闇に咲く花 第3部−2話

 蔵馬の冷徹な言葉に、皆が凍り付いた。
 今まで、蔵馬がここまでを突き放したことは無かっただろう。
「そっ、そんなことはないわ。絶対どこかにあるはずよ」
「断言はしないんだな」
「これから見つけるのよ!」
「今まで散々探して見つからなかったものが、これから探してそう簡単に見つかるものか」
「蔵馬だって、お宝があるかもしれないって聞けば盗みに行くじゃない。それと同じよ!」
「悪いが、俺はある“かも”の段階では盗みには行かんな。まずは情報収集。あてなく探したことは一度も無い。お前はどうだ?あては?今までにどの程度の情報を手にいれたんだ?」
 はついに、蔵馬に言い負かされて涙ぐんでしまった。蔵馬に弱みを見せたくない意地で、かろうじて涙は頬を伝わずに堪えている。
 蔵馬はそんなを見ても表情を変えることはせず、どう反論してくるか待っているようだった。
「蔵馬さん。言いすぎではありませんか!?」
 たまらずが声を荒げ、黒鵺に目配せしながら助けを求めた。
「よせよ蔵馬。お前、人間界に来てからなんか変だぞ。一体どうしたんだ?」
 今まで傍観していた黒鵺が、蔵馬の肩を掴んでなだめた。
「人間界に来てから変った‥‥か。確かに、俺はもう、魔界に居た頃の俺ではないからな」
「どういう意味だよ」
 蔵馬は既に、が居なかった頃の生活に戻れない。と出逢った瞬間に、自分の中で何かが変わった。
「黒鵺、お前もそうではないのか?」
 愛する者を得て、守りたいと思った瞬間、今までの生き方や考え方‥‥全てが覆るほどに変化した。
 自分の命を賭けても守りたい者が現れるなど、想像すらしていなかったのだ。
「俺は、お前と共に生きたい。共に生きられるのなら、俺は住む世界に拘りは持たない」
「それって‥‥」
「お前が人間界に行くというのなら、俺も行くということだ。お前が存在しない世界に居ても意味がない」
 蔵馬のその言葉は、黒鵺の脳裏にずっとあった靄を晴らしていくようだった。
 が人間だったら?妖怪だったら?その悩みの全てが、すぅっと消えていくのを感じた。
 黒鵺だってそうだ。と出会う前、自分がどうやって生きていたのか、今では遠い昔のことに思える。
 いつも共にいるのが当たり前。もはや離れるなど考えられない。昔の自分とは明らかに何かが変わっていた。
「そんなこと言って、私が人間界で住むって言ったらどうするの?どう生活していくつもりよ。妖怪なのに」
 蔵馬は、そんなことはどうとでもなると言ってのけた。
「人間界に住み辛いというならば、また魔界に住めばいいだけの話だと思うが、それではいけないのか?」
「それは‥‥」
「お前が魔界を去ろうする理由はなんだ。やはり俺が恐ろしいと──」
「そんなことない!私だって蔵馬と一緒にいたいわよ!」

 一瞬の静寂。

 それは単に、蔵馬が寂しそうな顔を見せた為、取り繕うように咄嗟に出た言葉だった。
 は、自分が発した言葉を反芻するかのように、顔を両手で覆って項垂れた。
 自分の事しか考えていなかった。言い合いになって引くに引けず、つまらない意地を張って蔵馬の心を振り回した。
 蔵馬がの事をどう思ってくれているか、考えようともしていなかった。
 蔵馬と再会した時、蔵馬は優しく気遣ってくれていたのに、自分は一体何をやっているのだろう。
 全く成長していない。蔵馬がに会って変わったように、も変わらないといけないのに。
 『蔵馬がいる所』に一緒にいたい。それこそが本心‥‥素直な気持ちだ。

 どこに住んだって良い。だったら魔界に住めばいい。ただ、それだけなのに──。

「あなたといると、自分の心を見透かされそうで自暴自棄になるわよ。でも‥‥魔界に安全な場所ってあるのかしら?私は人間だから、妖怪に狙われちゃうんでしょう?」
 “人間”という理由だけで、理不尽にも危険な目に遭ってきた。だがそのリスクを排除する手立ては、現状存在しないのが悲しい。
 しばらく首をかしげていただが、名案を思い付いたかのように、ふっと顔を上げた。
「そうだわ!いっそ私が妖怪になればいいのよ」
 蔵馬の瞳が、途端に険しくなった。
「コエンマに聞いたことがあるの。斬ったら妖怪になれる剣があるって。霊界のどこかに保管されてるらしいの。私、それを使って妖怪に‥‥」
「よせ!!」
 蔵馬が壁を激しく叩いた。
 部屋が揺れるほどの衝撃音に、三人は驚いて一斉にのけ反った。壁を叩きつけた衝撃で、窓ガラスには小さな亀裂が入っている。
「その剣の存在は俺も知っている。確かに、それを使えば妖怪になれるかもしれんが、使うことは決して許さん。お前の身は俺が守ると約束する。だから決して妖怪になろうとするな。望むのもやめろ。お前は人間のままだ。分かったな!」
 蔵馬の額から一筋の汗が滴り落ちた。血の滲む自身の手に舌打ちしながら、片方の手で覆い隠す。
 がなかなか首を縦に振らないので、蔵馬は更に声を荒げた。
 その剣は『降魔の剣』という霊界秘宝だ。霊界の書物で知ったのだろうか。
(まさか、が『降魔の剣』を知っているとはな‥‥)
 このまま放っておけば、の性格からして「ちょっとだけ♪」といって実験しかねない。蔵馬も止めるのに必死だ。
 二人を横目に、と黒鵺がボソボソと囁きあう。
「ねぇ黒鵺。その‥‥妖怪になれる剣って、本当にあるの?知ってる?」
「いや‥‥?」
「盗賊なのに知らないの?」
「そう言うなよ。知ってる蔵馬がすげぇんだよ。っていうか、お前の連れの女こそ、何で知ってんだよ」
 黒鵺は、明らかに取り乱している蔵馬の姿に、その剣が相当ヤバい代物だということを知る。
 蔵馬には悪いが、ほどの好奇心がなく、詮索好きでもないことに胸を撫で下ろしていた。
(あの女、他にも相当色んなこと知ってやがるな)
 もはや黒鵺とは蚊帳の外だった。
「いいか。決して使わないと、今ここで俺に約束しろ」
「どうして蔵馬に約束しないといけないのよ!」
「お前が剣を使おうとしているからだ!」
「言ってみただけよ!本気にしないでよ!」
「使うつもりがなければ、効用を詳しく調べたりはしないはずだ!」とを指さしながら声を荒げる。
「お前ならやりかねん。お前の性格は、俺が一番よく知っている。全くお前は目を離すと無謀なことばかり‥‥」
「失礼ね!私はそんなに無謀じゃないわよ」
「どうかな。お前は、俺の忠告を無視したことはないと言うのか」
 蔵馬は口が立つ分、に正論を吐き続けるが、あまりにも正論ぜめだと腹が立ってくる。
 つまらない意地を張るのはもう止めようとか、自分も変わらなきゃとか反省したばかりなのに、結局こうなってしまう。
 ただ、蔵馬に心を許したせいか、言いたいことがポンポンと口に出てきた。
 蔵馬の言葉が正論であればあるほど、は言い負かされないよう反論する。
 蔵馬は、いつになく反論してくるに驚きと焦りを感じていた。
 更に語気を荒げ、が「剣を使わない」と言うまで説得し続けるという、まさに泥沼のような言い争い。
 しまいには互いの欠点を罵り合うレベルに達し、を日頃からよく見ている蔵馬の方が断然有利な為、ついには反論できずに固まってしまった。

 一通りの言い合いが済んだのを見計らい、蔵馬は声を落とし、静かにに問う。
「確かに、魔界が安全だという保証はない。だが、お前の身は俺が守る。約束しよう。それのどこか納得できない?俺に守られるのは不安か?自慢ではないが、俺はこれでも盗賊を率いる“頭”なんだがな」
「蔵馬に守られるのが不安なわけじゃないわ。でも‥‥なんか嫌なのよ」
「どういう意味だ」
「だってそうでしょ。私はひたすら蔵馬に守ってもらうだけって事よね?もし強い妖怪が襲ってきたらどうするの?私は蔵馬に守ってもらえるからいいけど、蔵馬の事は誰が守ってくれるのよ。一方的に守ってもらうだけの立場なんて、情けなくて嫌なの」
 も、これには同意した。だが妖怪と人間との力関係では、必然的に人間が守られる立場となる。
 すると、ずっと話を聞いていた黒鵺が、しびれを切らして口を開いた。
「おいお前ら、これ以上面倒くせぇ話は無しにしてくれよ。頭が痛くなってきやがった。確かに、俺はを守ってるさ。でも仕方ねぇだろ。だってお前は人間なんだぜ?」
 は、『それは答えになってない』と反論した。
「仕方がないで片づけないでよ。ひたすら守られっぱなしの立場って辛いのよ。それでなくても、争いが起きる原因の殆どが私に有るのに!」
「“人間”だから狙われるってやつか?でも、それはお前の責任じゃねぇ。そうだろう?」
「それはそうだけど‥‥。でも、それが延々と続くのよ。私が魔界にいる限り、終わりなんてないのよ」
「構わねぇ」
「黒鵺が私を守ってくれたとしても、私は何も返してあげられないのよ。それがどんなに悔しくて空しいかわかる?黒鵺の傷が治るまでは、私は罪悪感を感じるんだから。もし、私のせいで黒鵺が死んじゃったら──」
 が「そうそう」と頷くと、蔵馬は、面倒くさそうに腕組みをしてため息をついた。
「安心しろ。貴様に謝罪や責任を求めたりはしない。こいつが勝手に貴様を守っての結果なら、俺も部下も受け入れるさ」
 蔵馬だって、いつを庇って死ぬかわからない。それはお互い様だ。
「先ほどからお前たちは、自分が抱く罪悪感ばかり挙げているが、こちらも条件は同じなんだがな。が傷つけば、怪我を負わせた罪悪感が生じる。まして死なせてしまったら──」
「でも、それは蔵馬のせいじゃないわ」
「ならば、お前を庇って俺が死んだとしても、それはお前のせいではない。違うか?」
 は黙り込む。なんだか変な理屈だが、口では絶対に蔵馬には勝てないので反論はしない。
「“人間”という生き物は、つくづく面倒でよくわからんな。『守られても何も返せない』と言ったな。俺に守られたら、礼や報酬を与えねばとでも思っているのか?この俺が、助けた見返りを求めていると──」
「なんだそりゃ。ふざけんなよ!俺がお前を守って、それを“貸し”にするとでも思ってやがんのか!?」
 さすがの黒鵺も声を荒げ、横で聞いていた蔵馬はフッと笑った。
「例えお前が俺に守られることに罪悪感を抱こうが、お前に降りかかる危機を傍観などできんからな。これは、俺が勝手にやっていることだ。礼は求めんし、むろん見返りなど不要だ」
 もしが死ねば、蔵馬にとっては生きる理由が無くなることに等しい。ある意味自分の為にを守っているとも言えるかもしれない。
「そんなに俺への報酬が気になるなら‥‥そうだな。労わりの一言でもかけてもらおうか。俺はお前を助けたいと思い、助け、助けることに成功した。安堵した先にお前の生きた姿があれば、それで満足だ」
「単純すぎない?」
「“人間”が複雑なだけだ」
「いつか、私を盾に取られて殺されても知らないわよ。そうなったら、私の負う罪悪感はどうなるのかしら」
「俺が勝手にやったことだ。お前が罪悪感を感じる必要はない。何度も言わせるな」
「遺される黒鵺さんやお仲間の事も考えてあげてよ。賊長が人間庇って死んだなんて、笑い話にもならないわ」
「勝手に言わせておけ。お前を失うよりはいいさ。お前を失って独り遺されるのだけは、ごめんだからな」
「大袈裟ね。私と出逢う前の生活に戻るだけよ。千年ぐらい、私がいない世界で生きてきたんでしょ?すぐ元の生活に慣れるわよ」
「言ったはずだ。俺はもう、昔の俺ではないとな」
 もはやに、反論できる言葉は見つからない。の言葉を、蔵馬は全て覆いかぶせていく。
「お前が望む世界はどこにある。先ほどの言葉、真実ならばもう一度聞かせてほしい」
 蔵馬がそっと囁くと、は血のにじむ蔵馬の手を優しく包みこんだ。
 蔵馬のがっしりした指。でもとても冷たくて、指先は小刻みに震えていた。彼が抱いていた恐怖感が伝わってくる。

「私、魔界に住む。ずっとずっと‥‥蔵馬と一緒にいるわよ」


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