27話 完璧な涙

・非常に冷めた考えを持つレジーナは、ジェイデッカーの破壊も止む無しと結論付け、勇太は激怒。どこに居るかも分からないジェイデッカーを探しに行こうとする勇太に、冴島総監は少しは休むよう命令した。
 ※デッカードにGPS埋め込んでおけば良かったのにね。
・冴島さんの命令により、ドリルボーイによって自宅に帰らされた勇太。家に入ろうとすると、ご近所さん達から「デッカードはどうした?」との質問攻めに合い‥‥逃げるように家の中へと入った。
 お風呂に入ろうと浴室を開けると、なんとレジーナが入浴中!本来ならば勇太も男の子なので、顔を赤らめてしどろもどろになるのが普通だと思うが、勇太はレジーナに対して嫌悪感しか抱いていない為、なんで我が家に居るんだと激怒する。レジーナが冷静に話し合おうとしても「ウルサイ!!」と聞く耳持たずである。
・公園に駆け込んだ勇太は、今度は友達にも「デッカードはどうした?」と同じ質問を投げかけられる。友達が会いに行きたいと申し出ても、勇太は面会謝絶だと拒否。すると勝気は、勇太がデッカードを独り占めしているとして、勇太に掴みかかり──勇太は我を忘れて勝気を殴ってしまう。
 勝気達は勇太と違って外部の人間のため、ただ『会いたい』という感情だけを持っている。勇太は、殉職したデッカードの状態が民間人に“非公開”である以上、心を許した友達とはいえ独断で会わせる権限を持っていない。それにお互い子供だから、難しい規則をうまく相手に伝えられない‥‥悪循環である。
 エミリが止めるのも聞かず、勇太はとうとう勝気を殴ってしまう。2発目を殴ろうとした為、レジーナが見かねて制止し、勇太は血を流す勝気を目にして、自分がやった事の重大さに気づかされたのである。
・レジーナは東京拘置所に行き、新庄と面会する。
 「超AIから、悪い心を抜き去るにはどうしたらいいか?」と聞くレジーナに、新庄は「それは不可能である」だと断言する。
 人間に置き換えて考えた場合、悪の心を抜き去って善の心だけに出来るか?と、レジーナに質問を返したのである。
・レジーナの父は、犯罪者である母を逮捕した事を誇りに思うと言っているけれど、くるみは、心のどこかで父を恨む気持ちがあったんじゃないの?と問う。
 恐らくレジーナは母が大好きで、犯罪を犯してしまった心さえなければ、ずっと一緒に暮らせたのに──と嘆いている。つまりは犯罪を犯させた“心”が悪いのであり、母自身は良い人だったと‥‥そう考えでもしないと、割り切れないのかもしれない。
 超AIから悪の心を捨てられないと?知ったレジーナは、だったら悪の心を決して増幅させてはならないと、デュークに制御装置を取り付ける。デュークが悪い考えを持ったら、自分が持つリモコンで抑え込むのだそうだ。
 てっきりデュークは嫌がると思いきや、レジーナのされるがまま、制御装置の取り付けを承諾(レジーナが強迫観念を持っていると知っている為、それでレジーナが気が済むならやらせておこうと思っているらしい)。
・中に何が入っているのか分からない物をコンテナで移送しているブレイブポリス。
 デュークはビルドチームに向かって「悪い心を捨てろ」と諭す。しかしマクレーンはそれは出来ないとして、「怒りの感情は捨てられない」と答えた。
 ※一度インティに獲り付かれた経験があるマクレーンならではのセリフですね。
・ブレイブポリスが運んでいたコンテナな中身は、デッカードのパーツ(体)だった。
 ※やっぱりGPS必要じゃないか?
 デッカードを壊させない為、ガイゾナイトの攻撃を受けても必死で護ろうとするビルドチームの心はとても強く、チーフテンを圧倒する程である。
 デュークは、どうして自分には出来ないことがビルドチームには可能なのかと悩み、そして彼らに負けたくないと思うようになる。レジーナは、“競争心”の心すら悪であると窘めるのに対し、勇太はその心こそが大事だとデュークに伝える。
・デュークは合体しようとするも、ガイゾナイトの力によって阻止される。やっぱり自分は駄目だと嘆くが、レジーナに危機が迫ると、デュークは、レジーナが護れるなら善でも悪でも構わないから『とにかく力が欲しい』と願い、見事合体に成功する♪
・戦闘後、デュークはレジーナに、命令には背いたが結果的には力が生まれ敵を殲滅できた。怒りが仮に悪い心だったとしても、全てが“負”ではない。今回のことで怒りすらも必要な感情だと、自分が思った事を素直に語る。
 しかしレジーナは自分の考えを譲らずに、「たまたま運が良かった」とし、心に対して疑問視するデュークに「貴方は“人”じゃない」とデュークが傷つくようなセリフを吐き捨て、その思い悩む心自体も不要であると結論付けたのである。
※この作品の原案となったアシモフ作品の中でも「機械が○○しても意味がない」「機械は機械らしく‥‥」と、人間と同等に見てもらえないロボットの嘆きの描写がある。
 2014年7月。SONYがAIBOのサポート終了を告げたが、これに関しても、機械の犬に愛情を注ぐことが出来る人間、出来ない人間は必ず一定数存在します(パーツが壊れて直した場合、修理と診るか?治療と診るか?)
 AIBOに“心”が存在しない以上(存在したら大変だ!)、家族の一員として“生きた犬”と同等に愛情を注げるかは難しい。
 サポートが終了し、故障して廃棄させられる運命にあったAIBOを、元技術者が面倒(修理)を見ているという話は、結構切なくて泣けてくる。
 私個人の考えになりますが、生きた犬を飼った事のある身としては、AIBOの動きについて、生き物ではないと分かっていても、どこか生きた犬みたいで少し気味が悪かった。
 ロボットが生物に近づくほど、『不気味の谷』という嫌悪感を抱く感情が人間の心に沸き始める。この谷を乗り越えた人だけが、機械の犬と真に心を通わすことが出来るのかもしれません。


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