「へっ、お前が言うんじゃねぇよ!この前も訳の分からん箱に閉じ込められやがって。俺が助けに来なかったら、お前一生あのままだったろ!」※2
「おあいにく様ね!むしろあのままの方が安全だったわよ!黒鵺がエレベーター壊したおかげで、スタッフは弁償で給料10%カットなのよ!私すんごい困ってるんだからぁ」
「何言ってやがんだ。俺を見た途端泣きついて来やがったくせに」
「う、うるさいわね!」
大喧嘩である。後ろで聞いていた四人は互いに顔を見合わせながら、『もしかしたら』という一つの考えがよぎった。
は人間だが、人間だとばれない様、霊気を消すイアリングを装着している。
それと似たような物がこの男にもあって、それを腰に装着しているのではないだろうか?
それが当たりならば、この男の妖気は自分らよりも遥かに強くて、そしてこの二人は他人ではなくて────。
「。黒鵺さん。二人ともいい加減にしなさい!」
「何よ!?」
「何だ!?」
黒鵺とが、ハモリながら一緒に後ろを振り向くと、そこには仁王立ちをしながら二人を睨み付けると蔵馬の姿があった。
が慌てて周りを見渡す。どうやら言い争いをしながら、ヒートアップしすぎて廊下に出てきてしまっていたらしい。
部屋の中にいた陣達も、いつしかいなくなっていた。
「黒鵺、貴様ここで何をしている。それをどうするつもりだ」
蔵馬は、ブローチを鷲掴みにしている黒鵺の右手を指差した。
慌ててブローチから手を放すと、蔵馬はふぅっとため息をつきながら、視線を静かにの方に移す。
「女‥‥。貴様のくだらん茶番に黒鵺を巻き込むな。こいつは熱くなりやすい。黒鵺を煽ってブローチを──」
「蔵馬さんは黙ってて!」
蔵馬の金の瞳が険しくなる一瞬を、黒鵺は見逃さなかった。
全く、『無知』とは恐ろしいものである。副将の黒鵺でさえ、頭の蔵馬に向かって声を荒げるのはためらうというのに‥‥。
副将の黒鵺に対してでさえ、賊の部下は恐ろしさを抱き、刃向かうことはない。
『主従関係』がしっかりしていると他の賊は言うが、それは全くの誤りである。
賊を統率するため、異を唱え、刃向かう部下がいた場合、蔵馬と俺は、“反逆者”としてその者を殺している。
実際のところ、部下に、反逆者を殺すさまを見せたことは一度もないが、皆、薄々は感づいているであろう。だから‥‥刃向ってこない。刃向ってくるなどあり得ない。
は、知らぬとは言え、これは──。
「そうやっていつも私やばかり責めて──自分だけ分かった風に飄々としてるなんてずるいわよ!!」
も、ヒヤヒヤしながらを見つめている。
「なん‥‥だと?」
「なによ!なんでもかんでも自分だけ美味しいとこだけ情報取って──。少しは黒鵺と共有しなさいよ!!盗賊の頭が聞いて呆れるわ」
「貴様──!」
ビリビリとした殺気を感じ取った黒鵺は、咄嗟にを庇うように自身の背に隠した。
「どけ、黒鵺」
「よせよ‥‥蔵馬」
一歩、また一歩‥‥。蔵馬の歩調に合わせるように、黒鵺はを背に隠したまま、提げている鎌に手を伸ばす。
「俺が悪かった。こっちに来るんじゃねぇ。‥‥に手ぇ出すなよ。いくらお前でもそんなことをしたら──」
構わず歩み寄ってくる蔵馬に恐れをなしたは、一瞬に目くばせすると、必死にを庇う黒鵺を無視して、そのまま踵を返して立ち去ってしまった。
◆
一時間後、は蔵馬に独り呼ばれて貯蔵庫に足を運んでいた。
ゾクゾクとした悪寒が全身を伝う。薄暗い地下──。一歩進むごとに、まるで足が鉛のように重かったが、あの妖狐蔵馬に、面と向かってあれだけの暴言を吐いたのだ。きちんと謝罪するしかない。しかし‥‥。
がエレベーターの扉を開けると、蔵馬が待ち構えたようにこちらを睨んでいるのが見えた。暗闇に光る獣のような金色の冷えた瞳に──悪寒が走った。
恐怖のあまり、咄嗟に『閉』ボタンを押したものの、扉が閉まる寸前に蔵馬が足を挟みいれ‥‥はそのまま胸ぐらを掴まれてエレベーターから引きずり出された。
暗闇。微かな光の中で、蔵馬の銀髪が煌めいている。
蔵馬の隣には、いつもいる筈のの姿がない。自分を庇ってくれる黒鵺もいない。は、あまりの恐怖に悲鳴すらも挙げることができなかった。
こんな妖怪と魔界では同居していただなんて、冷静に考えてみると、恐ろしい。
まるで“物”でも扱うように、蔵馬はを貯蔵庫の中に放りこんだ。机に腰をしこたま打ちつけ、苦悶の表情を浮かべるに、蔵馬は顔色一つ変えることはしなかった。
這いながら後ずさりをするが、窓の無い貯蔵庫では逃げ場などない。
「女、答えろ。あの時、貴様と黒鵺は何をもめていた。黒鵺は何故、あのような事をしようとした?」
「あのような事って‥‥?」
足がもつれ、転びそうになるのを必死に堪えている姿を、蔵馬は滑稽だと蔑んでいるのが悔しかった。
「フッ、今更俺に怯えているのか?虚勢を張れるのは、黒鵺が傍にいる時だけか?」
の連れである以上、万が一にも、殺される心配だけは、する必要はない。しかし──。
(どうして私、逃げてるの?)
もはや、部屋の隅に追いやられた。悲鳴を挙げさせないよう、蔵馬は強引に口を手で覆うと、冷たく呟く。
「貴様は、の連れだからな。殺したりはしない。殺すことだけは‥‥‥‥な」
が、そっと蔵馬の顔を見つめる。に向ける時とは、まるで異なる佇まいに、気が遠くなりそうだ。
「逃げたいだろう。ならば、質問に答えろ。それだけ聞けば貴様を解放してやる。黒鵺は何故、あのような事を──?」
◆
生きた心地がしなかった、1時間にも渡る蔵馬の“尋問”がやっと終わった。
『貴様がの連れでなければ、今すぐにでも殺してやれるのだがな──』
まだ、蔵馬の言葉が耳に張り付いて取れない。一生分の恐怖を味わったような感じで、まだ脚がガクガクしている。
売店でホットコーヒーとサンドイッチを買うと、誰もいない大食堂でたった一人。明かりも点けずに隅の席についた。
手が震えて、サンドイッチのビニルを剥がすことができず、諦めて熱いホットコーヒーを先に口に添える。
今日は────酷く疲れた夜だった。
『ちくしょう‥‥全部こいつのせいだ。これがあるから──』
黒鵺の言葉が、前触れもなく思い出された。
(黒鵺と喧嘩したのって、そういえば初めてかもしれない)
巡回しにくる警備員の目を避けるように、はだらりと机を抱えるように突っ伏し、ヒヤリとした机の感触を頬に感じていた。
ガラス窓には、自身の耳に付けられたイアリングがキラキラと反射している。
月明かりに流れる雲を眺めながら、ゆっくり‥‥ゆっくりと静かな時間の流れに耳を澄ませている。
が装着しているイアリングは、霊気を『無』にすることが出来る。黒鵺のブローチと同じと思いがちだが、『無』と『ゼロに近い』はイコールではない。
強大な力を持つ妖怪の妖力を、ブローチは、気を吸い取ってでも抑え込もうとする。しかし、抑え込めなかった妖気は微かに放出される。
鼻の利く妖怪であれば、漏れた妖気をキャッチできるという。
事実、至近距離ではあるが、酎や鈴駒たちは黒鵺に漂う微かな妖力と血臭を嗅ぎ取ることができた。
妖気を感じる能力が無いは気にも留めなかったが、妖気が“もの”をいう魔界に住んでいる黒鵺にとっては、さぞかし致命的なのだろう。
(でも、蔵馬さんも“低級”って言われてる筈なのよね。あの人は、ブローチの事をどう思っているのかしら?あの時、聞いておけばよかったなぁ〜)
だが、面と向かって蔵馬にそんな侮辱的な言葉を口にしたら、今度こそ殺されかねない。
再び、ため息を吐く。今日は───ため息ばかりだ。
「──?」
一瞬、目の前を何か黒い物が通り過ぎるのが見えた。
机に突っ伏したまま、じ〜っと窓の向こうを見入っていると、再び‥‥シュッと何かが通り過ぎた。
目を逸らすように、腕を組み、その中に顔を埋めて沈黙を守っていると──耳元で「」と名前を呼ばれた。
声で、黒鵺だと分かった。しかし、あれだけの言い争いをした手前、気まずすぎて顔を挙げることが出来なかった。
は、帰ってくれと言わんばかりに無視を決め込み、そのまま沈黙を守り通した。
「眠っているのか‥‥」
はいそうです眠っていますと、そのまま目を閉じていた──。
「キャァッ!!」
とても冷たいものが首筋に触れ、思わず声を挙げて飛び起きた。目を開けると、すごい近い位置に黒鵺の顔があった。
も驚いたが、の悲鳴に黒鵺はもっと驚いたようで、飛び跳ねるように後ずさりし、咄嗟に両手を上に挙げた。
黒鵺はただ‥‥の脈を測ろうとしただけである。盗賊同士では、比較的によくやることなのだが──。
「悪いな。落ち‥‥ついたか?探したんだぞ。どうしてこんなところに居るんだ?」
「どうしてって──。眠っていたの」
「こんな‥‥ところでか?」
「ええ、こんなところでよ。私はねぇ、ここで一人で飲んで、一人で寝るのが好きなの!」
つい喧嘩腰に答えてしまったことに、は激しく後悔し、拳で頭をコツコツと小突いてため息を吐く。
いつもとは明らかに何かが違うに、黒鵺は困惑しながらも周囲を見渡した。
A棟の大食堂に来たのは初めてだ。B棟は昼夜問わず人の出入りがあるが、ここは‥‥。昼はさぞかし賑わうのだろうが、深夜に来るには相応しくないような気がしてならなかった。
「、なんだか顔色が悪いようだな。あぁ‥‥こんなに体が冷えちまっているじゃないか!こういう場所は、夜は海風で冷えるんだぞ」
黒鵺に促されるままに立ち上がると、確かに冷たい風が身体に触れて、思わず身が竦んだ。
「でも、そういう黒鵺こそ‥‥手が氷のようだったわよ」
「そうか?」
黒鵺は、窓からの姿が覗かない置に身を置くと、この棟で夜間は独りになってはいけないと窘めた。自分が付き添うから、呼ぶべきだとして──。
(フフッ、ほんと心配性なんだから。私は子供じゃないわよ)
大きくため息をつきながら、殺風景な天井を見上げる。
「私だってね、独りになりたい時ぐらいあるのよ。黒鵺は、そういう時ない?」
「お前、何か‥‥あったのか?」
「──え?」
黒鵺はに静かに尋ねると、そっと優しく手を取った。
「俺に、話してくれないか?蔵馬のように、解決はしてやれないかもしれん。人間の心も、まだよくわからねぇ。だが、話は聞いてはやれるさ。それでいいなら──」
人間界に来てから、黒鵺は彼なりに、人間を知ろうと努力している。しかし知れば知るほど、人間は移ろいやすく壊れやすく、そして脆い。悩んでいるを前にして、どうしたらいいのか分からない。しかし‥‥放ってはおけない。
黒鵺は、の心を助けようと必死になっている。一番つらいのは、もしかしたら黒鵺かもしれない。
「ごめんね。いいの忘れてっ。なんでだろう。疲れてるのかな?最近の私ってほら、忙しいし気苦労も多いものね。‥‥ホント、さっきはごめんなさい。私、どうかしてたのよ」
が口を噤んで俯いていると、黒鵺は軽く舌打ちをして首をもたげた。
「あの事なら‥‥俺もすまねぇ。悪かったよ。なんだか、凄いイライラしちまっててな。だからって、お前に怒りをぶつけるなんて最低だ。‥‥まったく、俺も弱いもんだぜ」
に向けて声を荒げたことに酷く落ち込んでいる黒鵺には、おもむろにあの話を切り出した。
「黒鵺、そのことなんだけどね‥‥」
∧※1…ヒロイン暗殺計画!?黒鵺悪夢の1日-1話
∧※2…エレベーターパニック
黒鵺が破壊したエレベーター。修理代として、スタッフの給料は10%カットになっています。え、従業員に補填させるなんてブラック企業?なにしろ経営者は、この武術会を開催する連中ですからね〜ハハハ。
ブローチを外せば、自身の妖力を見せつけることが出来るけれどコエンマに見つかってしまう。着けていると周りの妖力に隠れて見つからずにすむけれど、鼻の利く妖怪には“低級”呼ばわり。恐らく、“最下級妖怪”として位置づけられています。
※次回は“低級”という言葉が頻繁に出てきます(笑)。‥‥黒鵺ファンの方、どうか怒らないでください。
※蔵馬バージョンを作ってみたが、妖狐蔵馬が“低級”よばわりされるのは、やはり可哀想かもしれない。