐る振り向けば、チョイチョイと小さく手招きしているの笑みが──ひどく不気味に思えた。
 は両手で拝むようなポーズをしながら、軽くウィンクして──。
「ねぇ蔵馬。後ろからそっとでいいから、黒鵺さんについててあげて」
「‥‥なぜだ」
「だってぇ‥‥。心配なんだもの。『初めてのお使い』なのよ。にあそこまで言われて、もし失敗しちゃったら可哀そうじゃない?」
 確かに、もし失敗して見当違いの物を買って帰ってきたら──。
「黒鵺を心配しているのか?笑わせるな。お前が心配しているのは黒鵺ではなくて、黒鵺の買ってくる食いもんだろう。なにしろ、お前の分も入っているんだからな」
 は、耳まで真っ赤にしながらしどろもどろになった。
「お前も、お前の連れの女も、食いもんが無くなると途端に機嫌が悪くなるからな。全く、口やかましくてかなわん」
 いくらの連れの女とはいえ、黒鵺に横柄な態度をとり、“使い”をさせ、あれこれと指示を出す様は、どことなく腹が立つ。
 黒鵺本人がの態度を許している以上、蔵馬は何も言わないでいるが、見ていて気持ちがいいものではない。
 彼は蔵馬が抱える盗賊の“副将”だ。彼の強大な妖気は蔵馬と並ぶほどであり、唯一の友で、あの冷酷非道と謳われる蔵馬が最も信頼している者である。
 自分とは異なる“残酷さ”や“冷酷さ”を持ってはいるものの、それでも己で決めた『義』を持ち、それに従っている。
 そんな彼の行動が功を奏してか、賊の面々も黒鵺には一目置き、尊敬の念を抱き従う。そんな男だ。
 その黒鵺に対して、いくら何も知らないとはいえ、あの女はなんと横柄な態度を取るのだろう。
 との関わりさえなければ、とっくの昔にこの女を殺している。しかし──。
 女を殺した瞬間、黒鵺は蔵馬に刃を向ける。“敵”となり蔵馬を殺しにかかることだろう。例え刺し違えても──。
 たかが人間の小娘一匹殺したぐらいで、それで副将の黒鵺を失ってしまうには惜しい。
「仕方がないな。行ってやろう」
「本当に?本当に本当!?」
 蔵馬が、こんなつまらない雑用を引き受けてくれるなんて夢にも思っていなかったは、何度も「本当?本当?」と聞き返した。
「くどいな。腹が減りすぎて、とうとう俺の声も聞きとれなくなったのか?」
 が、真っ赤な顔をする。
「どうやら相当飢えているようだな。とにかく、そこで大人しく待っていろ」
 見下すような笑みを浮かべながら去っていく蔵馬の背後に向かって、は舌をペロッとだした。

 さて、売店に辿りついた黒鵺だが、なかなか店内に入ろうとはしなかった。
 他の人間が買い物をしているためか、一緒になって探し物をしたくないといった感じだったが、いつまでたっても人間は入れ代わり立ち代わり、後から後から湧いてくる。
 仕方ない──と、意を決して黒鵺が店内に入った。
 背後から悟られない位置で、監視していた蔵馬が見たものとは──。
 黒鵺は店内に入った途端、腕章をつけている者の腕をガッと捕まえ、「貴様、店のヤツだろう」といきなり聞いたのである。
 突然の出来事にビビった店員が「そうです」と答えると、黒鵺はクシャクシャになったメモを取り出して、「クロ‥‥ワッ‥‥サンを4つと、とにかく!ここに書いてあるものを用意しろ」と店員に突きつけた。
 その姿はまるで、銀行強盗をしにやってきた犯人であった。
(あいつ、自分で探しもしないのか‥‥)
 店員は恐れ戦き、真っ青な顔をしながら震える手でトングをとると、トレイにクロワッサンを慎重に並べていった。
「早くしろよ!」
「は、はい」
 蔵馬は、宙を仰ぎながら呆れている。
「ご‥‥ごっ‥‥540円で‥‥ござっございます!」
 黒鵺は無言で胸から札を取り出してテーブルに差し出し、もらったお釣りを手にして、しばし硬直。
「あ‥‥ありがとよ」
 から口酸っぱく言われているので、仕方なしに店員に感謝の言葉を述べて帰ろうとすると、レジ横に妙な小瓶が置いてあるのに気づいた。
 なんとなく、その小瓶には見覚えがあった。
(たしか、飲んでたな。買っていってやる──か?)
 レジ横でずっと迷っていると、1人の妖怪がその小瓶を1つ取り出してレジにへと置いた。
「おやあんた、それは人間の飲み物だよ。妖怪なのにそんなの飲むんかい?」
 その妖怪は、100円玉をポケットから取り出すと、ピンッと弾いてテーブルの上に置いた。
「もの好きだねー。私も、これ試しに1回飲んだことあるけどさぁ、何がおいしいのか全く分からなかったんだがねぇ。こんなもの飲むなんて、人間ってのはホントおかしな生き物だよ」
「いいじゃねぇか。確かにおいしいもんでもないけどよ。疲れた時にはこれが利くんだよ。今日の試合の疲れは、今日のうちに取っておかなきゃな」
「まったく人間みたいなセリフだね〜。ハイヨ、釣りの10円だよ」
 も、疲れたと言ってはこの小瓶をよく飲んでいる。
 店員と客の話を聞いた黒鵺は、その小瓶を1つ買って帰った。

 医務室

「ほらよ、買ってみたら意外に簡単だったぜ。なんてことねぇな。ほら、釣り銭も返すぜ。言っとくが、俺はくすねてねぇからな」
 そう言って、黒鵺はレシートと釣銭を1円残らずに渡した。盗賊でありながら、律儀である。
「うわぁ〜ありがとう、本当に助かるわ〜。不慣れな人間界なのに、黒鵺にこんな事頼んじゃって、実は私、ちょっと心配していたのよ。凄いのね〜黒鵺って」
 正に褒め殺しである。これを機に、忙しいときはパシリ‥‥じゃなかった、買ってきてもらおうとの魂胆がみえみえである。しかし‥‥単純な黒鵺は一切気づいていないようであった。
「そう褒めるな褒めるな。こんなのどうってことねぇよ。、今度も何か頼みごとがあったら俺に言えよな。お前が忙しくて手が離せねぇときは俺が買ってきてやるよ」
 まんまとその言葉を引き出すことに成功し、は顔をパァッと輝かせた。
「おっ、そうだ。これもついでにお前にやるよ」
 黒鵺が買った小瓶──。それは、栄養ドリンクだった。
「お前、これが好きなんだろう?金はいらねぇよ。俺のおごりだ」
(おごり‥‥ねぇ)
 黒鵺の口から『おごり』だと言われても、は素直に喜べないものがある。
 果たしてそのお金はどこで手に入れたのだろう‥‥?店で買ったとはいっても、そのお金は絶対、誰かから“くすねた”お金で買ったものであるに違いないのだから。
 B棟最上階の宿泊代もそうだが、蔵馬と黒鵺は、そんな大金を、一体どこでどうやって調達したのだろう。
 聞けない‥‥怖くて聞けない。
 しかし今現在、警備局からは『強盗が発生した』という話は聞いていない。
(それって、もしかして口封じ?口封じされたのは──誰?)
 なおさら聞けない。彼らは盗賊。「そのお金どうしたの?」なんて禁句である。
「わ、‥‥わぁ!ちょうど買いにいこうと思っていたの!手間が省けるわ!ありがとう黒鵺!」
 栄養ドリンクを大事そうに胸に抱いて、オーバーに感謝を述べると、得意げにふんぞり返る黒鵺。

 後ろで2人の会話を聞いていた
 忙しいとき、手が離せないとき、自分だって、蔵馬に代わりに買いに行ってもらいたいものだ。
 しかし、蔵馬が売店で何かを買う姿なんて想像できない。
 この前、本を大食堂に置き忘れた際、蔵馬に「取ってきて」と頼んだら即答で断られた。
 蔵馬は、人間のいるところにはあまり行きたがらない。
 それに、この『ほめ殺し』なんか、蔵馬に通じるはずもない‥‥。
 単純な黒鵺が羨ましいと、は──大きくためいきをついたのであった。


リクエストいただきました。『初めて○○する話』。彼らは人間界にきてなにもかも初めてなんだから、何でもアリ。
ネタを頂きありがとうございました。ネタさえあれば、1つの話が出来上がるんですよね。でも、あいにく私にはネタを考え付く能力が──(爆)。
1話で終わらせるショートストーリって、私は凄い苦手なんです。
因みに、蔵馬バージョンでも『初めてのお使い』をしてもらいたいですが、どう買いにいかせればいいのか、まったく想像がつきません(;^_^A

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