黒鵺から溢れた言葉。 自分でも全く無意識だったようで、言葉を発した黒鵺自身が驚いてしまい、の目を見つめたまま硬直してしまった。 ここにいる誰もが予期しておらず、全ての者が微動だにせず、黒鵺の次の言葉をじっと待っていた。 蔵馬は、呆けたように黒鵺に目をやっている。 その視線に気づいたのか、黒鵺は我に返るなり、縋るような眼で蔵馬を見つめた。 共に居たい。引き止めたい。手放したくない──。そう思ったら、自然に言葉が口から出ていた。 今言わないと、きっとこのまま帰ってしまう。そんな気がしたのだ。 今まで無縁だと思っていた己の心を知って、ずっと自問自答している。 そんなことあり得ない。自分が誰かを愛する筈がない。守りたい者など、現れたりなどしない。相手が同じ妖怪ならまだしも、『人間』の小娘ではないか──。 頭を振りながら、額に溜まった汗を手で拭う。 しかし、意を決したようにを見つめた。認めざるを得なかった。 自分はこの女を、愛している。理由はわからない。しかし‥‥自分の気持ちに嘘はつけなかった。 「魔界は確かに美しいぜ。ここの庭に限らずな。お前に見せてやるよ」 が目を輝かせると、黒鵺は宝物を自慢する子供のように、魔界の美しさをあれこれと紹介しはじめた。 二人の会話を横で聞いていたコエンマが、思わぬ急展開にヨロヨロと椅子から立ち上がる。 こんな筈ではなかった。とは魔界のこの家で、静かに過ごしていくつもりだったのに──。 こうなったらだけでも人間界に連れ帰ろうと振り向くと、蔵馬がになにやら囁きかけていた。 内容までは聞き取れなかったが、「是非連れてって下さい」のの言葉に、落胆した。 呆然と突っ立っているコエンマだが──マントの裾を引っ張る者に気づき、顔だけ後ろへやる。 ジョルジュだった。 「コエンマ様。もう好きにさせてあげたらどうですか?」 瞬間、水を打ったように静まり返った。 “霊界の住人”が発した意外な台詞だ。またもや全員がピタリと動きを止め、一斉にジョルジュを凝視した。 「な‥‥何を言っとるんだお前は!!」 彼の安易な言葉が“霊界の意思”と思われたら大変だ。コエンマはわざと声を張り上げてジョルジュを叱り付ると、彼の耳を引っ張っての部屋に強引に連れていく。 「いたたた‥‥もう、コエンマ様は乱暴なんだから〜」 引っ張られた耳を擦りながら、涙目になりながらジョルジュはぼやいた。 「お前が変なことを言い出すからだ」 「変なこと?え〜、だって残るのも帰るのもぉ、達の勝手じゃないですかぁ」 「バカなことを言うな!何か遭ったらどうするつもりだ!?」 「やだなぁ〜。コエンマ様ったら忘れたんですか〜?何か遭わないように、“霊界特防隊”が明日から護衛に来るんじゃ‥‥あがぁっ」 「声が大きい!」とジョルジュの口を塞ぐ。 それは、魔界でとの二人暮らしは危険だから、護衛として張り込むという話。ただそれには、『蔵馬と黒鵺がこの家に居ない』ことが大前提だ。 「妖怪から護衛するために派遣する以上、そこに蔵馬と黒鵺が居るのに黙認などできるか。同じ空間に居続けるなど無理だ。どちらかが殺されるに決まってる」 「じゃぁ、特防隊を呼ぶのを止めましょう」 「バカ者!それこそ危険だろうが」 霊界特防隊さえ苦戦する妖怪だ。人間──しかも無力な女性二人が襲われたとして、一体どう抵抗しろというのか。 「いや、大丈夫だと思いますけどね〜」 先ほどからの、やたらと自信気なジョルジュの態度に、コエンマは「その根拠は何だ」と首を傾げた。 「コエンマ様は、彼らの目に気づかなかったですか?」 「彼らの目?」 「私達に向ける目とさん達に向ける目は、全く違うんですよ。私達に向ける目は、当然ですが威嚇の目です。でも、さん達に向ける時は、何と言うか‥‥愛しい人を見つめるような、そんな目なんですよ」 コエンマは、信じられないと顔を顰めたが、ジョルジュは発言を撤回せずにコエンマに食い下がり、必死に蔵馬たちの擁護をし続けた。 確かに、言われてみればジョルジュの言い分もわかる。とには、脅されているような気配は全く感じられず、むしろ彼らに対して笑顔を振りまいている。 彼女らがどうして無傷で朝を迎えられたのか、説明がつかない気もする。 コエンマは、部屋のドアをそぉっと開け、遠巻きに蔵馬と黒鵺を見つめた。 彼らの視線は、それぞれ一点に集中していた。とである。 先ほど、自分らに向けられたものとは異なり、優しく‥‥愛おしそうに彼女達を見つめている。 時折、とが笑う。その度事に、彼らも目を細めて微笑む──。 (まさか彼らが‥‥本当に!?) あの妖怪が、人間を愛するなんて──。 「ねぇ、言ったとおりでしょ?」 ジョルジュが勝ち誇ったように言うと、コエンマは生返事をしてため息をついた。 「しかし、なぜとなんだ?妖怪は妖怪同士で勝手に愛し合っていればいいだろう。わざわざ人間を愛さんでも‥‥。妖怪に寄ってこられたら、後々面倒なことになるだろうが」 論点がずれた発言をするコエンマに、ジョルジュは軽蔑を込めた上目遣いを見せた。 「残る帰るの議論は後にして、取り合えず様子をみたらどうでしょうか?」 コエンマはの部屋を退室すると、ツカツカとリビングへと進んでいった。 蔵馬と黒鵺の瞳が、一瞬にして鋭い眼光へと変わる。 その瞳の変わりように、思わず足がすくんだ。 「コエンマ‥‥」 が声をかけようとすると、コエンマはスッと右手を挙げ、“もういい”とジェスチャーを返す。 暫くを見つめ、それから──蔵馬──黒鵺──。交互に深く見つめて、息を正す。 「わかった。お前達はここに暫く残れ。わしは‥‥帰るとしよう」 「本当に!?いいのね!許してくれるのね」 ハイタッチをして喜びを分かち合うとだが、コエンマは「但し!」と制した。 「仕事は忘れるな。お前達は仕事をする為に、ここに来たのだからな」 「それは分かっているわ」 「それと、ここに滞在する期間だが──」 「仕事が終わったら帰る。分かっているわ。ね、」 「うん。仕事が終われば魔界を去るわよ。それに、決して仕事は怠慢しないと約束する!だから心配しないで」 蔵馬と黒鵺と同棲生活を楽しむのが目的ではない。魔界には『仕事で来た』のは百も承知である。 「よっこらせっと。あぁ〜疲れた〜。ぼたん、お茶でもくれんか」 いつもの自分の席に座りながら、コエンマは天井を見上げ、照明の灯りを眩しげに見つめた。 そして、机の上に溜まった書類を手に取り判を押しては‥‥ため息をついて天井を見上げる。 霊界案内人のぼたんが茶を差し出しながら、心配そうにコエンマの顔を覗き込んだ。 「ジョルジュから聞きました。そんな事があったなんて‥‥」 ぼたんは、蔵馬と黒鵺の事は何も知らない。盗賊で危険な存在と言われてもピンとこないため、下手に意見はしないようにした。 とは友人だが、ジョルジュの話が本当なら、きっと大丈夫だろう。 「でもコエンマ様、妖怪と人間の恋愛なんてロマンチックじゃないですかね〜」 『恋する乙女』で浮かれた顔をするぼたんに、コエンマは大きくため息をついた。 「あのなぁ、妖怪に寄ってこられたら面倒なんだぞ。蔵馬と黒鵺を殺すために、とを盾にされてみろ。可能性はゼロじゃないぞ。むしろ、その方が手っ取り早いし楽だろう」 「そ、そりゃぁそうですけど」 「らが妖怪に狙われる日は必ず来る。その時、あの妖怪はどこまで助け、守ってくれるんだ?もし守ってくれないなら、一体誰が代わりに守るんだ?」 「特防隊が守ればいいじゃないですか」 「‥‥お前は良いな〜楽観的で。もういい、下がれ」 魔界の夜は、嘘のように静かだった。 いつもは盗賊に出かける蔵馬と黒鵺も、今日は出かける気がしない。今のこの時間の方が、何よりも大切に思えた。 外に出ようと玄関を開ける。 先頭は蔵馬、殿は黒鵺と、二人はとを守るように囲った。 「うわぁぁ‥‥!!!」 夜空を眺めて、は思わずため息を漏らした。空の全てが星々で覆い尽くされている。人間界の星空とは全く違う。こんな美しい夜空を見たのは、生まれて初めてだった。 は、感動のため息も声にならず、その場に体を震わせて目を潤ませた。 無邪気な笑顔を振りまく二人の女性に、蔵馬と黒鵺は互いに顔を見合わせてクスッと微笑んだ。 様々な危険が交錯する中での共同生活が、今始まろうとしている。 |