闇に咲く花 6話

「──ま‥‥──らま‥‥‥‥‥‥‥‥蔵馬!もう朝よ」
(うぅ‥‥‥‥眠い)
 自分を呼ぶ声が、どこからか聞こえる。起きろと言わんばかりにユサユサと体が揺らされている。
 薄目を開けると、人影が見えた。
「‥‥‥‥?」
「蔵馬、おはよう」
(──女!?)
 慌てて毛布を剥いで起き上がると、体中に激痛が走った。
「うぅっっ!!」
「ちょっと!ダメよ急に起き上がっちゃ。昨日の今日なんだから」
 蔵馬は一瞬、動揺する。どうして自分がここにいて、何故人間──しかも女が突っ立っているのか、すぐには思い出せず混乱した。
 しかし、数秒後──。
(そうだ。俺はハンターに襲われ、傷を負って運ばれて‥‥)
 朝までぐっすり寝ていたのだ。
(この俺が‥‥朝まで起きなかった──?)
 夜に寝たのも久しぶりだったが、昼間であっても、これほどの深い眠りについたのは初めてだ。
 が「気分はどう?」と聞きながら、窓のカーテンをサッと開ける。
 朝日が蔵馬の目に一斉に射し込み、あまりの眩しさに思わず目を細めた。
 目が光に慣れた頃、が蔵馬の足元に立っていて、優しく微笑んでいる姿が見えた。
 胸の奥に、仄かに暖かいものを感じる。何かが──胸の奥に芽生え、そして広がっていく。その正体まだは分からない。だが、とても暖かく心地よい。
「あぁ‥‥大丈夫だ」
 らしくも無い返事を、つい返してしまった。
「起き上がれる?朝ごはんの準備が出来たんだけど」
「朝ごはん?」
「ええ。リビングで一緒に食べない?もし起きるのがつらいなら、ここに運んでくるわよ」
 は、妖怪の自己治癒力についてはよく分からない為、判断は本人に任せようとした。
 蔵馬は俯いて黙っている。妖気は半分ほど持ち直しているが、体力はまだ、リビングまで歩ける状態ではない。起き上がるのがやっとだった。
 しかし──。
「あぁ。リビングに行く」
 『リビングで一緒に食べよう』。その言葉が、蔵馬の背中を押した。
 深手を負った今は、絶対安静にするべきだ。しかし、『彼女と一緒に食事をしたい』と、なぜか思った。
 が、開かれたカーテンを束ねて後ろを振り返ると、蔵馬が両手で脇の柵を掴み、自力で起き上がろうとしている。
「あっ‥‥危な!」
 足を地面に降ろし、腰を浮かせて柵から手を離した瞬間、ガクリ!と、膝が力なく崩れた。
 慌ててが駆け寄り蔵馬の体を支える。
 しかし、塞ぎ切っていない傷口にの手が当たってしまい──無意識に蔵馬はを突き飛ばし、苦痛の声を上げながら床に倒れた。
 余程痛かったのだろう。苦悶の表情で触れられた傷口を押さえ、グッと痛みに耐えている。
「ゴ、ゴメンなさい!」
 は泣きそうな顔をして、蔵馬の顔を覗き込んだ。
 貧弱な女の力で蔵馬を支えようなんて、無理がありすぎた。
「ちょっと待ってて。今、雲鬼を呼ぶから」
 すると蔵馬はの腕を掴むと、首を横に振った。
 ゆっくりと起き上がろうとする蔵馬を、は制止する。
「無理しなくていいわよ。私、ここに運んでくるから」
 蔵馬再度、首を横に振った。早く起き上がらなければいけない衝動にかられる。蔵馬が痛みに顔を歪めれば、も顔を歪める。それがなんとなく嫌だった。それに──霊界鬼の力を借りるのは、もっと嫌だ。
「平気だ」と立ち上がり、歩き出す。
 時折よろめく蔵馬の肩を、は横から支える。
「本当に大丈夫?無理してない?」
 蔵馬はに目をやった。小さなか細い体で、必死に蔵馬を支えようとしている。なんの力もない、無力な人間だというのに‥‥。
 だがその暖かい手は、安らぎのように蔵馬を包み込んでいる。その手を振り解こうとは思わなかった。

 リビングのドアを開けると、そこにはがキッチンに立っていて、黒鵺はダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた。
「蔵馬!」
 黒鵺は蔵馬を見て思わず椅子から腰を浮かせたが、すぐに「痛って!」とうずくまった。
 どうやら、黒鵺もまだ本調子ではないようだ。
 は蔵馬を黒鵺の隣の席に座らせると、が作った粥を温めなおす。
 蔵馬はキッチンに見向きもせず、リビング、廊下、窓等を注意深く見渡していた。
「おい、女。あのハンターは何処へ行った」
「ハンター?あぁ、霊界鬼のことね。彼らは今、私達が通ってきた跡の片付け中よ。霊気や妖気とか、足跡を消しとかないと、なんか危ないらしくて」
 が、急須に茶を注ぎながら答えた。
「本当か?」
「ええ。嘘言ってもどうしようもないでしょ」
 蔵馬は、黒鵺に目配せをした。黒鵺はその合図を受け取り、蔵馬の次の動作に注目する。
 何とも不思議な光景だ。互いに目配せを掛け合い、それが普通に通じ合っている。まるで一種の会話のようだ。
 数秒ほど掛け合いは続き、蔵馬の小さな頷きで終わった。
「おい女、聞きたい事がある」
 蔵馬が呼ぶと、は同時に「何?」と返事をする。
「お前だ。“縮れ毛”の女」
 蔵馬はを指差し、大変無礼な発言をした。
「ち‥‥縮れ毛!?」
 が、ウェーブがかった自らの髪を撫でながら顔を引きつらせる。
 妖怪の彼らに『気遣い』などは存在しない。わかってはいるけど‥‥。
 は、言葉に凹みながらも気丈に振舞う。
「百歩譲って“縮れ毛”は許してあげる。でも──“女”ってのはちょっと失礼だと思うわよ。貴方に“蔵馬”という名前があるように、私にも名前があるんだから」
 は自分を指差し、「私は。そして彼女が」と、至って簡単な自己紹介をした。
‥‥」
 の名を呼んだ瞬間、蔵馬の全身を、熱い何かが駆け抜けた。
 何度も心の中で、その名を何度も呼び続ける。その度に、妙に体がざわつくのが不思議だった。
 蔵馬が呆けたようにを見つめていると、黒鵺がゴホン!とわざとらしい咳をあげた。
 我に返った蔵馬が黒鵺に視線を向ける。―――そうだ。女に聞きたいことがあったのだ。
「あの霊界の奴らは、ここに戻ってくるのか?」
「ええ、跡を消し終えたらね」
 蔵馬と黒鵺の顔色が途端に険しくなる。
「奴らをここに来させるな」
「え?」
「奴らは、ハンターをここに連れて戻ってくるかもしれん」
 蔵馬と黒鵺は危機感を募らせている。体が本調子でない今、ハンターに襲われたら勝てる見込みがない。
 は、そんな筈はないと答えた。もし霊界鬼にその気があるのなら、初めから蔵馬達を助けたりはしなかったと。
「あなた達を助けてここまで運んでくれたのは、雲鬼と雷鬼なのよ」
 が言うと、も「彼らの好意に対して失礼よ」と声を荒げた。
 だが、蔵馬達の耳には届かない。
 無理も無いことである。
 達にとって、霊界鬼の役割は『護衛』。守ってくれる存在である。しかし妖怪にとっては違う。彼らはハンター。蔵馬達は何百年も、彼らに追われ続けているのだ。
 説得など不可能だ。存在理由からして、真逆なのだから────。
 は、どうするべきか悩んだ。
 蔵馬がに向ける眼差しが、徐々に殺意へと変わろうとしている。もしここで『嫌』とでも答えれば、殺されてしまいそうだ。
 今、霊界鬼がここに戻って来てしまったら‥‥。対面した瞬間、殺し合いになりかねない。
 とばっちりは嫌だ。と思うと、対面させるのは危険な気がしてきた。
「‥‥わかったわ。霊界鬼には、そのまま霊界に帰ってもらいます」
 は無線機をポケットから出したが、一つの疑問をぶつける。
「でも、『ここに戻らず霊界に帰って』なんて、雲鬼と雷鬼が聞くとは思えないわ。どう言えばいいのかしら?」
 黒鵺は、簡単だと指をこめかみに当て、一言。
「『コエンマがここに来てそう言った』って言えばいいさ」
「コエンマが?」
「コエンマの言葉は絶対だろう。命令となりゃ、納得するだろうよ」
 黒鵺の口から自然に『コエンマ』の名前が出た事に、は驚いた。
「お前達はただの旅行者じゃねーだろ。人間の女が霊界鬼とノコノコ魔界に来るなんざ、組織がバックに付いていない限り、まず有り得ねーからな」
「コエンマは霊界の統治者。組織で動くあいつらにとって、上からの命令は絶対だ。例え人間が危機に陥る結果になろうとな」
「統治者の一言で、奴らは御役御免ってわけだ。だろ?蔵馬」
「そうだな」
 『命より規則が勝る』という、愚かな考えを持つ雲鬼と雷鬼ではない。だからこそ、蔵馬と黒鵺を必死で助けてくれたのに。
 “助けてもらった身”だということに、二人は感謝すらしていない様子で、少し悲しかった。
「でも雲鬼たち、霊界に戻ったとしても、必ずコエンマに報告をするでしょう?すぐバレちゃうわよ」
 すると蔵馬は、「バレるから、やるのさ」と、不適な笑みを浮かべてそう言い放った。
「バレたら、もはや下っ端の霊界鬼には手に負えん問題と判断されて、統治者であるコエンマが来るだろうな」と黒鵺。
「コエンマは統治者なだけあって、幾分話が分かる。いざとなればコエンマと交渉するほうが、ハンターを相手にするよりも効率的だ」
 妖怪とハンターは相反するものであり、永遠に分かり合えないものかもしれない。
(なんか、根が深そうね。複雑だわ‥‥)
 は、無線機で霊界鬼を呼び出した。
、そっちはどうだ。大丈夫か?》
 何も知らない雲鬼に、は「平気よ」と明るい声で話すと、大きく息を吸って──。
「さっき、コエンマが来たわよ」
《コエンマ様が!?いらっしゃるのか?今》
「いえ、もう帰っちゃった。『雲鬼と雷鬼はいるのか?』って聞かれたから、いないって答えたの。そしたら、伝言頼まれちゃった」
《伝言?どんな》
「『足跡消し終えたら、私達の家に戻らず、霊界に帰れ』だって」
 無線機の向こうで雲鬼が驚き、傍らにいるのか、雷鬼と何やら話をしている。
《今すぐって‥‥。じゃぁ、お前達の護衛は誰が担当するんだ?》
「それは、もういいって。」
《いいって、お前‥‥》
「コエンマがね、代わりの護衛の人と一緒に来たの。その人に『後よろしく』とか言って、帰っていったの。だから雲鬼と雷鬼は、もう護衛は必要ないから帰ってきて欲しいんだって」
 平然と、嘘八百を並べ立てる。『代わりの護衛と話をさせろ』とでも言われたら、全ては終わりだ。その一言を雲鬼が言わないか、内心、の心臓はバクバクだった。
《‥‥わかった。跡を消したらすぐ霊界に戻るよ。連絡ありがとう》
 『ありがとう』の一言が、心を刺す。バレた後の雲鬼の顔を想像すると、罪悪感が半端ない。
「よし、それでいい。これでハンターの一件は片付いたな」
 蔵馬が黒鵺に目をやると、黒鵺はニヤニヤと作戦成功を面白そうに喜んでいた。
 彼らは盗賊だが、詐欺師にも長けてそうだ。考える隙を与えられず、まんまと口車に乗って騙されて(?)、こんな大それたことをやってしまった。
(‥‥やっちゃった。これからどうしよう)
 無線機を机の上に置いてため息をつくと、黒鵺は視線を逸らすように片手で頬杖を付き、窓の外を眺めた。
 魔界は、すっかり朝日が昇っていた。
 は、そおっと窓を開ける。
「うわぁ‥‥!」
 思わず、ため息をあげた。
 外は見事な快晴。辺りには花が咲き乱れ、鳥のさえずりが聴こえる。昨日帰宅した時は夜だった為、何も見えなかったが‥‥こんなにも周りが美しかったなんて!
 これが、本当に『闇の世界』と呼ばれる魔界なのか。二人はにわかには信じられなかった。
 が見惚れるように外を眺めていると、火にかけていたやかんは甲高い音を鳴らし、粥が沸騰していた。
 二人分の粥を椀によそい、蔵馬と黒鵺に差し出す。人間が与える食べ物に警戒することなく、彼らは食べてくれた。
 それがとても嬉しくて、は自らの粥もよそって、彼らと対面する形で食べ始めた。
 お互い目を合わせようとはしない。でも不思議と気まずさは無かった。この空間に居る四人の中に、確かな何かが芽生えはじめていた。
「コエンマが来たら、どんな話をするのですか?」
 が、蓮華で掬った粥をフーフーしながら、対面する蔵馬に聞いた。
「ちゃんと『話し合い』をしてね。暴力や脅しは嫌よ私」
 も、熱い粥を蓮華で左右に揺らしながら口に運ぶ。
「心配するな。霊界相手にケンカ吹っ掛けるバカはいないさ、なー蔵馬」
「ああ。霊界に手を出すことは、極力避けるべきだ」
 二人は、熱い粥をものともせず口に運んでいる。
 が天井を見上げながら──。
「正直な話、ホントは来てほしくないんでしょ?」
「あぁ」
「このまま済んじゃえばいいって思ってる?」
「あぁ」
「‥‥」
 蔵馬と黒鵺は粥を完食すると、満足そうに自身の腹を撫でた。
 なんとなく微笑ましくて、彼らの姿を見ていたら、確かにコエンマが来ないのもアリかな?とも思えてくる。
 黒鵺は、器を回収してキッチンに向かうの後ろ姿を目で追った。
 蔵馬は、流し台で器を洗うの後ろ姿を見つめていた。
 見ず知らずの女──しかも人間二人が、同じ空間にいるなんて。全く今日は、変な朝だ。

 昼になり、は、空き部屋の荷物をズルズルとリビングに引っ張り出して、早速整理を始めた。
 蔵馬と黒鵺は妖気と体力回復に専念する為、今日は丸一日部屋で眠ることにしたのだが‥‥。
 床を引きずるダンボールの音、荷物が重なる音、二人の会話。寝てもすぐ目が覚めてしまう。
 しかし蔵馬と黒鵺は、その音を騒音とは思わない。むしろ近くに女がいることに、なぜか安心している。
 ガッッシャーン!!
 高いところから何かが落ち、割れる音がした。「あぁ〜あ」と、落胆する二人の嘆き声が聞こえる。
 蔵馬は思わず笑みを浮かべ、一方黒鵺は声を上げて笑い、その笑い声は達の耳にも届き──食器を割ってしまったは、恥ずかしそうに「うるさい!」と返した。
 素性も知らない人間の女が近くにいるというのに、言いようのない安らぎを感じている。
 こんな穏やかな朝もいいものだ──と、らしくもなく思う。
 この生活を、はたしていつまで続けていられるだろうか?
 四人の進退を握っているのはコエンマだ。
 妖怪と人間が一緒に居続けるなんて、霊界が許すはずがない。ということは、つまり──。
 願わくば‥‥もう少し、もう少しこの生活を送っていたい。
 蔵馬と黒鵺。彼ら妖怪が今まで持ち合わせていなかった感情が‥‥その時、ついに目覚めたのである。

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