闇を生きてきた。 闘いに明け暮れる日々。生きる意味を持たず、見出すこともせず、変わらぬ日々を淡々と生き続けていた。 そんな中で人間の女に出逢い、その者を愛した。 愛する者の存在しない世で生き続ける自分を、想像できない。 自分にそのような感情があったことに、驚きを感じている。 しかも、愛した女は人間。妖怪の自分が、人間など──。 何度も自問自答してみたが、出した答えは、結局はこれだ。 女を失いたくはない。失うくらいなら、いっそ自分が‥‥。 「行くな!!」 目覚めるのと、それは恐らく同時だった。蔵馬は飛び起きながら、手を宙にかざしていた。 息が荒く、上手く声が出せない。苦悶に満ちながら額に手を当てると、冷え切った汗が頬を滴った。 (ここは‥‥?) 武術会場ではない。辺りが静けさに満ちている。何より空気が違う。ここは────魔界だ。 魔界でのの住居。そしてこの部屋は、の部屋だった。 (は‥‥) ベットの柵を掴んだ時、体に違和感を感じた。 あの時、蔵馬はの前に飛び出した。妖気の刃を全身に浴び、を抱えたまま吹き飛ばされ──壁に叩きつけられた。 その筈だが、体を見渡しても、傷が見当たらなかった。 ──夢? もしかしたら、を庇ったつもりで、本当は庇ってなどいないのか。そもそも、あの出来事自体が夢だったのか。 意識が混濁する中、ベッドから立ち上がろうとして激痛が走り、床に膝をついた。 そこでようやく、夢ではないことがハッキリした。体に傷が見当たらないのは、霊界が自分を治療したからだと分かった。 (なるほど。傷は治せても、さすがに衝撃や痛みまでは無理‥‥か) 壁に寄りかかって大きく息を吐くと、床に人影が見え、慌てて振り向いた。 「おい、大丈夫か?」 黒鵺が、神妙な面持ちで蔵馬を見下ろしていた。 「お前か‥‥」 黒鵺の気配を全く察知できていなかった蔵馬。さすがに心配になった黒鵺は、頭である蔵馬を気遣う素振りを見せた。 「は無事か?今はどこにいる?」 「‥‥何が?」 「とぼけるな。は無事なのか?」 起きて早々、開口一番がこれかよと、黒鵺はムッとしながら頭を掻いた。 別に、感謝の一言を欲しがっているわけではない。だが、後処理の苦労を労ってくれてもいいだろうに。 答えないで沈黙していると、蔵馬はなおも問いただした。 「あのなぁ。少しは自分のことを心配しろよ。言っておくが、お前──」 「無事なのか!?」 「あぁ無事だよ!!お前と一緒にこの家に戻ってきてる。が看てるから安心しろ!」 蔵馬は、自分の重症度をどこまで把握しているだろう。 あの時、霊界鬼は蔵馬に霊気を送り込んだものの、蔵馬に残っていた微かな妖気は、霊気を拒絶した。 相反する霊気と妖気。反発する磁石のように、霊界鬼の霊気は撥ね返されてしまう。蔵馬に意識は無いにもかかわらず──。 何度試しても同じ。霊界鬼の霊気だけが擦り減っていく。 霊気が見えないはその事実を知らず、“大丈夫”と慰める霊界鬼の言葉を素直に信じていたが、黒鵺は、半ば絶望的なものを感じていたのである。 このままではらちが開かないと、蔵馬の『霊気を撥ね返す力』を抑え込めるほどの強大な霊力──コエンマの霊気を送り込み、ようやく蔵馬の傷を塞ぐことに成功した。 霊気に抵抗し尽くした今の蔵馬には、もはや妖気が全く感じられない。助かったのは本当にギリギリだったのだ。 あと数秒長く庇っていたら、確実に死んでいただろう。 それにしても‥‥。ついこないだ、『庇ってもらった罪悪感』の話をしたばかりではないか。 「お前もしかして、こんな事が起きることを想定して、話していたのか?」 「フッ、いつかは起こることだと思い話したまでだが‥‥まさか、こんなにも早かったとはな」 蔵馬が勝手に庇っただけ。に責はない。このことで、が罪悪感を感じる必要はない。そのような思いを負わせてはならない。 やはり、事前に腰を据えて話しておいて良かったと、蔵馬は笑った。 常に先を見越し、いつか起こる事態を見据え、先に先手を打っておく蔵馬には感心する。 用意周到と言えば聞こえはいい。しかし‥‥。 「それって、あんまり羨ましくねぇもんだな」 黒鵺は、ふと天井を見上げ──蔵馬に向き直って咳払いをした。 「お前、血だらけだったぞ。この俺も、さすがに覚悟を決めたぐらいだ。あの女が命張ってお前を護らなかったら、あのまま妖怪に殺されてたぞ」 「‥‥なに?」 また余計な事を言ってしまったと、黒鵺は舌打ちをしながら目を逸らした。 「どういうことだ!?」 「あいつらに聞いた話だけどな。あの女、血だらけのお前に覆いかぶさって、霊気を妖怪らに晒して、『蔵馬を斬りたいなら、まず人間の医者の自分を斬ってみろ!』って妖怪を脅したんだとよ」 「バカな──!」 蔵馬の表情がみるみる青ざめ、怒りで険しくなってゆくのを気づかずに、黒鵺はなおも続ける。 気の強い女だとか、あれだけ蔵馬と喧嘩ができる者は希少だとか、挙句の果てには盗賊業をやれば意外と良い相棒になるとか、言いたい放題である。 「妖怪に刃物向けられようが一歩も引かねぇ。あれだけ肝が座った女は‥‥」 「ふざけるな!!が盗賊だと?それは俺が許さない。そんな危険なことにを──」 「じょ‥‥冗談だよ。落ち着け。俺だって、を連れて盗賊なんか行くわけないだろ。そんな危険な場所にを連れて行けるか。当たり前だろ!」 「なぜ俺を庇ったんだ!?あれほど俺を捨てて逃げろと言ったのに──」 項垂れ嘆く蔵馬の姿を見かね、「そりゃぁ、お前を護りたかったんだろうよ」と返す。 「必要ない。俺が倒れれば、次はが狙われるのは確実だ。人間の身で反撃など不可能だろう。だとしたら、逃げる以外に選択肢など無い!」 「それはそうだけど──」 「俺を庇ってどうする?もしが死んでしまったら、俺は────っ」 最後はもはや言葉にならない。頭を抱えて震える蔵馬の姿に、黒鵺はかける言葉が見つからず黙り込んだ。 今回の件と、過去にを失いかねない恐ろしさを肌で体感した蔵馬にしか、分からない“恐怖”なのかもしれない。 黒鵺は正直、今の蔵馬の気持ちは理解できない。しかし、の気持ちは何となくわかる。 蔵馬が処置室で霊界鬼から手当てを受けている間、は黒鵺を見つめなら、静かにこう言った。 「黒鵺は怒るかもしれないけれど、私もきっとと同じことをすると思うの」 案の定黒鵺は怒りだし、「お前は決して真似をするな」と、の両肩を強くつかんで懇願した。 しかしは、その約束はできないと言ったのである。 「黒鵺が私を庇ってくれる気持ちと同じぐらい、私にだって黒鵺を庇いたい気持ちがあるのよ。だからも、蔵馬さんを必死に庇ったんだと思う」 「だが、お前は人間なんだ。妖怪相手に立ち向かっても犬死するだけなんだぞ」 「生きるか死ぬかの時に、人間も妖怪も関係ないわよ。黒鵺だって、さっき妖怪達に『人間って言うな』っていってたじゃない」 「それは‥‥奴らがお前を見下していたからだ」 「じゃぁ私は妖怪と同じ立場なの?」 「ああ」 「だったら──」 「力関係の事を言っているんだ。言いたくはないが、妖怪の方が人間よりも圧倒的に強いんだぞ。お前も、俺達を見てきてよくわかっているだろう?」 するとは、頭では分かっているけれど、それでも自分は立ち向かってしまうと答えた。 「もちろん、妖怪が人間より強いのは分かってるわよ。けれど、そんな簡単に割り切れる問題じゃないのよ。なんて言ったらいいの?咄嗟に体が動いちゃうとか、頭が真っ白になっちゃうとか、その瞬間は理屈なんて無いっていうか──」 「確かに妖怪と人間の力の差は歴然ですが、それだけで護られる者を決めるのは難しいです。霊界人も、魂の善悪を穢れで判断していますが、やはり理屈では通らない何かがある。それが何かは、我々も模索しています」 雲鬼が助け船を出すと、は「私もそういうことが言いたかった」と、共感した。 この時黒鵺は、に自分を庇わせてはいけないと感じた。そのような状況を決して作ってはならない。そう思った。 盗賊は危険がつきもの。今まではいつ死んでも構わないと思っていたが、自分の身を案ずるの為、必ず生きて帰ろうと決めたのであった。 蔵馬は、黒鵺との話を、静かに聞いていた。 蔵馬はと口を聞いたことは殆ど無いが、の連れだ。この時の黒鵺とのやりとりを、にも話していることだろう。 「まさか、に護られる日が来るとはな」 「お前。会えるか?あの女と。顔合わすのが気まずいなら、俺が一緒に付いててやってもいいぜ」 まるで子供のように気をつかわれた蔵馬は、静かに首を横に振った。 「心配するな。の事は俺が一番よく分かっている。お前があの女の事を一番よく知っているようにな」 「ハハッそうだな。それにしても、お前もやきがまわったもんだな。まさか、賊と闘った時よりひでぇ怪我するなんてな」 「が無事なら構わんさ」 立ち上がろうとする蔵馬に、黒鵺が肩を貸そうと手を差し出した時だった。部屋のドアをノックする音が聞こえて、黒鵺はドアの方に目をやった。 「あのぉ‥‥お話し中にごめんなさい。ちょっとよろしいですか?」 ドアの隙間からがこちらを覗きこむのが見えた。蔵馬が怖いのか、おどおどした姿に黒鵺は思わず吹き出す。 「。俺がいるんだ。堂々と入ればいいだろう」 黒鵺はの手をとって強引に部屋に招きいれる。 「ごめんなさい。でも、立ち聞きしようとか思ってたわけじゃないのよ」 ほら見て、包交車を持っている。たまたまだと、は必死にアピールしながら、故意ではないと強調する。 「────気にしていない」 それは、初めてを気遣う蔵馬の言葉だった。黒鵺は目を丸くしながら、部屋の前に置きざりにされた包交車を引き入れた。 「どうしたんだよ。何かあったのか?」 黒鵺はに優しく聞きながら、肩を貸して蔵馬を立ち上がらせた。 「あのぉ‥‥蔵馬さん。まだ横になっていた方が良いですよ。あれから半日も経っていないんです」 「何をしに来た」 「な、何しにって。あの、が‥‥」 「?──がどうした!?」 まるで射竦めるかのように聞かれ、臆していると、黒鵺が『大丈夫だ。言え言え!』と顎でクイッと蔵馬を指した。 「あのっ、がさっき目を覚ましたんです。薬を飲ませたから、ついでに蔵馬さんも────」 極力蔵馬と目を合わせないよう包交車の引き出しから薬を取り出している間に、蔵馬は黒鵺を突き飛ばして部屋を出て行ってしまった。 「では、傷を診せて下さ‥‥って、あら?」 まるで鉄砲玉のような蔵馬に、黒鵺が肩を擦りながらククッと笑った。 「あれだけの怪我をしたのに‥‥本当に凄いのね妖怪って。もう動けるなんて信じられないわ」 霊界は、蔵馬の傷は塞いだものの、それ以上の治療は施していない。残りは全てのために使ってしまった。 蔵馬だったらそう頼むはずと思ってのこと。瀕死の状態からわずか半日で、起き上がって動けるまでの回復。人間だったら絶対こうはいかないと、妖怪の治癒能力にはほとほと感心する。 「蔵馬が助かったのはお前のおかげだ。恩に着るぜ」 「何言ってるのよ、霊界鬼が治療したんじゃない‥‥」 部屋を出て行こうとするを遮るように、黒鵺はドアを背にして立つと‥‥そっとに口づけをした。 「お前のおかげだ。俺があの場で冷静でいられたのは、お前の‥‥‥」 黒鵺の膝が、ガクンと折れた。に寄りかかる様に──黒鵺は、崩れ落ちるように気を失った。 慌てては支えようとするも、当然支えられるはずはなく、そのまま一緒にずり落ちていくのみである。 「どうしたの?黒鵺、大丈夫!?」 黒鵺の額に手を当てるが、熱は無い。脈も正常。呼吸も安定している。 もしかして?と顔を覗き込むと、そこには、とても安心したような顔で眠っている黒鵺の寝顔があった。 初めての人間界で、恐らくろくに睡眠をとっていなかったのだろう。つねっても起きそうにもないほど、爆睡している。 蔵馬が倒れてしまった以上、自分が代役を果たさなければならないと、ずっと気負っていたのだろう。 (なんだか子供みたいね) は黒鵺の呼吸に合わせるように、彼の肩をポンポンとあやす。 彼の寝息に耳を澄ませるうちに、伝染するようにも猛烈な睡魔に襲われ、次第に重くなってゆく瞼を擦る。 そういえばも、夜勤明けのまま一睡もしていない。とにかく忙しすぎてスッカリ忘れていた。 人間界で黒鵺と再会してからの怒涛のような日々を思い出しながら──。 (フフ。ここで寝ちゃえ♪) 黒鵺の胸を枕にする形で、は彼の隣に寄り添った。とてもくすぐったくて暖かくて、幸せな気持ちに包まれてゆく。 2人は、互いの鼓動を感じながら、心地よい夢の中へと落ちていった。 |