闇に咲く花 第2部-4話

 蔵馬と黒鵺が庭で話し込んでいると、突如頭上に黒い穴が開き、そこから二人の霊界鬼が降ってきた。
 脇に、先ほどコエンマが忘れたとされた「書類」とやらを手にしている。
「また会いましたねぇ、妖怪」
 やってきたのは、霊界鬼の雲鬼。一応この度、黒鵺と蔵馬を救った命の恩人である。
 多忙なコエンマに代わり、にとって実質的に頼れる保護者は彼であり、時折兄のような素振りをも見せる時もある。
 今回もコエンマの代理で来たのだろうが、蔵馬と黒鵺にとっては、コエンマよりも彼が来た方が都合が良い。
 雲鬼は霊界人でありながら、人間と霊界は勿論、妖怪の立場も対等に考えられる、大変貴重な人物である。
 初対面の頃は妖怪を嫌悪していた雲鬼も、徐々にではあるが、蔵馬や黒鵺への接し方は幾分落ち着いてきている。
 霊界の大半は、特別防衛隊のような『霊界は善。妖怪は悪』という勧善懲悪な考えが末端にまで刷り込まれており、雲鬼のようなタイプの霊界鬼が妖怪側に目を向けてくれている事実は、蔵馬達にとって有益であった。
 彼の相棒である雷鬼はそれが出来ないようで、あれ以来彼とは音沙汰はない。
 雲鬼に同伴してきたジョルジュは八方美人に立ち回るタイプだが、妖怪を嫌悪することはなく、いざとなれば達の味方をするので、彼もまた蔵馬にとって有益な存在であった。
 ジョルジュは、がコエンマと大喧嘩をしてまで魔界に残ると言い張っていたのを隣で聞いていた為、「また帰らせるなんて、コエンマ様も酷いですね〜」と、まるで蔵馬に同情するような発言をし、雲鬼から脇を小突かれていた。
 理不尽な霊界の命のせいだと、黒鵺は恨みつらみを混ぜてジョルジュに事の真相を話し出す。
 ジョルジュがその都度大げさに驚くと、黒鵺は堰を切ったように怒りに任せてべらべらと‥‥不満の全てを吐き出した。
 こういう談話めいた会話が苦手な蔵馬に対し、黒鵺は口が達者だ。黒鵺は、自身の不満はもちろん、蔵馬の分まで、まるで我が身に起きたように代弁した。
「わかりました。どちらも悶々としたままでは後味悪いですよね。良いですよ。私に任せてください」
 そう言って雲鬼は家の中に入ると、軽くノックをして達のいる部屋へと入っていった。


 数分後、雲鬼はを連れて部屋から出てきた。
 雲鬼を介すと、いとも簡単に事が解決に進んでいく。
 蔵馬と黒鵺が介入できない場面であっても、彼らの確固たる“信頼”にかかれば、それはとても容易い。
 共に過ごした年月の違いがあるのは致し方ないが、少し悔しい気もする。
「雲鬼から色々聞いたの。私が蔵馬から離れようとしているのは、蔵馬を嫌いになったからなのか?って‥‥そう、言われたの」
 雲鬼が、あまりに単刀直入な聞き方をしていたと知って、蔵馬は思わず絶句する。
 もの問いたげな蔵馬が口を開く前に、は声を張り上げた。
「誤解よ、誤解だからね!私は、貴方が嫌いだから離れるわけじゃないわ!」
 必死に言葉を探すを射竦めないよう、蔵馬は壁に凭れかかると、視線だけをこちらに寄こした。
「私は医者になった時、誰も体験したことのない仕事をしたいって思ったの。コエンマから妖怪の救命士の話を聞いた時、ドキドキしたの覚えてる。神話や御伽噺の中でしか見たことの無い人達を治療できるって。毎日が夢のようだったわ。でも‥‥」
「夢から覚めて平静を取り戻したか?」
 黒鵺が、意地悪そうに尋ねる。
「仕事に慣れたころ、霊界図書館で妖怪に関する本を読んだの。読んでるうちに、なんか怖くなってきちゃって‥‥。そう思ったら、今度は、私は何て恐ろしい所に居るんだろうって思うようになっちゃって‥‥」
「霊界図書館ねぇ〜。この妖怪に関する本も読んだんだろう?」
 雲鬼が蔵馬を指すと、は小さく頷いた。
「いやだなぁ〜さん。あの本には、そもそも悪い事しか書いてませんよ〜」
「ジョルジュの言う通り、あの本は霊界が書いたもの。霊界の“都合のいいように”書いてあるんだ」
 なにせ『勧善懲悪』の霊界が、妖怪について書き記した本だ。
 霊界にとって脅威である『極悪盗賊』の蔵馬をどのように紹介してあるか、だいたいの察しはつく。
「霊界側の俺が言うのもなんだが、妖怪全てを一括りに“悪”と恐れるのは、正直どうかと思うぞ?」
「そうそう。『霊界=特別防衛隊』と見られると、こっちが迷惑──ってイテテテ!」
「ジョルジュは黙ってて!!」
 はジョルジュの頬を摘んで制止させる。
 しかし、雲鬼から“妖怪全てを恐れるな”という言葉が出るとは、なんとも驚きである。
「頭では分かってるのよ。でも、なんかスッキリしないの。自分の中で答えが出ないの。このまま魔界でじたばたしても、答えなんか出てこない。だから私、一旦ここを離れたいの。もう一度初心に返ってみる。私は、ただの好奇心で魔界に来たんじゃないわ!」
「初心に返って、その後はどうするつもりだ?」と、蔵馬が静かに問う。
 は、蔵馬の眼を見ながら微笑む。
「きっと、また魔界に戻ってくると思う。その頃には、今よりも妖怪の事が分かるような気がするわ。もちろん貴方のこともね」
「もっと分かったら、更に蔵馬さんのことが怖‥‥ぐわっ!!」
 がジョルジュの足を思いきり踏んづける。
「だったら私も一緒に行くわ。良いでしょう?ねぇ、黒鵺」


──次の日──
 太陽が地平線から顔を覗かせた頃、雲鬼は家へとやってきた。
 「そろそろ行こう」と、屋内で亜空間を開けて道を繋げる。
 が蔵馬に向かって笑みを浮かべると、蔵馬も笑みを返してくれた。
 それでもう十分。昨晩のうちに、言いたいことを遠慮なくぶつけあうこともできた。
 『下手な気遣いは無用』を、二人の合言葉にしようと決めた。
 は蔵馬と黒鵺に軽く会釈をし、亜空間をくぐる。実にアッサリとした別れかただ。
 続いても──と黒鵺に目を向けた。
 その姿に、黒鵺はたまらずの手を取った。
「やっぱり、お前まで行く必要はねぇんじゃーのか?帰りたいのはあの女だけなんだろ?」
 この期に及んでこの一言が、黒鵺の口から飛び出した。
 今更何を言うかと雲鬼は怒鳴り、蔵馬は往生際が悪いと罵った。
 しどろもどろになる黒鵺を見て、から思わず笑みがこぼれる。
「私も一緒に人間界に行くのはね。もし逆の立場だったら、独りで帰るのはとても心細いわ。に側にいて欲しいものよ。私が悩んでいるとき、はいつも側にいてくれるの。だからよ」
 未だに腑に落ちない黒鵺は、食い下がる、
「黒鵺だって、困ったことがあったら蔵馬さんに側にいて欲しいでしょ?蔵馬さんに困ったことがあったら、側にいてあげるでしょう?」
 蔵馬も黒鵺も、ハンターに追われて深手を負いながらも、互いに身を案じていた。それは事実だ。
 もし、らが蔵馬をこの家に運んでこなければ、怪我をおしてでも探しに行っただろう。
 黒鵺はそれ以上何も言い返すことはできず、を見送ったのであった。


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