ドン! という音と共に、エレベーターが止まってしまった。 暗黒武術会スタジアムに隣接する、職員兼選手用ホテル。スタジアムの向かいに備え付けられている、剥き出し型の職員専用エレベーター。 エレベーターの籠の中にいるは、不安げに天井を眺めていた。 武術会も決勝トーナメントとなると、武術会場では爆発等の衝撃音が絶えず響いている。 それなのに、こんなところにエレベーターを設置した建築士の意図を知りたい。 『職員専用』のエレベーターとはいえ、スタッフの殆どは妖怪。医療スタッフもら以外は皆妖怪である。 魔界には存在しないエレベーターに、乗る者は殆どいない。 誰も乗らない=故障しても気づかれないのではという不安がよぎる。 乗りたくないが乗らないわけにもいかない。せめて達は、深夜に限ってはこのエレベーターに乗るのを避けている。 本日、深夜勤。 は、あれほど注意していたにもかかわらず、そのエレベーターに乗ってしまった。 目の前でエレベーターが開いた瞬間、丁度この階で降りたスタッフに、擦れ違いざま『どうぞ』と促され、反射的に乗ってしまったのである。 そしてなんとエレベーターは──無情にも止まってしまったのであった。 非常用のボタンを押すが、誰も来てくれない。10分経っても、エレベーターが動く気配すらない。 無線機は‥‥雑音だらけで、なおかつ圏外。 行先ボタンをでたらめに押してみるものの、ピクリとも動かない。 の直前に乗ったあの人は運が良かったのか、それともの運が極めて悪いのか──。 どうやって出よう。外から開けてもらうしかない。でも誰に? 時計を見ると、深夜3時を指していた。 は日勤だったから寝ているだろう。 そうだ、黒鵺に開けてもらえばいい。確か黒鵺は夜型生活(?)だ。 は、魔界で過ごしていた時に持ち歩いていた無線機を取り出して、ハッと気づいた。 そういえば彼は、と暮らしてから、幸か不幸か夜に寝るようになってしまったのだった。 それでもダメ元で掛けてみようと電源を入れた途端に『圏外』の表示が出て、愕然となった。 ガッカリしながら壁に寄りかかると、耳に装着しているイアリングが鏡に反射してキラリと光った。 (そうだ。イアリングを外せば──) 隠している霊気を晒せば、の身に非常事態が起こったことを、黒鵺に知らせることができるかもしれない。 黒鵺はの霊気を感じ取ることができる。きっと異変を察してくれるはずだ。 しかし、どのくらいの範囲に霊気が漏れるのかが分からない。 このホテル内の全ての者に、自分の霊気を暴露してしまう形になるのではないか──と。 の事を気づいてくれるのは、黒鵺だけでいいのだ。 (深く考えちゃダメ。とにかくここから出るのが先決なんだから!) は意を決してイアリングを外すと、白衣のポケットの中にしまい込んだ。 30分後。 悲しいことに、助けが来る気配がなかった。 霊気だけでは、周囲に妖気がたちこめ、かき消されているのかもしれない。 (蔵馬さんなら、もしかして気づいていたりして‥‥‥‥) だが、蔵馬がのために助けに来てくれる可能性はゼロに等しい。 一応魔界では4人暮らしだというのに、未だに会話らしい会話をしたことはなく、やむを得ず蔵馬に頼みごとをするときは、黒鵺を経由している。 最初の頃は、無頓着にあれやこれやと頼みごとをしていた。の性格上、時には偉そうな口を利いたりもした。 ある日、がいつものように蔵馬に頼みごとをし、そして、いつものように蔵馬は了承をした。 黒鵺が、「の奴。今度は薬草が欲しいって頼んだんだって?手間取らせて悪いな。ありがたいぜ」と礼を言うと、蔵馬は静かにこう言い放ったという。 「の連れだから、聞いてやっているまでだ。俺があの女を殺さずに生かしてやっていること、ありがたく思うんだな」 「‥‥‥‥何だって?」 「いや。せいぜい、そこら辺の妖怪に殺されないよう、よく見張っていることだな」 その言葉を聞いて、黒鵺は心底ゾッとしたらしい。 蔵馬はを助けることはない。命の危機に陥っても、それは変わることはない──。 (何よっ。私だって蔵馬さんの頼みごとを聞いてるじゃない!蔵馬さんの場合、断りたくても脅してくるのに──) そんなこんなで、更に30分が経った。 「なんで来ないのよ〜」 やっぱり、霊気だけではダメなのだろうか。 (まぁ‥‥明日も私が居なかったら、さすがの黒鵺でも気づくでしょう) 無理に脱出するのを諦めたは、空調が吹き出している壁側に寄りかかると、なんだか妙に心地よくて、こんな状況であるにもかかわらず、コックリコックリと船を漕ぎ始めてしまった。 殺伐とした魔界で過ごしている為、これぐらいでは動揺しなくなっている自分に、少し呆れてしまう。 しかし、深夜勤というのは寝ても寝たりないのだ。 ──微かだが、誰かに名前を呼ばれたような気がした。 恐る恐る近づくと、ドン!と扉を激しく叩く音が響いて、一瞬怯んだ。 「‥‥誰か、そこにいますか?」 は扉をコンコンと叩きながら、そっと尋ねる。 返答が無いので、一歩後ずさりをした時だった──。 「か」 今度は、はっきりと聞こえた。 「‥‥黒鵺?」 「なんだな」 助かった──!素直に、そう思った。 「黒鵺なのね。よ‥‥良かったぁ」 「お前の霊気を感じて、まさかと思ってな。霊気をたどるのに時間がかかった。大丈夫か?」 「大丈夫よ。心配しないで。ちょっとエレベーターに閉じ込められちゃって──。出られないのよ」 「閉じ込められただと!?誰に!?」 「誰って‥‥‥‥‥‥機械に」 黒鵺は、意味が分からないと言いながら、どうやって開ければ良いのかを尋ねた。 「どうやってって、言われても‥‥」と、は非常ボタンを連打しながら頭を抱えた。 「扉を開ける装置が壊れちゃったのよ。だから‥‥無理ね」 「無理って‥‥お前」 「私には直せないもの。技術者が来るまで待つしかないわ。お手上げよ」 エレベーター外。黒鵺は扉を叩きながら、どうしたものかと周りを眺めていた。 魔界では、まず起こりえない事故である。技術者がいない限り、扉を開けることは出来ない。 「ねぇ黒鵺。インフォメーションに行って、助けを呼んできてくれない?すぐに技術者の人に取り次いでもらえるはずよ」 「助け?何言ってるんだ。だから、俺が助けに来たんじゃねぇか。お前も、そのつもりで俺を呼んだんだろう?心配しなくても今すぐ出してやるよ」 だ〜か〜ら〜‥‥と、は籠の中でうなだれた。『助けを呼んでもらうために呼んだ』のである。 「あ、あのね。でも、黒鵺にだって、この機械は直せないじゃない?だから‥‥」 「だから?」 (この──鈍感男!) 「でも技術者ならこの機械を直せるの。だからインフォーメーションに行って、技術者に連絡──キャァ!」 突然、扉が壊れんばかりの爆音に耳を塞いだ。 「、扉から離れていろ」 扉を蹴破る気だ。 「ちょっと黒鵺!────止めてっ、お願いだから壊すのだけは止めて!」 扉を壊して脱出するという発想は、には無かった。 「止めて!技術者が来てくれればちゃんと開くのよ!ただの故障だから直せば絶対出られるの!止めて!!」 鎌が扉にあたる金属音。黒鵺が扉を蹴る音。やり方がもうムチャクチャである。 が制止する声も、消し飛ぶほどの破壊音。こんなことなら、大人しく閉じ込められていた方が、まだ安全である。 が必死に制止していると、途端に音がピタリと止み、静まり返った。 やっとわかってくれたのかと、が安堵して扉に触れようとした瞬間──今度はまるで爆弾でも爆発したかのごとく扉が破壊され、破片もろとも黒鵺が飛び込んでくるのが見えた。 「バカやろ!離れていろと──!!」 黒鵺は鎌を投げ捨ててを抱きかかえると、そのまま庇うように床に倒れこんだ。 「顔を上げるなっ‥‥‥‥うっっ!」 飛び込んできた破片の一部が、傷が塞がったばかりの脇腹に当たり、黒鵺は苦しそうにうめき声をあげた。 「いってぇ〜。、大丈夫か!?」 黒鵺は、を抱き起こしながら、痛そうに脇腹に手を添えている。 「黒鵺こそ‥‥」 「あ、あぁ。俺のことは心配するな。そんなヤワにできちゃいねーよ。それより──」 黒鵺はの耳に手を添えながら、ソワソワと辺りを警戒する素振りを見せた。 「おい、早くイアリングを付けろよ。妖怪らがお前の霊気に気づいちまうじゃね〜か!どこにある?まさかさっきの爆風で失くしたか?」 「だ、大丈夫よ。持ってるわ」 はポケットからイアリングを取り出すと、右耳にスッと装着した。 霊気が遮断されたのが分かるのか、黒鵺はホッとしながらの肩に付いた埃を払ってやる。 「黒鵺。血、出てるわよ。もしかしてさっきので?」 黒鵺の右肩に血が滲んでいた。よく見ると、脇からも血が滴っていた。 「気にするなよ。こんなのは、すぐに治るさ」 盗賊は、いつも切った張ったと生傷が絶えず、血生臭い。その為か、自分の傷に無頓着な者が多い。 の診たてだと、『重傷』の部類にあたるのだが‥‥自分では気づかないのか。相当痛いだろうに──。 それとも、知ってて“いつものこと”としているのか──。 肩の傷は、のせいで負った傷。を責めたっていい。黒鵺には責める権利がある。でも‥‥彼はそれをしない。 申し訳なくて──罪悪感でいっぱいになる。でも、それを黒鵺に言うと怒る。 『お前のせいじゃない』と、怒るのだ。 でも、いまのは明らかにが悪い。でも、それでも彼はを責めない。 私と関わると黒鵺の負担になるのでは?以前、それを黒鵺に言ったら、彼は鬼の形相をして怒鳴りつけた。 「負担?んなわけねぇだろう!そんなこと考えてたのか!バカやろうが!いいか、俺がお前庇って死のうがぶっ倒れようが、俺が勝手にやったことだ。お前のせいなんかじゃねぇよ」 が「でも私は“人間”だから、危ない目に遭う確率が‥‥」とモゴモゴ言っていると、黒鵺はの胸ぐらをつかんで引き寄せて‥‥。 「うるせぇ!てめぇ‥‥さっきから一体何が言いたいんだ!だからなんだ!俺が護る回数が多くなるとでも言いたいのか?──知るかよそんな事!」 蔵馬の賊の元副将は、強大な力を持っていた。強大な妖気を盾代わりにし、今まで、誰にも襲われたことがなかったのが自慢だった。 しかし初陣前に死んだ。自分の力に驕った無防備な男は、うっかり敵の縄張りに侵入し、アッサリと敵賊に殺されたのだ。 「確率の話なんか、んな難しい事は俺は知らねぇ!お前に何かあれば、俺はただ護るだけだ。今までお前を何回護ったかなんて、考えたこともねぇ!」 悲しそうな黒鵺の瞳。そんなつもりで護ってるわけではないのに‥‥とでも言いたげな、切ない瞳だった。 護ることが『負担』だなんて、考えたこともない。でも、にそう思われているのが、悲しかった。 「いいか。もう二度と口に出すんじゃねぇ!!一切考えるんじゃねぇ!わかったか!!」 蔵馬と違って、人を諭すことが苦手な黒鵺は、こういう言い方でしか表現できない。 (お前を護りたいだけなんだ。なぜそれが分からねぇ。ちくしょう、どうすりゃわかってくれるんだろうな) を強く抱きしめ、黒鵺はそれ以上何もいう事は無かった。 は、その彼の必死さに、胸が熱くなった。それでも‥‥私を護るために、黒鵺が傷つくのはやっぱり辛い。でも、黒鵺の心が少しわかった。そんな気がしたのだった。 だから‥‥いま、黒鵺の傷を見て、彼に謝ってはいけない。 私にできることは、ただ、彼を癒すこと。しかし──。 (でも黒鵺って、傷を負っても医務室に来ないのよね) だったら、治せるときに彼を治すしかない。傷ついた彼を治療することは、止められていない。 「じっとしてて、止血するから」 傷口に素手で触れようとする黒鵺の手を、慌ててはピシャッと払った。 傷を放置したり、舐めたり、素手で触れたりと、妖怪という生き物はなんとも不衛生である。 「なにがすぐ治るよ。この脇腹の傷、あの時のでしょう?。もう‥‥ちゃんと医務室に行かないから治らないのよ!?」※1 が傷口を消毒すると、黒鵺は痛そうに身を屈めた。 「ご、ごめん!痛かった?」 「いや、平気だ‥‥」 「ありがとう、助けに来てくれて。本当はね、朝まで誰も助けに来てくれなかったらってどうしようって思ってたの」 「そうか‥‥」 黒鵺は床に滴った血を見つめながら、それが自分の血であることに、心底安堵していた。 (全く、俺はこんな目に遭ったのに──。どうしてこんな事思っちまうんだろうな) 暫く感慨に浸っていた2人だったが、打ち消すように非常ベルがけたたましく鳴り響き、我に返った。 彼らの目の前には、もはや原形を留めないほど破壊された無残なエレベーターの扉が姿を見せている。 「最悪ぅ。警備員になんて説明しよう〜。ひょっとしたら弁償‥‥キャァ!」 「逃げるぞ!」 黒鵺はを抱きかかえてエレベーターの籠から飛び出すと、向かいの窓ガラスを鎌で叩き割った。 「何てことするのよ!危ないじゃない。もし下に人が居たら‥‥」 「黙ってろ!」 サンに足をかけると、黒鵺は痛そうに身を屈めながらも、こちらに駆けてくる警備員の足音に耳を澄ます。 「ダメよ、黒鵺、戻って!!こんな事して逃げるなんて最低よ!降ろして、降ろしなさい!」 木伝いに飛び移る為、タイミングを見計らっていた黒鵺だったが、が窓のサンに手を伸ばすのを見るや、慌てて自身を背にしながら、外へと飛び出した。 ここは高さ15階。 怪我を負った身で、暴れるを抱えたまま飛び降りるのは無理があった。鎌を利用してなんとか木伝いに移れたものの‥‥途中で力尽きて失敗。黒鵺はを庇う形で地面に激しく叩きつけられたのであった────。 (いってぇ‥‥。ちくしょう、今日は厄日だ!) 遠のく意識の中で、が黒鵺の名を呼んでいるのが聞こえる。 (それでもが無事なら‥‥‥‥まぁ、いいけどよ) ──その後── 黒鵺は、の忠告を無視し、医務室に訪れることはなかった。 傷口は開き、全身打撲に疲労困憊となった黒鵺が部屋に戻ると、壁に凭れて植物片を操っている蔵馬と眼が合った。 「どうした、その傷は」 「なんでもねぇよ。ちょっとな」 そのぶっきらぼうな言葉に、蔵馬は悟ったようにククッと笑う。 「お前、あの女と関わってから傷が堪えんな」 そういう蔵馬自身も、が拉致された時には相当な重傷を負っているので、黒鵺の行為を責めることはしない。※2 「さすがに今回のには参ったぜ」と愚痴りながらも、窓から覗く月を見上げながら、呟く。 「それでもを護りたいなんてよ。ほんと、俺はどうかしてるぜ」 ∧※1…第2部 8話 ∧※2…俺が人を愛した日〜愛の秤〜 3話
小説のリクエストを頂きました。
黒鵺とのカップルで、『密室に閉じ込められる』など、いくつか条件の指定を頂きました。 密室は‥‥せっかく人間界に滞在しているので、ここはやっぱりエレベーターかなぁと。 リクエスト頂いた「ココア」さんにはメールにてお礼を差し上げましたが、改めてこの場でお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。 頂いた条件の中から物語を練っていくのは、楽しかったです♪ |