闇に咲く花 第2部-5話(編)

「○○様。至急フロントまでお越しください」
「落し物のお知らせを致します。赤い帽子に──」
 ひっきりなしに、ホテルの全フロアに向けてアナウンスが流れていく。

 首くくり島──。
 に与えられた、次なる勤務場所。
 この地で仕事を始めて、早2週間が経った。
 徐々に仕事の段取りも覚え、そつなくこなせる様になってきた。
 窓の“さん”に手を添え深呼吸すると、涼やかな風が潮騒の音と重なり、とても心地よかった。
 達は、妖怪同士の闘技目的として数年に一度に渡り開催される、『暗黒武術会』の担当医となった。
 かなり血生臭い殺戮イベントなので、肝っ玉を据えて覚悟しろと霊界に忠告されている。
 大会は1週間後に迫り、観客が続々と入島し始めた為、医務室は徐々に騒々しくなってきた、
 明日からは予選を通過した選手も入島してくるので、この風に気持ちよく浸れるのは今日だけかもしれない。

(蔵馬、どうしてるかなぁ)
 は、白い雲を眺めながらぽつりと呟いた。
 不思議だ。蔵馬が怖くなって、逃げるようにここに来たというのに、今は会いたくて会いたくて仕方がない。
 潮騒のざわめきも、蔵馬の囁き声のように聞こえてしまい、つい後ろを振り返ることもある。
 さっそくだが、友人も出来た。関係性と言えば、“知人”に近いのだが──。
「お〜い!」
 振り返ると、赤髪の少年がこちらに向かって手を振っていた。
 彼の傍らには二人の男性がいて、これまたに向って手を振っている。
 彼らは観客で、2日前に首くくり島に入島した“妖怪”だ。
 入島初日の深夜に仲間内で大ゲンカをして、医務室に担ぎ込まれてきたのである。
 深夜、疲れて熟睡していたは叩き起こされてしまった為、騒ぎのお詫びとして、彼らに夜食を御馳走になったのが始まり。
 それ以来、は彼らに名前を覚えれられてしまい、とにかく気さくに声をかけられている。
 は、なにしろ毎日の仕事が忙しいので、まだ彼らの名前と容姿が一致していない。その為、ニコニコと会釈を返すぐらいしかできないでいる。
 彼らはにとって、蔵馬と黒鵺以外では“患者ではない妖怪”だ。
 妖怪といえば蔵馬と黒鵺しか知らず、その蔵馬に恐怖を抱いていただったが、この妖怪達と接するにつれて、確実に“妖怪”への認識は変わりつつあった。
 それは‥‥『人間も妖怪と同じ』だということ。彼らは人間と何ら変わらぬ心を持っている。
 彼らは人間を“不可思議な生き物”として見ることも、妙な偏見で捉えたりもしないのだ。
 自分がどれだけ小さな尺度で妖怪という存在を見ていたのかと、は今、それを思い知らされている。

「おいおい姉ちゃん。待ってくれよ」
 肩を叩かれ、は振り返った。
、今日の仕事は終わっただか?」
「え、ええ」
「んだったら、飯でも食うべ!?」
「あ、ありがとうございます。でも明日も仕事がありますから」
「へぇ〜姉ちゃん、えっらい働きもんだなぁ!」
 男は感心しながら不精ひげを擦る。仄かにお酒の匂いがした。
「ほんと偉いよー。オイラなんか、今日は何にもしてないよ」
「姉ちゃんの前で、情けねぇこと言うなよ鈴駒」と、男が叩いた。
「痛いなぁ!やるかぁ?酎」
 そうそう。彼は酎という名前だったっけ。
「受けたケンカは買いたいところだがな。ここでやったら、また姉ちゃんの仕事増やすことになっちまう。せっかく今日は仕事終わりなのになぁ」
「だな。明日っからは選手らが島さ来っから、はもっと忙しくなるだなぁ〜」
「しっかり休まなきゃダメだぜ姉ちゃん。何なら差し入れでもしてやろうか?」
「いえいえ。貴方がたは観客ですから。私の事は気兼ねせずに、武術会をお楽しみください」
「そうかい!あんがとよ。じゃぁ気ぃ付けてな!」
 痛いぐらいにの肩をたたいて、酎は大笑いをしながら仲間を引き連れ帰って行った。
 人見知りゼロの彼らには、こちらが困惑してしまう。妖怪は人間とは違って、初対面でもすぐに打ち解けてしまう。
 あぁいう感覚は、本当に羨ましい。
 が未だに、ホテルの両隣の宿泊者と挨拶を交わしていないというのに、今朝、出勤する際にドアを開けたら、陣が隣人と胡坐をかいて話しこんでいたのには驚いた。
 夜食を御馳走になった時、うっかりイアリングを装着するのを忘れ、あっさり人間とバレてしまったが、彼らはが人間であることを、一切気にはしなかった。
 この件は他言無用とお願いすると、逆に疑心暗鬼と言われ、もっと自分達を信頼して欲しいと叱られた。

 もう、いいや。

 そのとき、不思議なことに、全ての悩みが綺麗に吹き飛んだのである。
 人間と妖怪では、価値観が異なるのは当たり前。考え方や思想が違うのも当たり前。
 でも、心は同じ。人間と妖怪を隔てるものは、何もないのだ。それは蔵馬も同じだろう。
 蔵馬は自分を信じるように願った。どうしてそれを否定して、意味もなく彼を恐れたのだろう。
 彼の言葉に偽りなどなかったのに、なぜ信じられなかったのだろう。
 目の前の蔵馬よりも、霊界が勝手に書いた書物を信じ、勝手に恐れて逃げた。
 それがどれほど蔵馬を傷つけたのか、今になってやっとわかるなんて──。

 が部屋に戻ると、は夜勤の為に出ようとしていたところだった。
 の姿を見るなり、たった一言、「もう大丈夫ね」と言って部屋を出ていく。
 姿見に映る自分の姿を見て、は自分が泣いていたのに気づいた。はそれだけで、何かを察知してくれたのだろう。
 は、シングルサイズのベッドに突っ伏して暫く瞑目し、枕元に置いてある『無線機』を手にした。

 かける先は勿論──────。


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