闇に咲く花 第2部−8話

 人間界に居るはずのない黒鵺。状況が呑み込めず放心状態になっているを、黒鵺はたまらず抱きしめた。
 会いたかった。会いたくてたまらなかった。全ての想いが溢れだし、強く‥‥抱きしめる。
「本当に黒鵺なのね。いつこの島に来たのよ」
 突然のことに驚きつつも、からは笑みがこぼれ、その反応に、黒鵺は嬉しそうに腕を組んだ。
「ああ、昨日着いて──」
 突然、言葉を止める。遠くから聞こえる足音に気づき、の肩をつかんだ。
「中へ入れ」
「え?」
「はやく!!」
 黒鵺はを自身の背に隠しながら、部屋へと押し込んだ。

「どうやら、行ったようだな」
 黒鵺は安堵しながらため息をつくと、を離した。
 キョトンとしているは、「大丈夫よ、相変わらず大げさねぇ。ここは人間界よ」と苦笑いを浮かべた。
 の言葉に、黒鵺は凍りつく。
「ただの通行人だと思うわよ」と、ドアを開けて確認しようとするを慌てて制止した。
 万が一の可能性を、少しも考えていない。何か遭ってからでは遅いというのに──。
「バカやろう!こんな時間になにうろついてんだ!!」
「何って、仕事──」
「ふざけんな!」
 を激しく責め立てる。やっと再会し、色々話したいこともあったはずなのに、どうしてこんな会話になってしまうのか。
「ありがとう、心配してくれて。でもね、ホント大丈夫よ。だって私にはこれがあるもの」
 腕に付けた『医師』の腕章を見せると、黒鵺はの腕をグイッと掴み、バカらしそうに払いのけた。
「腕章なんて役に立たねぇぞ。ただの飾りだ、そんなもん」
「飾りって‥‥」
「確かに、気を消すってのは認めてやるよ。だがな、物腰で人間とバレることもあるんだぜ」
 黒鵺がこうまで怒る理由はもちろん全て、を心配してのことだ。
 それは分かっている。だから、人間界にまで来てくれたのだろう。はそれ以上は反論はしなかった。
 昨晩、黒鵺は入島してすぐにに会いに行こうとしたが、どんなに探っても霊気は全く察知できなかった。
 仕方なくスタッフに聞くと、『』という名の職員はいないと告げられた。
 名簿に“名前”の履歴が残らないようにとする霊界の配慮で、苗字『』『』で登録したからだったのだが、その事実を黒鵺は知らない。
 霊気を感じない理由──『死』という最悪の結論が脳裏をよぎり、昨夜は一睡もしておらず、今日も朝から探し回っていたという。
 それはさすがに大げさに考えすぎだと、は黒鵺を窘めた。
「お前、俺がどれだけ心配したか‥‥ん?」
 妙な違和感を覚え、ふと自身の脇腹に手を添える。
 ヌルッとした感触。腰布が、血で真っ赤に染まっていた。
 腰に提げていた鎌を持ち上げる。どうやら誤って自分を斬ってしまったらしい。一体いつ斬ったのか‥‥結構な深手だった。
 己の武器で自らを斬るような失態は、生まれて初めてだ。
 を探すのに夢中で、自分を斬ったことに全く気付かなかった。
「やだっ、その傷どうしたの!?」
 黒鵺は慌てての両肩に手を置くと、グルグルと手荒に回した。
 の体に斬り傷が無いことが分かると、深くため息をつきながらその場にしゃがみこんだ。
「大丈夫!?とりあえず応急処置しなきゃ。横になれる?」
 は廊下の照明を点けると、座り込んでいる黒鵺の顔を覗き込んだ。
 心配しているに見つめられながらも、黒鵺の心は心底ホッとしている。
 妖怪とは異なり、人間が同じ斬り傷を負えば致命傷にもなりうる。それぐらい、弱い生き物だ。
 もしを傷つけてしまったら、きっと自分を許せなかっただろう。
 もう‥‥どうでもいい。責める気など失せてしまった。は無事だった。それでいい。
 は、その場でてきぱきと応急処置を施した。仮にも医療班。手ぶらで歩いているわけではない。
「いってぇな、そんなに触んじゃねぇよ。こんなのただのかすり傷だ」
 の診立てでは、立っているのがやっとのぐらいの深手だった。かすり傷のわけがない。
 冷や汗をかき、顔は青白く、息も荒い。それでも“かすり傷”と言い張る黒鵺には呆れてしまう。
 妖怪の堪え性を否定するつもりはないが、痛いときは痛いと言い、苦しい時は苦しいと言えばいいと思う。
 まして、目の前にいるのは他人ではない。時には弱音を吐いて、頼ればいいのに‥‥。
「あんまり心配かけないでよ」
「けっ、お前が言うセリフかよ。今日だって、俺がいたからよかったものの──」
「今日?あ、あの時の‥‥。やっぱり黒鵺だったのね」
 黒鵺は、低俗な妖怪どもを煽るような真似をするなと、に忠告した。
「でもよ、お前って改めてみると、なんかスゲェな」
「何が?」
「暗黒武術会で働いていることがさ。だって妖怪の祭りだぜ。人間の小娘がこんな物騒な所で働く度胸、普通はねえよ。俺は人間に関しては詳しくないが、お前はそこいらの人間に比べれば全く平凡じゃないぜ」
「そ、そう?」
「まぁ、そもそも人間が魔界に来る時点であり得ねえけどな」
「それはが側にいるからよ。私だって、一人だったらきっと来なかったわ。だって怖いもん」
「そういうもんか?」
「当り前よ。黒鵺だって、蔵馬さんが側にいるから盗賊やってるんでしょう?もし一人だったら、あちこち行く度胸‥‥ある?」
 黒鵺はしばし考え、確かにそうだと頷いて笑った。
「あの時から俺はお前と一緒に過ごしてるが、3度の飯を食って、星を眺めて夜に寝て朝起きる。まさかこの俺が、こんな淡々とした生き方をするなんてな」
「淡々で悪かったわね。それが人間の生き方なのよ。私が少し忙しいくらい。妖怪のあなたには退屈な日々でしょう?」
「いや、俺は盗賊の生活しか知らなかったが、今ではこの生活も悪くないって思い始めている。この俺にもこういう生活だって、あり得るんだよな」
 ケガのせいか、それとも環境が変わると心境も変わるのか。人生を語る今日の黒鵺はどことなく違って見えた。
 元々魔界に在住している者の人生が変わったのなら、異世界からやってきたの人生は激変しているはずだが、何も感じない。というより、今の今まで考えたことも無かった。
「お前、人間界でも魔界でもやってること一緒だからな。実感が湧かねえんだよ」
 魔界には『働く』という概念は存在しない。『魔界=自給自足/人間界=働く』。それが各世界の平凡。
 『働く』ことが好きという人間の感覚は、妖怪には分からない。
(考えてみれば私って、魔界に住んでいるのに、人間界の生活をしてるのよね)
 異質だ。世界に染まっていない。だから、何も変わらないように思えるのだろう。
 はふと、神妙な面持ちになって黒鵺に尋ねる。
「平凡じゃないのって、やっぱり分不相応の生き方かしら?だから、一つの土地に馴染めないのかしら?やっぱりどこか、違和感があるのかしら?“異質”‥‥みたいな」
「な、なんだよいきなり」と、照れながらから目を逸らす。

「妖怪が魔界で生きるように、人間は人間界で生きるほうが、自然だと思う?」

 血の気が引くというのは、まさにこういうことを言うのだろう。
 喉がカラカラに渇いてうまく喋れない。
「に、人間だからって‥‥必ず人間界で生きてかなきゃいけないってわけじゃねぇだろ!!」
 まさかのの言葉に、黒鵺は凍りついていた。
 は勿論、帰りたいと思って発した言葉ではない。あくまでも一般論に過ぎなかったのだが、黒鵺を凍り付かせるには十分だった。
 が人間界に帰ったら、この先、自分はどうすればいいのだろう。全く想像が出来ない。
 蔵馬のように、愛する女を人間界に送り出して冷静でいられるような、そんな出来た男ではない。
 が魔界に来てしばらく経つが、その滞在が永久か期限付きか、黒鵺が問うたことは一度も無かった。
 答えを聞くのが怖かったからだ。いつか役目を終えて帰ってしまう日があるなんて、考えたくも無かった。
 しかし現実問題として、一緒に暮らすとなれば、どちらかが永住することになる。人間に魔界の瘴気は毒。永住するのは不可能だろう。
 魔界の汚れた瘴気の中で、が侵されていく様は見たくはない。となれば、自分が人間界に──。
 こんな時、蔵馬がいてくれたら良い知恵が巡るのにと、黒鵺は頭を抱えた。
(あぁ‥‥。が妖怪であったなら‥‥)

 待てよ。

 は本当に人間なのだろうか?
 霊気を帯びているため、今まで人間だと決めつけていたが、果たして本当にそうだろうか?
 いくらコエンマの差し金とはいえ、魔界は安易に人間が立ち入れない世界。
 誤って魔界に入った人間を何度か見た事あるが、いずれも魔界の汚れた空気に侵されて衰弱していた。
 は、その人間とは明らかに異なる。
 もしかしたら──。

「ありがとう、黒鵺。私、そろそろ行かなきゃ」
 が腕時計を見ながら、立ち上がった。
「戻るのか?」
「まだ夜勤が残っているの」
「仕方ねぇな。俺が送ってやるよ。なんせ、周りは妖怪だらけだからな」
「いいわよそんなの!黒鵺はそこで休んでて!」
 黒鵺の息遣いが、さきほどよりも荒い。顔色もよくないし、額からも汗が滲んで苦しそうだ。
「だめだ。何があるかわからねぇ」
 そういうと黒鵺は苦しそうに立ち上がり、よろける体をは慌てて支えた。
「あのね、このホテルは人間の観客も宿泊してるの。セキュリティは万全だから大丈夫よ。それに‥‥ほら」
 は胸に着けた『医師』と肩書入りの社員証を指し、誰も自分を襲いはしないと笑みを向けたが、黒鵺は一瞥して嘲笑った。

 売店まで続く暗い廊下。
 は懐中電灯を持って歩き、黒鵺は後ろ手に鎌を携え、の後ろを歩いている。
「妖怪であってくれ」
 の背後を歩きながら、黒鵺はそう願っている。
 今ここで問い確かめたい。しかし‥‥答えを聞くのが怖くて聞けなかった。
 売店で弁当を買い、を医務室へと送り届けた。
 の連れの女が処置室から出てきて、黒鵺に一礼した。
 同様、女は血だらけの黒鵺に驚き、今すぐ診ると言ってと共に医務室を整えに行ったが、面倒になりそうだったため、二人が戻ってくる前にその場から立ち去った。

 長く暗い共通廊下を、トボトボと歩く。
「うっ!」
 気を抜いた途端に鋭い痛みが脇腹に走った。
 崩れ落ちるように膝を付く。鎌が床に当たり、冷えた金属音が静まり返った廊下に反響した。
 鎌は月明かりを受け、鏡のように青白い黒鵺の顔を映し出す。
 なんと覇気が無く情けない顔だろう。こんな無様な姿は、とてもには見せられない。

 黒鵺は悔しそうに、拳を床に叩きつけた。


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