『銀の天使』 6


 ルシファーは、ついに天界の門に辿り着いた。
 門の前では、七人の大天使が並列し、各々の武器を携えていた。最前列にはミカエルラファエル──上空にはエリシスが旗を構え、すぐに支持が出せるよう、ルシファーを鋭く凝視していた。
 重々しい門の中から、神々しい光を感じる。
熾天使か‥‥?おのれっ、呼び出しおったな!)
「ルシファーよ、お前が剣を振り上げた瞬間‥‥私は旗を振り降ろす。天使軍は、一斉にそなたに襲い掛かり、お前は煉獄の炎に焼かれるだろう。だが引き返せば────」
「引き返せば?」
「戦を止め、引き下がった者を、天は追い詰めたりはしない‥‥」
(つまり、敗北を認めろと言うことか‥‥)
 確かに、自分が剣を鞘にしまい、ここから立ち去れば、天使と闘うことも無くなり、我が身も助かるだろう。
 しかし──負けは絶対認めたくは無い。目の前の軍勢は、かつてはルシファーの部下だった。そして、ミカエルの立ち位置の隣は‥‥ルシフェルだった自分が居た場所だ。
 ルシファーは、あの頃が急に懐かしくなった。弟のミカエルと数百年ぶりに出会い、輝かしい天使だった自分を思い出したのだ。
(戻りたい‥‥あの頃のように‥‥)
「ミカエル!」
 気がつけば、ルシファーは弟の名を呼んでいた。
 呼ばれたミカエルは、先ほどとは異なる──“兄”のような顔を見せるルシファーに、思わず顔を顰めた。
「ミカエル‥‥我が愛しき弟よ」
 ルシファーが、一歩ずつ歩み寄る。大天使達は、武器を構えたまま、ミカエルとルシファーの顔を交互に見合った。
 ミカエルが、軍勢から一歩前へと出た。
 すると、どこからともなく、能天使長のカマエルがミカエルの頭上に現れた。
「罠かも知れん‥‥気をつけられよ」
 カマエルの言葉にミカエルは軽く頷き、一歩ずつ‥‥ルシファーに歩み寄る。
「用件があるなら聞こう‥‥ルシファー」
 ミカエルは自らの剣を鞘に収めた。ルシファーの目が、微かに光り、ニヤリとほくそ笑んだ。
「昔のように、ルシフェルと呼んでくれ‥‥弟よ」
 ミカエルに近づくルシファーに危機感を抱き、カマエルはミカエルの横にピタリと寄り添った。
「そなたはルシフェルだった己を捨て、悪魔となった。戻りたくても、もう天界の門はくぐれぬではないか」
 カマエルの言葉に、ルシファーは一瞬その表情を曇らせた。
 だがルシファーは、ミカエルの背後で剣を構えるラファエルに向って、図々しくも‥‥こう頼んだのだ。
「お前の力を使えば、俺は再び天界の門をくぐれるだろう。だから早く俺を清め────」
「その体でか?」
 カマエルは、ルシファーの言葉を遮って、我が身を見つめ直せと諭した。
「ラファエルの力で清められるのは“精神”だけだ。悪魔の姿を天使に変える事は出来ない」
 今のルシファーの姿は、天使の時とは全く違い、実におぞましいものであった。
 尖った耳と爪、猫のような細い瞳、口から覗く牙、背中には漆黒の翼‥‥頭部には、二本の角が生えていた。
「その姿で‥‥天界の門をくぐろうなど、許されない事だ」
 ルシファーの姿に、“悪”以外は見出せない。カマエルは、そう言い捨てた。
「し、しかし‥‥姿などどうとでもなる。要は心が清いかどうかだ。そうだろう?ミカエル!」
 『心が清ければ‥‥』。帝王ルシファーからは想像もつかない台詞だった。
 ルシファーは、ミカエルの言葉を待っていた。自慢の弟の言葉を‥‥。『戻ってこい』。その一言で、俺はまた、輝かしい天界に────。
 しかしミカエルは、ルシファーの目を見据え、深く息を吸って──
「私の兄は────死んだ。ルシファー、お前は私と同じ顔を持つ、ただの悪魔だ」
 きっぱりと、自分に言い聞かせるように、ミカエルはルシファーを切り捨てた。
 ルシファーは、ガクリとその場に膝をついた。
 エリシスは、ルシファーが戦意を喪失した瞬間を狙い、天使達を素早く天界の門をくぐらせ、そして自らも入った。
 カマエルは、全ての天使が門をくぐったのを確認すると、ルシファーを暫く凝視し、弟に見捨てられ、絶望する彼を哀れむ事も無く──天界の門と共に、霧の中へと消えていった。
 天界の門が消え、天へと至る道も消え、先ほどまで隠れていた雲が、冷たくルシファーの周りを取り囲む。
 だがルシファーは、未だその場から動けずにいた。
 天に見捨てられ、弟に見放された屈辱で、ルシファーの胸は張り裂けそうだった。
『見捨てられた?何を言う。天を捨てたのはお前だろうに』
 風にのって、カマエルの囁き声が聞こえる。哀れみのない、冷たく低い能天使の声───。
 そうだ。勝手に謀反を起こし、神に背き、天を捨てたのは、自分の意思だ。しかし‥‥それでも!天界は──弟だけは──例え俺がどんな姿に変わろうと、いつまでも味方でいてくれると信じていたのに───!!
 ルシファーは、怒りに任せて、地上に魔剣を食らわしてやろうと、剣を勢いよく振り上げた。
 途端に轟音と共に竜巻が発生し、ルシファーの体は、あっという間に吸い込まれていく。
 ルシファーの意識が徐々に薄れていく。
「おのれ‥‥我を追い出すつもりか!」
 ルシファーは、天使の術にかかってたまるかと、唇を噛んで術に耐えようとしたが────ついに意識を失い眠りに着いた。
 彼が、目を覚まし時は───そこは魔界。人目につかぬ、森の中だった。
 これは天の配慮か?私の配下に見つからぬようとの、天使の情けか!?
 哀れみと情けをかけられるなど、なんという屈辱か!プライドをガタガタに引き裂かれたルシファーは、狂ったように叫び続けた。
「ちくしょう‥‥ちくしょう!」

 次の日────
 ルシファーは、まるで昨日の事など忘れたかのように、配下の前で振舞っていた。
 今回の闘いで生還した武将らも‥‥‥‥ミカエルの剣によって滅びた仲間を哀れむ様子はない。懲りずに今日も人間を誑かし、地上で天使を見つければ──見境なし、考えなしに狩っている。
 帝王は、彼らの捕らえた天使を肴に、いつも通りに天への復讐の夢を配下に語る。聞いて戸惑とまどう天使の反応を見ては面白がり、時折ニヤリと微笑んで──。

 昨日と、まるで何も変わらない一日が始まってゆく‥‥
 理解に苦しむことだが、これが悪魔の本質である。
 戦に敗北しても、『タイミング・運が悪かった』で終わり、その失敗を次の闘いに活かしたりはしない。
 彼らが闘いの中で得たものは何一つ無く、変わらぬ天への復讐を、幾度と無く永遠に繰り返すだけ。
 いつか、魔界にエリシスのような知恵の立つ者が現れたとしても‥‥仲間意識の無い悪魔が、果たして一丸となって闘えるだろうか?
 死んだ配下は、見捨てるルシファーを呪っていたが、そんな彼らもまた‥‥牢の中では、我先にと、帝王であるルシファーを振り切って逃げたのだ。
 自分以外は信じられぬ、浅はかで脆い集団──
 これが、悪魔が何百年──何千年経っても、天使に勝てない大きな理由だろう。
 天使達は人間を守護し、毎日のように悪魔と闘っている。天使は互いを敬虔し、尊び畏れ、己の力を育んでいく。そんな天使を、ただ毎日をぐだぐだと生きているだけの悪魔が倒せるわけがない。

(今日は何をしよう。今宵は、配下を集めて我を敬う宴でも開くとするか)
 ルシファーは、帝王の椅子から立ち上がると、いそいそと宴の間へと向かった。

あとがき★
 悪魔と天使の違いです。この小説は、フェバをご存じない方にも読んでいただける小説にしようと思いましたが‥‥いつのまにか、フェバとは一切関係ない小説になっちゃいましたね(笑)。
 悪魔が絶対天使に勝てない最大の理由は、『統率力』。誰もが自分本位で、我が身だけが可愛くて、『庇う』『助ける』『守る』ってのが欠落している悪魔を見ていると、全てが備わっている天使と闘ったら、絶対負けちゃいそうな気がします。日本の『正義は勝つ』ってのとは‥‥ちょっと似てるかな?似てないか。

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