46話 風の未来へ

・地球上の全ての人に『伝説の力』を伝える美鈴さん。
 隊長である星史の母親がニュースキャスターで、本当に良かったよ。他の職業だったら‥‥(怖)。
 人間達が地球を横柄に扱っていたことを伝え、そのシーンには初代のマリオや2代目のチャンプもいますね。
・もう既に死にそうな地球を前に、どうすればいいのかわからない状態。次々に解放点がヒットされていく中、星史はひたすら「諦めるな」とハッパをかけますが、こりゃ‥‥無理だろうよ。
 当時の雑誌で読みましたが、初代〜2代目は『戦いの主導権』は勇者側にあり、勇者が率先して戦い、人間は見守る位置に立つ。
 3代目ではそれが逆転し、人間が率先して命令を出して指揮し、勇者はそれに従う側となる。
 通常の各話では、星史が命令して勇者が動くので『それぞれの立ち位置』が分かりやすいが、クライマックスになると、どちらが主導しているのかがわからなくなるので、戦いを諦めようとする勇者にハッパをかけるシーンをあえて作り、あくまでも戦いの主導権が星史にあることを見せているとのこと。
 というのも、子どもは毎週番組を見るとは限らない為(確か初代でもそういう話があったような)、極端な話、最初の数話を見てクライマックスを観る‥‥というケースもありうるそう。
 そんな子でも、話が進んでも『主導権は変わらず星史にあるんだよ』という事を念押しする為である。
 『人間が主導する』形は子ども達に超受け、ダイレクターはバカ売れだった(当時は買えなかった!)。そしてこの形態は、後の勇者シリーズに引き継がれることになっていく。
・そろそろヤバくなってきたセブンチェンジャー。
このままではヤンチャーまで巻き込んでしまうと判断し、勝手に降ろしてしまう(命令いかんで隊長の身に危険が及ぶのであれば、背く。まるで『ロボット三原則』のようですね)。
ただ、降ろした場所が──。切羽詰まっているので仕方ないとは思うが、あんな見晴らしの良い場所で、みんなの前で降ろされてしまい(汗)、正体がモロバレである(;^ω^)。
香坂夫妻に思いっきり正体を見られてしまうが(そういやこの人たちはまだ知らなかったんだっけ)、もはや隠すことをしないヤンチャー。
それよりも、解放点があるこの場所で呑気に突っ立っていることを咎めるのである。
・瀕死の状態のセブンチェンジャーに対し、「ダ・ガーンを守って戦え!」と、鬼のような命令を出すヤンチャー(怖)。
 美鈴さんが『伝説の力』を世界に発信していると知り、あと一歩でなんとかなるかもしれないと思ったのでしょう。
 ブッチョも無力ながら参戦し‥‥あっという間にやられてしまったけど、この地球のために自分のできることを──思ってくれる心はとても嬉しいものだと思います。
・ついにセブンチェンジャーがやられてしまった!
 星史の事を快く思っていなかったセブンチェンジャーも、隊長の資格を認めてくれたのか、名前で呼んでくれました。
 死んだセブンチェンジャーからは勇者の石が飛び出し、ヤンチャーの元へ──(ダ・ガーン達の勇者の石と形は同じなんですね)。
 勇者の石を手に、泣き出してしまうヤンチャー。物心ついたころから一緒に居たんですから、ショックでしょう。
 ‥‥ふと思ったのですが、光の洞窟に持っていったら生き返ったりするんでしょうか?
 セブンチェンジャーを倒され、さすがのダ・ガーンも怒り狂いますが、それでもシアンに力及ばず、蛇のように締め上げられてしまい、フェイスガードが破壊され(色っぽ〜い♪)、即効で諦めてしまう(さっきセブンチェンジャーを殺された怒りはどこへ?)
・セブンチェンジャーを倒され、ダ・ガーンさえも危うい状況。
この状況を覆せるのとしたら、もはや『伝説の力』に頼るしかない。
ヒカルは地球に「本当に伝説の力があるのなら助けて──!」と祈る。祈るしかない。
そしてその祈りは、ヒカルだけではなかった。郷上大佐も祈っているではないか。
横暴で、強情(名前の通り)だが、彼だって『地球』が無くなれば生きてはいけないのであって‥‥祈るしかないのである。
散々地球を横柄に扱い、ないがしろにしておいて、今さら地球に対して「助けてくれ」なんて言える義理ではないのは百も承知だが、それでも──地球に頼むしかないのである。
・伝説の力を探しながら、次々に星を滅ぼしていったオーボス。
オーボス自身は伝説の力を使って、果たして何がしたかったのか──。
『伝説の力に触れて死ねるなら本望』という言葉に星史は唖然としてしまう。
他者を蹴落とし、滅ぼし、自分に敵う者が誰もいなくなってしまった。自分より強い存在がいるなら見てみたい‥‥自分を倒せる存在を欲しているかのようです。
・オーボスの最期は、今であれば表現不可能なフラッシュの嵐。
 ガオガイガーのフラッシュで救急車のお世話になった私としては、同じことが起こったらどうしようと、昔はリアルタイムで観ていたはずなのに、今はそこだけ早送りです。
・伝説の光=勇者=伝説の勇者 最終回にしてタイトルの伏線を回収した──なんて、そういう意図ではないだろうきっと。
 四散した光が、キラキラと地球に降り注いでいく。その光の元が『ダ・ガーンら勇者たち』だと思うと、とても感慨深いものがあります。
 セブンチェンジャーは地球生まれではありませんが、ダ・ガーンらと共に、光の一部となって地上へと還っていく描写は、蛍が言っていた『同じ宇宙に住む者』であることを象徴しているかのようです。
 勇者達が、全ての人類や地球に住まう生き物に分け隔てなく降り注いでいるシーンは、それでも地球は人間を護ってくれる証拠であり、これ以上地球を汚さないように尽力しないといけないのですが‥‥う〜ん、温暖化も加速しているし、もう止められないだろうな。
・ダ・ガーンが入っていた根本さんのパトカーが大破。
 このたった1カットで、ダ・ガーンがもう二度と登場しないことを表現できている。たった1枚の画で全てを伝える表現方法は好きです。
・星史は、ダ・ガーンに護られながらゆっくりゆっくり地球に帰還。
 地球が平和になり、ダ・ガーンともいよいよお別れである。
 勇者シリーズ3部作。第1部終了の集大成。初代からの原点回帰で、『もう会えない』ことを強調。
 最後の最後まで勝つことを諦めなかった星史。ダ・ガーンも色々、星史に教わることが多かったんではないでしょうか?
 EDは、第1部集大成にふさわしい合唱バージョンでしめくくり(後日談は、サントラで語られています)。

勇者シリーズ企画時点では、3部作になると発表されていました(初期の構想では最低10年続ける予定だった)。
この『伝説の勇者ダ・ガーン』は、勇者シリーズ1部目の締めくくりとして作られ、原点回帰が多かったと思います。
そして初代→2代→3代と放映して1部が終了し、監督は矢田部氏から高松信司氏へとバトンタッチされ、第2部へと続いていく。
監督が代わったことで作風もがらっと変わった『勇者特急マイトガイン』。
主人公のモデルはサンダーバード。さらに高松監督の趣味で、キャラクターの名前は70年代の往年スターをもじったものに(笑)。
コンセプトは、まず玩具ありきで、作品の玩具を売らせるにはどうすればいいのかを考察。 歴代勇者シリーズの商品はタカラトミーから発売されており、タカラトミー社の主力玩具商品は当時はプラレールだった。 子どもが夢中になるのは車よりも鉄道だと結論付け、主人公を大金持ちかつ『鉄道王』にさせて、鉄道車両がロボットになることになった。 作品のテーマは『虚構』であり、高松監督が『絵コンテ握乃手紗貴(あくのてさき)』名義で、1話からクレジットされている。
更に、吉永サリーが、『勇者特急マイトガイン』のセル画を彩色するシーンがあり、作品内で『勇者特急マイトガイン』が放映され、制作は『旋風寺コンチェルン』。
『勇者特急マイトガイン』が、『勇者特急マイトガイン』の作品の中で放映されているという‥‥もはや何が何だかわからない世界観となっている(;^ω^)。
ラスボスは三次元人──つまりは『製作者』である。勝ったとみせかけたEDのラストで、ピアノをバックに『セル画で作品が終了する』。
全ては製作者の手の中にいた‥‥。まさにテーマ『虚構』にふさわしい終わり方
となった。

つまり、全ては作り話だった──。

‥‥この設定、いまやったらブーイングとかすごいのかな?私も当時ラストで『全ては作り話です。セル画の中の話でした』と終わられ、当時はまだ子どもの為、セル画が何を意味するのか、よくわからんかった。

放映から3年度、ラジオドラマが公開されることとなりましたが、作品のテーマ姿勢は変更されることなく、ラストは『夢オチ』という‥‥『虚構』を清々しく貫いた終わり方になっている(このとんでもないラストで許されるのは、テーマ姿勢をファンも分かっていたからでしょう。もうここまでくると、怒るに怒れん)。

なにもかも、全ては幻だったのである。


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