蔵馬がこの場で目覚める事は、全くの予想外であった。 慌てた霊界鬼はとの腕をグイッと掴むと、逃げろといわんばかりに部屋から追い出そうとした。 しかし、その直後に蔵馬は呻き声をあげ‥‥。霊界鬼が必死に掴んだ腕は、無残にも振り解かれた。 「大丈夫ですか?」 「苦しいですか?」 当たり前のように蔵馬に触れ、手当てを行う彼女達。 (危ない!離れろ!) 霊界鬼は、蔵馬が彼女達を襲ったりしないか、半ば怯えながら部屋の壁にへばり付いて眺めていた。 妖狐・蔵馬の真の恐ろしさを知らない彼女達。彼女達にとっては、彼は只の患者かもしれないが──。 「──黒鵺は‥‥どこだ?」 その言葉を聞いたは、思わずクスッと笑ってしまった。 「どうしたの?」 が不思議がる。 「開口一番は仲間の心配ですか?黒鵺さんと同じですね」 「‥‥黒鵺?生きているのか!?今‥‥何処にいる?」 「大丈夫です。貴方と同じで酷い傷ではあるけれど、生きていますよ。彼も貴方を心配してました。『蔵馬は無事なのか?』って」 「何と‥‥答えた?」 「『無事です』と言いました。ホッとしてましたよ。大切なお仲間なのですね」 はベッドの柵に両腕を置くと、楽しそうに笑った。 氷のような鋭い瞳。殺気立つ刃のような鋭い眼差しは、金色の瞳と相まって、とても幻想的にの目に映る。 霊界鬼は、部屋の隅にいてもその鋭い殺気を感じ取り、目を逸らしていたが、人間のとは幸か不幸か、彼らの恐ろしげな妖気を肌で感じ取ることは出来ない。 とりあえず結果オーライだが、コエンマが言っていた『無知ほど怖いものはない』と、霊界鬼は身に染みて実感したのである。 さて、あとは二人の妖力と体力の回復を待つだけだ。 「食事作ってくるわ。、ここお願いね」 ここはに任せ、は部屋を後にした。 蔵馬は、の後ろ姿を目で追うと、続いて──ではなく、霊界鬼に目を移した。 は蔵馬の視線に気づき、何かを察した。 どうやら、霊界鬼にも部屋を出て行って欲しいようだ。 「雷鬼、雲鬼。ちょっと席外して」 「は?」と、霊界鬼は驚く。 「‥‥、ちょっと来い」 雷鬼が、小声でを手招く。 「眠っているならまだしも、今アイツは起きている。お前を一人にさせるには、あまりにも危険すぎ──」 最後まで話すことなく、雷鬼が凍りついた。身震いをし、額に冷や汗を浮かべている。 は困ったように雲鬼に目を移した。すると雲鬼も同様に、青ざめた顔で蔵馬を凝視している。 蔵馬の研ぎ澄まされた妖気が僅かながら回復し、強い“殺気”となって霊界鬼に一気に降り注がれたのだ。 は、最初何が起きたのか分からなかったが、彼らの尋常でない怯え方と、蔵馬の鋭い視線で全てを悟った。そうだ。妖怪にとって、霊界の人は──────!! このままではまずい。早くこの部屋から霊界鬼を出さないと! 「も、もういいわ。ありがと。雲鬼も雷鬼も出てっていいわよ」 は、いそいそと霊界鬼を無理やり部屋の外へと追い出した。 「全く‥‥」 肩を撫で下ろし、改めて蔵馬に目を移した。 蔵馬もをじっと見つめている。冷たく、見下すような瞳。『これ以上近づくな』と、彼の瞳がそう警告している。 しかし、どこか悲し気に映る。不安に似た寂しさを、彼の瞳から感じるのだ。 は、側に立て掛けてあったパイプ椅子を開くと、蔵馬の近くに座った。 「‥‥そんなに怖い顔をしないで下さい」 が苦笑いを浮かべる。 「黒鵺さんは無事です。私達は貴方達に危害を加えたりしません」 「──それはどうかな?」 「え?」 「あいつはハンターだろう」 蔵馬は、目線をドアにの方に向ける。“あいつ”とは、雷鬼と雲鬼のことだ。 「あの方だったら心配ありません。口ではああ言ってますが、貴方達を助ける事には賛成してくれています」 「‥‥‥‥」 「嘘じゃ有りません。貴方達をここまで運んでくれたのは彼らです。彼らがいなかったら、貴方達はあの場で命を落としていたかもしれません」 本当は反対していた────ってことは、言わないことにした。 『拾った命を大切に』の意味を込めて言ったつもりだったが、蔵馬の耳には、命を助けた見返りを要求するように聞こえたらしい。 「助けてくれとは言っていない。そのまま見捨てれば良かったものを──。さっさと殺せばいいさ。今を逃せば、後に俺は確実にお前を殺す。後悔しても知らんぞ‥‥」 蔵馬の口から、自虐に似た答えが返ってくる。 は、膝に置いた両手をキュッと握り締め、俯く。 あまりにも自虐的な言葉を突きつけられて、蔵馬にかける次の言葉を失ってしまう。 彼は、『冷酷非道の妖怪』として恐れられていると聞いた。 誰もが知っていて、そして誰もが恐れる盗賊。しかし、何故か前科はナシ。つまりそれは、出会ったハンターや目撃者を皆殺しして、証拠を残さなかったという事だ。 今、に向けられている瞳は、その時と同じなのだろう。まるで獲物を見つめるような、冷たく鋭い眼差し。しかしどことなく、焦燥感が広がっている。 他者への信頼や、甘えが一切感じられない。心がとても悲しそうで、このまま放っておけない気がした。 「殺す?それも良いかもね。じゃぁ、殺される前に貴方を殺しときましょうか?」 今まで使っていた敬語をやめて、は急に馴れ馴れしい態度を取りはじめる。 椅子から立ち上がってベッドの柵を握りしめると、蔵馬の体がピクリと動いた。の目をギロリと見据えて、次の行動を固唾を呑んで待っている。 が少しでも不審な素振りを見せれば、この不利な体勢からでも攻撃を仕掛けるつもりだ。 (『俺を殺せ』なんて。黙って殺されるつもりなんか、無いくせに‥‥) は、蔵馬と同じ目線にまで腰を落とすと、静かにこう言った。 「『自分を殺せ』なんて悲しい台詞、お願いだから言わないでよ。私は医者だから、そんな言葉を言われると泣きたくなるの」 「‥‥‥‥」 「『俺を殺せ』なんて、本心じゃないんでしょ?」 蔵馬は、何も言葉を返さない。 「命の駆け引きについて、私にどうこう言う権利は無いわ。人間と妖怪の価値観は違うと思うもの」 人差し指をビシッと蔵馬の目の前に突き出して──。 「でも‥‥助かったなら取り敢えず生きる。それじゃダメなの?」 「取り敢えず‥‥‥‥だと?」 「そう、取り敢えず生きるの!人間相手に『命の駆け引き』の話はしないで!」 は蛍光灯の灯りを消すと、乱暴にドアを閉めて部屋を退出した。 蔵馬は目を丸くして、去っていくの“気”を見送った。 人間──しかも女に、こんな横柄な扱いを受けたのは生まれて初めてだ。しかし不思議なことに、怒りの感情は一切湧いてこない。 自分でも不思議だ。いつもの自分とは‥‥明らかに何かが違う。 (俺を始末したい奴がいるのは知っているが、まさか助けられるとはな──) 包帯を巻かれた自身の姿に目を移すと、『自分を助けたい』と願った、あの女の顔が目に浮かんだ。 蔵馬の心が僅かに揺れ動く。心奥から、温かいものが溢れてくるのを感じた。 (あの女は、一体‥‥‥‥) 部屋の外から物音がする。食事を作っているのか、旨そうな匂いがする。 顔を軽く上げて、この部屋に窓があるのに気づいた。 音の無い、暗い魔界の闇。闇に紛れて盗賊を行う蔵馬にとって、こんな静かな夜はむしろ不気味だ。 だが────────とても心地がよい。 穏かな夜の闇に包まれ、穏やかな顔で再び眠りについた。 |