「○○様。至急フロントまでお越しください」 「落し物のお知らせを致します。赤い帽子に──」 ひっきりなしに、ホテルの全フロアに向けてアナウンスが流れていく。 首くくり島──。 とに与えられた、次なる勤務場所。 この地で仕事を始めて、早2週間が経った。 徐々に仕事の段取りも覚え、そつなくこなせる様になってきた。 窓の“さん”に手を添え深呼吸すると、涼やかな風が潮騒の音と重なり、とても心地よかった。 達は、妖怪同士の闘技目的として数年に一度に渡り開催される、『暗黒武術会』の担当医となった。 かなり血生臭い殺戮イベントなので、肝っ玉を据えて覚悟しろと霊界に忠告されている。 大会は1週間後に迫り、観客が続々と入島し始めた為、医務室は徐々に騒々しくなってきた、 明日からは予選を通過した選手も入島してくるので、この風に気持ちよく浸れるのは今日だけかもしれない。 (蔵馬、どうしてるかなぁ) は、白い雲を眺めながらぽつりと呟いた。 不思議だ。蔵馬が怖くなって、逃げるようにここに来たというのに、今は会いたくて会いたくて仕方がない。 潮騒のざわめきも、蔵馬の囁き声のように聞こえてしまい、つい後ろを振り返ることもある。 さっそくだが、友人も出来た。関係性と言えば、“知人”に近いのだが──。 「お〜い!」 振り返ると、赤髪の少年がこちらに向かって手を振っていた。 彼の傍らには二人の男性がいて、これまたに向って手を振っている。 彼らは観客で、2日前に首くくり島に入島した“妖怪”だ。 入島初日の深夜に仲間内で大ゲンカをして、医務室に担ぎ込まれてきたのである。 深夜、疲れて熟睡していたは叩き起こされてしまった為、騒ぎのお詫びとして、彼らに夜食を御馳走になったのが始まり。 それ以来、は彼らに名前を覚えれられてしまい、とにかく気さくに声をかけられている。 は、なにしろ毎日の仕事が忙しいので、まだ彼らの名前と容姿が一致していない。その為、ニコニコと会釈を返すぐらいしかできないでいる。 彼らはにとって、蔵馬と黒鵺以外では“患者ではない妖怪”だ。 妖怪といえば蔵馬と黒鵺しか知らず、その蔵馬に恐怖を抱いていただったが、この妖怪達と接するにつれて、確実に“妖怪”への認識は変わりつつあった。 それは‥‥『人間も妖怪と同じ』だということ。彼らは人間と何ら変わらぬ心を持っている。 彼らは人間を“不可思議な生き物”として見ることも、妙な偏見で捉えたりもしないのだ。 自分がどれだけ小さな尺度で妖怪という存在を見ていたのかと、は今、それを思い知らされている。 「おいおい姉ちゃん。待ってくれよ」 肩を叩かれ、は振り返った。 「、今日の仕事は終わっただか?」 「え、ええ」 「んだったら、飯でも食うべ!?」 「あ、ありがとうございます。でも明日も仕事がありますから」 「へぇ〜姉ちゃん、えっらい働きもんだなぁ!」 男は感心しながら不精ひげを擦る。仄かにお酒の匂いがした。 「ほんと偉いよー。オイラなんか、今日は何にもしてないよ」 「姉ちゃんの前で、情けねぇこと言うなよ鈴駒」と、男が叩いた。 「痛いなぁ!やるかぁ?酎」 そうそう。彼は酎という名前だったっけ。 「受けたケンカは買いたいところだがな。ここでやったら、また姉ちゃんの仕事増やすことになっちまう。せっかく今日は仕事終わりなのになぁ」 「だな。明日っからは選手らが島さ来っから、はもっと忙しくなるだなぁ〜」 「しっかり休まなきゃダメだぜ姉ちゃん。何なら差し入れでもしてやろうか?」 「いえいえ。貴方がたは観客ですから。私の事は気兼ねせずに、武術会をお楽しみください」 「そうかい!あんがとよ。じゃぁ気ぃ付けてな!」 痛いぐらいにの肩をたたいて、酎は大笑いをしながら仲間を引き連れ帰って行った。 人見知りゼロの彼らには、こちらが困惑してしまう。妖怪は人間とは違って、初対面でもすぐに打ち解けてしまう。 あぁいう感覚は、本当に羨ましい。 が未だに、ホテルの両隣の宿泊者と挨拶を交わしていないというのに、今朝、出勤する際にドアを開けたら、陣が隣人と胡坐をかいて話しこんでいたのには驚いた。 夜食を御馳走になった時、うっかりイアリングを装着するのを忘れ、あっさり人間とバレてしまったが、彼らはが人間であることを、一切気にはしなかった。 この件は他言無用とお願いすると、逆に疑心暗鬼と言われ、もっと自分達を信頼して欲しいと叱られた。 もう、いいや。 そのとき、不思議なことに、全ての悩みが綺麗に吹き飛んだのである。 人間と妖怪では、価値観が異なるのは当たり前。考え方や思想が違うのも当たり前。 でも、心は同じ。人間と妖怪を隔てるものは、何もないのだ。それは蔵馬も同じだろう。 蔵馬は自分を信じるように願った。どうしてそれを否定して、意味もなく彼を恐れたのだろう。 彼の言葉に偽りなどなかったのに、なぜ信じられなかったのだろう。 目の前の蔵馬よりも、霊界が勝手に書いた書物を信じ、勝手に恐れて逃げた。 それがどれほど蔵馬を傷つけたのか、今になってやっとわかるなんて──。 が部屋に戻ると、は夜勤の為に出ようとしていたところだった。 の姿を見るなり、たった一言、「もう大丈夫ね」と言って部屋を出ていく。 姿見に映る自分の姿を見て、は自分が泣いていたのに気づいた。はそれだけで、何かを察知してくれたのだろう。 は、シングルサイズのベッドに突っ伏して暫く瞑目し、枕元に置いてある『無線機』を手にした。 かける先は勿論──────。 |