闇に咲く花 第4部 9話

 独り部屋に残されたは、ベッドに顔を埋めていた。
 殺伐とした魔界に生きる盗賊。加羅にとって、自分は『邪魔な存在』だった。暗殺して葬りたいほどの──。
 悔しかった。とても悲しかった。
 加羅だけじゃなく、他の部下も、心の中ではそう思っているのではないか。
 もしかしたら、黒鵺だって‥‥。
 あの、四人で静かに一つ屋根の下で過ごしていた頃とは違う。
 賊の中で私が『無能』だと知ったら、幻滅するかもしれない。呆れるかもしれない。まるで『100年の恋が一瞬で冷める』どこかの御伽話みたいに‥‥。
 黒鵺に突き放されたらどうしよう。見捨てられたらどうしよう。
 思い始めたら、とても怖くなった。
 『なにもしなくていい』という黒鵺の言葉は、の耳にはこう聞こえていた。『賊にいても役に立たないから、なにもしなくていい』と。
 塞ぎこんでいるためか、勝手にそう解釈した。‥‥焦っていた。全てに。
 妖怪と人間の差。能力の差をまざまざと見せつけられ、自分は何一つ賊に貢献できず、非力な自分に腹が立った。
 足手まといになって煙たがられるのは嫌。人間の弱さに呆れられるのも嫌。そう思うあまり、自分が自分でないみたいに──とても無理をしていた。
 黒鵺は今まで通り、何一つとして変わることなくと接していた。
 要は、が勝手に焦って空回りをしていただけ。黒鵺は何も言わなかったが、それを自分自身で気づかせるため、あえて何も語らず、変わらずにいたのだと思う。

 体が熱い。顔が火照っている。
 黒鵺に触れられ、口づけされた瞬間、とても心地よいものが体を走った。このまま、溶けていくんじゃないかという錯覚さえ覚えた。
 黒鵺が寝ていた部屋。黒鵺が寝ていたベッド。まだ彼の温もりの残っている。
(温かい──)
 何も変わらなくていい。変わる必要などない。のままでいればいい。
 賊の人達のことは、黒鵺に全てお任せして、私は賊を怖がらず、いつも通り‥‥いつも通りの自分で、黒鵺に接すればいい。
 いつものような、私のまま。何も変わることなく、今までの私で‥‥。
 は今まで、黒鵺の背後にある賊を知らなかった。
 知る必要などない──。だから、黒鵺は知らせなかったまで。
 それは賊に来てからも同じ。は、賊について知る必要はない。
 黒鵺は、になにかをさせようなどとは思っていない。
 今まで賊を知らず、賊に対して何もしなかったように──。ただ、自分の側にいてほしいと、願っただけ。
 『何もしなくていい』。真の意味を理解すれば‥‥黒鵺の言葉で、胸がいっぱいになる。
 私はただ、黒鵺の隣に居続ける。それで‥‥それだけで、十分なのだ。
(ありがとう、黒鵺)

 次の日、二人は何事もなかったかのように、いつもどおりの関係に戻っていた。
 この二人、考えが刹那的なら、気持ちの切り替えもまた刹那的だ。楽観的ともいえる。
「早く治りたいんでしょう?だったら飲みなさいよ、ホラ」
「治りたいとは言ったけどよぉ、そんなふざけたものは飲めねぇな」
「ふざけてって‥‥これ高い薬なのよ。そこらに生えている『変な草』よりは効き目が‥‥。あっ、ご、ごめんなさい」
 蔵馬の顔をチラリと見て、慌てて口元を押さえた。
 薬草を重きとする蔵馬の前での失言である。
「お前、蔵馬の目の前でよくそんな事言えるな」
 の調子が戻った。昨日のことなど、なにも無かったかのように。それでいい。の姿、声、コロコロと変わる表情を見ていると、安らぎを感じる。自然と、笑みが零れる。殺伐とした己の心が解きほぐされ、穏やかになっていくのがわかる。
 黒鵺は、「何がおかしいの?」と詰め寄るを眺め、ククッと笑う。それがの癇に障ったのか、怒り出した。それを眺めていると、また無性に可笑しくなってきて──。
 『俺の唯一の安らぎ』『俺の全て』。今回の事で、それを改めて実感させられた。
(こんな女を愛すなんてな‥‥。俺も、どうかしているぜ)

 まだ、毒が完全に抜けきっていない黒鵺のためを思い、せっかく人間界の──比較的高価な西洋薬をあげたのに飲もうとせず、蔵馬がそこらへんで摘んできた薬草をありがたがる黒鵺に、は未だに納得がいかない。
「うるせぇなぁ。俺はこれで治るんだよ。蔵馬の調合の腕は確かだからな」
「失礼ね。私の腕だって確かなのよ」
 黒鵺は、薬草から実を歯で削ぐと、白湯を含んで飲み干した。
(うわっ、野生!)
 その光景を遠くから眺めていたは、口にこそ出さないが、これではが怒るのも無理がないと納得する。それだけ原始的で、人間界ではまずありえない光景なのだ。
「もういいわ!好きにすればいいのよ。あとで欲しいって泣きついても知らないわよ」
 正直、蔵馬は面白くない。自分が摘んできた薬草に対して、たかが人間の小娘がケチを付けているのだ。
 しかも、自分の右腕の副将に対して、横柄な言動である。
 蔵馬でさえそう思うのだから、部下はもっと面白くないことだろう。
 は、の連れの女だ。産まれた時から二人は共に育ってきて、決して離れることはない。
 もしが魔界を去れば、まで去ってしまうに違いない。
 それに、女の好みは2人とも違う。黒鵺の女を理解できない蔵馬だが、黒鵺は、優柔不断さが目立つの存在は勿論、それを愛す蔵馬の事は全く理解できないと言う。
 友でありながら、お互い、互いの女のことは永遠に理解できない。
(まぁ、女の盗り合いにならずに済むから良いが‥‥)
 だから、あえて黒鵺には何も言わずに堪えている。しかし、部下たちは──。
 『われらが副将』に対してのこの暴言。たかが人間の女が何様だと、賊の一部は当り前だが反発した。
「てめぇ、副将によくもそんな口を──」
 部下の一人が腰に差した剣に手をかけた瞬間、黒鵺は素早く反応しての前に立つと、鎌を掲げた。
「黒鵺!?」
「副将!?」
 黒鵺はを背に隠しながら、部下に剣から手を離すよう命じた。
、下がっていろ」と、蔵馬もの肩を押す。
「え、ええ。、行きましょ」
 が退室するのを見届けてから、黒鵺は静かに鎌を降ろした。先ほどとはまるで違う、恐ろしく冷たい深紫の瞳に、部下の身に戦慄が走る。
 黒鵺が蔵馬に目配せをする。ただそれだけだが、蔵馬は部屋の入口に立ち、らが入ってこないよう自身の体で壁となった。
に危害を加えるな。蔵馬が連れている女にもだ。もし危害を加えれば、俺は部下であろうと容赦はしない」
 すると部下は、やはり当然のように反発する。
「なぜですか!納得できません!たかが人間の身でありながら、分をわきまえずに我らが副将へのあの態度。許せません!」
「副将でさえ、頭に対して横柄な言動はされません。しかしあの女は‥‥。しかも人間。ありえません!」
「なぜ、副将はあんな女を連れてきたのです!どうしてあのような無礼な態度を許すのです!あの女は、一体何者なのですか!?」
 納得できない部下たちが、続々と黒鵺に詰め寄った。部下からすれば、無理もない話である。
 部下の自分たちでさえ、蔵馬と黒鵺に敬語で遜っているというのに、自分たちより劣る人間の女が“タメ口”なのだ。
「お前たちは俺の大切な部下だが、俺にはお前たちよりも大事なものがある。自分の命だ。それはお前たちも同じだと思うから、俺は責めたりしねぇよ。だが‥‥俺は、自分の命以上に大切で、護りたいものができちまった」
 ここから先については、はたして部下はわかってくれるだろうか──。黒鵺は迷いながらも静かに話し始める。
「あの女だ。仮に俺が死ぬとしたら、あの女より先だ。俺が女の後に残ることはないし、残るつもりもない」
 それはつまり、女を庇って死ぬということ。部下達はどよめき、信じられないという目で黒鵺を見つめていた。
「俺があの女を庇った理由を知りたいと言ったやつがいたよな。まぁ〜早い話、そういうことだ。とにかく俺も蔵馬も、命令に背く部下を持ち続けよう思わねぇ。首を挿げ替えられたくなかったら、と女には手を出すんじゃねぇ。もし従わないときは──お前らならわかるだろう?」
 黒鵺の瞳が怪しく揺らめき、部下たちは思わず息をのんだ。
 大半の部下は、その恐ろしい黒鵺の表情を見ただけで身を竦ませたが、血の気の多い部下の一部は、なおも声を荒げていた。
「なぜですか副将!どうしてそこまでして庇うんですか。たかが小娘じゃないですかい。しかも人間ですぜ。弱らせて霊界に売り飛ばすならまだしも、手元に置いて護るなんて正気ですかい?あの加羅を他賊に渡して、毒を身代わりに受けてまで──。一体なぜですか!?」
 納得できないのは仕方ない。妖怪はそもそも、人間を好意的に見ることなんてできないのだから。
 を手元に置いておくことのメリットはなにか。役に立つのか?持っていて後々金になるのか?など、部下たちや矢継ぎ早に聞いてくる。
 更には、何か遭った時、どちらが生き残るのが得か──とまで言いだす者もいたが、そういう問題ではない。
 俺がを護る理由はただ一つ──。
は、俺に“安らぎ”をもたらす存在だからだ」
 最初は気づかなかった。といると、自分の心が安らぐことを。盗賊を終えて帰還した時は特に──。
 今までは、いつ死んでもいいと思っていたが、自分の身を心配するの言葉が心地よく、いつのまにか、必ず生きて帰りたいと思うようになっていった。
 が魔界を去ったとき、自分が女を愛していることを知った。いつも照れを言い訳にして、直接『愛』を伝えなかったことをとても悔やんだ。※1
 再会したとき、二度と離すまいと心に誓い、それを境に、どうでもいいプライドは捨てた。※2
 黒鵺は、部下がどこまで納得できているのかはわからないが、自分の正直な心を吐き出した。
 は、安らぎを与えてくれる。
 強い女を好む黒鵺にとって、逡巡や畏縮のないの存在は、とても大きい。
 強大な力を持つ妖怪というだけで、ましては副将という地位にいるだけで、腫れものに触るように媚びや世辞をする輩が多い中で、の心は、疑心暗鬼に満たされながら荒んでいく、殺伐な日々から黒鵺を救い出した。
 共に過ごす中で、いつしか忘れかけた笑みを覚えた。
 の為、必ず生きて帰ることを目標にして、深追いや無謀なこともしなくなった。
 の身を護っているはずが、逆に護られているのを感じる。心だけではなく、命さえも──。
 それが、を愛すメリット。
 絶対に手放したくない。だから、命を懸けて護るまで。
「安らぎ?我らが副将に意見する、あの横柄で失礼極まりないウルサイ迷惑横暴女がですかい?」
「ハハッ、『横柄で失礼極まりないウルサイ迷惑横暴女』か。お前ら、うまいこと言うじゃねぇか」
 自分に食ってかかるの姿を浮かべた黒鵺は、思わず腹を抱えて笑ってしまった。
「副将、何がおかしいんですか!」
「そうですよ!」
「部下の我々でさえ副将に意見など恐れ多いこと。まして刃向うなどありえません!だがあの人間の小娘は、突然賊に現れて、副将に刃向かって意見して立てついて。それを我々が見てどう思うか、少しは察してください。あの女は賊を乱す存在です。いますぐにでもお捨てください。副将の為にはなりません」
 黒鵺に対し、今すぐを捨てろ言いながらも、『私が代わりに捨てる』と、を葬ろうと考えたり、そのような発言するものは一人もいない。
 やはり、この部下たちは自慢の部下だと黒鵺は思った。彼らには妖怪らしからぬ、黒鵺の心を汲み取る心──他者の気持をくみ取る心がある。
 彼らは、たとえを不快に思っていたとしても、決して手を出すことはない。を盾にして、黒鵺を殺すこともない。それは推測ではない。確信だ。
 蔵馬は他の賊のように、誰かれ構わず部下に招き入れるようなことは決してしない。
 の暗殺を企てた加羅は、たまたま安易に手に入れた『戦利品』だったが、蔵馬は、『部下』として賊に招き入れる場合は、しっかりと吟味した上で選別している。単に『頭数を増やせばいいものではない』というのが、蔵馬の口癖だ。
 それが今、正しかったことを物語る。まったく、蔵馬には感謝してもしきれない。
「俺の為‥‥か。だったらなおさら、あいつが生きていないと意味がねぇな。だってよぉ、が死んだら、俺も後追って霊界に会いに行こうか‥‥って、マジで思ったからな。ハハハ」
 笑い事ではない。
「どういう意味ですか!?」
「いい加減しつこいなお前らは。だから言葉通りだって言ってんだろ。俺はを手放す気はねぇ。この先も共に生きるつもりだ。もしお前らがを賊から追い出したいなら勝手にすればいいさ。だが、その時は俺はこの賊を抜けるぜ。俺とに追従して、蔵馬と連れの女も一緒に抜けるだろうがな」
「そんな──!」
「当然だろう。が存在しない賊に、居続ける意味なんてねぇからな。俺はと共にある。わかるか?」
「わかりません!」
「だろうな」
 妖怪はもともと、愛や恋には無縁な生き物。いくらが大事だと言ったところで、部下たちには人を愛するという感覚など理解できないだろう。
 そもそも当の自分でさえ、この前まで知らなかった心なのだ。
「まさか副将。あの女を愛しているのですか?」
 ほぉ〜と、黒鵺は感心した。黒鵺は、あえて“愛”という言葉を避けて話していた。言ったところでわからないと思ったまでだが、理屈だけとはいえ、理解はできる者はいるようである。
「あぁ、そうだ」
「嘘でしょう。妖怪ならまだしも、相手は人間じゃないですか!?」
「仕方ねぇだろ。たまたま愛した女が、ふた開けてみたら『人間』だったんだからよ」
「愛する前に、相手が人間か妖怪か確かめなかったんですか?」
「例え最初に“人間”と聞かされたとしても、どうせ結局はここにたどり着くんだ。意味ねぇよ」
「しかし‥‥」
「俺にしてみりゃ、が人間だろうが妖怪だろうが関係ねぇ。おい、これ以上の話はやめようぜ。お前らにこれ以上言ったところで、堂々巡りな気がしてきたぜ」
 黒鵺はわざとらしく頭をかいて、疲れたようにため息をついた。
「俺が、側にいて欲しいと頼んだんだ。あいつは、約束通り共にいてくれている。人間の身でありながら、危険を承知の上でな。その覚悟、お前らにわかるかよ」
(とはいえ‥‥。あいつって妖気や霊気を感じられねぇから、危機感とか覚悟ってのはあんまり持ってねぇんだったなぁ〜)
 あんまりどころか、皆無に近い。加羅同伴とはいえ勝手に出歩き、場当たり的な作戦を実行するなど、部下に突かれたら反論に困る点は多々ある。
「とにかくだ。絶対にを責めるな。あの女の事もだ。言いたいことがあるなら、俺や蔵馬に何とでも言えばいい」
「副将‥‥」
 がっくりと肩を落とす部下たちを見ると、やはり、少し気の毒ではある。
「人間の女を庇って、敵賊の毒にやられて、しまいにはぶっ倒れた。それは事実だ。認めるぜ。でも、俺は後悔してねぇ。それであいつを救えたんだ。だが、お前たちには迷惑かけてすまないと思っているからな、一応は謝ってはやるよ」
 そう言って頭を下げた黒鵺に、部下たちは驚いた。いつまで待っても頭を上げないので、しびれを切らした部下が駆け寄ったほどだ。
「すまねぇと思うぜ。頭と副将がこんなんでよぉ。俺たちは、賊を預かる身としては資格がねぇかもしれねぇな。だから、賊を抜けたい者は正直に言っていいぜ。『人間に骨抜きにされた賊長の下では働けない』。真っ当な理由だ。止めたり責めたりしねぇよ。俺も蔵馬もな」
 部下たちは黙っていた。どうすれば自分にとって有利なのかを考えているのか、それとも呆れているのか。
「賊に残ろうが去ろうが、俺を引きずりおろして副将の座を狙おうが、好きにすればいいさ。だが、女を盾にして俺達を陥れようとは思うな。その時は──お前らを殺してやる。お前らにどれだけの能力があろうが関係ねぇ。覚えておくんだな」
「副将。一つ聞かせてください。なぜその話を我々にしたんですか?今の話、その女が頭と副将の弱点だと暴露したようなものです。リスクがあるとは思わないのですか?」
「確かにな。正直、こえーと思ってるさ。だが‥‥お前たちは俺の部下だ。俺達はお前たちを信頼しているからな」
「副将──」
「俺が愛したのは人間だ。護る者ができた分、生き方は変わらざるを得ない。だが、賊を預かる副将としての俺の本質は何も変わらねぇ。お前らが残ってくれるのなら、俺はお前たちと一緒に賊として生きる。それだけはわかってほしい」と笑った。
 『信頼している』など、妖怪の世界ではあまり聞かない言葉。それを、我らが副将が言ってくれている。
 その一言は、部下にとってはとても熱い言葉であり、最高の褒め言葉であった。
 部下達は歓喜に震え興奮してしまったのか、のことで言い争っていたことを忘れ、「副将!」と感動の叫びを挙げた。

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