39話 マシンの魂

・自動車窃盗を繰り返しているトレーラーを追っているブレイブポリス。
ガンマックスは、犯罪に使用されたトレーラーを逃がさないよう、機転を利かせていわゆる『通せんぼ』を行ったのだが、それに自分の愛車であるバイクを使用。
愛車が傷つけられたのに(一応故意にはなるけど)、特段ショックは受けず、ケロッとしているガンマックス。
ブレイブポリスのメンテナンスを担っている藤堂は、自分の愛車を安易に『通せんぼ』用に使用し、バイクが破損したのにヘラヘラしているガンマックスが許せないという感じだ。
そんな藤堂がキレかかっているのを知らずに、ガンマックスは「壊れたから新車が欲しい」と発言してしまう(空気を読め!)。
藤堂はブチ切れ、ダメだと一喝して却下。
そういえば、そもそも『自分自身が車』である他のブレイブポリスの面々とは違い、ガンマックスだけ変形しないんですよね。変形しない分、移動手段は自身の脚力(?)になってしまうから、特別に『愛車』が与えられているのかな?バイクは変形してガンマックスにくっつける(?)事ができるけど‥‥。
・今度の犯人は、希少価値の高い車を盗んでいる。
警察といえば、おとり捜査。デッカード達の原型は車だが、緊急車両や建設車両なので、犯人には見向きもされないだろう。
ということで、クラシックカーを愛車に持っている藤堂に頼むことになった。
藤堂が愛用しているいかにも古めかしい車は、半世紀以上前に作られており、廃車寸前の車を藤堂が引き取って再び走れるように修理したのだそうだ。
そこまでの労力をかけて車を修理した理由は、「まだ走りたいという顔をしていたから」だそうだ。
藤堂は嬉しそうに「この車はね〜、機嫌が悪いと愚痴り、怒って動かなくなったりするんだよ」と嬉しそう。
ガンマックスは大笑いして、「AIが搭載されていないのに、愚痴ったり怒ったりするもんかよ」とバカする発言をした。
藤堂は、「自分の愛車を壊してケロリとしている奴には、機械は応えてくれない」と叱りつけた。
う〜ん、藤堂さんには悪いけど、ガンマックスと同感で、私にもよう分からん。車は新しい物の方が利便性もコスパも燃費も良いと思うけどなぁ。でもガンマックスのように、それを趣味にして愛用している本人の前でバカにしたりはしないけど。
・おとり捜査が開始されると、さっそく犯人が現れた。
ブレイブポリスの面々が付き添っていながら、ジェイデッカーとデュークファイヤーでも勝てず、ガンマックスもガンバイクも歯が立たず(何し来たんだあんたら)、藤堂は車ごと連れ去られてしまう。
・藤堂は倉庫に閉じ込められているが、体の拘束はされていないため、自由に倉庫内をウロウロ。
そこには、カーマニアなら一度は乗ってみたい有名なクラシックカーが駐車されていた。
藤堂は自分の置かれている立場も忘れて小躍りし、車に乗り込みますが、どの車も整備せずにほったらかしにされていることを知りショックを受ける。
そして‥‥頼まれもしないのに勝手に整備をしてしまう(気持ちはわかるけど、それ人の車だよね)。
・デッカード達も傷を癒すために修理が必要だが、藤堂不在のために修理が思うように進まない。
う〜ん、組織としては、その人が居ないだけで業務が円滑に回らない会社はダメだよ。
しかも、ガンバイクは修理したばっかりで、予備のパーツが無いという。
・人の車を勝手に触って、勝手に修理した藤堂。車は晴れて動くようになった。
喜ぶ藤堂だが、そこへ犯人がやってくる。犯人は、車が動いたことに感謝することはせず、むしろこのまま動かなくても良かったのに‥‥と苦笑。
藤堂は「車は走ってこそ美しい」と言うが、犯人は「車は飾って鑑賞するもの」と主張し、むしろ走れば走るほど傷むでしょ?だって。
カーマニアの欠片もない犯人に対し、藤堂は「お前は車の美しさがわかっていない!」と説教。
機械にも心があるだの、メンテすれば応えてくれるだの、熱弁する藤堂は、もはや自分が拉致されている立場だということを完全に忘れている。
犯人も、置かれている立場を分かっていない藤堂に呆れ、銃を取り出し、藤堂が修理したばかりの車に発砲したのであった。
・ガンマックスが藤堂を助けに走ってやってきた(車に変形できないって意外に不便だね)。
『愛車愛車』と口うるさい藤堂を黙らせるため、犯人は藤堂の愛車に銃を向けるが、藤堂は愛車の前に立ちふさがり「俺の息子」を撃つなと制止。
呆れる犯人と、機械愛に満ちた藤堂に感銘を受けるガンマックス。
ガンマックスは、自分が犯人と対峙している間に藤堂に逃げるように促し、渋々愛車に乗り込んでエンジンをかけるが‥‥かからない!
なぜこんな時にエンスト!?「逃げたくないのか?」と愛車に問う。‥‥怖いよぅ藤堂さん。
藤堂は愛車と共に敵に体当たり!してガンマックスを救出。
・ズタボロのガンマックスの下に、修理したてのガンバイクが到着。
後はジェイデッカーとファイアージェイデッカーに任せておけばいいのに、藤堂の愛車に借りがあるガンマックスは、無理を推してマックスキャノンとなって闘うのであった。
・ガンマックスの応急処置を行う藤堂。
「治るかな?」と聞いたが、それは自分ではなく藤堂の愛車に向けての言葉だった。
ガンマックスも息子、自分の愛車も息子。だから心配するなと言う藤堂である。
藤堂と並走するガンマックスのラストカットが良いなぁと思います。
「マクレーン/せいあ』『ダンプソン/綾子』など、ブレイブポリスには、それぞれ深く関わる人間が居たりする。ガンマックスと関わるのは誰だろう?とは思っていたら、まさか藤堂とはね。渋いよ〜。
・この作品が放映された当時は、まだ『AI』という言葉そのものはあまり世間に浸透していなかった。
万一『AIがもし人格を持ったら』何が起こりうるか?の未来についての作品は多々ありますが、国が違えば考え方が違うんだということが、作品を観るとよくわかる。
 日本は、鉄腕アトムのように『機械は友達』だから『AIも友達』という認識で好意的に見ているので、ブレイブポリスのような『AI=守ってくれる存在』が前提で、機械と一緒に過ごしている。
 しかしアメリカにとっては『AI=脅威』の存在。「ターミネーター」「ステルス」「マトリックス」など人間に反逆する映画は多く、1968年に公開された「2001年宇宙の旅」時点から、AIは未知なる驚異の存在として描かれている。
 AIが実際に使われ始めると、珍しくAIを好意的に描いた「A.I」「Her/世界でひとつの彼女」「アンドリューNDR114」が公開されたが、どちらの作品も、人間とAIが一緒に暮らすラストではない。確固たる境界線が引かれており、心が通じ合えたとしても、決して『共に過ごすことはできない』のである。
 「アンドリューNDR114」なんて、「機械に愛情を注いでも意味が無い」と面と向かって言われてしまう。愛する家族は寿命で次々に死に、最愛の人を看取って独り遺されるのを拒み、自らを“死ぬことが出来る”よう仕向け、結婚を認めてもらうために裁判まで起こすのである。
 そして‥‥AIは更に進化。AIが搭載された人形が人間を襲う「ミーガン」「チャイルド・プレイ」など、AIは『不気味な存在』になっていく。

 因みに──『自分と2次元女性の恋愛物語(いわゆる夢小説)』を書き始めた青年が、相手役の女性の設定を書いたら、それが実体となって現れた!という映画もある。
 脚本を書くと、その脚本通りに女性が動き、疑似恋愛が進んでいく。青年は女性を外の世界に出して彼女と自慢するが、女性は社会と関わることで自我を確立し、やがて青年から去ろうとする。だが青年は脚本を駆使し、自分を愛してもらう脚本を書いて意のままに操る。
 自身の言動がおかしいと不審に思った女性は、自分の存在そのものに疑問を持ち始める。そして自分の記憶の始まりである青年に問い‥‥青年は全てを白状するのである。
 この『自我を持つ』というのが全ての始まりかもしれない。よく科学者が「AIに鏡を見せて“自分”と言ったら終わり」とか言いますが、いつかそういう日が来るのかなぁ?


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