闇に咲く花 Short Story

二日月で逢いましょう 後

「立てるか?」
「‥‥え、ええ」
 は、彼の差し出した手に素直に応じ、彼の力を借りて立ち上がった。
 しかし、今まで足が竦んでいたせいか、立ち上がっても未だに膝の震えが止まらずにいて、すぐにガクンと折れた。
 蔵馬が肩を貸してくれているので転ばずには済んではいるものの、最初の一歩を踏み出すことができない。
 まるで自分の足ではないみたいに感覚が無くなっており、は膝を擦るが、その擦っている感覚さえも分からなかった。
 がオロオロと困っていると、見かねた蔵馬はの肩に回していた腕を外すと、そのまま自らの額を撫でながら、深くため息をついてを見下ろした。
(どうしよう‥‥早くしろって言ってるのしかしら!)
 だが、蔵馬は怒ることもなく、睨むこともなかった‥‥‥‥。
 壁に向かうと、その場にストンと座ってあぐらをかいて、背を壁に預けると、目を静かに瞑った。
 私は思い出した。それは、彼なりの精いっぱいの優しい心であり、このため息は、彼の“癖”だ。
 お前が落ち着くまで、しばらくここでこうしていよう──。そんな彼の言葉が、の耳に聞こえてくる。
 は、そろそろ膝が限界な事もあって、彼の横に崩れるように座り落ちた。
 座った先は、共に少しでも腕を上げれば、触れ合いそうな微妙な距離だった。
 蔵馬は何も言わない。も何も言わない。
 二人とも、正面を見据えている。
 時折はチラリと蔵馬を見るが、彼は微動だにせず反対側の壁を見つめているだけだったので、も同じ壁を見つめる。
 そんな静寂な時間が、数分ほど続いた。
 もともと蔵馬は寡黙だから、沈黙が気まずいなんて、考えたこともないはず。
 対しては‥‥‥それが数分も続けば、さすがに気まずくてしかたなかった。でも、蔵馬が壁を見てるので私も仕方が無く壁を見ている。
 しかし、これ以上の沈黙に耐え切れず、とうとう口を開いて、蔵馬の顔を覗き込むように話しかけた。
「ねぇ‥‥どうして‥‥ここにきたの?」
 開口一番、そう言ってしまったは直後に後悔し、慌てて正面を向き直って顔を腕に埋める。
(私って最低────!)
 どうして、『来てくれて有難う』と言えないのだろうか──。
 蔵馬は、静かに‥‥瞑目して‥‥。
「お前が怖がっていると思ってな──。見にきた」
「怖いって──私が?」
「あぁ」
「‥‥」
 蔵馬は、あえてに目を合わせようとはしなかった──。
「じょ‥‥冗談じゃないわ。私、病院の巡回は慣れてるのよ。大きなお世話よ」
 蔵馬のため息が“癖”ならば、の癖は、“素直に感謝を述べられない”こと。むしろ蔵馬より性質の悪い“悪癖”といえる。
 蔵馬が瀕死の重傷で担ぎ込まれた時でさえ、蔵馬の売り言葉に、負けずに買い言葉で返したぐらい、の気は強い。※1
 しかし、それは元々ではない。
 取り扱う患者が妖怪になってから、は常に自分を大きく見せている。
 『たかが人間の小娘』と舐められてはいけないという気持ちが心のどこかに有るのか、弱音や愚痴も殆ど吐かなくなった。
 悲しいかな、そのような態度を、知らず知らずのうちに身に着けざるを得なかった
 一つの別の“悪癖”が、新たに生まれてしまったと言えるのかもしれない──。
 蔵馬は、初めて出会った時から、なんとなくそれを感じていた。
 は、どんなに困ったことが起きても、まず自分で解決しようとする。
 もっと、自分を頼ってくれたら良いのにと思った。
 お前は人間で弱く、俺は妖怪で強いのは当たり前。素直に認めればいいのに、なぜそれを嫌う?どうして、対等になろうと思うのだろう‥‥。
 力を借りることを『恥』とでも感じるのだろうか──。
 それが人間の感情と言われたらそれまでだが、妖怪ではまず目にしないの感情は、疑問の連続である。
 さきほども自分は、数百m先からが怯える様をこの目で見ていた。なのにお前は、それさえも隠し通そうとして胸を張っている。
「以前、あの女が言っていた。人間界と魔界の病院の雰囲気はまるで違っていたと──。それを聞いて、少し気になってな」
 蔵馬の言う『あの女』とはの事だ。
 も、人間界ではと同じ職場で働いていた為、互いに夜のラウンドには慣れている。
 以上に『肝が座っている』と自他共に認めるでさえ、魔界での夜のラウンドでは泣き出してしまったという。
 それからというもの、暫くの間、は夜勤の度に黒鵺を呼び出していた。
 ただ最近はさすがに慣れたのか‥‥独りで巡回できるようにもなり、黒鵺は晴れて御役御免となった。
 とは違って、自分の感情をさらけだし、とても素直に黒鵺に助けを求めている。
は私と違って、自分で解決しようと頑張っちゃうタイプだから)
「なるほど‥‥」
「え?」
「いや‥‥なんでもない」
 は、蔵馬の顔を改めて見つめる。
 少し寂しそうな蔵馬の瞳。
 今度は、素直に感謝の言葉が口から溢れた。
「ありがとう。ごめんね」
 がそういうと、「今頃か‥‥」と、蔵馬は苦笑いを見せる。
 顔を赤らめながらが反論しようとすると、ナースステーションからの呼び出しアラームが鳴った。
 がラウンドに行ったっきり、一向に帰ってこないためだ。
「いけない。巡回の途中だったわ」
 そう言うや蔵馬は立ち上がり、もつられて立ち上がり──今度は自然に立つことができた。
 の足取りを確認すると、をナースステーションの場所に案内するかように先頭を歩きだした。
「蔵馬は‥‥ごめんね。ナースステーションに行ってはダメよ」
「安心しろ、そこには近づかん。ただ、お前を途中まで送るだけだ。それは良いのだろう?」
「え、ええ‥‥。お願い‥‥します」
 慌てて後をついていこうとして、自分が手ぶらだということに気づいた。
 踵を返し、階段へ‥‥。視線の先──階下へと続く階段の底から、薄暗い懐中電灯の灯りが見えている。
「どうした?戻らないのか?」
「懐中電灯を‥‥取ってこないと。ごめん、ちょっとここで待ってて」
 恐る恐る階段を降り始め、二歩目で段差を踏み外したを、蔵馬は慌てて腕を掴んで制止する。
「バカっ!まず通路の灯りを灯せ!」
 ごく手の届くところに共通廊下の照明スイッチが目に入り、蔵馬はクイッと手で指し示す。
「そうだけど‥‥。ここの病院。一か所だけ点けるのが無理みたいなの」
「どういう意味だ」
 人間界では、まず信じられないことだが、この病棟の照明は『全共通廊下ON/OFF』と2択であり、『局所点灯』が不可能なのである。
 人間界の公共施設でよくある「全館空調」と似たようなシステムだ。
 もっとも『全館照明』なんて、人間界では考えられない発想ではある‥‥‥‥。
 スイッチをオンにしたら全廊下が点灯してしまい、就寝中の皆に迷惑がかかってしまう。
「仕方がない。そこで待っていろ」
 の手を引き寄せると、手すりをグッと握らせた。
「放すな」
 そう言うと、蔵馬は階段を降りだした。
「ちょっと、蔵馬!」
 心配して声をかけるも、蔵馬はスタスタと降りていく。
 蔵馬が闇に吸い込まれていくような妙な悪寒を感じ、時折焦点が合わない。
 目を細めたり擦ったりして、なんとか蔵馬の輪郭を探り続けた。
 闇の中で、蔵馬の銀髪と白い衣装はよく目立ち、立ったりしゃがんだりと、些細な動作さえもよく分かった。
(蔵馬が白装束を着ていてくれて良かった)
 でも、少し────不思議なものを感じる。
 何故この暗闇の中を平然と歩けるのだろう。
 魔界に来てから忘れがちになっているが、そういえば蔵馬は妖怪だったと気づく。
 妖怪の中でも、霊界でも手に負えないほどの強大な力を持っており、残忍で残虐で冷酷で非道で‥‥‥。
 蔵馬の足音が近づいてくる。軽やかな歩調でこちらに戻ってくる。それはまるで昼間のような足音──。
 悪寒が駆け抜ける。もしかして、私は蔵馬を怖がっている?──そんな筈は無い。きっとこれは寒さのせい‥‥‥‥。

「今度は落すな」
 蔵馬が、の手を取って懐中電灯をしっかりと握らせてくれる。
 とても暖かい手に安心する。
「ありがとう蔵馬♪」
 とても素直に感謝の言葉が口から溢れた。

 その後、結局ラウンドは独りで行ったが、このまま蔵馬を帰してしまうのは気が引けるため、仕事が終わるまで応接室で待ってもらうことにした。
 私は、今まで人を護ってばかりの生活だった。護りたいという一身で、とにかくがむしゃらに仕事をしてきた。
 でも最近では‥‥『護られる』。それもまんざら悪くないと、今、思いはじめている。

∧※1…第1部-5話  
この時期のは、「闇に咲く花:一部」です。蔵馬は妖怪であると、この瞬間に感じます。
※蔵馬を恐れていくショートストーリーは作ったのですが、ファンから反感買いそうなので止めました(笑)。
 因みに、2部からのの揺れ動く感情は、某映画から拝借‥‥‥‥パクリ?(笑)。映画自体がホラーだったので、やっぱり恋愛夢用に頑張ってアレンジしてもサスペンス調になりますが、読んでやってください ←宣伝(^▽^;)。
 ※タイトルの『二日月』とは月の暦で、『目を凝らしても、肉眼では白くぼんやりとしか見えない』という意味から付けました。決して誤字ではないので、ここでお断りを(笑)。


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