それは、が『降魔の剣』を口にした翌日のことである。 蔵馬は、の言葉をどこか腑に落ちずにいた。 いくら霊界の書物を多く読んでいたとはいえ、『降魔の剣』について詳しく知っているのは何故なのか? 仮に百冊の本を読み漁ったとしても、内容の全てを覚えていられるはずはない。 興味があるから?だとしたら‥‥どの部分に興味を持つというのか。あの恐ろしい剣に──。 が『降魔の剣』について調べることになった経緯を知りたい。恐らく何かのキッカケがあったのに違いない。 蔵馬は雲鬼を呼び寄せ、が『降魔の剣』の名を口にし、効能までをも知っていた事、願わくば使う意志さえあったことさえも伝えた。 顔を青ざめ動揺する雲鬼に、蔵馬は、らを霊界が匿った経緯を尋ねた。 霊界が、身元がハッキリしない見ず知らずの人間を、安易に霊界に招いて暮らさせるのは考えられないからだ。 すると雲鬼は‥‥重い口を開いた。 「くれぐれも、とには内緒にしていてくださいね。あの子達は、全てを知りませんから──」 時は5000年前。人間界にぞくぞくと文明が栄えはじめた頃である。 その頃は、霊界こそ天の彼方にあって隔てられてはいたものの、その眼下に広がる世界には、人間界と魔界の境は一切無く、果てなく混沌とし、妖怪や人間の垣根──その“区別”さえも存在してはいなかった。 蔵馬のように、身体に“獣”を持つ妖怪が少なかったこの時代、妖怪は人間より長い年月を生きることが出来る──。唯一、ただそれだけが周知の事実であり、妖怪と人間を区別するものであった。 ある日、齢18の幼き王が、ある小国に誕生した。 幼少より『神童』と呼ばれ、科学や天文学などの学問に精通し、幼ながらに国の発展に大変尽力した功績を称えられ、 この度めでたく王に君臨したのである。 王は、日に日に年老いていく我が身を鏡に映しては、もっと生きたいと願ってやまなかった。 自分が生きた18年で、これほどまでに科学が発達したのならば、千年先の未来は果たしてどうなっているのだろう。 しかし、自分が人間であることから、悠久の時を生きられる妖怪が妬ましかった。 王は民に、「不老長寿」の情報をもたらした者に多額の報酬を与えると約束し‥‥数年後、風の噂で『望みを叶える鏡』がこの世のどこかに存在することを突き止めた。 世界各地へ臣下を飛ばし、程なくして王はその鏡をついに手に入れた。 臣下は群衆の前で鏡を天高く翳し、「王家に老いることなき体を与えよ!」と叫んだ直後──その場に崩れ、絶命した。 民はそのおぞましい光景に悲鳴を挙げ、王の邪悪な“妖術”を恐れ、王は王家もろとも国を追われることとなった。 王は100歳を過ぎても、青年のような若々しさを保ち続け、王家も変わりなくあの日のままだった──。民には見捨てられたが、我らの願いがかなったのだと、王家は歓喜に震えていた。 それから更に500年‥‥千年の月日が流れ、人間と妖怪の区別も徐々に出来、次第に棲み分けもされるようになった。 人間界は清らかに澄み、魔界は混沌とし凄惨たる世界へと、世界は両極をなしていった。 王家は、長い年月を生き続けても不審がられぬよう、人間界ではなく魔界で‥‥その最果ての地でひっそりと過ごした。氷女の種族のように──。 その間、王族内では子が幾度か誕生したが、子供さえも不老長寿の血を受け継いでおり、一定の年まで成長し、その先は決して老いることはなかった。 しかし、不老だが不死では無い為に、死ぬ者は存在した。 王は、これ以上王家が繁栄し続けることで、外界に名が知られ詮議されるのを避けるため、死者が現れた時にのみ子をもうけることを定め、人口の増減は『死の相殺』のみで、子の誕生は100年に一度行われる程の、厳かな儀式となっていった。 閉鎖的な中で生き、悠久とも思える時の中で隠れるように生き続けてきた王家は、いつしか愛を育むこともしなくなり、男女の恋慕の感情はいつしか消えていった。 それから更に数千年が過ぎ、異変が起き始めた。 子孫の代を連ねるうちに、寿命が確実に“人間”に戻りつつあったのだ。 縮まったであろう寿命はせいぜい50年程度であったろう。 千年を超える時を生きることが出来て、それが50年縮まったところで、元の人間の寿命よりは遥かに長い──。 しかし、それでも王家にとっては大きな“異変”であった。 所詮は“人間”なのだ──と、王家は嘆いた。 王家は止む無く、閉鎖された地を脱したものの、殺伐とした魔界で生きる知識も力も持ち合わせていなかった王家は、運悪く戦の巻き添えを食らい、王家はあっけないほどに滅びた。 しかし数日後、地下で身を寄せ合い泣いている、年端もいかぬ幼い二人の女児を、戦火跡を巡回していた霊界特防隊が発見し、その場で保護をした。 衰弱し、独力での生存は不可能と判断され、霊界が育てることになった。 その日から、コエンマの計算では、彼女たちはざっと60年程の時間が経過している。 現在に至るまで同じ姿で生き続けている。 匿って以降、幼少期を終え、人間と等しく成長し続けていたため安心していたのだが、ある日を境に成長はピタリと止まってしまい、それからは老いることは無い。 霊界を離れて人間界で過ごしていた時期は、自身の異常を感じ取り、自分の体が『暗黒鏡』の力によって引き起こされたことを知った。 とは逃げるように霊界に帰還し、は図書室に籠るようになった。 自分の体に、いついかなる異変が起こるのかわからない。暗黒鏡の力がいつまで続くのかわからない。 暗黒鏡の所有者を探し、それが霊界の持ち物ならば‥‥作られた経緯が記された書物を見つければ、自分の求めていた答えが見つかるだろうと、信じていたからだ。というより、それに縋るしか道は残されていなかった。 「医術を学んでいるというのに、自分の体に限っては、全てにおいて何も当てはめることが出来ない‥‥。苦しかったことでしょう」 暗黒鏡が、『老いることなき体』をどう捉えたのかは、もはや誰にもわからない。 ただの長命を与えたのか、それとも妖怪にさせたのかは、誰にも──。 「から発せられる気は『霊気』ですが、彼女を人間と呼ぶのは無理がある。だからといって『妖気』が無い以上、 妖怪とも呼べない。どっちつかずなら、思い切って妖怪になってしまえと思ったのかもしれません」 蔵馬は、天を仰ぎながら瞑目する。 が時折見せた、悲しげな瞳。なぜそれを察することが出来なかったのかと、悔やんだ。 悩みがあるなら打ち明けて欲しい。必要ならば助けを求めて欲しい。求められれば、いつだって力を貸し、庇ってやれるのに──。 「しかし貴方に出会ってからは、異様な光景が無くなったのです。貴方は確実にを変えた。霊界が数十年共にしていながら、何もしてやれることはなかったというのに‥‥」 珍しく、蔵馬が雲鬼の目を見て笑みを浮かべた。それがお世辞であったとしても、悪い気はしなかった。 「でも‥‥の詮索好きは直らないと思いますよ。は暗黒鏡の存在を知っても、『だからどうした?なるようになる』と割り切っています。のような刹那的な思考と足して二で割ったら良いのでしょうが‥‥それは“性分”というものです」 「覚悟はしている」 蔵馬が苦笑いをすると、雲鬼は哀れむように見つめ返す。 「貴方にとっては大変酷な話になってしまいますが、この先、に愛情を注いでも、応えてくれる保証はありませんよ。何しろ、数千年にわたって、“愛”というものが存在しなくなった世界で生きてきた種族の子孫なんです。感情や心までもが遺伝するかは私達には分かりませんが、あなたが愛を注いでも、の反応はほかの人間とは異なると思います。いつかはにも分かる日が来るのかもしれませんが‥‥もし分からなかったら、貴方はどうするつもりですか?」 「どういう意味だ?」 「お気に障ったら申し訳ありませんがね。残忍で冷酷と謳われる貴方が人を愛していると知って、正直、貴方にそのような心があったなんて、私は驚きましたよ。しかし、愛したのが妖怪ではなく人間で、しかも愛しても報われないかもしれないなんて──少し気の毒だなと思っただけですよ」 (気の毒?) 蔵馬は、軽蔑するように雲鬼に言い放った。 「俺は、見返りを求めるつもりはないが‥‥貴様は、俺が愛されたくてあいつを愛しているとでも思っているのか?」 雲鬼は、咄嗟に手を前にして後ずさりをする。 「いえいえ。ただ‥‥霊界も最近では貴方の位置づけに困っているんですよ。何しろ、貴方は残忍で冷酷となっていますからね」 「俺は今までと何も変わらないつもりだが──」 「ハハハ。そうでしょうね」 武術会場周辺で、明らかに蔵馬に殺されたであろう妖怪の死体が数体見つかったが‥‥雲鬼は上層部には報告していない。 その妖怪は、の正体を探ろうと嗅ぎまわっていた妖怪だった。だからといって殺してしまうのはどうかと雲鬼は思ったが、の身を護ろうとした結果だと、雲鬼は自分の判断で不問としたのだが‥‥。 都合が悪いからと、簡単に人を殺してしまえる蔵馬の非情と冷酷さには、悪寒が走った。 「でも、最近思うんです。は霊界で暮らすより、魔界で貴方と暮らした方がいいのかもしれないと。コエンマ様の前では言えませんが、私個人としてはそう思います」 蔵馬は、雲鬼が特防隊とは明らかに考えが違う事を感じ取る。霊界は善、妖怪は悪といった勧善懲悪ではなく、妖怪を個人として見ているのだ。 蔵馬が『冷酷』だと霊界から忠告されて、『はいわかりました』と鵜呑みにすることは決してない。あくまで雲鬼は対面を信条とし、“人となり”を知ろうとする。 「お連れの方<黒鵺の事>には、今の話はされますか?あの方はの事が‥‥」 「いらぬ心配だ。教えたところで、あいつも俺と同じ考えだ」 蔵馬が、雲鬼の言葉を遮る。それから先の話は、雲鬼には関係ない。 「──そうですね。それでは、また何かあったらどうぞ。のためなら、私は個人的ではありますが力を貸しますよ」 蔵馬が武術会場に戻ると、すでに人の出入りは少なくなり、静けさを取り戻していた。 医務室に目をやると、すりガラスの向こうに動く人影が見える。 背格好で、一目でだと分かる。 忙しく働く‥‥その裏で、悲しみや苦しみをかかえていたなんて──。胸が苦しくなってくる。 せめて連れの女ぐらい、何も考えずに生きていけたら楽なものだが‥‥。 刹那的なと黒鵺の生き方を見ていると、時々羨ましく思えてしまう。 しかし、自分が黒鵺のように生きていけないのと同じで、とて、己の生き方を変えることは出来ないはずだ。 (なんとかしてやりたいが‥‥こればっかりは、問いただすこともできん) だとしたら自分が出来ることは、が話す時を待つしかない。 いつか、自分に心を許し、全てをさらけ出してくれるまで──。 その時、彼女の恐れや願いを、聞いてやり、道標となり手を取って進ませてやればいい。 俺も、面倒な女に惚れたものだ。 蔵馬はそう呟くと、踵を返し、部屋へと帰っていった。
暗黒鏡が与えたものについては、鏡自身に聞かないと分からないけれど、もはや聞く手段が無い今、『なるようになる』。ただ、生きている以上生きていくしかない──というのが結論でして。 生い立ちについては、批判もあると思います‥‥(爆)。 ですが、物語が3部で終わるし、3部までお付き合い下さった方ならば、今更UPしても怒られないだろう思いまして(^_^;) 蔵馬とを“同族”と期待していた方には‥‥‥‥やっぱり怒られるかも(汗) |