闇に咲く花 第2部-2話

「ふざけやがって!」
 怒鳴りながら、黒鵺は手紙をくしゃくしゃっと丸めて床に叩き付けた。
 彼は元から熱くなりやすい性格ではあるが、ここまで怒りをあらわにするのは初めてである。
 蔵馬は相変わらずな無表情ではあったが、眉間にしわを寄せていて、苛立っているのはわかった。
 は投げ捨てられた手紙を手に取ったが、開いて読み返すことはせず、ゴミ箱に入れた。
「こんなの、無視しちゃえばいいのよ」
 そう笑って、何事も無かったかのようにキッチンへ去っていった──。
 もキッチンへと向かうが、蔵馬に腕を掴まれた。
 ふと目が合い、沈黙する。蔵馬の金の瞳に見つめられ、は思わず目を逸らした。
 それだけで、蔵馬は何かを悟ったようだった‥‥。
 は掴まれた腕を振り解くと、逃げるようにキッチンへと去っていった。
「ちょっと
「分かってるわよ!」
 一部始終を見ていたが窘める。
 霊界の立場からすれば、今さら極悪非道と謳われる妖怪相手を気遣う必要など無いかもしれない。
 しかし、腕を振り払われた蔵馬の表情を見た瞬間、の行為が彼を傷つけたと知り、共に生活する身としては罪悪感を覚えてしまう。
 の、どこか怯えるような目を見て、嫌な予感がした。
が蔵馬さんを怖がっている?‥‥まさか、よね)

 今日もいつものように、たちは患者が転送されてくるのを処置室で待っていた。
 闇が走り亜空間が開いた瞬間、ただならぬ『気』に、黒鵺と蔵馬は眉をしかめて武器を後ろ手に構えた。
 『気』を肌で感じないはキョトンとしながら、一体何が現れてくるのかと、闇の亜空間内を覗き込んだ。
 繋がった空間を跨ぎながら現れた人物、それは────。
「コエンマ!」
 が声を揃える。背後からは、ジョルジュが手をすりよせながらついてきていた。
「なぜ、妖怪がこの部屋にいるんだ!?。お前たちが許したのか?」
 ろくな挨拶もせず、いきなり叱り出すコエンマである。
を責めるな。俺たちが勝手に入っただけだ」
 黒鵺は、を庇うように自分の背に隠つつ、悪態をついた。
「霊界が何の用だ。を連れ戻しに来たのか?」
 なんの前振りも無く、蔵馬が核心に触れる言葉を吐く。
 あまりにも単刀直入すぎて、一瞬にしてその場の空気が凍り付いた。
 反論しないコエンマだったが、背後のジョルジュは明らかに動揺しており、その姿におもわず蔵馬は苦笑した。
 一方黒鵺は、怒りを隠すことはせず、コエンマの首のショールを掴むと力任せに引き寄せた。
「今更どの面下げて来やがった!?」
 コエンマがバランスを崩してよろけると、すかさずが「やめて!」と制止する。
 どんな理不尽なことであっても、霊界に手を出してはいけない。妖怪は特に──。
「コエンマ、ごめんなさい!」
「お前が謝る必要はねぇ!こいつはお前を人間界に連れ戻しに来たんだぞ!」
「でも‥‥」
「だから俺は昔から霊界が気に入らない。妖怪を見下す態度もそうだが、やりかたが汚ねぇ!お前らはを魔界に寄越した。なのに着いたそうそう連れ戻そうとした。でも断念して破棄して魔界に住まわせた‥‥。それなのに、また戻れだぁ!?を“品物”みたいに扱うのは許せねぇ。霊界の特権か!?勝手なことばかりしやがって!」
 今まで溜まっていた怒りや鬱憤を吐き出すかのように、黒鵺は霊界を非難した。
 だがコエンマは動じることは無く、言い返しもしなかった。
 それどころか、黒鵺が霊界に向けて浴びせる非難に呆れていた。
 霊界の宝を盗み、売りさばいてるのは誰だ。
 証拠を残せば捕まるという理由で、追跡するハンターらを殺しているのは誰だ。
 人間を見下し、捕まえ、人質として監禁し、霊界に金銭を要求しているのは一体どこの誰なのだと。
 そんな妖怪らが、正義感を振りかざす権利などない。まして盗賊に言われるなんて心外だ。
 魔界にを寄越す前は、よもや妖怪と同棲することになろうとは思ってもいなかった。
 それが盗賊で、よりによって蔵馬と黒鵺だったなんて、頭の片隅にだってなかった。
 予想だにしない状況に、霊界は非常に慌てている。
 どう対処すべきか、日々模索している。
 彼女達が『愛されている』と知った時、彼らに殺される心配は無いとひとまず安心したものの、悩みは尽きない。
 争いに巻き込まれたらどうする?盾にされたらどうする?
 コエンマは、考えうる状況を片っ端から挙げていった。そんな苦労など知らないくせに、よくそんな事が言えるものだ。
(そもそも、わしは“上司”で彼女らは“部下”。これは、ただの人事異動。正式に出された『辞令』じゃぞ)
 蔵馬と黒鵺は、誰かに“雇われる”経験はおろか、“働く”という概念自体が無いため、理解はできないだろう。
「決まったことは仕方あるまい」
 だからだろうか。コエンマは黒鵺の目を見ながら、とても冷たく突き放した言い方をしたのであった。
 その一言は、黒鵺にとっては火に油を注ぐようなもの。
 平静を保っていた蔵馬でさえも、コエンマをキッと睨みつけた。
 蔵馬は、に決断をさせようと、「お前はどうしたい?」と静かに尋ねた。
「私は‥‥」
(どうしたいんだろう?)
 正直、迷っていた。
 どっちを選んでも、どちらかを悲しませることになる。
「魔界に残るって言ったら、コエンマはどうするの?人間界に帰るって言ったら、蔵馬はどうするの?」
 全てがの判断にかかっている。たった一言で、全てが決まってしまう。
 即断なんて無理だ。コエンマが目の前にいるこの場で、こんな質問をする蔵馬がとても卑怯に思えた。
 しかし、どうして即断が出来ないのだろう。どうして、迷っているのだろう。
 魔界に残りたいって、から強く宣言した。それなのに、どうして今は、コエンマにそれが言えないのだろう。
 の心の中には、2つの選択肢が揺れ動いている。
 本当の自分は優柔不断な女で、前言を簡単に撤回するような人間だったのだろうか。
 無性に自分に腹が立ち、嫌気が差してくる。
 蔵馬は、揺れ動くの心を、ずいぶん前から感じ取っていた。
 は最近、蔵馬を恐れているのか、よそよそしい態度をとったり、妙にぎこちなく接してくることがある。
 夜も警戒しているのか、よく眠れていないようにも思える。寝首を取るとでも思っているのか。
 蔵馬はここ数日、が『帰りたい』という言葉をいつ吐き出すのかと、怖くて眠れぬ日々が続いていた。
 盗賊の頭を務めるほどの冷酷な妖怪が、たかが人間の小娘の心に惑わされている。なんと滑稽なことだろう。
 を失っても、困る事は何もない。
 しかし、居なくなれば、蔵馬の中の“何か”が消えてしまう。そんな気がした。
 この場でコエンマを殺せば、を魔界に留めおくことが出来るだろう。しかし‥‥そうはしたくない。
 の立場が悪くなるようなことは出来ない。
 魔界に残るか人間界に行くか。それは蔵馬ではなく、“の心”が決めるべきだ。
 蔵馬は、ソファに座って黙り込むの姿を俯瞰して眺め、膝を折って目線を合わせた。
「気後れするな。お前が下した決断なら、俺はただそれを受け入れるだけだ」
 暫しの沈黙の後、は意を決して頷くと、重々しくも小さく呟いた。

「‥‥ごめんね、蔵馬」

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