闇に咲く花 第2部-1話

 が魔界に来てから、早いもので一ヶ月が経とうとしていた。
 先日まで魔界の病院で働いていただったが、自宅内に設置された医務室(元物置)の設備が整った為、仕事先を自宅へと移すこととなった。
 病院への通勤時間が削られたとはいえ、忙しさに特にこれといった変化は無く、慌しい日々を送っていた。
「病院の方が、気分的に引き締まってたかなぁ?」
 肩が凝るような感じを醸し出しながら、は椅子に腰掛けぼやいていた。
 居住スペースとは完全に隔離されている医務室には、患者が次から次へと運ばれてくる。
 “患者の転送”を告げるアラームが鳴ると、処置室へ直行。アラームを医務室で停止させると、それを合図に亜空間を通して患者が転送されてくる。
 患者とはいえ妖怪に違いない。妖力は“無”の状態で運ばれ、念の入ったことに弛緩剤までが投与されていた。
「おい蔵馬。こいつは、俺らが捕まえ損ねた盗賊の一味じゃねぇか?」
 黒鵺は妖怪に添えられていたカルテを勝手に読み、蔵馬に差し出しながら尋ねていた。
「あぁ、どうやら賊で分裂があったようだ。賊内に派閥が発生しているのかもしれ──」
「ちょっと!何勝手に読んでるのよ!!」
 が、慌てて蔵馬の手からカルテを取り上げる。
 妖怪のカルテは、魔界も人間界も変わらず『守秘義務』にあたる。決して開示してはならないし、かつ漏らしてはならない。しかし‥‥‥‥。
 “守秘”ということは、すなわちそれは“情報の宝庫”であると、宣言しているようなものである。
 添えられたカルテには、実に詳細な情報が書かれていた。
 階級はもちろん、妖力の目安、使用する武器、妖術、捕捉された場所までもが記されている。
 にはピンとこない情報だが、盗賊である蔵馬と黒鵺にとっては貴重な情報源──。カルテを見ずにはいられないのである。
 その為、蔵馬と黒鵺は、の怒りを受けるのを覚悟の上で、毎回カルテを盗み見していたのである。
 ただ最近では、らが呆れて叱るのを止めたのをいいことに、いつのまにやら堂々と読みあさるようになり‥‥患者を告げるアラームが鳴れば、当たり前のようにくっ付いて入るようになっていた。
 二人が処置をしている後ろで、蔵馬と黒鵺は床にあぐらを組み、カルテを広げて何やら話し合っている光景が日常である。
 “守秘”も“極秘”も無い。コエンマがこの光景を見たら卒倒することだろう。
 なお、このカルテが情報源かは不明だが、今まで未確認とされていた賊のアジトが討ち落とされたことがあった。
 が不審に思って黒鵺に問いただしたところ、彼はいともアッサリと“それ”を認めた。
 責任を感じたは、この事実を霊界に公表しようと思ったが、蔵馬と黒鵺に制止させられた。
「咎めなんか受けるはずねぇよ。霊界が敵視していた賊が一つ落ちたんだぜ。むしろ感謝しているだろうさ」
「もし霊界が何か言ってきたら、俺たちが全て責を負う。何も心配する必要はない」
 彼らの言う通り、霊界は何も言ってこなかった。
 ただその日を境に、カルテの情報に少しずつ変化が生じ始めることとなる。
 蔵馬と黒鵺がカルテの情報を元に賊を討ち滅ぼす度に、カルテの内容が“容態”重きから“賊の情報”にすり変わっていったのだ。
 酷い時には「○○日に△△洞窟で集会有り」と、さも『倒して下さい』と言わんばかりのカルテもあった。
「フッ‥‥。これで俺たちには“極秘”だと?そうは思えんな」
 蔵馬はカルテをはたいて、に突き返しながら鼻で笑ったのだった。

 ある朝、患者の受け入れを告げる請うアラームが、いつものように鳴り響いた。
 四人が医務室に入ると、壁から“もや”のような霧が発生して亜空間が誕生し、妖怪が運ばれてきた。
 患者はいつもは麻酔が効いて眠っているのだが、なぜか微かに目を開き──蔵馬と黒鵺は慌ててを背に隠した。
 警戒心からか、二人の妖気は高まっていたのだろう。患者の妖怪は、針で刺されるような強大な妖気に反応し、身体が痛いのも忘れてベッドから飛び起きた。
「よ、妖狐蔵馬──!?」
 静かな処置室に、驚愕に満ちた叫び声が室内に響き渡る。
 軽々しく名を呼ばれた蔵馬の眼が、鋭く光った。睨みながら、足を進めた瞬間──。
「妖狐だ!妖狐蔵馬だ!寄るなっ。た、助けてくれ──!」
 転げ落ちるようにベッドから降りると、床を這いつくばりながら亜空間の中に逃げ帰っていった。

 ポカ〜ンとした顔をしながら、は、亜空間から遮断された壁を見つめ、床に落ちたカルテを拾い上げた。
「なに?今の」
「さぁ‥‥」
 困惑するは、治療も受けずに逃げていった妖怪の身を案じ、霊界に連絡しようとしたが、黒鵺に止められた。
「心配ねぇよ。俺らの名を知るやつに、ろくなヤツはいねぇ」
「俺の名を知り恐れる者の大半は盗賊だ。霊界にとっては、死んでも特に構わん存在だろうよ」
 怪我人と対峙しながら、労わりも、情けも、憐みさえ見せようとしない彼らに、は酷く動揺した。
「そうそう。それに霊界は“悪”の撲滅を望んでいるんだろ?だったら、この結果に何ら異存はないはずだ。そもそも、何で妖怪なんざ、わざわざ治療してやるんだか」
「おおかた、霊界に恩を売らせたいのだろう」
 横で聞いていたの顔が引きつる。
 同じく盗賊である自分を棚に上げて、よくそんな台詞を易々と言えるもんだなと、戸惑いを隠せない。
 価値観・生き方・考え方が全く違う、人間と妖怪。おそらく、感じ方や見え方も違うのだろう。
 人間は、妖気を目で見るのは勿論、その強弱を肌で感じる事は出来ない。
 魔界を訪れる前、蔵馬と黒鵺の噂については聞かされていたとはいえ、どこかの夢物語でも聞いているかのような感覚だった。
 彼らがどんな妖怪かも知らないし、どれほど恐れられているのかも知らない。
 彼らに対しては、恐怖というより、好奇心の方が断然勝っていた。
 実際に会っても、別段どうってことはなかった。逆に、霊界鬼やコエンマが、何故そこまで怯えるのかが不思議だった。
(だって、蔵馬は私に優しいのだから‥‥‥‥)
 しかし、こんな風に、魔界で他の妖怪と接すると、何となくだが、次第に分かってきたような気がする。
 蔵馬を見るだけで怯え、凄まじい剣幕で逃げ出し、果てには恐れるあまりに失神してしまう妖怪たち。
 「助けてくれ!」「許してくれ!」「殺さないでくれ!」「命だけは──!」
 必死に命乞いをする妖怪たちに、は、戸惑いを隠せずにはいられなかった。
 蔵馬と黒鵺が『恐ろしく残酷な盗賊』であることを、まざまざと見せつけられる。
 そんな人と一緒に暮らしている。それが、とても恐ろしく思う瞬間があり、体が竦む。
 が顔を上げると、恐ろしく澄んだ金色の瞳が、目の前にあった。
 目を逸らすことができず、つい見惚れてしまう。
 瞬間、血の気が引いたような感覚に陥り、体が弛緩して倒れそうになった。
!」
 咄嗟に駆け寄り、蔵馬はの肩を支えた。
「大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい!」
 が、手に持っていたカルテを床に取り落とす。
 蔵馬が拾い上げると、カルテの間に挟まっていたのか、霊界の紋章が付いた封筒がヒラヒラと落ちた。
 拾おうと蔵馬が手を伸ばすより先に、が素早くすり取った。
「‥‥」
「‥‥」
 気まずい雰囲気の中でが手紙を開けると、映像が飛び出し、ひとりでに話し始めた。

に告ぐ。
 コエンマ様からの辞令を伝える
 来月より、人間界での勤務を命ずる。準備いたせ。           以上」

 無機質な雲鬼の声が室内に響く。人間界への異動を、冷たく告げていた。

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