闇に咲く花 第3部−3話

 久々に気持ちのいい朝を迎えた。
 抱えていた全ての悩みが綺麗さっぱり晴れ、は晴れやかな顔をして医務室のドアを開ける。
 清々しすぎるの背中を見つめながら、も職場となる医務室へと入っていった。
 気が付けば、暗黒武術会の本戦も今日で3日目となる。試合は第5試合まで進み、もうそろそろ「ベスト8」が決まりそうだ。
 らの勤務形態も『夜勤』から『日勤』担当へと代わり、これから武術会の終了まで、本格的に目の回るような忙しさになることだろう。

 ‥‥と思っていた。

 だが拍子抜けもいいことに、一昨日は二人。昨日は一人と、医務室はほとんど閑古鳥状態だった。
 待てど暮らせど一向に患者は来ず、むしろ予選の方が多忙であった。
 たちはこれといってやることがなく、暇をもてあそんでいた。
 そんな中で唯一の日課になったのは、毎朝、新聞のように送られてくる『本日の暗黒武術会トーナメント表』を読むことと、 ケンカして処置室に担ぎ込まれては、「医者は嫌いだ!」と捨て台詞を吐いて去っていくという‥‥人間には理解できない妖怪の後ろ姿を見送ることだった。
「なんで帰っちゃうのよ。治療すれば早く治るのに」
「そうよね。先ほどの方は選手よ。治療費もタダなんだし」
 そんなこんなで──。
 は日中、蔵馬と必ず2回は擦れ違った。
 試合が進むにつれ人の出入りが激しくなるため、人目につく日中は観客とスタッフの関係でいようと決め、互いにすれ違っても会釈程度で、言葉を交わすことはなかった。
 黒鵺とも勿論条件は同じだが、二人とも顔に出やすい性格の為、毎回ぎこちなくすれ違っていた。

 ある日の朝。医務室に届けられたトーナメント表には、ついに『決勝戦』と書かれていた。
 今日も特にこれといってやることがないので、会場の棟を分担し、パトロールを兼ねて会場を探索していた。
 同僚には、「警備員じゃないんだから、医者がパトロールしても意味がない」と笑われたが‥‥とにかく二人とも、動いていないと落ち着かない損な性分だった。

「おい、前を向いて歩け」
 歩きながら読んでいたトーナメント表を背後からすり取られ、は呼び止められた。
「蔵馬!」
「隙を与えるなと忠告したいが、それ以前の話だな。全くお前は、背後から敵に殺されても気づかんかもしれん。ここが人間界だからと油断するな」
 地下の貯蔵室の区画を歩いていた。どうしてこんなところで蔵馬に会ったのだろうと、首を傾げた。
 スタッフ以外、立ち入る用事の無いフロア。自分の声が反響するほど、周りには誰もいないのだ。
 咄嗟に耳に手を添え、イアリングが装着されているかを確かめる。今の自分は、霊気も臭気も感じないはずなのに。
「蔵馬、どうしてここに?」
「通りがかったらお前を見つけたからな」
「‥‥さすがに不自然じゃない?この場所は」
 絶対尾行していたでしょうとが問うと、蔵馬はバツ悪そうに眼をそむけた。
「お前が“ながら歩き”をして気になっただけだ。これでも一応は声をかけたんだがな。前をろくに見ず、周りの声を聞きもせん。何か遭ったらどうするつもりだ」
「大丈夫よぉ。ここは人間界なんだから」
 は、心配性な蔵馬を小ばかにするように笑いながら、手を差し伸べる仕草をしてみせた。
「その紙、返してくれない?」
 せっかく二人で会ったのに、そんな会話しかないのかと、蔵馬はため息をついた。
 すこし苛立ちながらも、蔵馬は取り上げたトーナメント表を一瞥してに手荒く返した。
「闘いを観に行くつもりならやめておけ。妖気や霊気が見えんお前が観に行っても、大して面白くはないだろう」
「行くつもりはないわ。けど‥‥」
「けど?」
「闘ってはいるんでしょう?蔵馬は観に行った?」
「他人の闘いに興味はない。それに、俺はスタジアムに入るべきではない」
「そっか。会場に蔵馬がいるってバレたら大変だものね。スタッフの人はあなたのこと、まだ『他人の空似』だと思ってるのよ。そのブローチ凄いでしょ。魔界に帰るまで絶対外さないでね」
 蔵馬は、一応は我が身を心配してくれているの言葉を聞きつつ、「お前は武術会に興味があるのか?俺の存在に気づかんほど熱心に読んでいたが‥‥」と、少し嫌みを含めつつ尋ねた。
 するとは、試合が行われているにも関わらず、全く患者が来ない為、やる仕事が無いと愚痴った。
「働かされるのが望みなのか?」
「そんな『奴隷』みたいに言わないでよ。でもねぇ‥‥他のスタッフ達は忙しく働いているのに、私たちは暇なのよ。医者って結局、患者が来ないと始まらないのよね」
「そうか。だったら俺が二人ほど怪我人を作って、後で医務室に届けてやろう。怪我の程度に希望はあるのか?」
「止めてよ!怪我人を作るなんて──。怪我人は、出ないに越したことないの!」
「意味が分からん」
「患者が出ないに越したことないれけど、試合しているのに患者が出ないのがおかしいのよ」
 何を矛盾した事を言っているのかと、今度は蔵馬は首を傾げる番だ。
「もしかしたら、誰かが選手達に「医務室に来るな」と脅しているのかしら。蔵馬は‥‥脅してないわよね?」
 は、「蔵馬を疑ってるわけじゃないのよ」と断って聞いたのだが、蔵馬は「それを“疑っている”と言うのだろう」と、眉をひそめた。
「怪我人が出る事を望んでいるわけじゃないけど、あれだけ派手に闘っておいて、どちらも怪我をしないのは不自然なのよね」
 なんだかんだ言いながら、結局は試合を観戦していたようだ。
 好奇心の強いのこと。今更驚きはしないが、新たなトラブルの火種を抱えそうで、蔵馬は項垂れた。
「妖気の見えない人間のお前が立ち入る場所ではないと思うが‥‥」
 は、自分が考えた仮説を蔵馬に話した。負けたら生きて帰っても殺されてしまう?患者がどこかに横流しされてる?医務室に行くなと命令している人がいる?
 3通りの仮説を聞いた蔵馬は、あざ笑うかのようにを見据えた。
「深そうだが、稚拙な考えだな。良い一例が俺たちの身近にいるのに、気づかないのか?」
「一例?誰のこと?」
 まだわからないのかと、蔵馬は腰に手を当て、子供に教えるようにに目線を落とす。
「黒鵺はあの後、医務室で治療を受けたのか?」
 あっ!と、は蔵馬を指さした。
 黒鵺はあの日、誤って脇腹を自身の鎌で斬ってしまい、それでもを医務室まで届けてくれた。
 用が済んだらそのまま帰ろうとした為、ついでに治療した方が良いとは何度か引き止めたのだが、必要ないと言って断ったのだった。
「妖怪は矜持の強い生き物だ。他者に頼って我が身の弱さを周囲に晒すことはない」
 自分にも勿論それがあると、蔵馬は断言した。
「俺が攻め入った賊内でも、隙あらば頭の寝首をかこうと企んでいる奴は必ずいたな。頭の負傷は絶好の機会だ。その瞬間に崩壊した賊もある。仲間でさえそうだ。武術会は『5人制』だからと取ってつけたチームなら、互いをはなから信用していないことが多い。医務室に行って、自分の弱った姿を暴露する愚か者は殺される」
 黒鵺の場合は、に傷の重さを診せて心配をさせたくなかったからだろうと、蔵馬は言った。
「黒鵺さんって、変なところで気を遣うのね」
 それは妖怪の堪え性とでもいうのか。なんだか人間界の野生動物に似ている。
「蔵馬だったらどうする?行ける?医務室に」
「俺は武術会の選手ではない」
「選手でなくても、何があるかわからないわ。ねぇ、蔵馬だったらどうする?」
 が心配そうに蔵馬を見つめている。
 蔵馬は、そんなの髪を撫でながら囁いた。

「お前が治してくれるなら」
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