闇に咲く花 第3部−6話


「開けろ!わしの命令だぞ!」
「いえ、聞けません」
 スタジアム裏。
 医務室のドアの前で、雲鬼と雷鬼がコエンマの入室を拒んでいる。
「雲鬼、お前のやったことは犯罪そのものだ。A級妖怪を無断で人間界に連れてくるなど、霊界としては決してやってはならんことだ」
 コエンマは、自分を医務室に入れるよう再三命令したが、雲鬼と雷鬼は断固拒否した。
 雲鬼を振り払ってでも入ろうとすると、今度は雷鬼に制止された。
「雷鬼、お前までもがあの妖怪に感化されたのか──。あの妖怪に対しての感情は、わし‥‥いや霊界と同じだと言っていたではないか。これ以上、わしらはあいつらに関わり合いにならないほうが‥‥」
「確かに、以前は考えは同じでしたが、気が変わりました」
 雷鬼は、蔵馬を命懸けで護ろうとしたの姿を目にしたのだ。あれを見て何とも思わないほうがどうかしている。
 確かに妖怪は憎い。特に蔵馬は──。彼に殺されたハンター達の無念を思うと、胸が張り裂けそうになる。
 しかしそれでも‥‥だからといって、その話を持ち出してはならないと思う。
「ふざけるな!そこをどかんと、特防隊を呼ぶぞ!」
 そのコエンマの一言に、雲鬼は呆れるように天を仰ぐ。
「コエンマ様。蔵馬が身を挺してを護りました。も同じことをしました。‥‥‥‥何も感じませんか?」
「──何が言いたい」
「コエンマ様。あの妖怪を治癒してやってくださいませんか?私たちの霊力では限界があります。には大丈夫と 安心させていますが、正直のところ、このままでは危ないのです」
 特防隊を呼ばれてしまっては困る。彼らの生き様こそ、正に『霊界は“善”で妖怪は“悪”』の勧善懲悪そのものだ。
 彼らは、蔵馬を一瞬で殺せるほどの力を持っている。
 雷鬼は、今でこそ考えを改めてはいるものの、今までは特防隊と同じ考え方で生きていた為、コエンマの気持ちはわかる。
 “悪気”はないのだ。己の考えが偏っていることを、霊界は知らない──微塵も感じていない。
 もしかしたら、霊界の同情を乞う為に、もしくは咎めを軽くするために、計算して傷を負うことだって、蔵馬ならばやろうと思えば出来るかもしれない。
 しかし、自分の命を天秤にかけてまで実行するほど、愚かではないはず。我々霊界鬼がこなければ、このまま死んでいた可能性だってありうるのだ。
 そこには計算などなく、ただを護るために反射的に庇ったのだと信じている。
「コエンマ様。もうそろそろを自由にしてやっては?私は不憫でなりません」
「なんだと?」
 雷鬼は、自分との境遇が、なんだか似ているように思えてならない。立場こそ違えど、自分たちは幼少より霊界の思想を刷り込まれて育ってきた。
「コエンマ様含め霊界は、の環境を幾度となく変えてきた。今度はどこへ連れて行く気です?魔界ですか?それとも霊界ですか?」
 その言葉に、コエンマは口を噤んだ。
「もう、を自由にさせましょうよ。妖怪を治す技術を持つ医者なら、他にも沢山いますよ。この会場だけでも5人はいる。その人たちを雇えばいいではありませんか」
「お前ら、まさかが嫌々仕事をしているとでも──?」
「それはないですが、あの子たちを妖怪を治すの医者に“仕立て上げた”のは霊界ですよ」
 それは、霊界では禁句とされてきた言葉だった。
「人間界で暮らしていた彼女らが逃げるように霊界に帰ってきた時、待ってましたと傷ついた妖怪らを託しました。『医者であるのが宿命』。霊界には他の仕事だって山ほどあるのに、全くおかしな話です。我々は彼女らにその言葉を幾度となく浴びせ続けた。“刷り込み”とはよく言ったものですが、私たちがやったことは、“洗脳”に近かったでしょう」
 あの夜、蔵馬にの生い立ちを聞かれた時、雲鬼は‥‥‥‥この事だけはどうしても言えなかった。
 蔵馬がハンターにしてきた非道な行為に比べれば他愛ないが、それでも、彼女を愛している蔵馬に、それを伝えることはできなかった。
 そして‥‥達にも言っていないことがある。口が裂けても言えない事実がある。
 それは────霊界が妖怪を治す義理は一切無いということだ。
 妖怪を保護し救ってきた理由はただ一つ。妖怪に『借り』を作らせる為。『霊界が治してくれた』と恩を売り、霊界を敵視させないようにするためだった。
 だが、達がいくら妖怪を治そうが、その『借り』が返ってくる気配は‥‥‥‥ない。
 もっとも、“妖怪の救命医”として達を働かせてからまだ1年経たないが、霊界は、それより昔の400年前から、妖怪の為に尽力してきたつもりだ。
 傷ついた妖怪を見つければ、治療を施し、痛みを和らげ、薬を与え、魔界に『病院』まで建ててやったというのに──。
 蔵馬と話をして、こう言われた。に“借り”を作らせるつもりで護っているわけではないと。そこには貸し借りは存在しない。してはならないと。
 霊界は、根本的に何かが間違っている気がした。
 まさか妖怪に──しかもあの残忍な妖狐蔵馬にそれを教えてもらうとは。
「あいつらは‥‥『天職』と、この前わしにいっておったぞ」
「その生き方しか知らなかっただけです。生き方を決める前に、その都度霊界が手を差し伸べていましたから。しかし今、あの子たちは蔵馬たちに出会い、共に過ごし、やっと自分の道を自分で見つけようとしているんです。彼女たちは成長しているのに、霊界は昔のまま、抑え込もうとしています」
 達を保護した際、祠を眺めて彼女たちが“薬師”の家系だと悟った霊界。人間界で医師として生きていると知った時、事もあろうに霊界は、彼女達を連れ戻す理由を探してしまったのだ。
 雷鬼も、雲鬼に続いて自分の思いをコエンマに伝える。
「私は今回の事態で、あの妖怪にも“情”というものが存在することを知りました。確かに彼は憎いですが、自らが死に瀕しようとも、を助けようとした妖怪の心は、本物だと思いました。コエンマ様はどうですか?」
「しかし‥‥それはそれだ。妖怪のそばにいると危険だ。共に生きるとは言え、妖怪なんだぞ。それもあの蔵馬だ。あいつは盗賊で計算高い。霊界を襲うため、を誑して利用している可能性だって十分に──」
「それは違います!!」
 背後から、ぼたんが叫んだ。
「蔵馬がいたからは助かったんです!人間の体で直撃を受けていたら死んでいたのは間違いないですよ!私なんか、もう想像しただけで──!」
 ぼたんが涙声でジョルジュに同意を求めると、彼は一瞬ドキッとしたように身を震わせたが、「そうですそうです!」と首を縦に振った。
「コエンマ様もご覧になっていたはずです。蔵馬がを助けるのを──。彼らは、私以上にのことを知っている。癖も、性格も、行動も‥‥」
 雷鬼は、医務室を見つめながら──
「彼は言っていました。はああ見えて好戦的で、闘いを観るのが大好きなんだそうです。もしかしたらあの方は初めから、何か起これば庇うつもりで‥‥。全く、観戦を止めさせれば済むというのに」
を誑かすのが目的ならば、命を懸けて庇ったりはしないでしょう。スタジアムで瀕死の怪我を負えば、妖怪に狙われることなど百も承知だと思いますよ」
「確かに、今の我々の力なら蔵馬を殺せます。しかし、どんな状況にあっても正攻法を貫き通すのが霊界の“筋”だというなら、蔵馬を治してやるべきです。がどんな妖怪をも区別せず治療したように‥‥」
 雲鬼と雷鬼は、そろって深々と頭を下げる。
の生き方はに委ねましょう。もう、解放してやってください。──お願いします」
 コエンマは、医務室から漏れてくるの声に耳を澄ました。
 を庇うために、身一つで飛び出した蔵馬。
 雷鬼の言うとおり、妖怪らがひしめき合う中で致命傷を負えば、名を上げたい妖怪らにその場で殺されてしまいかねない。
 その妖怪の群衆の中で蔵馬が殺されなかったのは‥‥もまた、蔵馬を命懸けで護ったからだ。
 に救いを請い、はそれに応えた。蔵馬を助けに来たのは黒鵺で、は医務室で蔵馬を治療する準備をしていた。
 お互いが阿吽の呼吸のように、取るべき行動を当たり前のように行っていた。
 いつから、彼らにそこまでの深い絆が生まれたのだろう。
(わしと共に人間界に帰ると言ってくれたではないか。あれは嘘だったのか?)
 ‥‥いや、違う。「帰る」と言わせたのだ。霊界が。
 彼らをとりまくものに、偽りがないことなど、あの時既に分かっていたのかもしれない。
 が人質に捕られたら‥‥?一度、似たようなことが遭ったと報告を受けたことがある。
 魔界に残ることを許してしまったからだと、激しく後悔し、コエンマは自分を責めた。
 おそらく、今後も可能性はゼロではない。てっとり早く蔵馬をおびき出すには、を人質に利用すればいいのだ。
 コエンマは、の身が心配で仕方がない。霊界に居ながら“死”が怖いなんて笑い話だが、死が身近である以上、余計に怖い。
(一歩間違えれば‥‥)
 いつか霊界に“死者”としてがやってくる光景を想像すると怖くなる。逆も然り。残されたの嘆きを想像するのも怖い。
 しかし“いつか”は必ず訪れる。彼らは既に覚悟ができている。霊界鬼達も──。
(やれやれ。覚悟が出来ていないのは‥‥‥‥この、わしとはな)

「雲鬼、雷鬼、わしをこの中に入れてくれないか」
 コエンマの言葉に、雲鬼と雷鬼が顔を見合う。
「安心しろ。達を連れ帰るような真似はしない。ただ、あいつらと話がしたい──。いるのだろう?ドアの向こうにあの妖怪が」
「黒鵺‥‥ですか?お一人では危険です。コエンマ様を襲うかもしれません」
「心配ない。こちらは攻撃をしかけん。霊界はあくまで“神聖”で“平等”だ」
「霊界が“神聖”を謳っても、コエンマ様の意見を黒鵺は聞き入れないかもしれません」
 コエンマが、雷鬼の目の前に手を翳す。
「同じ霊界でも、それでもお前らは奴らに受け入れられるのだろう。その違いは一体なんだと気になっておった。一個人だからか?ならば、わしも統治者とではなく、コエンマという個人として話すまで」
 コエンマの考えは、先ほどとはうってかわり、別人のようだった。
 雲鬼と雷鬼は、コエンマの雰囲気に押され、仕方なく扉の両隣に立つ。
 コエンマは深呼吸すると、静かに医務室へと消えていった。

 妖怪を治療する目的が、単純に、妖怪に恩を売るためだったという(妖怪の為の病院も、ひいては霊界の為)、妖怪より霊界が“悪”であるという書き方ですが、『妖怪に悪事を起こさせて霊界が張る結界の正当性を保つ』という話が公式であって──(-_-;)。神聖な霊界にも、相当ドロドロとした闇があるのだと思う。
 ‥‥達が霊界で医者として働く理由が、一切なくなってしまいました──。
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