闇に咲く花 第4部-3話

 賊内で、は‥‥やはり、どこか浮いた存在であった。
 浮いた存在というよりは、まるで“変な生き物”がやってきたかのように、皆、どこかと一定の距離を保っていた。
 が部屋に入れば、まるで蜘蛛の子を散らすように、皆が一斉に部屋から退出し、はそのままポツンと独り残される始末であった。
 彼らが、“人間”という生き物を知らないわけではない。
 ただ、魔界の盗賊にとって、人間は“商品”にすぎない。
 その商品を、いきなり自分たちと同等に扱えと言われたところで、とうてい無理な話であった。
 それなのに頭や副将は、その商品と普通に会話──いや、普通どころではない。
 それは、今まで自分たちが全く目にしてこなかった姿であった。
 商品を護り、笑みを与え、そして‥‥まるで慈しむように接する頭や副将の姿に、賊の者たちは激しく動揺したのである。
「きっといつかは分かってくれる」と、部屋に取り残されて佇むの横に黒鵺は立ち、その都度フォローしていた。
 その気配りがあるため、は特段“孤独”などは感じなかった。
 だって、黒鵺だけは『自分の味方』だと知っているから──。
 現には、『黒鵺が連れている女』という扱いのため、身の安全だけはしっかりと護られていた。
 誰一人として、を攻撃する者はいない。黒鵺に護られていることを実感できる瞬間。
 しかも、部屋の隅に、部下が無造作に置いてあった武器に足を取られて派手に転んだ際、部下は「すいません」とに謝ってきた。
 賊が──妖怪が、人間に対して頭を下げたのだ。おそらく、黒鵺に命令されているからであろうが、それがどれほどのプライドを捨てる勇気があるのか、は知っている。
「ごめんなさい!大切な道具を蹴ってしまって。壊れてはいませんか?」
 謝罪に対し、も謝罪で返す。
 部下は、自分を転ばせたことを責めるわけでもなく、逆に武器の持ち主を気遣うの態度に、不思議な感情を抱いていた。
「おやあんた、そいつを責めたりしないのかい?わざとやったのかもしれないのにさ」
 賊の部下で、唯一の女性である加羅がに対し、もっと怒るべきだと窘めた。
「いえ、いいんです。例えそうであっても、ひっかかった私が悪いんですから。気にしないでください」
「へぇ。変な奴だねぇあんた」
 加羅は、ゲラゲラと笑った。
「そうそう。自己紹介がまだだったねぇ。私は加羅。自慢じゃないけど、私には治癒能力があってねぇ。どんな怪我だって私にかかればあっという間に治すことができるんだよ」
 加羅は片手を腰に当てながら、の腕を指した。
「ねぇあんた。それって打ち身だよ。放っておくと、痣になってくるよ。なんなら、あたしが治してやってもいいよ。こんなのは朝飯前だからねぇ」
 加羅の申し出に、は手を胸の前で振って、「いえ、いいです。ただの痣程度で済むなら放っておきます」と断り、会釈して去っていった。
「ちっ、なんだいあの女。せっかく加羅さんが言ってくれたのに」
「全くだ。人間の分際で偉そうに」
 賊の中で、加羅は高い地位にいるのだろう。加羅の申し出を断ったを非難する者が現れた。
「よしなって。私は気にしちゃいないよ。あの人間の女は黒鵺様が連れてきたんだよ。おいそれと手を出すわけにはなんないしさ」
「でも、加羅さんだって副将の女じゃないですかい。副将はどっちを取る気なんだ?まさか人間の女ってことは──!」
「まさか。副将に相応しい女は、それ相応の妖怪と決まってらぁ。あの女は、何の能力も取りえもない、ただの人間の女なんですぜ」
 部下たちは、そうだそうだと加羅を持ち上げ、なぜ何の能力もない人間を、黒鵺が連れているのかわからないと口々に言い放った。
「きっと誑かして霊界に売るつもりだ」
「そうに決まっている。今だけ弄んでいるだけだ」
 などと、言いたい放題。
 加羅は、フフンと、まんざらでもないようだ。
 自分が一番の『黒鵺のお気に入り』と自負している加羅は、長い髪を手でかきあげた。
 次第に生まれる、『黒鵺のお気に入り』の座を維持するためのへの嫉妬。彼女がその感情を抱き始めたことを、賊の誰も気が付かなかった。

 数時間後、加羅の診立て通り、の腕には見るも無残な大きな青痣が──。
 夕食時。黒鵺は、の腕に大きな痣があることに気付いた。
!どうしたんだその痣は」
「なんでもないわ。ちょっとそこで転んだの」
「なんでもないわけないだろう!まさかてめぇら、俺がいない間に‥‥」
「やめて、違うわ!本当に私が勝手に転んだのよ。本人がそう言っているのに真っ先に部下を疑うなんて‥‥黒鵺って最低!」
 はそう言って、黒鵺が差し伸べようとした手をパシッと振り払った。
 部下の皆がいる前にも関わらずに駆け寄り、何が起こったのかしきりに問うが、は一向に答えようとしない。
「敵賊にやられたんじゃないのか!?」
「違うわ」
「だったら、この痣をどこで付けたんだ!」
「だから、転んだって言ってるでしょ!」
 部下が傷を負おうが顔色一つ変えない副将が、全く命に関わりのない、たかが『痣』ごときでこんな顔をするのか──。
 しかもだ。人間の分際でありながら副将が差し伸べた手を強引に払いのけ、更には『最低』と罵ったというのに、副将はその発言を許すなんて──。
 部下たちは、信じられないと顔を見合わせていた。
「ほ、ほら私、平らな床に慣れすぎちゃってるじゃない?だから、ちょっとした段差に弱いのよね。普段、私って下なんか見て歩かないじゃない?」
 必死に首を横に振って、転んだだけと何度も訴え続けるので、さすがの黒鵺も根負けして納得せざるをえなかった。
「そうかよ。お前がそこまで言うなら信じてやるよ。でも‥‥お前、ちっとは気ぃつけろよ。転んで頭でも打ったら洒落になんねぇぞ。まぁとにかく、いますぐ加羅の治療を受けろよ」
 が一瞬固まった。それは困る。だって、あの場で勧められた治療を断っておいて、今さら治してくださいなんて言えるわけがない。でも‥‥黒鵺はそれを知らないのである。
「いいのいいの、放っておいて。こんなの大丈夫よ。ただの内出血なんだから、いずれは消えるでしょうよ」
 そういってブンブンと腕を振っていたら、石壁に拳を勢いよくガツンッと当ててしまった。
 一瞬目から火花が出たが、悟られないように必死に我慢する。
「だが、痛みはあるだろう?正直、お前の痣は見てるだけで痛そうだ。加羅の治癒を受けりゃぁ痛みも消える。悪いことは言わねぇから、治療を受けろよ」
「大げさねぇ。骨は折れてないんだから大丈夫よ。私、こう見えても医者なのよ。自分の診立ては自分でできるわ」
 黒鵺は、そういう問題じゃないと叱り、問答無用での腕を強引につかむと、そのままどこかへと連れて行った。
「い‥‥痛いっ!放してよ黒鵺!」
「ほら、やっぱり痛いんじゃねぇか」
「だって、痣のあるところを掴まれたら誰だって──」
 黒鵺は、ある部屋で立ち止まると、足でドアを蹴って開けた。そこには加羅がいて、はバツ悪そうに顔をそむけた。
「加羅、こいつの治療を頼む」
 黒鵺は、の打ち身を見せて加羅に命じた。それと、さっきぶつけた手の甲を──。
「あぁ、やっぱり痛むのかい。だから言っただろう?あれだけ派手に転べば痣になるってねぇ」
 加羅はゲラゲラと笑うと、黒鵺は加羅に何が遭ったのかを問い、加羅は、自分が見たままを説明し始めた。
、お前ってやつは‥‥。どうしてそれを早く言わねぇんだ。盗賊が使う武器の中には、毒が塗ってあったりもするんだぜ」
「そ、その時はその時よ。私は薬剤師の資格もあるのよ。薬草を調合して治せるわ」
「その時?言っとくがな、そんな事をしている余裕なんかねぇぞ。毒の中には、気付いた時には手遅れってこともあるんだ」
 加羅の治療を受けている間も、黒鵺とは小競り合いをしていた。
「俺達は妖怪だ。夜目が効かない人間の立場に立つことはできねぇ。それに、俺はこんな性格だから、蔵馬のような気配りや気遣いができる柄でもねぇ。だから、お前に何か不都合があればハッキリ言ってくれ。でないと、こんな風にお前にしわ寄せが来ちまうんだ。俺は、お前に負担をかけるためにここに連れてきたんじゃねぇぞ」
 その黒鵺の気遣いは嬉しい。でも──。
「それは違うわ。私がここに来て、負担を強いられているのは貴方たちなのよ。私のために、貴方たちの今までの生活を変えさせたくはない。そんなこと望んでないわ。私が頑張って合わせるようにするから、心配しないで。この治療だって、多少の妖力は使うんでしょ?放っておいても治る傷より、もっと重篤な人のために使うべきよ。もういいわ加羅さん、ありがとう」
「だが、まだ──」
「いいのいいの、もう十分!」
 は加羅の治癒を強引に切り上げさせた。黒鵺は、一瞬宙を見上げると、項垂れてため息をついた。
「ったく、お前は本当に頑固な女だぜ。こうと決めたら、テコでも効きゃしねぇ」
 は、エヘヘと肩をすぼめた。
「わかったよ。まぁ、俺の賊には武器に毒を塗るようなセコイ奴はいないから、とりあえず心配はいらねぇ。だが‥‥痛み出したらすぐに言えよ。余計な力を使わせちまうとか、そんな、柄にもないことを考えるんじゃねぇ」
 黒鵺とが退室した後、加羅は、に対して蔑みの心を芽吹かせていた。
 黒鵺の瞳には、しか映っていなかった。の傷を癒したのは加羅なのに、黒鵺からは労いや感謝の一言さえなかった。
 人間からのお礼の言葉なんかいらない。加羅が欲しかったのは、黒鵺からの労いの一言。たった一言でよかったのに‥‥。
 蔵馬も、植物を使っての治癒は出来るが、加羅には及ばない。それだけ、加羅の力はすごいのだ。なのに──。
(チッ、なんだい。私しか治せないのにさ)
 は、一度は加羅の治療を断っていたくせに。それなのに、やっぱり治療を受けて、途中で放棄。
 その無礼な態度を、黒鵺は許している。
 部下が同じことをしたら、烈火のごとく怒るだろうに、あの人間の小娘ならば許されるのか。
 妖怪で、能力もあり、役に立つこの私を差し置いて、横柄でなんの取り得のない人間の小娘が優遇されている。
(いけ好かない女。始末してやりたいねぇ〜)

 夕食後、加羅はを部屋に招いた。
 加羅の悪意に気付いていないは、なんの不信感も抱いていない。
 むしろ、賊内で“同性の友達”が出来たみたいに喜んで接してきた。人を疑うことをせず、まるで危機感がないを、加羅は心の中であざ笑っていた。
(バカな女だね)
「ねぇあんた。あんたは黒鵺様のどこが好きで一緒にいるんだい?黒鵺様の事、どう思ってるんだい?」
「一緒に居たいから一緒にいます。好きなところは‥‥。えっと、好きなところは‥‥」
 途端、考え込んでしまうである。
 一緒に居たいから一緒にいる。ついてきたいからついてきた。でも、改めて黒鵺のどういうところが好きなのかと聞かれると、返答に困ってしまった。
「黒鵺様が強いから一緒にいるんだろう?違うのかい?」
「あ、あの‥‥。さっきから加羅さんが仰ってる『黒鵺‥‥“様”』って?」
「あんた、今さら何言ってんのさ。黒鵺様!我らが副将のことじゃないか」
「そ、それは知って──」
「もっとも、皆は副将って呼ぶけどねぇ。このあたしだけは“黒鵺様”って名前で呼ぶのを許されてんのさ」
 加羅は胸を張って、自分が特別扱いされていることを自慢した。
(黒鵺様‥‥ねぇ)
「でもあんたは、黒鵺様を呼び捨てにしてるんだねぇ。それでよく、黒鵺様は許してくれるもんだね」
 は、出会った時からずっと、彼を『黒鵺』って呼んでいたことを伝えると、加羅は信じられないと目を丸くした。
「ふん、普通だったらありえないねぇ。だいいち、黒鵺様が例え許しても、賊なら『黒鵺様』か『副将』って敬って呼ぶべきなんだけどねぇ。他の皆もそう思ってるから、命令されなくてもあえて『黒鵺様』って呼んでいるのさ。ま、これからもあんたは今まで通り『黒鵺』と呼ぶんだろうけど、果たして皆は許してくれるかねぇ〜。あたしだったら許さないけどさ」
 それは、遠回しにを否定しての発言であり、の胸に、かなりグサッとくるものがあった。
 出会ったころは、黒鵺がどんな人なのか分からなった。
 盗賊なのは雲鬼から聞いて知っていたが、何をやっているかとか、彼が盗賊の副将と言うのもしらなかった。
 だからは、普通の人と接するように『黒鵺』と呼んでしまっていたが、本人から呼称を変えろと言われたことは一度もなかった。
 だって、黒鵺は当たり前のように振り返ってくれたから──。
(今日からでも、『黒鵺様』か『副将』って呼んだ方がいいのかしら?せめて、賊の皆さんの前では)
「わかったかい?今日からでも『黒鵺様』って呼びなよ」
(黒鵺様かぁ‥‥。でも、それだとなんか違う人みたい)
 今日から、いきなり『黒鵺様』と呼んでしまうなんて、不自然じゃないだろうか。呼んだところで、呼び方を戻せと叱られるのがオチなような気がする。
「ごめんなさい。でも私、今さら『黒鵺様』なんて‥‥。もし、『黒鵺さん』でも構わないなら、そう呼ぶようにします」
 加羅は、黒鵺とは『他人行儀な仲じゃない』というの言葉に苛立ちを覚えた。
 まるで、自分の方が黒鵺様と親しいような言い方だ。たかが人間のくせに。
「あんたは黒鵺様の事、実際のところ、どう思ってるんだい?まさか、愛しているのかい?」
 するとは口を噤んでじっと考えた後、「はい」と答えた。
「なんでまた、一瞬考えたんだい?」
 黒鵺が好きかどうかと聞かれたら、素直に好きだと断言する。
 どこが好きかなんて、わからない。でも‥‥好き。ずっとずっと一緒にいたい。黒鵺が好きという気持ちは真実。
(この女‥‥)
 さえいなくなれば──。加羅の嫉妬の炎は、めらめらと湧き上がってくる。
「ねぇあんた。黒鵺様の役に立とうとは思わない?賊としてさ。あんたも、やりようによっては十分役に立てると思うよ」
 加羅はの耳元に口を近づける。
「これは、あんたにしか出来ないことさ。成功すれば、きっと黒鵺様は喜んでくれると思うよ。あんたにこんな能力があったのかって、感心するさ」


 翌晩、蔵馬率いる盗賊団は、とある敵賊を討ち落とすと言って出かけて行った。
 敵賊には腕っぷしが強い大将がいるのだが、成功すれば宝をせしめることができるという。
 これは、加羅を暗殺するために蔵馬と黒鵺が仕組んだ『賊狩り』であり、実のところ、大将にそれほどの力はない。
 勿論、部下たちには極秘事項である。
 蔵馬と黒鵺は部下たちを集め、強い大将への対応策やらの作戦会議を行い、偽りとは知らず、敵賊の強さを信じた部下たちは次々に武器を携え、血気盛んにでかけていった。
 加羅を暗殺しようと策をめぐらす蔵馬と黒鵺。対して、を暗殺しようと企てる加羅。
 各々、自分の利益に反する不要な者を葬り去ろうとしていた。
 己のやろうとしている行為に、なんの躊躇いも、良心の呵責さえ持たずに──。
 蔵馬と黒鵺。愛する者を手にしたとはいえ、根本的な“他者への命の価値観”は全く変わることはない。
 これが、コエンマら霊界が恐れていた魔界に住む者──妖怪の恐ろしさと冷酷さであった。

 アジトに残されたのは、加羅と、賊の留守を預かる数名の部下と、だけとなった。
 はコエンマと仕事の話をするために、朝から霊界に行っている。
 加羅は、どうせならも一緒に葬り去ろうと計画していたのだが、残念だが仕方がない。
(別の女は、また後日にすればいいさ)
 小一時間経った後、加羅はを連れて黒鵺たち賊の後を追っていった。

とても能力が高い妖怪の女性。対して、何の能力もない人間の女性。組織としては、妖怪を残す方が有利です。部下もそう思っています。
しかし‥‥この賊の責任者は頭である蔵馬の『鶴の一声』で決まるんですよね。
この三角関係って、意外に書いていて面白かったです。

戻る 次へ トップ ホーム