闇に咲く花 第2部−9話

 翌朝。
 黒鵺と蔵馬が医務室に赴くと、の姿はなかった。
「おい、を呼び出せ」
 黒鵺がスタッフに尋ねるも、「そんな人はいない」と口を揃える。
「ふざけんな。いるじゃねーか。髪は肩まであって、背は‥‥<自身の胸あたりを指して>この辺だ。いるだろう?出せよ!」
 もちろん、そんな適当な説明で通じるはずはない。
「そういや、偽名を使ってるって言ってたな」
 黒鵺は昨夜を思い出しながら、「なんって言ってたかなぁ」と考えていると、蔵馬の視線が恐ろしく殺気立つのを感じ、黒鵺は思わず後ずさりした。
「お前、何故あの時、女から聞かなかった?そこまで愚かだったのか?それとも、お前を信頼した俺が未熟だったのか‥‥」
 確かにあの時黒鵺は、が胸に着けていた名前入りの社員証をこの目でハッキリと見ていた。
 を送り届けた医務室で、の社員証も見ているのだ。
「悪かったな!お前の事だから、それぐらいは知ってると思ったんだよ。仕方ねぇ、片っ端から呼び出してみようぜ」
 黒鵺はスタッフ名簿を盗み出そうと蔵馬に提案したが、却下された。
 盗難に遭い、まず疑いがかけられるのはスタッフだ。も当事者となり、尋問を受けるに違いない。そんなことはさせられない。
「どうするよ、蔵馬」
 黒鵺が振り返ると既に蔵馬の姿はなく、黒鵺はぶつぶつ文句を垂れながらその場を立ち去った。

 深夜0時過ぎ。蔵馬はホテルの廊下を一人歩いていた。
 受付にいたスタッフに、先ほど出ていった“髪の長い巻き毛の女”はどこかと、カマをかけて聞いてみたら、「貯蔵庫に行った」と答えた。
 その女の名はというらしい。 (‥‥‥‥。の事か)
 夜の廊下は妖怪の巣穴を髣髴とさせ、あの夜、暗闇で怯えていたを思い起こさせる。
 窓の外を眺めていると、光が右往左往し飛び駆っているのが視界に入った。
 人工的な白く丸い光。確か懐中電灯という、熱を持たない光だ。
 夜の闇、夜目が効かない人間にとって必需品だとが言っていた。
 その光を見るなり、蔵馬はフッと笑みを浮かべた。
(変わらんな。未だに闇に怯えているのか)
 あの時と同じ光‥‥。が作り出す光だ。闇を恐れるあまり、手当たり次第に光を這わせて混乱している。
 実に滑稽なものだが、とても懐かしく思えた。


「はい!!‥‥え!?‥‥く、蔵馬!?‥‥えっ!?」
 暗闇で急に名前を呼ばれ、そうとう驚いたのか。が勢いよく踵を返して振り向いた。
 人間界に居るはずのない蔵馬の姿に頭が混乱してしまい、オウムのように「なんで?」を繰り返した。
「びっ、びっくりした‥‥!」
 蔵馬の存在にも驚いたが、暗闇の中で“全身ほぼ真っ白”な彼の姿は、とても怖い。‥‥心臓に悪い。
 てっきり幽霊かと思い、あやうく悲鳴まであげそうだった。
「どうやら、おどかしたようだな」
 蔵馬はの手を掴むと、未だ自分に向けられている懐中電灯を、眩しそうに下に向けた。
「以前は俺と気付きながらも手を挙げていたが、今回は無いな。少しは成長したと思っていいのか?」
 を壁に押しやると、意地悪そうな目を浮かべつつ、あの日に叩かれた頬を擦るしぐさを見せた。
 暗闇での蔵馬の姿は、とてもよく映える。銀色の髪や白装束が、月明かりに反射してキラキラと輝いている。
 あの時と同じ。蔵馬と初めて出逢った時も、彼はこんなふうにきらめていた。
 全てが懐かしい。しばらく離れていたのに、再会した瞬間、蔵馬がどんどんと蘇ってくる。
 何故だか、涙が止まらなくなった。
「‥‥責めているわけではない」
 困ったように蔵馬が離れると、「ううん、違うの」とは首を横に振った。
「なんだか懐かしいなぁって思って。またこうして蔵馬に逢えるなんて、思ってなかったもの」
 蔵馬を恐れ、逃げるように人間界に帰ったことを後悔しているとは詫びた。
「あんな別れ方したから、蔵馬に嫌われたと思っていたの。それなのに、またこうやって蔵馬から話しかけてくれるなんて、思ってなかったから‥‥」
 自分から去っておいて、どの口が言うか。嫌われたと思って落ち込んだのは、むしろ蔵馬のほうだろう。
「もう、蔵馬に会いに行けないって。今さら、どんな顔をして蔵馬に会いに行けばいいのか?って、ずっと思ってたの」
 蔵馬は今までの疲れがドッと出たかのように、両手を腰に添えて項垂れた。
 ふと、心地よい夜風に交じって聞こえる虫の音に耳を澄ませる。に再会するまで、周囲を見渡す余裕もなかった。
 これから少しずつ、何かが良い方向へと変わっていくような‥‥そんな気がした。
「俺は何も変わりはしない」
「え?」
「お前が俺にどんな感情を持っているか、それを問うつもりは無い」
 愛したのだから、自分も愛してくれるかと問い要求するのは、ただの押し付け──エゴだ。
 蔵馬は壁に寄りかかって腕を組むと、目線だけに向ける。
「お前に何が起ころうと、俺は何も変わらん。今までも、これからもな」
 まるで昨日まで普通に会っていたかのように、あの時のままの関係にいつでも戻れるように、の居場所を残してくれている。
 蔵馬の言葉を静かに受け止めるかのように、も同じく壁に凭れながら、窓から覗く夜景を見つめてみる。
 蔵馬は何も言わず、何も聞かない。それがとても心地よくて、そっと目を瞑った。
 この時は、蔵馬についてもっと色んな事を知りたいと思った。霊界が書いた書物を通してではなく、目の前に存在している“蔵馬”の事を知りたいと。
 自分の事ももっと知ってほしい。色々と話したいことがある。聞いてくれるだろうか?
「フフッ」
 思わずが吹き出した。
「ごめん。ちょっと優越感に浸っちゃっただけ」
「優越感?」
「何でもないの。フフフッ」
 霊界が恐れる蔵馬。そんな彼と対等に話が出来ているのは自分だけ。そう思うと、なんだかくすぐったかった。
 が吹っ切れたような笑顔で蔵馬を見ると、タイミングよく、“まもなく業務終了”を告げるホテルのアラームが鳴った。
「あっ、売店!」
 は腕時計を見ながら、「私、朝に食べたっきりなのよ。どうしよう〜」と嘆いた。
「俺の部屋に来ればいい」
 意外なことに、蔵馬がを部屋に招いた。
「大丈夫よ、今から行けばまだ間に合うから。じゃぁまた今度‥‥」
 去ろうとする腕を、蔵馬が掴む。
「食い物は霊界鬼に用意させる。お前が腹を空かせていると言えば持ってくるだろう」
「え、でも‥‥そんなことさせられないわよ」
 蔵馬は首を横に振った。会いたくてたまらなかった者に、やっと再会したのだ。このまま別れたくはない。
「食い物を用意するくらい些細な事さ。なにせ霊界鬼は、俺たちを人間界に寄こす際にこんなものをくれているのだからな」
 それはが耳に取り付けているイアリングとは違い、“気”や“匂い”を限りなくゼロにできる装置が組み込まれているブローチであった。
 雲鬼と雷鬼が身に付けている物と同型である。
 雲鬼は全くの独断でブローチを渡し、魔界の穴を開けて蔵馬と黒鵺を人間界に通したというのだ。
 そうでもしないと、A級妖怪の蔵馬と黒鵺は人間界に足を踏み入れることが許されないのだという。
「雲鬼ったら、なんて危険なこと──」
「霊界人でも、霊界のやりかたが気に入らん奴はいる。霊界は決して神聖な世界ではない。お前はどう思う?」
 確かに、蔵馬の言う事も一理ある。
 そろそろ身の振り方を考える時期なのかもしれない。霊界の命じるまま、言いなりになって世界を転々として生きていくのは空しすぎる。
「あのね、蔵馬」
「俺の部屋で聞いてやろう。お前の思いや望みを全てを俺に聞かせて欲しい」
 蔵馬はが手にしていた懐中電灯を取り上げると、光で廊下を指し示しながら歩き始める。
 しかし数m進んだところで、がついてこないことに気付き、後ろを振り返った。
「何を突っ立っている。さっさと来ないと闇に呑まれるぞ。ここは妖怪の巣だ。お前の周りには、妖気の渦が取り巻いている」
「やめてよ!そんなこと言うの」
 ゾッとするようなことを言われ、は青ざめながら蔵馬の隣に必死で追いつく。
 蔵馬は満足そうに笑みを浮かべ、の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出した。
「でも、全部話したら蔵馬は私を嫌いになるかもしれないわよ」
「安心しろ。お前が何者だろうと俺は構わん」
「なによそれ。だったらわざわざ聞く必要ないじゃない」
「だが興味はある。お前の事を、俺は知りたいと思っている」
「だったら交換条件よ。蔵馬の事も私は知りたいわ。だって、霊界の本でしか知らないんだもの」
 蔵馬は、ある一室の前で立ち止まると、ドアを開けて部屋に入るよう促した。
「いいだろう、交渉成立だ」
 部屋へ入ると、蔵馬はの身体を引き寄せ、そっと口づけをする。
(やっと‥‥逢えた)
 妖怪が人間を愛せば堕落すると仲間を罵ったことがあるが、まさか当の自分が人間を愛すとは思わなかった。
 堕落するなど、全くの誤りだ。
 愛する者に再会し、心が震えているのが分かる。己の全てを賭けて守りたいと思い、それを心地よく感じている。
 蔵馬は、を抱きしめながら、固く誓う。
 必ず、霊界から切り離してみせる。

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