あたりに響き渡る声に、皆が一斉に声の主を探して上を見上げた。 吹き抜けになっている階上から、雲鬼がたちを見下ろしていた。 (今だ!) 蔵馬が、ハサミを陣に向かって投げつける! しかし、妖気が通っていない為に威力は無く、雲鬼が放った霊光弾によって簡単に弾き飛ばされてしまった。 「くっ‥‥」 雲鬼が、両者の間に割って入るように、吹き抜けの上階から降り立つ。 「やめないか!この人間界では、妖怪同士の争いは一切認められん。一体何事だ!?」 「運営本部だべか?」 陣が、雲鬼が腕に付けている腕章を見て尋ねると、雲鬼は「そうだ」と認めた。 「お前達、ここで何をしている。この人間界で──しかもここはホテル内だぞ。争い事は控えてもらおうか!」 「だったら‥‥こいつ、こいつを捕まえてよ!」 鈴駒がおもむろに蔵馬を指した。 「この妖怪がどうした?」 雲鬼が、蔵馬を知らないふりをしながら、蔵馬の姿を一瞥する。 「なんだ、ただの“低級妖怪”ではないか」 雲鬼は蔵馬を指さしながら、わざわざ蔵馬を“弱い妖怪”であると強調した。 「こんな弱い妖怪、お前達にとって害にはならんだろう。殺したところで手柄にすらならん。放っておけばいいではないか」 (雲鬼ったら、言い過ぎよ‥‥) 弱い妖怪だと強調するため、あえて侮蔑的な言葉を選んでいるのはわかるが、これはさすがに‥‥。 「違うよ!こいつ、ちゃんを攫おうとしていたんだ!悪い奴なんだよ!」 「何?」 「だから俺達が、助けようとしていたんだべ!そしたらこいつが──」 雲鬼が振り向くと、と眼が合った。は蔵馬の背に隠れたまま、口だけを動かして『ごめん』と小さく謝る。 「わかった。私が責任をもって対処する。双方とも引きなさい」 雲鬼は蔵馬に向かって、「ここは霊界が支配する場だ。面倒は困る」と小声で叱責し、今は取りあえず去るよう促す。 不服そうに蔵馬は顔を顰めたが、雲鬼には、の命を救ってもらった大きな借りがある。 蔵馬が素直にその場から立ち去ると、当然、陣と鈴駒は納得いかないと揃って叫んだ。 「なんだべ!どうしてあいつを見逃すんだ!?」 「待ってよ!ちゃんと逮捕してくれよ〜。そいつ、ちゃんを攫おうとしたんだよ!」 「そうだべ!あいつ、の首根っこさ捕まえてよぉ、壁に押し付けて脅していたんだべ!こんまま見逃して殺されてもいいだか!?」 改めて雲鬼がに目を向けると、バツの悪そうなが佇んでいる。 おそらく蔵馬はを脅したのではなく、叱責していたのだろう。 さすがに、蔵馬には同情を隠せない。のために必死になって動いたことを、この男達は何も知らず、まして真実を明かすことさえできない──。 「そこをどくだよ!」 陣が床を蹴って跳ね上がると、雲鬼を交わしての横に着地した。 「待ってるだよ。俺がやっつけてやっからな!」 「ダメ!あの方を傷つけないで!」 駆け出そうとした陣の腕を、が掴んで制止する。 「あ‥‥あの方?」 キョトンとして、陣は首を傾げた。 「、どーしてあの男の肩を持つだが!?‥‥ひょっとして‥‥知り合い‥‥だべ‥‥か?」 「お願い、あの方を傷つけないで!あの方は‥‥私を守ってくれたの」 お願いお願いと、しきりに頭を下げるに、陣はオロオロしながらの顔を覗きこむ。 「確かに、さっき私はあの方に怒鳴られていたけど、それは私が危険な事を冒したことから‥‥。あの方は、私を咎めていただけなのよ」 「‥‥本当け?」 「ええ。私が妖怪に騙されてノコノコ付いて行ったから、あの方は怒って──」 雲鬼は──を護るのはつくづく大変だろうなぁ〜と、霊界人ながら、しみじみ蔵馬に同情してしまう。 そもそも、蔵馬のことをペラペラと話す必要などない。このまま、だまって蔵馬を悪者にしておけばいいのだ。 もし仮に自分が悪い妖怪だったら、この2人の関係性を『いい情報』として、利用したいぐらいである。 数千年にわたり、閉鎖的な環境下でただ血族を紡ぐだけだった種族にとって、『他者を疑う』という感情は薄れてしまっているのかもしれない。 「でもさちゃん、守るならオイラが守ってやるよ。オイラ、あいつより妖気もあるしさ。強い妖怪が襲ってきたらどうするんだよ!」 「そうだべ。強い妖怪を味方に付けておけば、を襲う奴もいなくなるだよ」 「そういうことではないだろう」 つい、雲鬼が口をはさんだ。 「お前達妖怪にとって、妖気が全てなのはわかる。だがな、妖気が強ければ強いほど、守れるというものでもないだろう。だから、はあの男に付いている。そうだろう?」 に問うと、コクコクと頷く。 「お前達がいうボディーガードの話は却下する。あの男がいれば十分だ」 「でもさ、あいつに妖気なんかねぇべ。‥‥弱いべさ」 「そうだよ。弱いくせにちゃんを護るなんて、無謀だよ」 なおも陣と鈴駒が引かないので、雲鬼は運営本部の責任者として2人に問いただした。 「あの時、をフェリー乗り場に呼び出すアナウンスが全館放送された。そして、40分後にも再び流れた。この時点で、あの男は不審に思った。なぜ、はその場所に“来られない”のだろう──とな。泥にまみれ、白装束を血に染め上げながら、あの男は森中を探し回り、道に迷って泣いているを見つけた。その時、お前達はどこにいた?」 「それは‥‥」 「あの男は、たった1人でを探し続けていた。最悪のことを考え、荒れ狂う海にまで飛び込もうとまでしていた。その時、お前達はどこでなにをしていたんだ?」 陣と鈴駒はなにも言えずに沈黙した。 「妖気の差ではない。確かにお前達の方が妖気が優れているのは認めよう。だが、を護る役目は、助ける意志が強い者がやるべきだとは思わないか?」 「雲鬼──」 「‥‥お前は本当に人を信じすぎるなぁ〜。少しは疑ってかかることも覚えたほうがいい。敵は、真正面から向かってくるヤツばかりじゃない。計算高いヤツラの中には、味方のふりをして近づいてくるやつもいるんだ」 が思わず陣達に目を向けると、「お〜俺らは違うべ!」と頭を振った。 「そいつらは‥‥まぁいい。とにかくそういうことだ。敵は正面からではなく、間接的にも襲ってくる。注意しろ」 「わかってるけど‥‥」 「それと、これは〜あの妖怪に黙ってろと言われたが‥‥お前のためだからな。言ってやるべき──かなぁ」 「なに?」 「俺から聞いたことを他言しないか?お前に話したことがあの妖怪の耳に入ったら、俺は殺されかねん」 雲鬼は蔵馬から、には黙っていろと言われているが、いい機会だから、陣達の前で敢えて言ってやろうと思う。 「なによ今更。蔵馬と黒鵺さんには言わないから、言ってよ」 「だったら言うが‥‥お前は今回だけでなく、何度もあいつに守られている。俺が知っている限りでは2回だが、おそらくもっと多いだろう」 「え‥‥」 「さすがに俺が見ている前では、あいつらは殺すことはしなかったがな。だが最終的にその妖怪どもは全て殺されているに違いない。多分な」 「多分っていうのは?」 「あの妖怪が、そのまま生かしておくとは到底思えん。それに、あの妖怪に襲われた奴らは二度と姿を見せん。恐らく、霊界の目が離れた隙に殺されているのだろう。だが、証拠が無いから調べようがない。恐ろしくて聞きようもないしな」 「そんな‥‥。でも」 「何も殺さなくたって──と言いたげだな」 蔵馬と同じセリフを言われてしまい、はつい口に手を当てる。 「殺すのはダメか?だったらお前は、「はいどうぞ」と大人しく殺されてやるつもりなのか?」 「それは──。でも、霊界は許さないでしょう?」 「妖怪相手に人間の『罪』や『罰』を教えても無駄だ。“人間界の法”を妖怪の前に持ち出すな。そもそも、それを持ち出したところで、『法とお前の命』を秤にかければ、どちらを選ぶかは明白だ。秤にかけるまでもない」 「でもよぉ、霊界に見つかったら‥‥下手したら『死罪』だべ?」 「そんなものは、なんの脅しにもならんさ。法を守ってを失う選択肢を選ぶわけがない。死罪を覚悟のうえで動く妖怪に、この俺が何を言える?」 「‥‥嘘だべ」 「そうだろう。普通、妖怪はそんなことはしない。人間同士だって怪しいものだ。だが、あの妖怪は‥‥なぁ」 陣と鈴駒は、唖然とした顔でお互いの顔を見合った。2人とも、さすがに我が身を捨ててまで助けることなどできない。 だが蔵馬は、を生かすために自らが犠牲になることも厭わない。を生かすためなら手段を選ばない‥‥選ぶ理由は無い。 平和の中で生きる人間にはわからない。殺伐とした魔界で生きる妖怪だけが察知できる、“死の足音”。 人間のはそれを察知できないクセに、偉そうに蔵馬に「出て行け」と命じた。 面と向かって暴言を吐いても、相手がだから蔵馬もなんとか堪えていたが‥‥堪え切れずにキレてしまっても仕方がない。 むしろ、それで済まされていることに感謝をするべきだ。 その蔵馬が、だけに与える『優しさ』と『温もり』。それがいつしか当たり前になった時、その心に甘えた。 何か遭っても護ってくれる安心にどっぷり浸り、その裏では、彼が命を張っている事を知ろうとしなかったのだ──。 「さん。さん。至急B棟1階インフォメーションまでお越しください」 本日3回目。ホテルに、を呼び出す全館放送が流れる。 B棟14階。暗がりの廊下をトボトボと歩くの耳に、その放送はやたらと耳に響いた。 館内放送の呼び出しは、今日だけは──もう聞きたくなかった。 暫く無視をしていると、案の定、「さん、さん」と再び呼び出される。 誰が私を呼んだのだろうと不審がっていると、「ご注文いただいたお荷物が届いております。至急B棟1階、インフォメーションまでお越しください」との文言が付け足された。 (本‥‥?) あぁ、そうだった。本土から『本』を注文していたのだった。台風が去ったこともあって、頼んでいた本がフェリーで届けられたのだろう。それを取りに来てほしいというアナウンスだった。 (そういえば私、今週は夜ならいつでも駆けつけるから、届いたらすぐ知らせてくれって頼んでたんだっけ) どうして、今日に限ってこのアナウンスが流れるのだろう。 全館放送。きっと蔵馬も聞いているに違いない。絶対、「またか」と思われているに違いない。 きっと叱られる。そして怒られる。まだ懲りないのかとバカにされる‥‥。 行きたくない。しかし職員なので、呼ばれたからには行かなければならないのが悲しい。 エレベーターの「↓」ボタンを押しながら、ついため息をついた。 籠が到着して扉が開き、顔を上げると──すでに先客が控えていた。 「──え?」 籠の中に居たのは‥‥蔵馬だった。 彼はいつものスタイルで壁に凭れて腕を組み、開かれた扉から現れたを姿を‥‥じっと見つめていた。 蔵馬は、何も言わずにを見つめていた。も、蔵馬を見つめ返した。 こういう時、彼にかける言葉はなんだろう。 (私を生かしてくれてありがとう) 普通だったら、この言葉が相応しいのかもしれない。 しかしそのような言葉をかけても、きっと蔵馬のことだから、それはそれで“私が気負っている”と思うに違いない。 去り際に、は雲鬼に念を押すようにこう言われた。 「だからといって、あの妖怪に“気を使おう”などとは思うな。人間特有の下手な気遣いが、妖怪の心を最も傷つける。それはあの男も同じこと」 その言葉を胸に、はぎこちなく蔵馬に言葉を発する。 「フフッ、蔵馬がエレベーターに乗ってるなんて、なんだか不思議ね」 蔵馬に助け出され生かされた自身の命を慈しむように、は蔵馬に満面の笑みを見せた。 すると蔵馬は、につられて──微かに笑みが浮かんでいる。 胸が熱い。彼の笑みを見ていると、心が温かくなっていく。 「何をしている。乗るのだろう?」 「う、うん。でも、えっと‥‥」 エレベーターの扉が閉まりかけた瞬間、蔵馬はの腕を掴んで籠の中へと引きこんだ。 パタン──と扉が完全に閉まり、と蔵馬は互いの顔を見合わせた。 は蔵馬に向けて笑みを絶やしていないものの、どことなく引きつっているように思え、蔵馬はの頬を愛しそうに撫でた。 「すまなかったな。そんな目で俺を見つめるな。お前のその瞳は堪える。俺は、決してお前を傷つけたりはしない」 は何かを喋ろうと口を開きかけたが、反論する言葉を聞きたくなくて、蔵馬は珍しく自分から言葉を発する。 「あの時は、怒鳴って悪かった。お前を助けるつもりが遅れを取ってしまったことで‥‥自分の愚かさに腹が立っていた。我を忘れるぐらいにな。霊界鬼から、お前が生きていると聞かされたが、俺は自分の目で見たものしか信じない。お前の生きている姿を見るまで、俺は‥‥生きた心地がしなかった」 が何かを言おうと口を開くたび、それを遮るように、蔵馬はただ、自分の心をさらけ出すように話し続けた。 「お前の姿を見た途端、ようやくホッとした。だが、お前の横にあの男たちが‥‥」 が生きていたのは嬉しかったはずなのに、陣と鈴駒と対峙した時、妖怪と気さくに話していたの笑みに、心は激しく動揺した。 「があの妖怪らと接している姿を見ていたら、あの男どもたちの存在が、無性に許せなくなってな‥‥」 蔵馬は、その怒りのはけ口を、あろうことかに向けてしまったのである。 「陣達のこと?あ、あのね蔵馬。あの人たちは──」 の口から、またその男の名が口に出た。蔵馬の心の奥底から、モヤモヤとする嫌悪感がまとわりつく。 (くそっ‥‥!) あの男どもの名など、聞きたくもない。──忘れたいというのに──。 「蔵馬?」 を襲った妖怪どもが憎い。に危害を加える者は、全て俺が殺してやる。あの妖怪どもも、今は味方だと欺いているだけだ。いつかはを殺すつもりで、機を伺っているに違いない。後に脅威となってに危害を加える前に、今のうちに殺──!」 「だめよ蔵馬!」 いつの間にか、声に出して叫んでいた蔵馬を諫める。 「ねぇ、どうしたの蔵馬。何かあったの?」 蔵馬の呼吸がいつになく荒く、は心配になって顔を覗き込む。 「なんでもない。気にするな」 「また、そんなこと言って!気になるわよ。だって今日の蔵馬、いつもの蔵馬と全然違うじゃない」 珍しく勘の鋭いに、蔵馬は思わず目を逸らした。 「俺はいつもと変わらん。例えお前の勘が当たったところで、これは俺の問題だ。お前が考えることではない」 まるで、親が子に言う『子供は知らなくていい』に似たニュアンスに、は無性に寂しくなった。 「どうしてそう言うのよ‥‥。ねぇ、それって、私に打ち明けられない悩みなの?もし蔵馬が、人間の私に打ち明ける価値の無い悩みだと思うなら、ハッキリそう言って突き返してくれていいのよ!私は、それを怒ったりはしないから」 「そんなことは──」 「だったら!お願いだから、何か言ってよ!陣だってね、何かで悩んでいる時には私に打ち明けてくれるのよ」 「あの男が‥‥お前に?」 「妖怪の悩みは人間の私には解決できないかもしれないけれど、陣はね、私に話すと楽になるんだって」 (やめろ。これ以上、その男の名を口にするな) 「だから、蔵馬も──」 体中が逆立つような感覚に襲われ、蔵馬は身を屈める。なんなんだこの気持ちは──。 「陣のように、なんでも話して──」 ‥‥限界だった。 「あの男がなんだ!奴らはお前に近づいて、一体何を求めている!何が狙いだ!?」 の両肩を鷲掴みにして、蔵馬が叫んだ。 「何を求めてって、そんなつもりは‥‥」 「見返りなしか。では、あの男はお前を愛しているとでもいうのか!?」 「蔵‥‥馬?」 「ふざけるな!俺のほうがお前を愛して────!!」 そう叫んだところで、蔵馬は目を見開き──硬直した。 この自分の心を、すべてを理解して、なにもかも悟った。 頭の中に広がる混乱も、嫌悪感も、苛立ちも、あの男どもに湧き上がる異様な憎さも──。 『嫉妬』 俺はあの男どもに嫉妬している。はっきりと今、理解した。 俺はあいつらに嫉妬している。嵐についてに尋ねたあの男たちに。気安くに声をかけてしまえるあの男達を‥‥酷く憎く思う。 あんなくだらない低級妖怪に、この俺が劣るとでも──? 「くそっ」 その“くだらない低級妖怪”と見下していた相手に、こともあろうに自分は嫉妬している。情けないのと同時に、無性に腹が立った。 人間界に来てからというもの、蔵馬はらしくもなくに声を荒げるようになった。 黒鵺には「人間界に来てからなんか変だ」と窘められ、はそんな蔵馬にウンザリしているようにさえ思える。 「蔵馬?本当に、どうしたの?」 「‥‥なんでもない」 蔵馬は黙り込むと、に背を向けるように壁際に凭れて瞑目した。 は心配そうに再度尋ねるが、もはやの声など耳には入らず、ひたすら自分自身に自問自答していた。 俺があんな妖怪どもに嫉妬などするはずがない。そもそも、妖力が違いすぎる。 「あり得ん」 「え?」 そのまま、蔵馬は何も話さなくなった。彼の全身から『独りにしてくれ』オーラが発せられており、もそのまま俯いてしまう。 あまりの気まずさに、蔵馬が髪をかきあげながら上の電光パネルを見上げた。
蔵馬の悩みを聞き出すつもりが、かえって追い詰めるです(鈍感なキャラって、書いてて面白い(^_^;))。 魔界では、話し相手が蔵馬しかいなかった時と違って、明るく賑やかな人間界には沢山の男性がいます。 にとっては『親しき友人』のつもりでも、蔵馬にとっては違います。慣れない人間界で平常心でいられない蔵馬を書いたつもりですが、いかがでしたでしょうか? ※因みに‥‥も蔵馬も、まだ「1」ボタンを押していませんので、エレベーターは14階で停止したままです(笑)。 |