闇に咲く花 1話

 幼い頃、一冊の本に出会った。
 人間界にやってきた一人の妖怪を、村人達が退治するお話。
 その内容はとても悲しくて切ない。しかしとても神秘的だった。
 私は、彼の故郷を一目見てみたいと思った。
 その妖怪が、あまりにも美しかったから──────。

「で、実際来てみてどうです?魔界の様子は」
 森の中を歩きながら、『警備兵』と書かれた腕章を左腕に着けた二人の霊界の鬼が、横を歩く二人の女性に聞いた。
「‥‥え?」
 聞かれた二人の女性が、歩いていた足をピタリと止める。
 魔界の森を歩く、二人の霊界鬼(雷鬼と雲鬼)と、二人の人間の女性()。
 四人は現在、道に迷っていた。
 魔界はとても広大無辺で、何度も訪れている護衛の霊界鬼達でさえも、完全に迷ってしまっていた。
「「魔界の様子はどう?」なんて‥‥ゴメン、今は感想を言える気分じゃないの」
「同じく。今はそんな事考えられる状況じゃないわよ」
 薄暗い森の中で佇む四人。四人の周りには、一面竹林が生い茂っている。
 この鬱蒼とした竹林の中では、雄大な魔界の景色などサッパリわからない。右も左もわからない。この先、どこをどう目指してどっちに向かえばいいのか──そもそも、ここは一体どこなのか──途方にくれてしまう。
 案内役なのに、道に迷った霊界鬼。
(あぁ‥‥こんな事なら、自分が先頭に立ち、勘を頼って歩いたほうが良かったのでは?)
 今更遅い後悔をするだったが、人間が先頭や殿を歩くのは魔界では大変危険である為、敢えて口には出さなかった。
「もうダメ、一歩も歩けないわ。貴方達が用意してくれたっていう私達の家は、一体どこにあるの!?」
「私も‥‥足が痛い!先程から、同じところをぐるぐる回っているような気がするんだけど‥‥」
 疲れ果て、竹林にもたれ掛かる達。自分達の足で、魔界の道を歩くのは至難の技だ。
 人間界の舗装された道に比べて、この荒廃した魔界の大地は、酷く体力を消耗する。
 魔界に入る前、その事をコエンマに散々言われたから、ある程度足を鍛えてきたつもりだった。

 でも───それでも足りないというのか‥‥‥‥。

 霊界鬼はさっきから、「もう少しです」としか言ってくれない。歩いても歩いても全く先が見えず、ただ苛立ちだけが募る。
「ねぇ。魔界の穴の出口って宮殿からしかなかったの?宮殿の近くが一面竹林だなんて、『迷わせてください』って言ってるもんじゃないの!」
「お前の言いたいことはわかる。『最初から家の前に出れば良いのに』って言いたいんだろ?」と雷鬼。
 が、「そうよ!あったり前じゃないの!」と、意地悪っぽく雷鬼を指差す。
 疲れも手伝ってか、怒鳴り散らすと、反論するもオロオロするだけの雷鬼の間に雲鬼が割って入る。
「あいにくですが‥‥“何処にでも出られる”ってわけにはいかないですよ。魔界の穴を開けることが許される場所は、ある程度決められていますから」
 の怒りを宥めるように、冷静に雲鬼が答える。
「その決められた場所の中で、一番近い出口が『宮殿』なんです。それに、宮殿は霊界が管轄してますから『安全』ですし」
 雲鬼がそう言うと、雷鬼が(俺達が正論だろう!)と言わんばかりに、腕組みをして踏ん反り返った。
 は、ムッと、罰が悪そうな顔をした。
「だったら最初からそう言ってくれれば良いのに‥‥フン!」
 と霊界鬼の言い争いを端で観ていた
(いくら近いといったって、結果迷っていたら同じだと思うけどなぁ〜)と、深いため息をついた。

ピ──────────ッ!!

 突如けたたましいサイレンが鳴り響いた。
 四人は驚いて辺りを見回す。サイレンは宮殿から鳴り響いているようだった。
「盗賊団が現れたようだな」と、雷鬼。
「運がよかった!魔界に来るのがもう少し遅かったら、盗賊と鉢合わせしていたかもしれません」
 『盗賊』という言葉を聞いて、は思わず身震いした。
 盗賊が、自分達のところに逃げてくる危険性はないのだろうか?
 案の定、宮殿の正面出入り口から、盗賊と思われる二人組がこちらに向かって全速力で走ってくる。
 薄暗い竹林に隠れれば、ハンターの目も晦ませられるし、なにより逃げやすい。飛び道具さえ、密生した竹林の中では放てないだろう。盗賊が竹林の中へ逃げ込むのは、当然だ。
 盗賊は、達の目の前をただ通り過ぎてくれるだろうか?彼女らの存在に気づいたら、逃げる“盾”に使うのではないだろうか?
「ちょっとぉー!こっち来たー!」
 は盗賊から逃げるため、一人走り出した。
 走り出したに驚いたは、「、独りになってはダメー!」と一度は腕を掴んだものの、の行動につられて、いつしか一緒になって走っていた。
 真っ直ぐ逃げても盗賊の足には絶対適わない!
 目線を左にやると、やっと入れるくらいの小さな岩穴を見つけた。は、その岩穴にの手を引いて飛び込み、そっと身を潜めた。
 雷鬼と雲鬼が、自分達の身を案じて名を呼んでいる。必死の形相で自分達を探している。
 でも、「ここに居る」とは言えない。盗賊を追うのは、雷鬼と雲鬼と同じ、霊界の住人だとコエンマが言っていた。もし仲間とでも思われたら‥‥
 雲鬼と雷鬼は、暫く達を探していたが、彼らも向かってくる盗賊たちを恐れたのだろう。探すのを諦めて竹薮に潜んだ。

 タタタタッ────足音が近づいてくる。
 盗賊は、まっすぐ達のいる所を目指して走ってくる。
 怖い──凄く怖い。でも何なんだろう、この気持ちは。盗賊の姿を、この目で見たくてしかたないのだ。見つかったら“盾”にされ、最悪殺されるかも知れない。しかし───それでも『見たい』のだ。
 は、岩穴から顔を出し、盗賊の駆けてくる姿を見ようと身を乗り出した。
 走ってくる盗賊の一人が、盗品を抱えている事に気づく。
 初めて見る盗賊の姿に、震えが止まらない。盗賊達は、真っ直ぐこちらへ走ってくる。このままでは盗賊と自分らは鉢合わせだ。
 乾いた大地を駆ける足音が、徐々に近づいてくる。
 近くで、小さな悲鳴が上がった。
 悲鳴の先には、雷鬼と雲鬼が。彼らも別の岩穴に避難しているようだ。しかし彼らの表情は自分達とは違い、恐怖に満ち満ちているように見えた。
 彼らはそれほど恐ろしい盗賊なのだろうか?妖気の強弱を肌で感じることのない人間の。駆けてくる妖怪に抱いていた恐怖感はとうに消え、今は『見てみたい』という好奇心の方が強く感じる。
 既に彼女らの身体は岩穴にはなく、薄明かりに照らされた竹林の間に立っていた。

 ついに盗賊が彼女らの目の前に現れた。
 盗賊は『人間』の気配に気づき、ピタリと足を止めた。
 血臭を含んだ魔界の妖気の中で、人間の霊気はよっぽど場違いなのだろう。二人の盗賊は自分達が追われる立場なのも忘れ、じっと異質な達を見つめた。
 どことなく見下すような──冷たい氷のような瞳に、達は息を呑む。
 目の前の妖怪から視線を逸らすことができなかった。完全にその妖怪の姿に見入っていた。
 月光に照らされた銀と黒の妖怪。それはとても美しく、彼女たちは思わず溜息をついた。
 お互いに微動だにしない──。まるで時が止まっているかのようだ。
 もっと近くで彼らを見ようとが身を乗り出すと、再び時が動いたかのように、二人の妖怪は力強く地面を蹴って走り去っていった。
「行っちゃった‥‥」
 が呟くと、シュッと彼女らの目の前に何かが飛んできた。
「なにあれ‥‥見える?」
 が、自分より数歩、前に出ているに聞く。
 は、「暗くて分からないけど、ペンダントみたい‥‥」と答えた。
 すぐさま黒の妖怪が舞い戻ってきた。地面に落ちているペンダントを取ろうと、妖怪は膝を折る。

ドスッ!

 空から鋭利な竹やりが、妖怪を目掛けて突き刺さった。
 慌てて黒の妖怪が立ち上がった瞬間、二本目の竹やりが降ってきて──彼の足首を貫通した。
 その光景を目にしたは、「ヒッ!」と、口を手で覆った。口元を両手で強く押さえつけ、今にも叫びだしそうな悲鳴を必死に抑える。
 は、の肩を両手でがっしりと掴み、抜けそうになる自身の腰を、の背に寄りかかる事でなんとか立っていた。
 彼女らの目の前で呻き声を上げ、苦痛に顔を歪める黒の妖怪。ただならぬ気配に銀の妖怪が後ろを振り向いた。
 黒の妖怪の身に起こった光景を目の当たりにした銀の妖怪は、彼の名を叫んだ。
「黒鵺────────!!」
 しかし黒の妖怪は、銀の妖怪を蔵馬と呼び、断末魔のごとく彼に逃げるように叫んだ。
 銀の妖怪・蔵馬が走り去ると、それを見届けたかのように、黒鵺と呼ばれた妖怪は力尽き、その場に崩れ落ちた。
 は真っ青な顔で立ちつくすしかなかった。
 数分後、恐ろしい妖気が辺りから消えたのを見計らい、雷鬼と雲鬼が達の所に戻ってきた。
 霊界鬼は、竹やりで串刺され、止め処なく血を流す黒鵺を見下ろした。
 その姿に驚く様子は見せず、あろうことか、ニヤリと互いに顔を見合わせる。
 目の前で繰り広げられた惨劇。まるで悪夢のような──────。
 は、身体から血の気が引いていくのを感じた。

 霊界鬼の声が遠くから響く。耳元で自分を呼ぶ声でさえ‥‥よく聞こえなかった。
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