妖怪たちがの周りを取り囲みだした。 遠くにいた妖怪たちも、なんだなんだと、わらわらと集まってくる。 「どうした?」 「妖狐蔵馬だってよ」 「冗談だろ」 「こんな所にいるかよ」 最初こそ、“そんな筈はない”と言い合っていた連中だった。しかし──。 「でもよ、俺の仲間が聞いた話に姿が似てやがる。銀色の髪を腰まで垂らした白装束の男って話だ。鋭く殺気だった金目がすごくて、目が合っただけで身が竦んじまうんだとよ。それでな──」 その男は、まるで自分が妖狐蔵馬に会ったことがあるかのように語った。妖狐蔵馬と対峙して生きて帰れること自体が極めて稀な為か、自慢げである。 「そういえば、俺の仲間も見たことあるって言ってたなぁ。でも‥‥こいつは別人だと思うぜ」 「なんでだよ」 「こいつが本物だったら、妖気は凄まじいはずだろ?なのにこいつは、ほとんど妖気を感じないじゃないか」 が蔵馬の腰に目をやると、妖気を抑え込むブローチが破損していた。 ブローチが破損しているならば、妖気は解放されているはず。それなのに、ほとんど妖気を感じないってことは──。 その意味を理解した瞬間、体中を悪寒が走りぬけた。 「ほとんど妖気を感じないってことは、尽きたってことじゃねぇのか?ヘヘッこりゃぁいいや。今なら俺たちで簡単に妖狐蔵馬を殺せるってことじゃねーか!」 「ってことは、こいつを殺せば俺達の名も上がるな。よし、今のうちにやっちまおうぜ!」 妖怪たちは口々に言い合い、武器を構える。 「やめて──!!」 咄嗟には、倒れ込むように蔵馬の上に覆いかぶさった。 蔵馬の吐息が耳元で聞こえる。蔵馬の意識は無いはずなのに、『逃げろ』という囁きが聞こえた気がして──は首を横に振った。 妖怪が、の肩を掴んで引き剥がそうとする。 ここでどいたら、蔵馬は絶対に妖怪たちに殺される。死んでも離れるものかと、蔵馬を抱きしめた。 「ほら、どけよ姉ちゃん。じゃないと一緒に斬っちまうぞ。俺の斧にかかれば、お前みたいな女なんか真っ二つだぜ」 ヘラヘラとほくそ笑みながら、妖怪たちはを見下ろしているのだろう。 『たかが人間を庇って妖怪が死ぬなんて、とんだ赤っ恥だな』 妖怪の一人が呟いたその言葉は、とても悔しくの耳に響いた。 人間なのに武術会を観戦して熱くなって。妖気なんか見えないくせに、馬鹿みたいに目の前で観て。 こんな愚かな自分、庇ってやる価値なんかない。妖怪たちの言うとおりだ。 でも、この場から退いて蔵馬を殺されてしまったら、せっかく助けてくれた恩を仇で返すことになってしまう。 「──どかないわ」 泣いて命乞いをするを望んでいた妖怪達は、目を丸くして首を傾げた。 は、肩に付けている『医者』の腕章を妖怪たちに見せつけた。 「私は医者です。私を殺したらタダじゃすまないわよ!それに私は──」 耳に填めていたイアリングを外す。隠していた霊気を晒し、自分が『人間』であることを暴露した。 武術会で働く職員を殺せば重罪。ましてや人間を殺せば死罪。 「殺せるものなら殺してみなさいよ!」 この規則に賭けて威嚇するしか、もはや選択肢は残されていなかった。 すると、妖怪たちは一瞬怯んだものの、一体何を言っているんだと嘲笑った。 「おい姉ちゃん。だから何だってんだ?それで俺たちがビビッて逃げ帰るとでも思ってんのかよ」 「‥‥!」 『腕章なんか役に立たない』という、蔵馬の言葉が突き刺さった。 てっきり、を脅かすための蔵馬の冗談だと思っていた。 しかし、もう後には引けない。 蔵馬だったら、どうやってこの事態を切り抜けるのだろう。きっと打開策を持っているに違いない。 (あぁ、前もって聞いておくんだったわ) しかし聞いたところで、きっとこう言うに決まってる。『決して正体は明かすな。自分を放って逃げろ』と。 とにかく“わが身の安全が第一”。事あるたびに蔵馬から言われていた。人間だと明かしたところで、引き下がる妖怪は存在しない。腕章の意味は無いのだと。 蔵馬の言った事は正しい。そう、いつだって正しい。でも──。 (そんなこと言ったって‥‥。あなたを置いて逃げられるわけないじゃない) あの時は、「大丈夫。勝手に逃げるから安心して」と答えたものの、実際にそういう状況に追い込まれれば、ほらやっぱりだ。 蔵馬の怒号が飛んできそうな気がして、怒ってる?と囁きながら、彼の髪をそっとすいた。 いつもいつも、守られてばかりなのが嫌でたまらなかった。どうすれば彼を守れるのか、ずっと考えていた。 そう考えていたのに‥‥。彼を助けるどころか、逆に命の危機に陥らせている。 所詮、人間が妖怪を守ろうなんて、身の程知らずもいいとこだ。ましてや、蔵馬の力を知っている妖怪が聞いたら『何様』って話だろう。 でも、それでも‥‥蔵馬を守らなければと思う。蔵馬をこんな目に遭わせたのは自分なのに──? 蔵馬は命を懸けて守ってくれた。だったら、こちらも命を懸けて応えなければ申し訳ない。彼が目覚めたとき、合せる顔がない! 「威勢がいいな姉ちゃん。人間にしては、なかなかやるじゃねぇか。人間じゃなかったら俺の女にしてやったのになぁ。人間が妖怪を庇うなんざ、1000年早いんだよ!」 「人間人間って────人間だったら、なんだっていうのよ!」 外したイアリングを握りしめ、投げつけてやろうと拳を振り上げた。 「やめろ!一体なんの騒ぎだ!?」 一触即発の空気を打ち破った声。不意打ちとも思える怒鳴り声に、一同はたじろいだ。 の手に握りしめられていたイアリングは、その声の主によって奪い取られる。 「霊界の持ち物を放り投げるな。壊した失くしたならまだ許せるが、捨てるなよ。二度とお前にはやらんぞ」 「雲‥‥鬼?」 雲鬼が、を取り囲む妖怪たちを睨み付けた。しかし、蔵馬を殺したい妖怪たちは、それで引き下がりはしない。 雲鬼はの腕を持ち上げると、妖怪たちに向かって、の肩に付けられている腕章を見せつけた。 「お前たち、この娘を殺したいのか?」 特に血気だっている妖怪の一人を指さし、雲鬼は尋ねる。 「聞こえなかったのか?ならもう一度聞いてやろう。お前はこの娘を殺したいのか?」 「何だ、お前」 「殺したいのなら、今この場で、私の目の前で殺してみせろ。殺せばお前の死罪はもちろんだが、その代償として、二度と『暗黒武術会』が開かれることはないがね」 「なに?」 雲鬼は、が自身の霊気を晒した覚悟に敬意を払うかのように、身につけていたブローチを外した。 暗黒武術会を裏で取り仕切っているのは霊界だ。 ストレスが溜まった妖怪が人間界で悪事を働かぬよう、暗黒武術会を『はけ口』にしてもらえば‥‥と今まで黙認してきたが、挙句の果てがこの結果ならば、これを機に中止を宣言するのはとても容易い。 「当然だろう。武術会の運営スタッフを殺すんだ。しかも『医者』をな。お前たちは、それがどれほどの重罪か知ってて──」 「エヘヘ、分かったよぉ。だったら蔵馬だけでも殺させてくれねぇか?こんな機会、俺らにはめったに回ってこねぇしよ」 が雲鬼に助けを求めると、雲鬼はの背中に手を添えながら「安心しなさい」と頷いた。 雲鬼が振り向くと、妖怪たちをかき分けながら、誰かがこちらへやってきた。 「ふん。これだから俺は妖怪という生き物が嫌いだ。そんな形で勝って、自慢話になるのか?」 「雷鬼?」 は、雷鬼がこの武術会場にいることもそうだが、彼の行為に驚きを隠せなかった。 雷鬼が蔵馬に治癒呪文をかけ始めたのだ。雷鬼は妖怪を忌み嫌っている筈なのになぜ‥‥? 「て、てめえ余計なことを!構わねぇ殺っちまえ──!!!」 雷鬼が治癒呪文を詠唱し始めたのを知った妖怪らは、蔵馬が回復することを恐れ、我先にと武器を掲げた。 これではさすがに多勢に無勢だ。守衛を呼ぼうと雲鬼が無線機を取り出した瞬間、辺りに鮮血が飛び散った。 斧を持っていた妖怪の腕が斬り落とされ、は思わず顔を背けた。 斬り落とされた腕と共に、甲高い音をたてて刃物が地面に突き刺さる。────鎌だった。 鎌が飛んできた方向に目をやると、妖怪たちを鎌でなぎ倒しながら、黒鵺が飛び込んでくるのが見えた。 「蔵っ‥‥!」 蔵馬の姿を見るなり、顔を顰めて唇をかみしめた。 雲鬼は、椅子の下に設置されていた簡易担架を取り出すと、雷鬼の手を借りて蔵馬を乗せる。 担架に乗せられた蔵馬の横から、雷鬼が再び両手を翳し、汗だくになりながらも黙々と呪文を唱えだす。 「これは酷いな。間に合えばいいが‥‥」 「私も手を貸そう」と、雲鬼も治療に加わった。 どうやら、蔵馬を医務室に運ぶよりも、この場での応急処置が最優先のようだ。 「しゃあねぇ、妖怪どもは俺に任せろ。いいか、動くなよ。鎌で一緒に斬っても知らねーぞ」 鎌は空を切り裂き、たちの頭上を風の音を立てながら掠めゆく。立ち上がれば一緒に首が飛んでしまうぐらいの速さだった。 「とりあえず出血は止まりました。もう大丈夫でしょう」 雲鬼と雷鬼は互いに見合い、安堵の表情を浮かべた。 「本当!?本当に──!?」 がへたり込んで泣き出すと、雷鬼はの背を優しく擦ってやった。 雲鬼達はVIP席で決勝戦を観戦しており、爆発後、騒々しい立見席を目にして、慌てて駆けつけてくれたのだった。 「こちらも観戦していながら、まさか観客席にがいるとは‥‥。すまない。観戦するなら、この席に呼ぶべきだったね」 雲鬼がすまなそうに謝ると、妖怪達を倒し終えた黒鵺が雲鬼に尋ねた。 「貴様らがスタジアムに来ているなら、コエンマもいるんだろう?奴はどこにいるんだ」 「コエンマ様は、あちらに──」 雲鬼がVIP席を差すと、そこには、こちらを凝視しているコエンマの姿があった。 「あいつは降りて来ないのか?自分の部下<の事>が死んでたかもしれないんだ。身代わりになった蔵馬に、礼の一つくらい言ってやっても、罰は当たらねぇと思うがな」 黒鵺は血に染まった鎌を振り回しながら、「あぁ〜そうか。蔵馬を殺すのには骨が折れる。間接的に殺すしかねぇ。女を庇ってアッサリ死んでくれたら、霊界としては好都合だな」 そして、自分が斬り殺した妖怪たちの山を一瞥しながら──「ブローチを渡してまで俺達を人間界に寄越したのは、まさかこれが狙い‥‥だったりしてなぁ!」 雷鬼は、それはあまりにも侮辱的な発言だと反発した。を利用して蔵馬を殺そうと思ったことなど、一度たりともないと反論する。 「コエンマ様は戸惑っているだけです。あの方は、あなた方が人間界に来ているのを知らない。本来、あなた方の妖力では人間界に足を踏み入れることはできませんからね」 雲鬼は、霊界には無断で蔵馬と黒鵺を人間界に連れてきている。“気”を抑えるブローチまで渡して。 黒鵺も、賊を預かる副将の身。秘密裏の行動がバレた時、自分の立場がどうなるか──。 黒鵺が改めてVIP席に目を移すと、コエンマの、怒りを込めた冷たい視線があった。 雲鬼の“覚悟”というものが伝わってくるような気がして、黒鵺はようやく納得した。 「お前たちにどんな処罰を下すか考えてるのかもな。いいのか?これ以上妖怪といると、グルだと思われても知らねえぜ」 「いいんですよ。この妖怪を治しましょう。を‥‥救ってくれた方ですから」 雷鬼は蔵馬に目線を落とし、改めて治癒呪文を唱えだした。 は、とても不思議な感覚に捕らわれていた。 妖怪を救おうとする霊界人。霊界人を気遣う妖怪。ずっと思い描きながら、決してありえないと思っていた光景だった。 『俺は昔の俺ではない』 蔵馬の言葉が、の耳元で聞こえた気がした。 あれほど妖怪を忌み嫌っていた雷鬼が、なんのためらいもなく、蔵馬に治癒呪文をかけてくれる。 汗だくになって、必死に蔵馬の命をつなぎ留めようしてくれている。 が蔵馬に出逢って何かが芽生えたように、雷鬼にも、少しずつ何かが芽生えているのかもしれない。 「医務室に行きましょう。コエンマ様の件は、私が何とかします」 |