闇に咲く花 第4部-8話

「ねぇ黒鵺」
 がおもむろに沈黙を破った。
「私は本当に、黒鵺の為に何かしたいと思ったの。貴方のこと‥‥護りたいって。そう、思ったのよ」
 は、ふっと苦笑いを浮かべた。
「でも‥‥そうよね。なんの力も無い弱い人間が強い妖怪を護りたいだなんて、偉そうに“何様”って話よ。護れるはずないし、かえって足手まといになるってわかってるのにね」

「自分でもわかってるのよ、この性格。だって、小さいころから雲鬼に言われていたんだもの。お前は気が強くて刹那的で、向こう見ずで無鉄砲だ。あと何回トラブルを起こせば気が済むんだって」
 自分は、『言ってくれないとわからない質』で、と蔵馬のように『暗黙の了解』で通じあえるほど、“できた女”ではないと伝えた。
 確かに黒鵺とは、蔵馬ととの関係のような“阿吽の呼吸”がほとんど無い。しかしその割には言い争いが少ない。
 それは黒鵺が蔵馬とは違って、真剣な話になると『歯が浮く』『面倒』と言ってどこかへ行ってしまうからだ。
 その点に関しては黒鵺も充分悪い。そのツケが今、一気に回っている気がした。
「私ね。また、霊界で働くことになったの」
「‥‥霊界で暮らすつもりか?」
 はフルフルと首を横に振った。
「私は、仕事をするために霊界に行くけど、仕事を終えて帰ってくるのは魔界なのよ。ここで生活するからには、私は足手まといになりたくない。迷惑はかけられないわ。私は、黒鵺の負担になるような存在であってはならないのよ」
「負担なんかじゃねぇ!どうしてそう考えるんだお前は!」
「何言ってるのよ!私護ってケガしたでしょう!?負担になったじゃない!貴方は賊を預かる副将なのよ。わざわざ私を庇って、痛い目に遭う必要なんかないのよ!私だけ特別扱いして助けてはダメなのよ」
「特別扱いなんか、した覚えは‥‥」
「したじゃないの!私は、貴方の部下に『お荷物』だって思われたくないの。ただでさえ、“人間”ってことで、迷惑をかけているんだから。さっきの事だって‥‥」
「さっき?あぁ、毒ガスのことか。あれは仕方ないぜ。人間は気付きようがねぇ。不可抗力ってやつだな、気にすんな」
 黒鵺に悪気はないのだろうが、“人間は気付かなくて当たり前”と言われるとカチンとくる。
「確かにお前が言うように、確かに妖怪と人間は力が違うぜ。お前は人間だから、妖怪と違って力は無いし、能力も無いし、気も感じねぇし、鼻も効かねぇしな」
 挙句の果てに『人間は、あれもない、これもない』と続ける。
 が自分を卑下して言うなら許せるが、それを人から指摘されたくない。しかも黒鵺に悪気が無い分、余計にむかつく。
「責めなさいよ。部下が同じことをしたら責めるのに、私の場合は許すなんて不公平よ」
、お前さっきから言ってんだ?」
(この‥‥デリカシーのない男!)
 エレベーターの事件と同じだ。黒鵺は何も気付いてくれない。※1
「俺の部下は妖怪だ。罠に気付いて避けるのが当然だから、そりゃぁ責めるさ。だがお前は人間なんだぜ。気付かねぇのが当たり前なのに──」
「だとしても、部下の手前、形だけでも責めるべきよ。黒鵺、あなた副将でしょう?少しは自分の立場ってものを考えるべきよ」
「どういう意味だよ。俺の立場なんて、お前が考えることじゃねぇだろ」
 いいかげん腹が立ってきた。だからつい、突き放すように暴言を吐いてしまった。それは正に“禁句”。絶対に言ってはいけない台詞を‥‥は黒鵺にぶつけてしまった。
「自分で蒔いた種は自分で刈るわ。自分でなんとかするから大丈夫よ!たとえしくじって死んでも自業自得よ。だから私を助けないで!お願いだから──もうほっといてよ!」
 悲鳴のように、が叫んだ。
「ふ‥‥ふざけんな!」
 売り言葉に買い言葉。に対して、黒鵺も声を荒げた。
「お前を助けるな──だと!?じゃぁなんだ!お前が傷つくサマを、指を咥えて黙って見てろとでもいうのか!そんなことできるわけねぇだろ!」
 たとえの自殺行為によって引き起こされた事態だったとしても、危機に陥れば救う。
 助けたいと思ったから助けた。それ以外の理由などない。
 いい加減ぶちキレた黒鵺は、の襟首を掴んでぐっと引き寄せた。
「い‥‥痛い!放して黒鵺!」
 黒鵺の手首を掴んで引き離そうと抵抗するが、びくともしない。
 見たこともない、黒鵺の鋭く光る冷たい深紫の瞳に、圧倒されて身が竦んだ。
「うるせえ!お前、ここに来た時言ったよな。俺の側にいたいからここに来たと。俺も同じだ。お前の側にいたいから俺はここにいる。それだけだ。お前に何かをさせる為じゃねぇ!」
「‥‥」
「役割も見返りもねぇ。じゃぁ反対に聞くがな、お前は、俺に何かをさせるつもりで俺の側にいるのかよ!?」
 黒鵺の紫暗の瞳を見つめていると、吸い込まれそうで目がくらむ。
「認めてやるぜ。俺はお前を特別扱いしたさ。だが、仕方ねぇだろ。たかが一部下と、お前なんだ。いざとなりゃ俺がどちらを助けたいか、選ぶまでもないだろう!」
「そんなことしたら、部下に示しが──」
「示しぃ?そんなの知るかよ。それを守ったところで、俺になんの得があるんだ?」
「貴方は盗賊の副将なのよ!立場ってものが──」
「関係ねぇ!『副将』って理由でお前を助けられねぇなら、そんな地位は俺にとっては邪魔なだけだ。いますぐ他の奴にでもくれてやらぁ!」
「だって!」
「うるせぇ!お前が死んだら全ておしまいだ!」
 が死んだ瞬間、全てが終わる。生きる意味も、目的さえも、全てが‥‥無くなってしまう。
 愛する者を失い、救えなかった自身を恨み、その先、独り生き地獄を味わうくらいなら、を護って死んだ方がマシだ。
 のいない世界で生き続ける理由などない。
 黒鵺は深くため息をくと、から離れた。とりあえず、ヒートアップしすぎた口喧嘩を収めなくては。
 まずは冷静になろう。ひとまず落ち着こうと、何度も深呼吸をする。
「いいか、よく聞けよ。たとえお前が引き起こした事態であろうが、自業自得だろうが、そんなことは俺には関係ねぇ。俺は、絶対にお前を失いたくはない。お前を生かし続けられるなら、命ぐらい賭けるさ」
「そんな簡単に‥‥。人の失敗のとばっちりで死ぬなんて」
「構わねぇ。お前がいない世界で生き続けるよりマシだ」
 を独り遺すのは悪いとは思う。だが、後に遺されるよりはいい。の苦しむ姿は勿論だが、まして死に顔など──決して見たくはない。
 黒鵺は、自分の思いを全て吐き出す。に対して何を思い、何を望むのか。
 確かに黒鵺はを助け、護っている。しかし、も黒鵺を助け護っている。
 星を眺め、花を愛でる日々。冷えた自分の心にも、こんな穏やかな時が流れたりするのだと──。
 ただ側にいてくれるだけで‥‥それだけでいい。それ以上、望むことはない。
「俺は十分、お前に護られている。俺が護る以上に、お前は俺を護っているんだ。自分では気づかないかもしれねぇがな」
 助け、護るということは、何も目に見えるものだけが全てではないと、黒鵺はを諭した。
 初めて聞かされる、黒鵺の心。そこには照れはなく、の瞳から目を離すことなく、静かに語りかけていた。
「誰かの為に生き、共に過ごすことを望んだのは初めてだ。この俺には、そんな心は無縁だと思っていたがな」
 は、真剣に耳を傾けていた。黒鵺を思いの全てを、その身に受け止めるかのように──。
「俺はお前に護られている。お前が側にいてくれるだけで、俺は満足だ」
 先ほどと同じセリフを吐いた黒鵺だが、今のの耳には、全く違った意味に聞こえていた。
 置物じゃない。腫物じゃない。黒鵺の隣で私が生きていることが、彼の望み──。
「もう、あんな危険なことは二度とするんじゃねぇ。確かに、お前が危機に陥りゃ、俺はお前を生かそうと必死になるだろうさ。だがな、お前を失うかもしれない恐怖にも陥るんだ。そんな思いは‥‥正直したくはねぇ」
 あの瞬間を思い出したかのように、震える手を額に宛がいながら唇をかみしめた。
「お前の考える通り、魔界は危険なところだ。お前は人間だからな、今後も似たようなことに遭うかもしれねぇ。望まなくても、危険が向こうからやってくるってやつさ」
「ねぇ黒鵺。危険に気付くにはどうしたらいいの?察知するコツとかあるの?私、どうしたらいい?何か、できたりするの?」
 すると黒鵺は悔しそうに首を横に振って、それは無理だと答えた。
「そんな‥‥」
 妖怪と人間の、決定的な差。人間のがどうこうできる問題ではない。
 だが心配するな。お前は俺が護る──。その一言を発したいが、それはにとって負担となるのだろう。
 は、黒鵺に対して声を荒げていたが、その心の奥底には、弱い自分を認めたくないという心理がある。
 あえてキツイ言い方をして自分を大きく見せ、黒鵺と対等でありたいと思っている。
 対等でありたいのに、人間という事実は覆らず、圧倒的な力の差を見せつけられ、悔しくてたまらなくなる。
 自分が命の危機に陥った事よりも、それを認めたくなくて、納得できなくて、更に自分を大きく強く見せる。そんなの心を知ると、黒鵺は胸が張り裂けそうになる。
 が、それを無意識にやっているだけに‥‥。それをさせてしまっている自分が情けなかった。
 自分が、真っ先にの異変に気付かなくてはいけなかったというのに──。
「すまないな。お前にこんな思いさせちまってよ。俺がお前と共に居たいばかりに、無理やり賊に連れてきちまった‥‥。俺のわがままだ」
「黒鵺」
「おおかた、加羅や俺の部下に何か言われたんだろう?人間が妖怪の輪に入るのは“場違い”だってな」
 図星だった。が目に涙を浮かべると、黒鵺は「当たりか」と項垂れた。
「俺の部下たちは、人間が物珍しくて仕方がねぇんだ。確かに、俺が人間を連れてる事自体、信じられないって顔してやがる者もいる。人間なんか、妖怪にとっちゃ“虫けら”みたいなもんだからな」
「む‥‥虫けら!?」
「だが、お前の存在だけは──出逢った時から俺には違って見えた。理由に気づくまでしばらくかかったがな」
 の存在は黒鵺にはどう映るのか。黒鵺にとって佳奈子が虫けらなら、蔵馬にとって浅香の存在も──。
「あなたの部下の中には、私の事をそう思っている人がいるってこと?」
 自分を見下すような顔をした黒鵺の部下たち。そして、蔵馬から幾度も浴びせられた冷徹な視線を思い出した。
「否定はしねえ。部下には、お前を傷つけるなとは命じているが‥‥。加羅の件は、本当にすまないと思っている。だが、もう安心していい。あいつは別の賊に行っちまったからな」
「加羅さんが?」
「あぁ。この賊よりは、あいつも腕が振るえることだろう。かえって良かったぜ」
 本当は、蔵馬と共に殺したのだが、それをに言う必要はない。もし真実を告げれば、は自分を責めてしまうだろう。
 部下にも、加羅は別の賊に移籍したと言ってある。
 黒鵺は、部下たちは今は、どうと接すればいいのかわからないだけだと伝えた。
「仕方ねぇさ。そもそも、妖怪と人間は相いれないもんだからな。だが、あいつらは俺の部下だ。いつかはわかってくれると俺は信じてる。俺がお前と接してるところをみりゃ、いつかは‥‥な」
「本当?」
「俺を信じろよ。いつかは約束できねぇが、絶対わかってくれるぜ」
「ねぇ。黒鵺は、人間の私と一緒にいて格が下がったりしない?笑われたりしない?部下の信用を無くしたりしない?」
 すると、黒鵺は静かに横に首を振って、の頬を撫でる。
「お前はそんなこと気にしなくていい。いや、違うな。そんな事を考える必要なんかねぇ。言いたい奴には言わせておけ。俺の信用が無くなって賊を失ったところで、お前が俺の側で生きていてくれるなら、それで十分だ」
 は、静かに語りかける黒鵺をじっと見ていた。全てを納得したら、不思議と涙があふれたきた。
 黒鵺に涙を見せるのは初めてだ。今までは、黒鵺に涙なんか見せられないと思ってずっと我慢していた。
 どうして、そう思ってしまったのだろう。弱い自分を見られたくたいという、変なプライドがあったのかもしれない。
 いつも強気で、必死に虚勢を張っていたが見せた、初めての“弱さ”。
 黒鵺は、初めて見るの涙に驚いたものの、たまらず強く抱きしめた。
「ハハッ、こんなお前でも泣いたりするんだな」
「ほっといてよ。たまには私だって、泣いたりするわよ」
「ったく、似合わねぇな」
「うるさいわね。そういう黒鵺だって、さっき泣いてたじゃない」
「なっ、泣いてねぇよ。俺が泣くわけねぇだろ」
「うそっ、泣いてたじゃない」
「‥‥」
 いつものの調子が戻ってきた。黒鵺は、ホッと胸を撫でおろした。
「お前ってやつは、本当に気が強い女だな。この俺に、こんなにも突っかかってくる女は他にはいねぇ。全くお前といると、トラブル続きで飽きが来ないぜ」
 褒められているのか貶されているのか。
「とにかく俺は、お前のしけたツラなんか見たくねぇ。さっさと元のお前に早く戻れよな」
「いいじゃないの。私だって、たまにはしんみりしたり、しおらしくなるわよ。は私と違ってよく泣くけど、蔵馬さんはその都度慰めてくれるんだって。羨ましいじゃない?私だって、黒鵺に慰めてほしいのよ。それなのに、初めて見せた私の涙に『しけたツラ』なんて酷すぎないかしら」
「悪かったな。どうせ俺は蔵馬じゃねぇよ」
 愚痴を吐きながらも、蔵馬だったらどう慰めるかを考え、すっとの目を見つめ直した。
、どうか泣かないでくれ。お前の悲しむ姿など、俺は見たくはない」
 とても真摯に語りだし、自身の胸に手を当てた。思わずたじろぐの肩に手を添え、その姿はまるで別人のようだ。
──。俺のそばにいてほしい。もう、どこにもいかないでくれ。‥‥頼む」
「く、黒鵺?」
「お前を心から愛している。お前の強く凛とする姿を、また俺に見せてほしい。お前さえ側にいれば、他に何も望むものはない。だから‥‥ん?なんだよその目は」
 苦虫を潰したような顔をするに、黒鵺は怪訝そうに眉をひそめた。
「なんか‥‥気持ち悪い」
「き、気持ち悪い!?なんでだよ」
「だって、黒鵺じゃないみたいなんだもの。まるで別の人みたい。なんだかすっごい違和感があるわよ」
「違和感って‥‥そりゃねぇだろ。お前、俺に言わせておいて──」
「ごめんねっ、やっぱりやめましょ」
 鳥肌が立つと苦笑いを浮かべる失礼なに、落胆してガックリと肩を落とす黒鵺である。
 こちとら、意を決して普段なら決して言わないようなセリフを精一杯吐いたつもりなのに。
「あぁそうかよ!俺だって柄じゃねぇよ。ったく歯が浮いちまったぜ。蔵馬の野郎、こんな台詞をよく照れもせず言えるもんだな」
「そうよね。でも蔵馬さんの性格だから言えるし、相手がだから聞けるのかも。フフッ、私達って変よね。言う方も言われた方もお互い違和感があるなんて‥‥。所詮黒鵺も私も、そんな柄じゃないってことよね」とコロコロと笑った。
「だったら今、俺が感じているお前への違和感もわかるだろう。今のお前は、俺が知っているいつものお前じゃねぇ。姿こそお前だが、中身は別の誰かのようで薄気味悪いぜ。だから、早くいつも調子に戻れよ。これ以上、気を使うな。俺にも、部下にも──」
「そうね。そうする」
 が苦笑いをして立ち上がろうとすると、黒鵺はの肩を掴んで引き留めた。
「だが、今の言葉は俺の本心だぜ。全てな──」
 そう耳元で囁くと、ぐっと引き寄せて唇を奪った。
 驚いて顔を背けようとしたが、片手で顎をすくわれ、阻止されてしまった。
 は、黒鵺の胸を押して抵抗しようとすると、黒鵺は掴んでいたの肩を背に回して密着させ──の両手は、自分と黒鵺の胸に挟み込まれる形で身動きが取れなくなってしまった。
「んっ──」
 は抵抗するのをやめて、黒鵺の熱い口づけを受け入れ続けた。
 その唇が首を這った瞬間、妙な熱いものが駆け巡り、は思わず首を振る。
 それに気づいたのか‥‥黒鵺は唇を放すと、しばらくの瞳を見つめていた。
「すまねぇな。今日はゆっくり休め。明日の朝、また来るからよ」
 少し照れながら早口でまくしたてると、そのまま部屋を出ていった。
 一応、黒鵺もも病み上がりの身である。特に黒鵺は、まだ毒に侵されている。このままを抱きたい衝動を、なんとか理性で抑えつけた。
──)
 薄暗く、冷えた石壁に背をつけて、黒鵺は大きくため息をついた。
 なんだか急に、一仕事を終えたような疲労が体にのしかかってきて、そのままズルズルと床に尻をついた。
(ったく‥‥参ったぜ。これなら、賊を討ち落とすほうが楽ってもんだ)

∧※1…エレベーターパニック  
先を見据え、『言わなくても察する』のが得意な蔵馬と、その場しのぎで行き当たりばったりの黒鵺。
各ヒロインへの接し方が真っ二つに別れました(笑)。
何もできないけど、形に残ることだけがすべてじゃないという言い方は、好きですね。

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