闇に咲く花 第2部-5話(妖狐編)

 魔界では、朝から珍しく雲ひとつない快晴だった。
 眠い目をこすりながらリビングに出てきた黒鵺は、一瞬感じた“違和感”に足を止めた。
(あぁ‥‥。いないのか)
 明りが点いていない薄暗がりなリビング。その殺風景な箱部屋を、静かに見渡した。
 黒鵺は、が魔界を去ってからも、この家で寝起きし続けた。
 以前のように夜ごと盗賊を繰り返し、今まで住んでいた場所で眠ったっていい。第一、こんな閉鎖的な空間は苦手な筈だ。
「どうせ帰ってくるんだもの。ここに置いといてもいいわよね?」
 出発際、そう言ったの一言が耳に残っている。
 がここに帰ってきた時に出迎えたいのと、もしここを離れたら、それきり会えなくなってしまうのでは?という恐怖もあって、この家に留まると決めた。
 全く、らしくない。ここで寝起きするうち、徐々に朝型の生活に変わりつつあるのも気にかかるが──。

 がいた部屋を開けると、蔵馬が部屋の片隅で、胡坐をかいて窓の外を見つめていた。
 窓から時よりそそぐ涼やかな風が髪をなびかせれば、気持ち良さげにそっと目を閉じ、小さくため息をついている。
 蔵馬のこんなにも穏やかな表情を見るのは初めてだった。
「おい」
 黒鵺が声をかけると、蔵馬はゆっくり髪をかき上げながら額に手を宛がい、目線だけを黒鵺に寄こした。
「そろそろ教えろよ。お前の作戦ってやつをな」

 蔵馬はリビングのカーペットの上に胡坐をかき直すと、黒鵺もそこに座るよう促した。
 黒鵺が従うように胡坐をかくと、蔵馬は無造作に丸められたパンフレット取り出した。
「今、がいるところだ。お前の女も、おそらく同じだろう」
 黒鵺はパンフレットをひったくるように受け取って床に広げる。
 そのパンフレットは一般観覧用ではなくスタッフ用で、『医療従事者用 暗黒武術会のお知らせ』と書かれていた。
 そのパンフレットには、武術会の日程は勿論、医療従事者の宿泊ホテル・勤務形態・勤務日程・勤務内容まで事細かに書かれている、いわゆる『極秘』扱いの書類だった。
 入手経路を問いただしたかったが、話が脱線してしまうので渋々避けた。
「暗黒武術会っていえば‥‥」
 どこかで聞いたことがあると首を傾げ、思い出して膝を叩く。
「あれだろ?勝ち残った奴には褒美が貰える、妖怪同士の殺し合いだったよな」
 黒鵺は、から「人間界に行ったら、その世界の中で働く」と聞いてはいたが、まさか暗黒武術会場で働くとは想定していなかった。
 人間があの場にいるのは危険すぎる。反対されることを知って、あえて内緒にしたのだろうか?
「蔵馬お前、それを知ってて女を人間界に帰したのか!?どういうことか分かってるのかよ!」
「人間のスタッフは、霊気を隠すものを身につけるそうだ。もし人間と知って危害を加えた場合、選手は永久出場停止。むろん観客も出入り禁止だ。さらに、医者を殺したら死罪だそうだ」
 そんなことで安心できるかと、黒鵺は叫んだ。例え死罪だろうが、人間を殺したい奴は、例えどんな報復が待っていようが実行するものなのだと。
 すると蔵馬は、黒鵺の気持ちも分かるが、そこまでしなくてはならない理由があり、今は耐えるしかないと伝える。
「魔界ではの活動範囲は限られる。霊界が絶えず後ろに付き、口を出され、俺達は自由に動けん。しかし人間界では違う。霊界は武術会に気を取られ、の監視は手薄になるだろう。その間に話をするつもりだ」
 要するに武術会のどさくさにまぎれて、と腰を据えて今後について話をするのだ。
 魔界とは逆に、武術会の場は霊界側の活動範囲が限られるので、むしろまとまった話がしやすい。
 日々霊界の影に怯え、したい話もろくに出来ないなら、いっそ人間界で腰据えて話したほうが楽ってもんだ。
「よし分かった!で、俺たちはいつ行くんだ?」
 蔵馬の作戦に感服した黒鵺は、それ以上何も言うことは無かった。
「大会開催当日に島に到着する。実際に行動を起こすのは、とあの女が本格的に武術会場で働きだしてからだ。コエンマに見つかったら、他の部署に転属されかねん。そうなったら探すのが厄介になるからな」
 黒鵺はの身を心配して蔵馬を怒鳴ったが、その心配は、当然蔵馬だって持っているものだ。
 『妖怪の巣』と化したあの場にがいるかと思うと、不安でたまらない。
 一応、罰則規定によって人間は守られる対象とはなってはいるが、黒鵺の言う通り、当てになどならない。
 蔵馬は黒鵺も、自らが護衛をしないと気が済まない質である。
 常に先読みして動く蔵馬でも、人間についての知識はまだ浅いし、人間界に関しては行ったことすらない。
 全くの無知に等しく、丸腰の状態で行くのだ。不安は大きいが、がその世界にいる以上、行くしかない。
「人間界へはどうやって行く?結界が張ってあるぞ」
「安心しろ。問題ないさ」
 下準備の為、やっておかなければならないことは山ほどある。
 久しぶりの躍動感に鳥肌が立つ。“宝”を盗み出す直前の高揚感に似ている。
 意気込んで立ち上がった時、鳴り響いた無線機に胸が高鳴るのを感じた蔵馬であった。

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