闇に咲く花 Short Story

花園

 人間界で例えるならば、今の魔界は秋さながらの紅葉に包まれている。
 はこの日、初めて蔵馬と二人で遠出をした。
 “薬草”を摘みに行くために、蔵馬に同行してもらっている。
 先日、が頭痛に襲われ、いつものように鎮痛剤を飲もうとしたところ、蔵馬が、植物を調合して煎じ薬を作ってに渡した。
「そんな怪しげなものより、こちらの方が利く」
 が日頃から飲む西洋薬は、無機質な形のせいか、それとも粒のように小さい為か、未だに全く信用してもらえないでいる。
「こんなふざけた物が本当に薬なのか?」と、黒鵺は、人間界では比較的高値なカプセルを口に含むもペッと吐き出し、蔵馬がそこらで摘んできた薬草を「ありがてぇ」と飲み、その度にを怒らせた。
 は、元々薬剤師を目指していたこともあって、蔵馬が植物に詳しい事と症状を診立てて薬を調合できることから、薬草の選別と煎じ方を習いたくなった。
 蔵馬によると、その薬草はすぐ近くの裏山の土手に咲いているらしい。
「その花、採りに行きたいなぁ〜」と呟くと、「だめだ」と蔵馬は即答する。その繰り返し。
 欲しいのなら、今度摘んできてやる。自ら採りに行く必要は無いと──。
 ごもっともである。しかし‥‥、しかし‥‥‥‥‥‥。
 があまりにもしつこくごねるので、ついには蔵馬は根負けし、を案内する羽目になってしまったのである。

「なんか‥‥ジャングルみたい」
「ジャングル?なんだそれは」
「独り言、気にしないで。それにしても、魔界ってすごいのね。森がとても深いわ」
「帰るか?今なら間に合うぞ」
「大丈夫。初めて魔界に来たころなんて、数時間歩き詰めだったのよ。こんなのへっちゃらよ」
 の汗が、しっとりと、濡れた髪や頬を伝う。木漏れ日に反射して淡く煌き、蔵馬はと初めて出逢った日の事を思い出して目を細めた。
「無駄口を吐くと疲れるぞ。それより俺からはぐれるな。森が怖いのなら、手でも引いてやろうか?」
 が赤面すると、蔵馬は「冗談だ」と鼻で笑った。
 蔵馬は、道案内をするためにの先を歩くが、歩幅は極力狭く保ち、後ろを振り返っては、が遅れをとってはいないかを常に確認した。
 近道は選ばない。多少遠回りになってしまっても、の為に歩きやすい道を選ぶのはもちろんのことだ。陽が当たれば体力を消耗する為、日陰になりやすい道を選んで歩く。
 の歩く速度に合わせ、ゆっくりと──。の息が上がりはじめたら、さらに遅くして──。木々のざわめきに耳を澄ましている素振りを見せ、わざと立ち止まったりもした。
「疲れたか?」
「──平気」
 が歩きながら周囲に目をやると、木々が音を立てて自分の周りを避けたかと思うと、今度は掴まりやすい位置に木の枝が伸びた。
 蔵馬は何も言わないが、の為にあてがっているのだ。
 彼の気遣いが伝わる。弱音など吐けなかった。
 それから20分近く歩き続け──ようやく滝の音が近づいてきた。
「着いたぞ。ここだ」
 蔵馬が生い茂った葉をどけると、見渡す限りの平原が眼下に広がった。
 紫、紅、橙、桃──。色鮮やかな花畑が一面に咲き乱れている。花の背丈が低いためか、まるで絨毯のように思えた。
「すごい‥‥!綺麗だわ」
「誘眠花という花だ」
 がそっと花に触れると、花は容易く折れて掌に落ちた。
「花の蜜は、睡眠効果がある。茎は痺れを、花弁や葉には解毒作用がある。このまま食えるが、煎じて飲むとなお効果がある」
 が試しに茎を指で擦り合わせると、ピリッとする痛みが走った。
 感心していると、蔵馬はおもむろに花を一輪掴み、摘み取った。
「万一、霊界に追われて傷を負ったら──」
 花を口元に寄せ、しばし瞑目すると、勢いよく振り下ろす!
 花びらと花粉が、の周りで弾けた。すぅっと、足のだるさが消えてゆくのがわかる。
「これで、体力を回復していた。どうだ。利くだろう?」
 植物を自在に操る蔵馬の能力。植物の性質を理解して、初めて発揮される力だ。
 棘があれば鞭にして振るい、鋸歯があれば剣にして刺す。薬効があれば、それさえも武器に変えてしまう。
 は、数輪の花を摘むと、奥には蕾の状態の花が連立しているのを見つけ、足を踏み入れる。
「おい。あまり遠くへ行くな」
「向こうに行くだけ」と、指を差す。
「だめだ。ここからはかなりの距離がある」
 霊気を遮断しているイアリングを付けているので、になにか遭っても、見つけるのが遅くなると、蔵馬は心配した。
「かなりって‥‥やだっ一本道じゃないの」
 蔵馬の制止を振り切り、は花畑の中に入っていく。
 背後から、蔵馬の声が聞こえるが、好奇心が勝り、の耳には入らない。
 奥へ行けば行く程、若い花が多く、香りも次第に強くなっていった。今しがた咲いたであろう花は、まるで香水さながらの強烈な香りを放ち、少しばかりの眩暈をも起こさせる。
 どうせ摘んで帰るなら、瑞々しく大きい花がいい。もっとも良い香りで、鮮やかな花が──。
(見つけた──!)
 とびきりの大きい花を摘んで、は誇らしげに
「ほら蔵馬!」と叫んで振り返った。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥そこに、蔵馬の姿はなかった。
「蔵馬‥‥?」
 摘んだ花を掴みながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
 いない。
 慌てて帰らなきゃと思ったが、どこから来たのかわからなかった。
 下ばかり見て歩いていたから気づかなかったが、背丈の低い花畑はほんの数mだけで、今では背伸びをしても肩まで靡く植物で前が見えないではないか。

 迷った。

 急に心細くなり、は取りあえず、水の音がする方へと歩いた。川辺に出くわしたら、川上に向かって歩けば、滝にたどり着くはずだ。
 私たちは、そこからここに来た。
「よし!」
 気合を入れ直して、歩き出す──が、密生する草が邪魔で、足元が殆ど見えない。
 川を目指すほどに、穂が密生して何がなんだかわからなくなる。
 やっとの思いで川にたどり着いたとき‥‥川の流れの一部が倒木でせき止められており、は水飛沫を浴びせられた。
 鼓動のように、水飛沫は何度もに向かって注がれる。
 驚いて転倒するも、川縁から離れて、ずぶ濡れになった髪を手で掻きあげる。
 いい加減、蔵馬に助けを請おうと思ったが、あれだけ啖呵を切ってしまった手前、プライドが邪魔をした。
 絶対、こう言われるに決まってる。「だから言っただろう」と。
 ふと横目をやると、魚釣りをしている親子連れが目に入った。
(良かった。人がいた──)
 駆け寄りながら、話しかける。
 川の轟音にかき消されないよう、声を振り絞って。
「あのー!すいませ────ん!!!」
 親子連れが気づき、こちらを振り向いた。何やらヒソヒソと話をしている。の姿に呆れているのだろうか。
 は、怪しまれないように笑みを浮かべて近づいたが‥‥。
「エヘヘ‥‥お前、女か」
 その一言に、背筋が凍りつく。
(親子連れじゃない──!)
「女だ!女がいる!」
「本当だ。おい!ここに女がいるぞー!!」
 仲間を呼んでいるのだとすぐ分かった。は逃げ出そうとするが、足が竦んで動かない。
「女だ!女だ!──逃がすな!」
 妖怪らが、奇妙な動きをしながらの傍に寄ると、の右肩に手をかけた。
「は‥‥放して!」
「エヘヘ‥‥。なにもしねぇよ。抵抗するなよ。エヘヘ」
 何もしないわけがない。
 バスケットを振り回して抵抗すると、一瞬怯んだ妖怪は掴んでいた手を放したものの、一層面白がって、を凝視する。
(‥‥殺される!!)
 引き返して草むらを走ることなど出来ない。かといって、川縁に沿って走って逃げても、自分の足では追いつかれてしまう。
 向こう岸に向かって橋が架けられているのが見えた。
 もしかしたら、このままいっそ川に流されてしまったほうが、まだマシかもしれない。
 さすがに、川の中までは追ってこないだろう。このまま、妖怪に弄ばれるよりは、断然マシだ。
 は意を決して、橋に向かって猛然と走り出した。
「へっ!逃げる気だぜ。待ちな〜お嬢さん」
 橋を渡り、中央に差し掛かったところで、橋げたに足をかけ──川に飛び込む。
「よせっ!」
 抑止する何者かの声がの耳に響いた。
 飛ぶタイミングを逃したの体は、ガクンと、ずり落ちていった。
 落ちながら、は川の水面に映る影──自分の頭上に、鳥のような影が迫ってくるのに気づく。
 その影は次第に大きくなり、ツルのような触手がの腹に巻きつくと、激流の川に飲まれる寸前を掠め取った。
 咄嗟に、巻きついたツルに触れる。
(植物──!?)
 ツルはの腹を何重にも絡めて固定させると、川から一気に引き離す。の体は激しく揺れた。
「うわっ!」
 地面が上下左右に揺れ、目を開けていると酔ってしまいそうで、思わず瞑った。
 すると今度は空と地面が反転し、目を閉じていても光を感じる‥‥。眩しいながらも、うっすらと薄目を開けると──。
 やはりだ。
「く、くら‥‥ま」
 銀色の髪が、の視界に入る。
「な、なんで‥‥来て‥‥キャァ!」
 咽るほどの風圧がを襲う。必死に手を伸ばして何かに縋ろうとすると、蔵馬はの手を握りしめる。
「しゃべるな。舌を噛むぞ」
 コクンと頷いた拍子に、体が大きく仰け反った。
 頭に一気に血が昇ってしまい、一瞬、ふぅっと‥‥意識が飛んだような感覚に陥る。
 蔵馬は、反ったの体を起こすと、離さないよう片腕でしっかりと抱きかかえた。
「しっかり掴まってろ!」
 蔵馬の背中に手を廻し、彼の胸に顔を埋めた。
 耳元で蔵馬が何か唱えている。
「薔薇棘鞭刃!」
 一瞬、薔薇の香りがの周りに広がったかと思うと、空を叩きつける鞭の音が響いた。蔵馬の薔薇の鞭が、妖怪をなぎ倒している。
 川の轟音と風切音で、妖怪が斬られる音は聞こえない。
 しかし、悲鳴だけが‥‥恐れおののく妖怪の命乞いの叫びと断末魔だけが、やたらと耳に入ってきて‥‥‥怖くてたまらなかった。

「──終わったぞ」
 蔵馬が、耳元で囁いた。
「もう心配ない。顔を上げていいぞ」
 を抱きしめていた腕をそっと解く。
 そこはすでに、地面の上だった。
 安堵してが立ち上がると、フラフラと足がよろけ、尻餅をついた。
 照れくさそうに苦笑いをすると、蔵馬はを抱きしめた──。
「すまなかった」
「──蔵馬?」
「危険な目に遭わせたな。すまない」
 謝られた。蔵馬は悪くないのに。悪いのは、忠告を無視し勝手に歩き回った自分である。
(違う‥‥)
 は、蔵馬を引き離しながら、「違う‥‥。悪いのは私よ。蔵馬の言いつけ破ったからこんな目に遭ったのよ。自業自得なの。だっから謝るのはやめてよ」
 自分が情けなくて、涙が溢れる。結局、こうなるのだ。『ほら見たことか』と、自分の声が、頭の中で嘲笑っている。
「なぜお前を責める理由がある?あのような状況に陥ることは、人間のお前には予想などつかなかったことだ。お前の責ではない。気にするな」
 蔵馬は、は“人間”なのだから、わからなくて当然だと言う。しかしその言葉は、グサッと胸に刺さった。
 “人間”だから仕方ない──なんて、そんな風に思われたくはなかった。
 しかし蔵馬は、が悪いとは、一言も口にしない。にも非は‥‥いや、全面的にが悪い。しかし蔵馬は何も言わない。があれほど予想していた、『だから言っただろう?』という嘲りの言葉も、窘めも、説教も、言い訳も何一つとして────。
 彼の優しさが、時々苦痛になる時さえある。罪悪感で胸が張り裂けそうになる時すらある。
 自分の存在が、蔵馬の重荷になったらどうしよう。負担になったらどうしよう。私はこの人に対して、護られただけの対価を与えることが出来るのか。
「とにかく、無事でよかった。‥‥とはいえ、そこまで濡れてしまっては、無事とは言えないかもしれんがな‥‥」
 蔵馬が顎に手を添えながらの体を一瞥し、クスクスと笑って腕を組んだ。
 結論から言うと、自分の力で彼を護ることは不可能に近い。だったら、どうすればいいのだろう。
 でも、だからこそ、護ってもらったことに精いっぱい感謝をすることが、大事なのかもしれない。
「ありがとう、蔵馬」
 が思わず笑うと、蔵馬が満足そうに頷いた。
「ところで‥‥この傷はどうした?妖怪にやられた受けた傷ではないな」
 頬や、手首に残る切り傷に手を慌てて隠しながら、「草で切った」と、は苦笑いを浮かべた。
「あの鋸歯の花は俺があつらえたものだ。こんな形でお前を傷つけてしまうとは──すまない」
「で、でもちゃんと薬草は採ったのよ。こんなに大きくて──」
 ずっと手に持っていた薬草は、先ほどの騒動で殆ど花びらが抜け落ちていた。
「あ‥‥」
 が落胆していると、蔵馬はその花をの手から受け取り、呪文を唱える。
 花は再び花びらを付けると、弾けて大量の花粉がの頭上に降り注がれた。
 するとどうだろう。花粉が触れたところから、傷が治ってゆくではないか──。
「傷が‥‥!」
「この花には、治癒効力がある。が選んだのは‥‥最も効力が強いようだ。初めてにしては見る目があるな」
 それは、慰めの言葉かもしれないが、とても嬉しい。
「さて、先ほどの花を摘みに戻ろう。今度は勝手に行くなよ」

 蔵馬とは、薬草集めを再開した。
 バスケットに、溢れんばかりの花を詰めたころには、星が空に見え隠れしだし、蔵馬はに帰りを促した。
 来た道に向かって歩き出すを、蔵馬が制止する。
 蔵馬は何かの種を取り出すと、種は弾けたように発芽するや、ニョキニョキと成長し‥‥。
「こ、これって、さっきの──」
 植物が、凧のような翼に変形したのである。
 蔵馬がに手を伸ばすと、はしきりに首を振り、拒否した。
「イヤ。これ、さっきのでしょう!?ダメ!私、酔っちゃう。怖いし気持ち悪いし、ダメダメダメ!」
 すると蔵馬は笑いながら、「あれは、敵を撹乱するため、わざと舞っていただけだ。今度は揺らさん」
「本当に?」
「ああ。心配ない」
 蔵馬はを抱き上げ大きく跳ね上がると、瞬く間に風に乗った。
 確かに蔵馬の言うとおり、多少の揺れはするものの、エレベーターで静かに上がっているような感覚に近い。
 が安心していると、蔵馬は苦笑いを浮かべて無情にも言い放つ。
「‥‥すまんな。思ったより夜更けが近いようだ。早く戻ったほうが良い」
「それって──」
「急ぐぞ。しっかり掴まっていろ!」
(蔵馬の嘘つき!)
「キャ──────────────────!!!!!」
 速さは別格。ジェットコースターを味わったであった。
web拍手で、ありがたくも小説のリクエストを頂きました。「薬草を摘みに行く」「が襲われる」という2つの要素を入れてほしいとのご要望。
しかし肝心のリクエスト下さった方のお名前が不明。実は、web拍手に名前の項目欄が無くて‥‥今頃慌てて設置(爆)。お読み下さると嬉しいです。

 因みに本編でも、は蔵馬に護られれば罪悪感に苛まれ、だったら、護られたら感謝しよう‥‥と思うのですが、の性格上、それが難しかったりする。そしてさらに落ち込む‥‥という、優柔不断さが目に付きます(笑)。

★植物ホラー好きの私は、妖狐の食妖植物やオジギ草を見る度に映画のワンシーンが蘇ります。蔵馬は妖狐に比べて大人しいと思っていたら、意外な所にシマネキ草がありました。シマネキ草を髣髴とさせる植物も昨今ではCGで再現可能‥‥!植物というものは、独特の不気味さがあります。

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