闇に咲く花 Short Story

二日月で逢いましょう 前

 草木も眠る丑三つ時──。そんなのは昔話だ。
 夜の街は、ため息を漏らすほど明るく、嫌味になってしまうが、そこいらの田舎の昼よりも眩しかったりもする。
 窓を開け放つのも躊躇うほどに、夜は昼と等しく騒々しい。
 人々は時間の感覚さえ無く、夜であろうと真昼のように外へと出かける。
 あちこちの店を散々渡り歩き、ふと何気なしに見下ろした腕時計が指し示した時間に、目を見開き、そして笑うのだ。
 星なんか知らない。TVのドキュメンタリー番組で見たぐらいだ──。
 私は、そんな大都会と呼ばれる街で、医者として働いていた。
 夜勤のラウンド<病棟巡回>だって、怖くはない。窓を開け放てば、昼よりも明るい夜があるのだから──。

 ホゥホゥ‥‥。
 薄暗い病院の中、は独り寂しく蹲っていた。
 木々がざわめくたびに肩を震わせて、鳥の羽音に耳を澄まして──。
「こ‥‥怖い!」
 闇夜の中、懐中電灯の薄暗い明かりだけが、眩しく光っている。
 古くて接触が悪いのか、時折明滅してはヴーンという異音を立てている。
 恐怖と寒さで過呼吸に陥るが、這いつくばりながらも立ち上がり、やっとの思いで窓を開け放つと──目の前には音のない静寂な世界が無限に広がっていた。
 よりによって新月で、一切の星明かりもなく、眼前に広がり続ける闇に、もしや自分は眼を閉じているのではと思い、は何度も目をこすっては瞬きをした。
 冷たい外気を浴びると、あっという間に腰が抜けて、床に張り付くように倒れこめば‥‥今度は凍りつくような床のタイルの冷たさに慌てて跳ね起きた。
 その拍子に、は誤って懐中電灯を取り落してしまった。
(あぁ‥‥)
 咄嗟に掴もうと伸ばした手は空を切り、カランカラン!という甲高い音を立てながら、懐中電灯は勢いよく階段を転がり落ちていった。
 幸いにも、ギリギリ目視できる距離の踊り場で、懐中電灯の光がうっすら揺らめいてるのが見える。
 取りに戻るのには1分とかからない距離だったが、下を覗くと、吸い込まれるような闇が広がり、慌てて身を起こして首を振った。
 頭をブルブルと振って、襲いくる眩暈から逃れるのが精いっぱいだった。
(お化け屋敷より怖い──!!)
 5分‥‥10分‥‥。体を伝う気味の悪い冷や汗が、乾いた外気によって床に落ちる前にたちまち気化し、彼女の体温を徐々に奪っていく。
 しまいには、自分が病棟のどの場所にいるのかもわからなくなり、ついには空耳まで聞こえてくるという始末──。

 コツ‥‥コツ‥‥コツ‥‥コツ‥‥
 自身の手首に巻かれた時計の音だけが、の耳に聞こえている。
 一定の周期的な音は、心をいくらか安定させる効果がある為、は腕を耳に引き寄せて、小さな秒針の音に耳を澄ませながら、共に秒数を数えていくことにした。

(────?)

 その音は、時計ではなかった。
 腕時計の秒針は、チッチッチッチッと、小さな電子音を立てている。
 コツコツという音は、の周りから──いや、病院内から聞こえてくるのだ。
 耳から手を放し、聞こえてくる音に集中する‥‥。それが「足音」だと気づくのに、大した時間はかからなかった。
(な、何──!?)
 何かがこちらに向かってくる──。取りあえず必死に耳を澄ます。
 足音のする方角に目を向けると、目の前に‥‥信じられない!白い人影が、こちらへ向かってくるではないか。
 恐怖で震えあがっているのに、は目を逸らさずにはいられなかった。
 足が竦んでいるのか‥‥それとも、怖いもの見たさなのか‥‥。
 足音はどんどん大きくなるり、白い影もどんどん近づいてくる。
(来ないで──!)
 は白い影に背を向けると、両手を耳に当てて目をきゅっと瞑り、白い影が通り過ぎるのを待つことにした。
──足音が止まった。
 しかも私のすぐ後ろで。
 そして‥‥背後から、腕を鷲づかみにされたのである。
「キャァァァ!!」
 はガバッと立ち上がると、本能的に右手を開いて掲げる。そしてそれを、勢いよく白い影めがけて‥‥‥‥‥
「‥‥‥‥く、蔵馬!?」
 振り返ると、そこには蔵馬が訝しげな顔をして立ちすくんでいた。
 蔵馬の名を呼び、しっかりとその目で確認しているのにも関わらず、もはや急停止不可能なの右手は、無情にも彼に豪快な平手を食らわせてしまった。
 バチン!!と乾いた音が響き、綺麗に‥‥とっても綺麗に、の『平手打ち』が蔵馬の頬に命中した。
「──っ!」
 蔵馬が顔を歪めながら後ずさる。ぶたれた頬を手で覆い隠しながら、の姿を凝視する。
 彼は今まで、このような『平手打ち』という攻撃を食らったことはなかったのだろう。
 そして、まさかからこのような仕打ちを受けるとは夢にも思っていなかったのであろう。
 蔵馬は、困惑と驚愕をセットにしたような表情を浮かべている。
 白装束。銀の髪。白い影────の正体は蔵馬だった。
「‥‥く‥‥蔵馬ぁ?」
 へなへなと、が崩れ落ちていく。
 緊張が解け、途端に腰を抜かして脱力した‥‥の体を、蔵馬は静かに抱きとめた。
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫‥‥」
 体中から、どっと冷や汗が噴き出す。
 今までの怯えていた影の正体は、蔵馬だった‥‥。心から安堵し、互いの息がかかるぐらいの距離に近づき、は蔵馬の目を見る。
 暗闇ではあったが、彼の銀髪と白い肌から察すると、心なかしか頬が赤みを帯びているようにもみえる。
 とても自分が悪い事をしたような気持ちになり(──というか完全に悪いのだが)、はひたすら謝り続け、蔵馬は「平気だ、気にするな」と言い返した。
 「痛かったでしょ」「平気だ」をオウムのように繰り返し、こんなやり取りが数分も続いた。いい加減に、さすがの彼は飽きてきたのだろう。
 蔵馬はの言葉を遮るように立ち上がると、開け放たれた窓から外を一望して小さくため息をつく。
 そして、の前にひざまずき、すっとに向けて手を差し出した。

WEB拍手で『病院ホラー』を書いて欲しいと言われました。このようなメッセージは嬉しくて、書いてしまいました。とはいえ、様々な世代の方がお読み下さっている為、マジでホラーを書くわけにはいかず、ちょっと怖いコメディ調です(笑)。
※実は8日のUP以降、一段落分、文章が書き変わっています。そういえば、幽霊を恐れるのは、この作品には合わないなぁと思いまして(だって当たり前のようにコエンマやぼたん(←霊界案内人(;^_^A)が存在しますし、なんせ作品のタイトル自体が『“幽”遊白書』w)。幽霊怖がっちゃ元も子もないっ(^▽^;)


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