頭と副将のお出ましに、加羅の顔がパァッと明るくなった。 「蔵馬様!黒鵺様!」 加羅は、姿勢を正してその場に跪いた。 一方は、黒鵺の姿を一瞥して、何か言いたそうに口を開いた。 「心配するな。俺はケガをしていない」 それを聞いて、ホッと胸をなでおろす。しかし安堵した後、こんなことになってしまったことを謝った。 「気にするな。お前のせいではない」 「でも‥‥」 「いいんだ」 いつもは気丈で強いが、今では泣きだしそうな顔をしていることに、黒鵺は心が痛んだ。 黒鵺はに「体はまだ痛むか?」と問い、が首を横に振ると、「そうか」と安心して笑みを浮かべた。 「加羅さんが治してくれたから」 「‥‥」 加羅は自慢げに髪をかきあげると、頭と副将の御前だから跪くよう、に命じた。 慌ててが立ち上がろうとすると、黒鵺はの肩にそっと手を添えた。 「。俺の部下らに酒を淹れてやってくれ。戦を終えた後は、一杯やるにかぎるからな」 「黒鵺様!酒なら私が──」 加羅が割り込もうとすると、黒鵺は加羅に向かって手で制止する。 「お前の連れの女も先に行っている。人間が出した酒でも、俺の部下たちは拒んだりしないから安心していい」 「え、ええ」 黒鵺は、を責めなかった。そして、盗賊を束ねる頭である蔵馬さえも──。 (二人とも、私を責めないんだ‥‥) ひと言でいい。むしろ叱ってくれたほうが気が楽だった‥‥。それなのに、変わらぬ笑みを向けてくれる黒鵺が、逆に苦しかった。 まるで特別扱いされているような、妙な『罪悪感』が胸にチクリと刺さった。 が部屋を出ると、蔵馬と黒鵺の視線は一気に加羅へと向けられた。 加羅は、黒鵺の瞳を覗き込んでゾッとする。 それは、先ほどに向けたものとは違う、冷たく‥‥殺意に満ちた冷たい眼差しが、そこにはあったのだ。 (なによ──。なんなんのよ) 加羅の頭の中は、不満と怒りでいっぱいだった。 なんで私だけ、こんな視線を浴びせられなければならないのだろう。 あまりにも理不尽だ。面白くない。全然面白くない! 「貴様、よくもを──」 恐ろしさのあまり、後ずさりをする。黒鵺の背後にいる蔵馬は、加羅を助けようするそぶりは見せない。 それどころか、壁にもたれかかって腕を組み、こちらを凝視している。まるで、自分が黒鵺に殺される様を、傍観するみたいに──。 「なにさ!!あ‥‥あたしはただ、黒鵺様に喜んでもらおうと思ってやっただけだよ。責めるならあの女を責めなよ。私はあの女から頼まれただけさ。賊が勝つにはどうしたらいいかってね。だから、策を練ってやっただけだよ!」 「策?」 「だいたい、あの女が悪いんだよ!あたしの言ったとおりに動けば勝てる戦だったのに!あの女が『それで賊が勝てるなら』って了承したから、やってやったんだ。あたしが無理やり勝手に連れてきたんじゃないよ!」 蔵馬が、壁から背を放して口を開いた。 「あの小娘は、作戦を遂行できなかったと貴様に詫びていたな。貴様がどのような策を立てていたのか、聞かせてもらおうか。効果的な策だったら、俺が改良してやってもいい」 「蔵馬様!」 賊を成長させるのも頭としての務めだと、蔵馬は加羅に笑みを向けてやった。 それが、作戦を言わせるための偽りの言葉と、偽りの笑みだとも知らず──加羅はペラペラと自慢げに話し始めた。 加羅がに持ちかけた作戦の内容は、以下のとおりである。 『敵の大将は、副将黒鵺様の宿敵で、力は五分と五分。そこで──賊に勝つ良い方法がある。が敵賊に捕まったフリをして潜入し、助けを求める。の悲鳴を聞けば、黒鵺様はを助け出す為に必死になり、必ず戦に勝たなければと思うはずだ』と。 黒鵺を勝たせたいとが望み、加羅が策を練り実行したものは、あまりにも危険なものであった。 単なる推測の発案。本当に敵の副将がを人質にするかなんてわからない。捕らえた人間を律儀に大将に差し出す保証なんかどこにもないのだ。 そもそも、人質にされずに殺してしまう可能性すらある、あまりにも危険な賭け。 黒鵺はゾッとしてよろめくと、壁に背をつけた。 「あいつ‥‥ばかやろうが!」 生きて帰れたからよかったものの、一歩間違えればの命は無かった。 ある意味、作戦が失敗して良かったと言わざるを得ない。 加羅は、調子に乗ってケラケラと笑った。 「全く、バカだよねぇ。敵に潜入するどころか、いざとなったらビビッて足竦ませやがって。あたしがせっかく作戦を立ててやっても、ちゃんと実行しないと意味が無いってのにさ〜。だから──」 「だから‥‥お前は敵の副将の前にを放り投げたのか!」 加羅の策を聞いていた蔵馬は、『無策』だと感じていた。仮にも賊の大将が、そんな簡単に引っかかるわけがない。 「でも、まさか地面に叩きつけられただけで気絶しちまうなんてねぇ!全く‥‥足手まといで役立たずだよ。だから“人間”は、霊界に売って金に換えるしか使い道がないのさ!」 「なるほど。貴様の策を実行するほどの力が、あの女には無かった‥‥ということだな。そう言えば貴様は、次はを使うと言っていたな。それは一体どのような策だ」 蔵馬が静かに問いかける。自分が立てた策が認められていると勘違いした加羅は、とても流暢に、聞かれたことにホイホイと答えた。 完全に、蔵馬の誘導尋問に引っかかっていた。 「今度はあの女に、娼婦でもやってもらおうと思ってるんだよ」 蔵馬の瞳が、とたんに険しくなった。醸し出す蔵馬の妖気の質が、明らかに変わりつつある。 (おい、蔵馬‥‥。堪えろ!) 黒鵺は加羅に悟られぬよう、小声で耳打ちする。 蔵馬が加羅を殺したいのはわかる。黒鵺も、加羅を始末するつもりだ。を作戦の道具にさせられて、黙ってはいられない。だが──加羅の口から全てを聞き出してからでも遅くはない。 「私の情報によると、敵の大将は相当な女好きだって聞いたんだ。若い女でしかも人間で珍しいとくりゃ、敵の大将がその女を放っておくと思うかい?」 蔵馬の拳が震えている。今にも加羅に向かって飛びかかりそうな体を、黒鵺は必死に「落ち着け」と連呼し、蔵馬の腕をつかんで制止していた。 「一発やらせている時に賊を討ち落とせば絶対勝てるさ。その間、今回しくじった女には、罰として囮役にでもなってもらってもいいねぇ」 今度は、蔵馬を制していた黒鵺が反応する。そして、加羅の立てた策を聞きながら、加羅が何を考えているのかを悟った。 結局加羅は、ただ闇雲に大雑把な作戦を立てているだけで、策が成功しようが失敗しようが関係ない。成功すれば賊の手柄。例え失敗したとしても、加羅は責任を取らない。とに責任転嫁をするだけだ。 「人間の安い命でも、使いようによっては十分賊の役に立──」 カッとなった黒鵺は、怒りにまかせて鎌を加羅に向かって振り下ろした。 しかし、加羅に当たる寸前で蔵馬がローズウィップで絡め捕り、軌道を反らされた鎌は加羅の足元に突き刺さった。 「蔵馬、何しやがる!?」 その場にへたりこんだ加羅が蔵馬を見上げる。自分を俯瞰して見つめる蔵馬の姿は、恐ろいほど冷たかった。 腰が抜けて立ち上がれず、這いつくばって逃げようとする加羅の姿を、蔵馬は虫けらでも見るかのようにあざ笑った。 そして──蔵馬の口から放たれた言葉に、加羅は愕然とする。 「この女を殺すだけならいつでもできる。だが、全てを聞き出してからでも遅くはない。全く‥‥だから、早く始末しておけとあれほど言っただろう」 加羅に突き刺さる、憎しみを含んだ鋭い瞳。それは、あの人間の女に向けられる瞳とはまるで違っていた。 「な、なにさ!私が悪いっていうのかい!?あの女が望んだんだよ。あの女が勝手にしくじったんだ。私のせいじゃないよ!」 「黙れ」 「あの女は人間だ。何もできないただの女さ。それなのに、私よりあの女の方が盗賊に有利っていうのかい!?」 確かに、賊のためには、加羅を入れていれば便利だろう。しかし、愛する女に危害を加える存在ならば、もはや“害”でしかない。 「黒鵺様。あの女を治癒したのはあたしだよ!あの女は、危険を回避することも、何か遭っても自分を治すことだってできやしない。とんだお荷物だよ!」 加羅は自分の治癒能力を自慢し、自分の有能さと便利さをことさらアピールした。 「あの女は、いったい何ができるんだい!?妖力もない、戦う力もない、何もできないんだろう!?賊に入れるのは足手まといじゃないか」 「賊?俺は、を賊に入れるつもりなど毛頭ない。を戦わせるために連れてきたんじゃねぇからな。を連れてきたのは、俺がただ、あの女の側にいたいからだ」 その言葉を聞いた加羅は、黒鵺がを愛していることに気付いた。 「まさか、蔵馬様も!?」 「フッ‥‥。俺も居場所は、あの女と共にある。お前の想像通り、は俺の女だ。ただ‥‥本人に向けて言ったことはない。言えば、どうせ『自分は所有物ではない』と怒るだろうからな」 「ハハッ、違いねぇ。もきっと目ぇむいて怒るぜ」 黒鵺が歩み寄ると、加羅はビクッと肩を震わせる。 「なにさ‥‥。もしかして私を殺す気かい!?」 黒鵺は、答えない。ただ冷たく、加羅を見下ろすだけである。 「冗談でしょ?あたしは黒鵺様と100年もいたんだよ!あの女は、黒鵺様に出会って何年だい?人間だから、あたしよりは少ないんだろう!?」 「確かに、俺は貴様といる時の方が長かったさ。だがそれは、貴様の能力を手放すのが惜しかったから、賊に置いていただけにすぎねぇ」 まるで、『駒』扱いである。 「黒鵺様!あんた、気の強い女が好みって言ったじゃないか!だからあたしは100年ずっと、黒鵺様の好みの女になろうとしたんだよ!黒鵺様だって、そんなあたしが好きって‥‥言ってくれたじゃないか!」 すると蔵馬は、ふんっと鼻で笑った。 「こう勘違いも甚だしいと、怒りを通り越してむしろ笑えるな。黒鵺はただ、貴様の能力を繋ぎとめるために言っていただけ。それに気づかんとは‥‥おめでたいやつだ」 加羅は、驚きを込めた目で蔵馬を見た。 「貴様を賊に留め置くために、この俺が立てた『策』だ」 蔵馬の声が、遠くから響く。何を言っているのか、加羅にはわからなかった。 「貴様を賊に留め置くには、それ相応の理由がいるからな。だから俺は、貴様を『黒鵺の女』として迎えた。確かに黒鵺は気の強い女を好む。だからだろうな。話を持ちかけたら、すんなり承諾してくれたよ」 「そ、そんな──」 「後は、定期的に甘い言葉でもかけてやって情を与えてさえやれば、貴様は賊の為に働いてくれる良い駒となり、裏切ることもない」 「ひ‥‥酷い!」 「酷い──だと?笑わせるな。貴様があの小娘にしたのと同じことだろう。もっとも、俺が立てたのは‥‥さしずめ『貴様を賊に繋ぎとめる策』といったところか。出来は全く違うがな」 黒鵺は、蔵馬の立てた策に感心していた。自分もその策に参加しているが、すべてを知っていたわけではないのだ。 加羅は黒鵺に掴みかかろうとしたが、蔵馬に腕を捕まれてしまった。 「いいか女。『策』とはこういうふうに立てるんだ。貴様は、全く気付かなかっただろう?100年もの間、何の疑いも持たなかったんだからな」 「あ‥‥あたしは本気で黒鵺様を愛していたのに──!ちくしょう!あの人間の女のどこがいいんだい!?蔵馬様、あんただってそうだ。あんな女のどこが──」 蔵馬は、加羅の髪を引っ張って引き寄せると、冷たく吐き捨てる。 「それは、貴様に話すつもりはない。だが、100年間、賊の役に立ったことだけは感謝してやる。用済みになっても、今日まで貴様の首を挿げ替えさせなかった黒鵺に、せいぜい感謝することだな」 「あたしが劣るってのかい!?あの女は人間なのに──。すぐに死んじまいやがる弱い生き物なのにぃぃ!」 (嫉妬‥‥か。全く見苦しい) 「ちっ、面倒くせえ女だな。蔵馬の言うとおり、あの時殺しておくべきだったぜ」 妖怪は、恐ろしく冷たく‥‥そして冷酷だ。目的の為には手段を選ばない。利用できる者はなんだって利用する。 誑かせて、弄んで、切り捨てて──。 それが妖怪の本性。蔵馬と黒鵺は、幾度となくこのような事をしてきた。そして加羅も、蔵馬と黒鵺の後ろで笑って眺めていた。 それは、切り捨てられる対象が自分では無かったからだろう。 そんな自分が今、ゴミのように捨てられようとしている。自分には治癒能力があって、賊の役に大いに立つというのに。 「ちくしょう‥‥ちくしょう!いっそあの時、あたしがあの女を殺してやれば──!」 黒鵺は、蔵馬が連れてきた加羅を、側に置いて侍らせていた。 治癒能力があり、賊にとって便利な存在。それがたまたま“女”だった。たった、それだけのこと。そこに“情”などはない。 黒鵺は、気の強い女が好みである。だが、同じ気の強い女でも、この女とでは決定的に何かが違う。この女とに与える“情”とは、何かが違う。 は、『役に立たない』と言われたからといって、決して他者を蹴落とそうとは考えたりしない。 加羅から、『散々役に立たない』と辛辣に非難された。 しかし、嘆いたところで何も変わらないと思ったのだろう。せめて賊の為──黒鵺の為に、は何かしようと必死になった。 のその時の心情を考えると、辛いものがこみ上げてくる。 危険な行為を犯したを責める気には、不思議とならなかった。むしろ責めるのは自分自身だ。 そのような辛い感情をに抱かせてしまったことを、はげしく悔やんだ。 を抱えての盗賊業は、不利かもしれない。だが、それを指摘されたら、俺はいつでも賊を去る覚悟はある。 盗賊業と。天秤にかけるまでもない。俺はもう──がいなくなった生活を想像できない。 それは、共に過ごした時間の長さではない。あの日、出会った瞬間に、俺はに惹かれたのだ。 加羅の憎しみに満ちた叫びを聞いても、蔵馬は眉をひそめることすらしない。 「一つ聞きたい。今回の策は、お前が一人で企てた策か?それとも、仲間との共謀か?」 「ふん、他の奴らに手助けしてもらったら、私の手柄が減っちまうだろう!?」 「そうか‥‥わかった。もう貴様に用はない」 |