闇に咲く花 第3部−4話

 今日、は朝からソワソワしている。
 医務室に『決勝戦』のおしらせが届けられたのだ。
 今までは「○○チームvs△△チーム」と、チーム名だけが掲載されていたが、大会も決勝戦ともなると、チーム内の選手にもスポットを当てているらしく、興味をそそられるようなパンフレット形式になっていた。
 気合の入り具合が読み手にもビリビリと伝わってくる。
「えっと──。ん?」
 朝食のサンドイッチを頬張りながらパンフレットを読んでいるの手が、ふと止まった。
「幻海さん?えっ、あの子って副将だったの?」
 にもパンフレットを渡して見せると、も『幻海』の名前に驚きを見せた。
「ねぇ。せっかくだから応援に行かない?仕事が終わってから駆けつければ、ギリ間に合うわよ」と、を誘った。
「ごめん、私パス」
「え〜何で?、初戦しか観なかったじゃない。せっかくの武術会よ。決勝戦を観ないで帰るつもり!?」
「だって‥‥妖気も霊気も見えないから、観ててもつまんないんだもの。だって、何がどうなってるのかわからないって愚痴ってたじゃない」
 一応職員の為、スタジアム内で試合を観戦する権利は貰っているが、にとっては、代わりに売店に職員割引でも付けてくれたほうがありがたかった。
 も初めはそう思っていたが、権利があるなら観なければ損と、観戦しているうちに楽しくなってきた。
 例え妖気や霊気は見えなくても、「武術会の雰囲気」の中に居るのは心地よい。
 熱弁を披露して「決勝戦を観よう」と再度誘ってみるが、は頑なに「私は行かない」と断ったのだった。


 仕事終わり。がスタジアムに向かうと、ちょうど決勝戦を行っていた。
(あの子‥‥幻海さんだわ!)
 彼女は、リングに立つ味方の男性を心配そうに眺めていた。
 格闘家なのか、体操選手のように華麗に回りながら、相手選手に技を繰り出していた。
 男性の対戦相手は、10mはあろうかと思うほど大きい妖怪で、どこか気味の悪い笑みを浮かべている。
 の言うとおり、は人間だから妖気や霊気は全く見えないけれど、幻海チームの格闘家の男性は肉弾戦を使っているし、相手の妖怪も実体のある武器で戦っているから、観戦に支障はない。
 幻海チーム側の男性が攻撃され、嘆くとは反対に、観客の妖怪達は大歓喜で、なんとなく癪に障った。
 格闘家の男性がダウンして審判がカウントコールする度、無意識のうちには一歩ずつ前進し、いつしかスタジアムの一番前の席で試合を観戦していた。

 数分後。
 生暖かい風が体に纏わりついてくる、変な感覚に陥った。
 静電気を帯びたような風が、ピリピリと頬に擦れる。
 周りに空調の吹き出し口など存在しない。不気味な風が、足元から徐々に這い上がってくる。
 次々に観客らがざわめきだす。
 不安になったがキョロキョロしていると、両隣の妖怪が「やべぇ」と呟き、身を屈めて椅子の後ろに隠れた。
 なんとなくも彼らに倣い、身を屈めようとしたとき──。

「逃げろ!」

 背後から叫び声が聞こえた。
 瞬間、周囲に爆音が響いて、体を鈍器で殴られるような衝撃に襲われ、意識が朦朧となった。
 体を宙に持ち上げられるような感触。咄嗟に椅子を掴もうとしたが、手は空をかすめ爆風に舞い上げられた。
 何が起きたのか理解できない中、スタジアム中から轟く悲鳴だけが鮮明に耳に届いた。
 の体は木の葉のように巻き上げられ、土煙の中に埋もれていった。

 会場がざわついている。
 目を開けると、天井ライトの眩しさに目が眩んだ。
(ここは‥‥。何があったの?)
 言葉を発しようと口を開いたが、土でジャリジャリして気持ちが悪かった。
 口を拭うため手を動かそうとするものの、全身に激痛が走り指ひとつ動かせない。

「生きてるぞー!」
「こっちだー!」
 悲鳴のように叫ぶ群衆の言葉で、ようやく事態が呑み込めてきた。
 思い出した。
 武術会の決勝戦を最前列で観戦していて──爆発の煽りを食らって吹き飛ばされた。
 吹き飛ばされる中で、「逃げろ!」という叫び声と共に体が持ち上げられ、もがく間もなく、そのまますごい勢いで飛ばされた。
 あの時聞こえた声は‥‥。空耳にしてはハッキリと聞こえた。何だったのだろう。
 激痛を堪えて身体を起こそうとした時、銀色の髪が、の視界に入った。
──え?
 天井を見つめたまま辺りを手探り、指に絡まった髪を手繰り寄せる。
 長いストレートの銀髪だった。
(うそ!)
 が這うように起き上がると、蔵馬の身体がズルリと崩れ落ち、慌てて彼の体を抱きとめた。
 あの爆発の瞬間、蔵馬はスタジアムからを引きずり出そうとするも、間に合わず、を抱えたまま立見席まで飛ばされたのである。
 を庇うのに必死で受け身を取る暇さえ無かったのか。前兆があったとはいえ、爆発が如何に突発的なものであったのかがわかる。
 は、カタカタと震える手を必死に抑えながら、蔵馬の体を仰向けに寝かせた。
「蔵馬!」
 の呼びかけに、蔵馬は全く反応しない。目は固く閉じられ、うめき声の一つすら上げる気配もない。
 大急ぎで、ベルトに装着していた無線機を取り出して助けを求めた。

「キャー黒鵺、急に動かないで──!!」
 ベッドに凭れて胡坐をかいていた黒鵺が、突然跳ねるように立ち上がった。
 黒鵺の横、本を読みながらコーヒーを啜っていたが悲鳴を挙げる。
「あ、あぁ悪いな」
「危ないわね!もしホットだったら火傷を‥‥。どうしたの?」
 こめかみに汗を滴らせる黒鵺の表情を見て、思わず尋ねた。
「感じる‥‥。蔵馬の妖気だ」
「妖気?蔵馬さんの?どうして。だってブローチ‥‥」
 人も妖怪も固有の霊気や妖気を持っていて、鼻が利く妖怪ならそれを感知できる。その能力が蔵馬と黒鵺にあることはも知っている。
 しかしブローチを装着していれば、霊気も妖気も限りなくゼロに近い状態にまで抑え込まれるため、ある程度接近しないかぎり感知は不可能なはずだ。
「つけ忘れかぁ。意外に蔵馬さんも、そういう所あるのね」
「いや‥‥」と黒鵺は目を閉じ、微かに漂ってくる妖気に集中する。
「やばいぜ。何か遭ったに違いない」
 その言葉に、の顔が曇った。
「蔵馬の妖気を感じるが、とても弱ぇ。蔵馬の妖気っていえば、刺すように強いんだ。妖気に触れるだけで妖怪が逃げだすぐらいにな。俺の計算じゃぁ、蔵馬の妖気は1キロ先でも桁違いなぐらい鋭いんだ。それなのに‥‥今はとっても弱い。消えちまいそうなぐらいだ」
 黒鵺が何を伝えようとしているのか、はすぐに理解した。
「大変!!」
 ベッドから立ち上がるなり、白衣を着て腕章を腕に装着する。
「医務室に行ってるわ。黒鵺は蔵馬さんを見つけて連れてきて。妖気を辿れば分かるんでしょう!?」
「お前、もう今日は休みじゃ──」
「そんなこと言ってる場合じゃないわ。それにもし、治療するにしても、黒鵺も蔵馬さんも他人には診られたくないでしょう?蔵馬さんにとっては、私も他人かもしれないけどね」
「‥‥すまねぇな
「気にしないで」
 が無線機を腰に差すと、けたたましい音で呼び出し音が鳴った。
 黒鵺とが顔を見合う。嫌な予感は当たった。
 が泣きながらに助けを求めてきたのだ。
 落ち着くように伝えるが、スタジアム内の救護班を呼ばず、に助けを求めている時点で、冷静な判断は欠如している。
 はドアを指さし、黒鵺に『先行ってて』と合図を送った。
「今から黒鵺がそっちに向かうから待ってて。いい?よく聞いて。診立てる貴方が怖がれば、黒鵺が恐れるわ。お願いだから冷静になって!!」

 は、ぐったりとしている蔵馬の姿に、異様な恐怖を感じていた。
 止血剤を使うものの、みるみるうちに白装束が赤く染まっていく。
(どうしよう‥‥‥‥。どうしよう!)
「しっかりして蔵馬。死んだらだめよ!」
 胸に耳を当てると、蔵馬の心音が聞こえてくる。
(大丈夫‥‥。きっと大丈夫!)
 は自身に言い聞かせ、なんとか平常心を何とか保とうとしていた。
 しかし‥‥。
 背後に迫る足音が聞こえ、恐る恐る振り向くと‥‥。妖怪らがと倒れた蔵馬をじっと見下ろしていた。
 ニヤニヤと、不気味な笑みを浮かべている。善意で助けに来てくれたのではないと悟った。
(野次馬──?)
 が声をかけようとした時、一匹の妖怪が口を開いた。その言葉はを戦慄させ、震え上がらせた。

「おい姉ちゃん。こいつ、『妖狐・蔵馬』なのか?」

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