闇に咲く花 2話

「‥‥?」
「‥‥?」
 静まり返った竹林の中、雷鬼の声が、やっとの耳に届いた。
 が顔を上げて辺りを見渡すと、既にハンターの姿は消え、深い闇の世界が広がっていた。
 さっきまでの妖怪の逃亡劇など、まるで無かったかのような静けさ。白昼夢を見たような感覚だ。
(夢‥‥だったのかしら?)
 しかし振り向いた途端、血だらけの黒鵺の姿が視界に入り、それが夢じゃない事がわかった。
 竹槍が幾重にも黒鵺の身体に突き刺さっている。地面に突き刺さった竹槍は、まるで黒鵺を囲む檻のようだ。
 無残な黒鵺の姿に、なぜかの目から涙が溢れた。
 何度も何度も、先ほどの光景がフラッシュバックする。竹槍が身体を貫通する生々しい音が、耳から離れない。は、ギュッと耳を塞いだ。

「う‥‥」
 死んでしまったと思われていた黒鵺が、微かに指をピクリと動かした。
(──い、生きてる!)
 は黒鵺に近づこうとした。しかし、より早く、が前に飛び出した。
 は、一目散に黒鵺のもとに駆け寄ると、素早い応急処置を施し始めた。
(お願いだから死なないで!貴方は妖怪‥‥そう簡単に死なないわよね!)
 は心の中で黒鵺に必死に語りかけながら、そっと彼の口に手をかざした。ほんの僅かだが、息づかいが聞こえる。
(良かった‥‥生きてる!)
「雲鬼、雷鬼。黒鵺の体に刺さっているこの竹を切って!」
 未だ血が吹き出し続ける傷口を、必死に手で押さえながらが叫ぶ。
「おい!まさか助ける気じゃないだろな」
 半ば怒鳴りながら聞く雲鬼に、「まさかって‥‥そうよ助けるのよ!」と、
 その言葉に、「冗談じゃない!」と雲鬼がの腕を掴んで止めに入った。
「この者は盗賊です。もう一人逃げた妖怪がいたでしょう。彼の名は妖狐・蔵馬。二人は魔界でも有名な、凶悪な妖怪なんです!」
「‥‥どういうこと?」
「霊界は今まで、この妖怪に散々振り回されたんです。この者を助けるなど‥‥霊界の意思にはありませんよ!」
 雲鬼は冷たく言い捨てた。
「こいつらを殺せずに今日まで来てしまったが、こんな形でこうもアッサリと死んでくれるとはな」
 雷鬼は冷徹な笑みさえ浮かべた。
 そう言って、霊界鬼は黒鵺を助ける事を拒否したのである。
 は、まるで見殺しにするかのような冷たい言葉に凍りつく。しかし、凶悪だろうが関係ない。助かる可能性があるなら助ける。だから彼を助けるべきだと食い下がった。
 横で三人の言い争いを聞いていたは、目の前の黒鵺をどうするべきか悩んでいた。
 確かに彼は凶悪な妖怪なのだろう。コエンマからも事前に、『魔界には、蔵馬と黒鵺という大変恐ろしい妖怪が存在する』とは聞かされていた。
「いいか、彼らに絶対出遭うなよ」とも忠告を受けていた。
 まさか、それがこの人たちだっとたは‥‥。

でも──私達は彼らに出遭ってしまった。

 彼らに出遭ったらどうなる?出遭った先にあるものは、一体‥‥。
 彼らを助けるべきか見捨てるべきか、はっきりいってどうしたらいいのか分からない。
 しかし、が言った『助かる可能性があるなら助ける。だから彼を助ける』の言葉に、全ての悩みを振り切った。
 黒鵺を助けよう‥‥!の元に駆け寄った。
「雷鬼、雲鬼。の言うことは間違っていないわ。私達は『救命士』。命の危機に瀕した人を助けるのが仕事です。それが例えどんな妖怪であろうとも──。ここで彼を助ける事が許されないのなら、私達は救命士を辞めて人間界に帰ります!」
 の意外な言葉に、霊界鬼の動きがピタリと止まった。

───が人間界に帰る───?

 は、霊界が何百年もの長きの間、人間界を探してやっとみつけた『妖怪を救命できる“人間”』だ。もし彼女達を怒らせて手放してしまったら、彼女達はもう二度と、魔界に戻ってきてはくれないだろう。
 もしそうなったら、自分達にはどのような処罰が下るだろうか。
 雷鬼と雲鬼は、彼女達の気迫に根負けし、ついに黒鵺を助ける事に協力した。
 雷鬼は黒鵺の身体を支え、雲鬼は、霊光弾を黒鵺に刺さった竹槍に放ち、あっという間に竹槍の檻から黒鵺を救い出した。
 は、胸の前で手を組みながら、必死に黒鵺の生存を願った。
 そして──啖呵を切っておきながら、結局は、黒鵺を助けるのは霊界鬼──自分はただ傍観しているだけ。自らの手で彼を救う事の出来ない無力さに、空しさを抱いた。
 一方では、の心中を察することもなく、黒鵺が助け出された事に素直に安堵した。
 安堵したら、黒鵺と一緒に駆けていた蔵馬の事を思い出した。彼は今、何処に居るのだろうか?
 きっとは、黒鵺を家に連れ帰って看病することだろう。それについては自分も同じ考えだ。ここに彼を放っておいたら他の妖怪に殺されてしまう。そんなことはできない。
 蔵馬はどうだろう?蔵馬はここを去っていったが、彼だって、本心では黒鵺を見捨てられないのではないか?
 彼らは『極悪非道』とコエンマに教えられたが、自分達にとっての彼らはそうではなかった。黒鵺が罠にかかったときの蔵馬の絶叫が耳から離れてくれない。
 きっと来る。きっと蔵馬は黒鵺を探しにここに戻って来る。彼がここにきて、黒鵺の姿が無かったら──。
 探すだろう、かすかな気配と妖気を辿って。いずれ見つかるのは目に見えている。見つかった時の言い訳など、思いつかない。
 このまま見つかるのを待つか、それとも、見つけられる前にこちらから会いに行くか‥‥。

、私、ちょっと蔵馬を探してくるわ」
 の意外な発言に、一同が「え!?」と驚いて目を見開いた。
「お‥‥おい、ちょっと待て。何でだ?何でお前が蔵馬を探しに行かないといけないんだ?」
 雷鬼が、片手で頭を抱えながら聞いた。
「だって蔵馬、黒鵺と仲間みたいだったもの。きっと蔵馬は黒鵺を助けにここに戻ってくるわよ。その時、黒鵺がいなかったらきっと心配すると思うし、何処に行ったか探しに行くと思うわ。だから‥‥」
「そんな事を気にする必要は無い。だって黒鵺はここに置いておくんだからな。な、そうだろ?」
 雷鬼がに同意を求めると、は無情にも首を横に振った。
「いいえ。家に連れて帰るつもりよ。とも同じつもりでしょ?」
「うん」
 雷鬼と雲鬼は、冗談じゃないと彼女達に詰め寄るが、は連れ帰ると言って聞かなかった。
 しばしの押し問答の末‥‥これ以上彼女らに何を言っても無駄だと観念し、渋々了承せざるを得なかった。

 そうと決まれば善は急げ。早速蔵馬を探しに行くとしよう。
 雷鬼は、自分が護衛に付こうと申し出たが、は拒否した。
 霊界の住人が妖怪に見つかったら、絶対殺されてしまう。
 は、あくまで自分一人で行く事を望んだ。それは危険だと必死に雷鬼は止めたが、は頑として一人で行くと突っぱねた。
 もう何を言っても聞きゃしない。雷鬼は首をうな垂れ、万一の為と『霊界防具』と妖狐・蔵馬追跡専用の妖気計をに渡した。
(フフッ‥‥。妖狐・蔵馬追跡専用の妖気計なんて‥‥これは凄いわね)
 ここまで霊界に追跡される妖狐・蔵馬って何者?一体どんな妖怪なのか?むしろ会ってみたい気がする。もはやに恐怖心はない。あるのは湧き上がる興味だけだ。
「じゃ、行ってくるわね」
「うん、気をつけて。こっちは任せて!」
 は、胸の前で手を組み、の安全を祈るように、彼女の背中をいつまでも見送った。かたく組まれた手には、血に染まった赤いペンダントが握り締められていた。
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