闇に咲く花 長編 第4部 6話

 黒鵺は居間に戻ると、ドカッと副将の座に腰掛け、疲れたように胡坐を組んだ。
「副将、大丈夫ですかい?」
「なんだか顔色が青いですぜ。ちょっくら休んだ方がいいんじゃないですかい?」
「心配するな。なんでもねぇよ」
 皆、言葉には出さずとも、この原因がにあると知っていた。
 賊の皆に酒を出していた
 黒鵺の言うとおり、賊の皆はが注いだ酒を断りはしなかったが、突き刺さるような視線を浴び、はやりばのない罪悪感を抱えていた。
 黒鵺をここまで疲れさせているのは、誰であろうなのだ。
 不満を抱えながらも、それでも部下はの酒を断らない。理由は──黒鵺がそう命じたから。
 彼らがどんな葛藤を抱きながら自分と接してくれているか。考えただけで申し訳ない気持ちになった。
「あ、あの‥‥」
 黒鵺は顔を上げ、目の前で酒を持つの無事な姿にホッとため息をついた。
「あの、味はどうですか?」
「あぁ、いける」
「‥‥そうですか」
 の口調に不思議な違和感を感じた。
「ごめんなさい。ちょっと調味料を勝手に足しちゃいまして‥‥。お口に合わなかったら、申し訳ないと思いましたから──」
 早口でまくしたてながら、台所で夕食の支度にとりかかろうとするうを、黒鵺が制止する。
、お前は地面に強く叩きつけられたんだ。まだ体は痛むだろう。もういい。しばらく休んでいろ」
「私は不要‥‥ですか?」
「そういうことを言っているんじゃない」
 しばしの沈黙の後、は「わかりました。‥‥黒鵺さん」と呟き、背を向けてその場を去った。
(黒鵺‥‥“さん”?)
 黒鵺の目が曇った。立ち去るを慌てて追いかけ、腕を掴んで呼び止める。
「どうした。俺をそのように呼びやがって。‥‥おい。もしかして部下に、俺をそう呼べとでも言われたのか」
 黒鵺が部下を見渡すと、部下たちは必死に首を左右に振って否定した。
 それでもがうつむいたままなので、黒鵺は「じゃぁ、加羅か?」と尋ねる。
 一瞬、の目が泳いだ。相変わらず何も言わなかったが‥‥それこそが答えだった。
 加羅の、嫌な置き土産である。
「今まで通り『黒鵺』でいい」
「‥‥他の方はそう呼んでいないですよ」
「他の奴らは関係ねぇ」
「特別扱いはダメですよ。副将」
 ついに、名前ですら呼ばなくなった。
「それは──。だが俺は、お前にそんな呼び方をされたくねぇ。だから‥‥」
「黒‥‥鵺?」
「そうだ。それでいい」
「でも──!でもね黒鵺。やっぱり、今まで通りってわけにはいかないわよ」
「どういう意味だよ」
 は、黒鵺が闘うところを陰で見ていたことを話した。
「私、闘っている黒鵺を初めて見たわ。知らなかったわ。でもあれが、本当の黒鵺なのね。黒鵺は盗賊で、賊を預かる副将なのよね。黒鵺の後ろにはあなたを慕って戦う部下が沢山いるってわかったの」
「本当の俺?そうかよ。じゃぁ、俺がお前と接する姿は“偽り”か」
「そうじゃないけど‥‥。でも、今までの私の黒鵺への態度は酷すぎたってわかったの。だから、改めようと思って」
「いらねぇよそんなの。そりゃぁ、確かにお前は我が強くて向こう見ずで暴慢なところはあるがよ」
「ほら!やっぱそう思ってるんじゃない!」
「だが、それを俺は不快に思ったことなどねぇ。むしろ、俺はそんなお前を──」
 その言い方は、の態度は『不快じゃなくむしろ快感。俺はマゾだから』に聞こえてしまう。
「でもあなたには、あなたの生活がある。私、それを初めて知ったの。気付いたのよ」
「そんなことは関係ない。俺は俺だ」
「もうやめて。私を、“腫物”みたいに扱ったりしないで」
『私を心配しないで』。は消え入りそうな声で呟いた。
「な、何を言うんだ。俺はお前をそんな風には見ては──」
「ほっといてよ!」
 思わず、黒鵺が手を引っ込めた。
 の怒号を聞いて、賊の仲間がわらわらと立ち上がる。
 『副将に立てついた』『妖怪に立てついた』『副将に刃向った』『偉そうに』『何様だ』『我らが副将によくも』
 “人間のくせに”。これ以上聞きたくないと、は怖くなって耳を塞ぐ。その中で、ひときわ大きく聞こえる声があった。
 『なんであんな役に立たない人間の女を連れてるんだ?まったくもって、副将には“相応しくない”のに』
 黒鵺が、キッとその部下を睨みつける。
「黒鵺‥‥ごめん。ちょっと独りにして」
 黒鵺の目線が部下に向いている隙をつき、は黒鵺に背を向けて走り出した。
 てっきり、自分の部屋に戻るのかと思いきや──。
「待て、!外に出るな!」
 黒鵺は慌てて後を追う。は霊気を遮断するイアリングを装着し、背の高い林の中に逃げ込んだ。
 視界からいなくなってしまえば、黒鵺はをみつけられない。
(はぁ‥‥。私、なにやってんだろう)
 自分が動くと、黒鵺に負担がかかる。
 それを避けたいのに、黒鵺を振り切って独りで勝手に行動している。
 矛盾を抱え、自暴自棄になりそうだ。
 こんな自分、らしくない。
(私は佳奈子と違って、そんなに悩むほうじゃなかったのに)
 しばらく走った先で、急な雨に遭遇し、目に留まった洞穴に飛びこんだ。
「やだ〜濡れちゃった。でも、こんなところに洞穴があるなんてラッキー‥‥」
 突如、ツンとした異臭を感じて手で鼻をつまんだ。
(ガス──?)
 なんだか、ここにいたらヤバい気がする。引き返そうと踵を返した瞬間、地面がグラリと揺れ、膝をついた。
(なんなの‥‥これ)
 そのまま体が動かなくなり、ドサッと地面に転がった。
 朦朧とする意識の中で、黒鵺の声が聞こえてくる。必死にを探している。
 しかし、はイアリングを装着しているので、黒鵺にはの位置はよくわからないようだ。
(いやよ黒鵺。お願い、来ないで‥‥!)
 今さっき、黒鵺を危険にさらし、助けられたばかりだというのに、またこんな目に遭うなんて──。
 嫌だ。恥ずかしい。こんな無様な自分、黒鵺に見つかりたくない。そしてなにより──部下に知られたくない!
 お願い!私を見つけないで──!
 黒鵺の叫びがどんどん近づいてくる。心臓が、ドキドキと早鐘のように耳障りなほど、の耳を刺激する。

!」
 耳元で黒鵺の声がしたかと思うと、フワッと体が浮いた。
 ついに黒鵺に発見され、そして抱きかかえられたことを知った。
 黒鵺が、洞穴からを抱えて外に飛び出した。
 辛い‥‥。悲しい‥‥。苦しい‥‥。いろいろな感情が、止めどなく湧き出してくる。
 の意識はかろうじてあり、耳も聞こえている。黒鵺が、しきりにの名を呼んでいるのがわかった。
 しかし、身体は弛緩しているため、全く動かせない。
!‥‥くそっ」
 私は、どこまで黒鵺に迷惑をかけたら気が済むのだろうか。
 黒鵺と一緒にいたい。何が遭っても一緒にいる。さっき、確かに約束した。でも‥‥。
 あれは、あの時だから言えたこと。黒鵺の周りにある賊の存在を知るはずもなかった、黒鵺との──二人だけの約束。
 私は、賊に迷惑をかけて、黒鵺に迷惑をかけてまで、果たして一緒にいるべきなのだろうか?それでいいのだろうか?黒鵺は良いと言ってくれたけど、それではいけない気がする。
 能力のない弱い“人間”の私を気遣っての言葉だとしたら──そんなのは嫌だ。
 だって私は、気を使われるほど弱い人間じゃないんだから。
 私は、誰かの犠牲の上に立とうとは思わない。私を、腫物を触るように接してもらいたくなんかない。
 あの家にいたころは、黒鵺と一対一の関係だった。でも今は、副将黒鵺の後ろで何十人もの部下が傅いているのが見える。
 迷惑をかけてはいけない。危険に晒させてはいけない。でも‥‥私は人間である以上、トラブルを抱えてしまう。避けることさえできない。
 トラブルを経験する度、助けられる度に、黒鵺の強さが迫ってくる。
 彼は、賊を預かる副将で、強大な力を持っている。
 当たり前のように、私の隣にいた黒鵺。魔界の家で──暗黒武術会場で──彼と一緒にいた。笑いあい、バカやったり、ケンカしあったりした。
 私は、黒鵺のことを知った気になっていた。でも、それは彼の真の姿ではない。
 彼には彼の“生活”があるのだ。賊の副将として、責任のある立場が。
 黒鵺は私と出会い、生き方が変わったと言った。でも私は、何も変わっていない。出会った日のまま、まるで成長をしていない。
 私は彼の本質を知って、はたして今まで通り、ここで過ごしていけるのだろうか──。
(お願い黒鵺。もう私を放っておいて‥‥。助けないで‥‥心配もしないで‥‥。私はあなたに助けられるほど、ドンドン惨めになっていくのよ‥‥)
「なんですかい副将。おやっ、またこの女ですかい」
「もしかして、あの敵賊の洞穴に入ったんですかい?あそこは有毒ガスが沸いているっていうのに。なんでまた、この女はこんなところに──」
 賊達は当然のごとく、の行動を責めた。1日に2回も副将の手を煩わせたを責め、これだから人間の女は──と、非難する者も現れた。
 更には『危機感がない』。これは、黒鵺がに対しても何度か言ったセリフである。
 しかし、他人から言われるのは気に食わないらしく、黒鵺は、その声らを一喝して黙らせた。
「そんなことはどうでもいい!“頭”を‥‥蔵馬を呼べ!早くしろ!」
 黒鵺の取り乱しように、部下たちは明らかに動揺していた。
 たった一人の、たかが人間の女に、副将がこんなにも心をかき乱されている。青白い顔をして、激しく息を切らせて──。
 副将が震えている。部下たちは、見たこともない黒鵺の姿に、動揺を隠し切れなかった。

 それから数時間が経ち──。
 蔵馬たちはあれから、拠点となるアジトに速やかに帰還した。
 は、の部屋──と言っても、前の家のような密室ではなく、簡単に間仕切りされた部屋のベッドに寝かされていた。
「女はどうだ」
「‥‥いや、まだだ。まだ目を覚まさねえ」
 黒鵺は、の前髪を静かに梳きながら呟いた。
「いい加減眠ったらどうだ。賊と闘った身で無理をすれば、体に障るぞ」
 こんな状態のを目の前にして寝られるわけがないと、黒鵺は小さく首を横に振った。
「心配するな。放っておいてもしばらく経てば目覚めるさ。あのガスは確かに有毒だが、所詮は敵を捕らえるために作られたものだ。命を取るものではない。あと小一時間もすれば勝手に目覚めて、何事もなかったように回復するだろう。そんなこと、お前だってこのガスを使ったことはあるから、よく知っているだろうが」
「簡単に言うな。は妖怪じゃねぇんだぞ!」
 黒鵺は、それは妖怪の場合であって、人間でも平気という保証はどこにもないと、怒りを込めて蔵馬に返した。
「人間も妖怪もは同じだ。あの毒ガスは、所詮──」
「うるせぇ!」
 今の黒鵺には、もはや何を言っても通じない。蔵馬は諦めて、それ以上は何も言わなかった。
「蔵馬。お前の連れの女が、確か言ってたな。たとえ自分が死んでも、蔵馬は自分と出会う前の生活に戻るだってな」
(ったく、つくづく人の話を聞かんやつだ。だから、死ぬような毒ガスではないと何度も‥‥)
 蔵馬は、うんざりしたようにため息をつくが、黒鵺は言葉を続ける。
「理屈からすりゃぁ、確かにその通りだと思うぜ。に会って、まだ1年ぐらいだからな。がいなかった人生の方が、はるかに長いさ。だが‥‥違う。ぜったい違う。少なくとも、俺にとってはな」
 の手を、強く握りしめる。
「悪かったな‥‥蔵馬。賊に迷惑かけちまってよ」
 頭を項垂れていた黒鵺だが、何かを決心したかのように、顔を上げた。
「蔵馬。俺はもう、こんなことは二度と起こしたくないと思ってる。だが、は人間だ。似たようなことがこの先も起こらない保証なんてどこにもねぇ。もし‥‥大将のお前が困るなら、俺は賊を抜けても構まわねぇぜ」
「何を言う。お前だって賊を預かる副将の身だろうが。そう簡単に手放そうなどと思うな」
「わかってるさ。俺だって、適当な気持ちで副将になったわけじゃねぇ。だが‥‥」
「だが?」
に出会ってから、全てが変わっちまった‥‥。今の俺は、賊の連中よりの方が大事だ。賊なんか、その気になりゃぁ何度でも作り直せる。だが‥‥は違うからよ」
「黒鵺」
「あの時、を失うかもしれないって思った瞬間、目の前が闇のように真っ暗になっちまった。音もねぇ、光もねぇ。でも、自分の鼓動だけはやたら響くんだ。うるせぇぐらいにな。わかんねぇが、なんか‥‥どす黒いもんが俺の身体にのしかかってきやがった」
 その光景を思い出すだけで、体が震えだす。
「さっきもだ。洞穴を覗いたら、が倒れていて‥‥。俺がいくら呼んでも反応しねぇんだ。今だって、こうして呼んでいるのによぉ。‥‥ちくしょう!なんで目を覚まさねぇんだ!!」
 イラつく心を当り散らすように、黒鵺は拳を石壁に叩きつけた。
「なぁ蔵馬。もしが死んだら‥‥。俺は、どうなるんだろうな」
 蔵馬は呆れたように宙を見上げた。
 さっきも言ったが、死ぬような毒ガスではないし、後に残るような危険なものでもないから、しばらくすれば目覚めるのだ。
 もう一度言ってやりたいが、どうせまた堂々巡りになるだろうから敢えて黙っている。
「後を追って、霊界にでも行くつもりか?」
「わからねぇ。でも、そこでまた、と会えるなら‥‥。どうすっかな。‥‥ハハッ、すまねぇな蔵馬。こんなやつが副将でよ」
 蔵馬は、これ以上なにかを言う気も失せたかように部屋を後にした。
 こちらの話を全く聞かない黒鵺にはほとほと呆れるが、愛する女の死に恐怖を感じる気持ちは分からなくもない。
 蔵馬も以前、佳奈子が血の海の中で沈んでいる姿を見たとき、同じような感覚に陥った。※1
 血だまりなど、飽きるほど見ていたというのに──。
 音もなく‥‥光もない世界。だが、うるさいほどに自身の鼓動だけが耳につく。重く深い闇が胸に迫り、息すらも封じられる恐怖。 今でもその光景を夢に見て飛び起きることがある。
 蔵馬は、佳奈子と『どちらかが死んでも生き続ける』と約束した。しかし、その約束を果たせるかは、正直その時が訪れなければわからない。※2
 どうせ死ぬのであれば、佳奈子を護って死ぬことを切に望む。
 なぜなら、亡き後、独りで生き続ける自信などないのだから──。

∧※1…俺が人を愛した日〜愛の秤〜 3話   ∧※2…第3部9話
黒鵺は妖怪で、強い。散々コエンマに聞かされていましたが、今の今まで、黒鵺の強さを全く見たことがなかったです。いつも対等で、時にはこき使って(?)いた彼が、実は‥‥すごい人だった。
俗にいう『知らぬとはいえ、数々のご無礼を──』です(笑)。
今まで通りで良いという黒鵺ですが、どうにも割り切れない、いつも強いの初めて見せる弱さです。

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