闇に咲く花 第3部−1話

「おじゃましま〜す。あら、美味しそうな匂いがするわね」
 知った匂いに喉を鳴らすに対し、「なんだ!このすげぇ匂いは」と鼻の前で手を仰ぐ黒鵺。
。一緒にどう?美味しいわよ」
 が居間に続く引き戸を開けると、テーブルの上に「ピザ」が置かれていた。
「うわぁ!ピザなんて久しぶり。ちょうどおなかが空いてたのよ〜。いただきまーす!」
 このピザは、ジョルジュが蔵馬に渡したものである。
 蔵馬は始めから、夜勤明けのをこの部屋に呼び、話がてら食事もついでに取らせようと思っていた。
 だが蔵馬は妖怪らに名が知れている為、売店や食堂に足を運ぶことを嫌悪した。
 それで、雲鬼に付き添っていたジョルジュに食べ物を調達するよう脅し気味に命じ、ジョルジュは二つ返事で了承したのだが‥‥よくよく考えれば、ジョルジュも気軽に売店に行ける立場ではないのに気付き、仕方なく出前の『ピザ』を頼んだのであった。
 初めて“ピザ”という食べ物を目にした蔵馬は眉を潜め、1ピースを手に取って試食したものの咽てしまい、食べかけのピースを窓から外に投げ捨てた。
 食事は質素(?)な妖怪にとって、これが食べ物だなんて信じられなかったようだ。
 しかし、はピザを見るなり目を輝かせて小躍りし、もここに招きたいと言い──そして二人は、高カロリーのピザを深夜にペロリと平らげたのである。

 さて、蔵馬達が泊まる選手専用室は、達が泊まる職員用に比べ、豪華な部屋だった。
 初日で敗戦したチームが強制退去となった為、空いた部屋を蔵馬と黒鵺が金で買ったのだ。
 どこでそんな金を用意したのか、達は問うことはしなかった。盗賊の彼らには愚問である。
 達は、自分らが宿泊する部屋と扱いの差を羨んだ。この部屋の窓からは、夜景が綺麗に見えるからだ。

 黒鵺は蔵馬に、昨夜と会った事を話し、その時思った『疑念』をぶつけていた。
 『は人間なのか?それとも妖怪なのか?』
 直接聞きたかったが怖くて聞けなかったと言うと、蔵馬は、「ならばお前は、『人間』と言われたら何故『妖怪』でないのかと女を責めるのか?」と聞き返した。
 黒鵺は、「もし人間だったら一緒に暮らせない」と嘆いた。
「お前の女が人間だったら、蔵馬はどうするつもりだ?」
 すると蔵馬は額に手をあてがい、面倒くさそうに深くため息をついた。蔵馬にとっては、そのような事はどうでもいいことだ。
 確かに、が妖怪ならば嬉しい。だからといって、妖怪だったら更に深く愛せるということではない。
 妖怪と人間では寿命の長さは遥かに違う。だが結局、100年生きようが1000年生きようが、死は突然に等しく降りかかる。
 盗賊をしている蔵馬は、命の危機に晒される経験を嫌という程味わってきた。
 生きるか死ぬか。食うか食われるか。そこに寿命の長短など無意味だった。
 蔵馬は物事の先々を見通す分、自分なりの答えを導き出した。
 には聞かない。聞くつもりも無い。聞いたところで、何も変わらないと悟ったのだ。
 蔵馬はそれでいいかもしれない。でも黒鵺は‥‥‥‥。
 黒鵺は、白黒ハッキリしないと気がすまない性質だ。確かにどんな結果でも受け入れるつもりだ。だが‥‥やはり人間かそうでないかを聞いておきたい。
「どんな結果でも受け入れなら、聞いても聞かんでも同じだろう。矛盾してはいないか?」
「それは‥‥。いちいちうるせぇんだよお前は!」
 黒鵺が「明日にでも聞く」と言い出すので、「お前に任せたら何を言い出すかわからん。仕方がない、俺が聞いてやるから待て」と蔵馬に制止され──それが今なのであった。

「それにしても、まさかここまで追いかけてくるとわね。周りの妖怪たちの視線、気にならなかったの?」
 が尋ねると、黒鵺は蔵馬を指差して笑った。
「ハハッ、そうなんだぜ。蔵馬とすれ違うたび、妖怪らが跪いて命乞いしてくるんだぜ。そりゃこっちも睨み利かせてるがよ、まだ何も言ってねぇっつ〜のに」
「黒鵺は?黒鵺も跪かれた?」
 そっぽを向いて静かにコーヒーを啜る黒鵺。彼はそれほど認知度は無いようで、少し不満そうだった。
「ったくよぉ。蔵馬蔵馬って‥‥」
 ブローチさえ外せば、妖力の差を見せつけてやれるのに──と、何度思ったことか。
「二人とも、あんまり目立ってコエンマに見つかったりしないでよ」
 実は、既にスタッフの間で噂になっているのだ。“あの妖狐・蔵馬”が武術会場にいるらしいと。
 しかし、その割には妖気が全く感じられないとか、妖狐の妖力はもっと凄まじい筈だとか、俺は対峙したことがあるが刺すような妖気だったとか──色々憶測が飛び交ったあげく、今のところは『他人の空似』で済んでいる。
 『盗賊は安易に姿を見せない』が、蔵馬率いる賊のルールだそうで。まるで忍者の心得みたいだと、は笑った。
「居るのに居ないか。伝説か幽霊みたいな扱いだな。それはそうと!ほんとに参ったぜ。俺がどれだけ探し回ったと思ってんだ。どうなってんだよ、無線が繋がらねーぞ」
「だって仕方ないじゃない。あの無線機は仕事中は持って歩けないもの。それに‥‥もう壊れちゃった」
 武術会スタッフ専用無線機と霊界で貰った無線機を併用すると、妙な誤作動を引き起こすのだ。
 が蔵馬と無線機で話していた時、会場支給の無線機とハウリングを起こして壊れてしまったのである。
「お前なぁ〜それは初めに言えよ」
「無線機が無いのにどうやって言うのよ。それに私たちは黒鵺が人間界に来てたなんて知らないんだから、知らせようと思うはずないじゃない。昨日会って、本当に驚いたわ」
 黒鵺が、を見つけられなかったと愚痴ると、二人は、書類上では『』『』という名前で通していると答えた。
 あくまでも書類上の理由。名札に実名を晒すのは危険というコエンマの判断だ。
 その為、その名前を使っているのはスタッフ間だけ。それ以外の観客らには「」「」なんだそう。
「どうりで見つかんねーわけだぜ。その名前、自分で考えて付けたのか?」
 黒鵺が聞くと、は「もともと人間界で使っていた名前」と答えた。
「人間には苗字というものがあってね、そこでは『』『』と名乗ってたのよ」
(人間の名前‥‥)
 身を乗り出して開こうとすると、それを蔵馬が制止し、彼より先に口を開いた。
 この状況なら、踏み込んだことでも聞けそうな気がする。
「俺が妖怪というのは、は知っているな?」
「ええ、もちろん」
「俺は自分の存在を隠す事はしない。お前が望むなら、俺についての全てを教えてやろう。少なくとも、霊界の偏った書物を読むよりは確実だ。しかしその前に一つだけ、どうしても聞きたいことがある」
 金色の目が、静かにを見据えていた。
 真剣な瞳。蔵馬が何を聞こうとしているのか、はすぐに悟った。私が“何者なのか”を聞きたいと──。

「私たち二人は、“人間”」

 蔵馬の目を見つめて、が答えた。
 まるで死刑宣告でも受けたかのように肩を落とす黒鵺を横目に、は再び口を開く。
「‥‥だと思います」
 蔵馬が、困惑したような表情を浮かべて聞き返す。
「“思う”──?どういうことだ?」
 は、腰掛けていたソファから立ちあがると、畳座に正座をし、二人にも座るよう手招きをした。
 いつになく神妙な二人の面持ちに、蔵馬と黒鵺も彼女らに対峙する形で、胡坐を掻いて座りなおした。
「黙っているつもりはありませんでした。私達は、自分を『人間』と断定する証拠を持ち合わせていませんでしたから、聞かれないかぎり答えないと決めていたんです」
 の瞳は、揺らぐことなく蔵馬に注がれている。の言葉は真実だと確証した蔵馬は、続きを話すよう促した。
 黒鵺は、事態を掘り起こした張本人でもあるにも関わらず、いざとなると話を聞くのが怖くなってしまい、この期に及んで「もう止めようぜ」と言い出した。
 真剣な話をし始めると話をはぐらかそうとする、彼の悪癖だ。
「お前は話したくないんだよな。分かった!だったら無理に聞くこたぁ〜ねぇよ。な、やめようぜ蔵馬」
 するとは、黒鵺の顔をしらぁ〜っと見つめて‥‥。
「黒鵺。本当は昨日、私に聞きたかったんでしょ?顔に『知りたい知りたい』って書いてあったじゃない」
 黒鵺が軽く舌打ちをすると、はこう続ける。
「でも──そうね、止めときましょうか。私の事を知ったら、きっと黒鵺は幻滅するし嫌いになるわよ。第一、私の身の上話なんて、聞いても面白くもない‥‥」
「なんねぇよ!たかがお前の過去を知ったぐらいで、この俺が変わるかよ!」
「“たかが”って何よ!私にだって、それなりの人生くらいあるわよ!」
「お前さっき、自分の身の上話は面白くないって言っただろうが」
「はぁ!?」
 たまらずが咳ばらいをする。蔵馬は、まるで軽蔑するような冷めた目を黒鵺に注いでいた。
 黒鵺は胡坐を組み直して背を正し、バツが悪そうに蔵馬に目をやった。
 静かになったところで、は話を続けた。
「私達が魔界に行く前、ジョルジュから聞いた話があります。魔界に入った人間の多くは生体機能が著しく低下し、時は死に至る。平気な者は“強い霊力”を持っている者だけだと」
 蔵馬はを指さしながら、「お前には霊気を感じるが、霊力は感じん。むしろ無いに等しい」
「そうです。私は一切の霊力を持っていないのに、魔界にすんなり入れています」
「おそらく、他に理由があるのだろう。霊界で調べられないのか?お前はコエンマの傘下にいると聞いている」
「確かに。ですがコエンマは孤児だった私達を拾っただけ。私達に降りかかった厄災については知っていますが、それ以外は知らないそうです」
「そうか。ところでお前を育てたのは、案内人か?」
「ええ。それが何か?」
「いや‥‥。ハンターに育てられなかったのが救いと思ってな。もしお前に霊界の偏向した思想が刷り込まれていたらと思うと、ゾッとする」
「ハハッ。それは言えてるな」
 は再び軽く咳払いをすると、話を続ける。
「私達を保護された時、まだ息のあった者がおり、『我らは“人”であることを捨てた報いを受けた』と言っていたようです」
「そいつは?」
「助からなかったそうです。その者の遺体を埋葬しようとした時、300年前に『茶飲み友達』だったと名乗る妖怪が花を手向けに現れたらしく、コエンマ様は大層驚かれたとか」
「その者に残っていたのは霊気のみ。人間のはずなのに、どうしてか──」
「私達の年齢ですが、あいにく私達にも分かりません。ですが私もも、50年以上は生きていると思います。年を経ても変わらない容姿は、人間界では暮らしづらく‥‥」
「それで人間界から逃げたのか?」
「おい蔵馬!」
「人間界では、年を取らぬまま同じ土地で生活し続けるのは不自然です。噂を立てられ詮議される前に、長命の者が暮らす魔界に来ましたが‥‥確かに逃げと取られても、致し方ありませんね」
「それで、魔界に来てどうだ?」
 話を止める間を与えぬよう、蔵馬はあえて矢継ぎ早に質問を続ける。
「やはり私は人間で、妖怪とは明らかに違うと思いました。霊力は無く、腕力も無い。しかし霊気がある以上は人間と分かってしまいます。妖怪から身を潜めて生活しなければならないと思うと、悔しかったです」
「そうよね。やましいことなんか無いのに、どうして隠れないといけないのよ」
「魔界に行く事を望んだのは自分達ですから、今さら帰りたいなど言えませんでした」
「迷っていたところに、運よく武術会行きの切符が手に入った──ということか」
「ええ。私たちはこうして、改めて人間界にやって来ました。ここは特殊な環境ですから、人間界と言うには語弊があるかもしれません。大会が終わったら、改めて──」
「無理だな」
 蔵馬が‥‥冷酷にを突き放した。
「お前が望むような地など、どこにもありはしない。探すだけ無駄だ。今まで気付かないとは──哀れだな」
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