ミカエルからの手紙 1 昼下がり。今日は、天界の住人が翼を休める休息日。 一部の権天使を除く天使達は皆、久方ぶりの休日を思い思いに過ごしている。 ベテル宮では、一人の女天使が、スヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てている。 傍らには、この女天使の妖精達なのだろうか。二人小さく寄り添いながら、女天使同様、気持ち良さそうに寝息を立てている。 着の身着のまま、まるで倒れこむかのように、床の上に転げ寝ている彼女達。 人間が抱くのどかな天使のイメージとは違い、彼女達の日常は激務なのだ。 彼女の名はエリカ。インフォスの平和を任されている一介天使である。 カタッ 突然、部屋の中から微かな物音がした。 例えどんなに疲れていても、微かな物音でも気づいてしまうエリカ。 眠たそうに目を擦りながら、キョロキョロと辺りを見回す。 見渡せども、部屋の中に特に変わった様子は無い。 しかし───。明らかにどこかが不自然な感じがするのは何故だろうか? 部屋の中だというのに、まるで屋外にいるかと思わんばかり、部屋中が光に包まれているのだ。 だが、まだ半分夢の中にいるエリカは、その不自然さに全く気づかない。 エリカは、「‥‥‥‥ふわぁ、気のせいか。‥‥ま、いっか」と、再び寝ようと横になりかけた。 その時。突然部屋全体に激しい閃光が走った! 「キャ――――!」 咄嗟にエリカは、羽織っていた毛布を手に取り、頭から被った。 あまりにも眩しい光、でもエリカに慌てる様子はない。 この閃光の正体を、エリカは知っているからだ。 何度もこの閃光を浴びなれているエリカ。この光が天界からの光だという事はすぐにわかった。 ようやく目が慣れたエリカは、被っていた毛布から顔を出し、ふぃと天井を見上げた。 燦然と降り注ぐ光の中、小さな黄金色の手紙がフワフワと宙に浮いている。 手を伸ばし手紙を手に取ると、光はすぅっと手紙に吸い込まるように消えていった。 「うぅ〜ん‥‥天使様ぁ〜。お手紙ですか〜?」 エリカの傍らで寝ていた女妖精・フロリンダが、目を擦りながら、小さな毛布から可愛い顔を覗かせた。 フロリンダも何度かこの光を浴びている為、エリカ同様大して驚く様子も見せず、手紙の送り主を聞いてきた。 先ほどの閃光は、天使同士の手紙のやりとりの際に放たれる光である。 天使同士の手紙のやりとりは、光を通して行われる。 手紙を掌に乗せ、送りたい相手の“気”を念じると、光を通して相手に手紙を送る事が出来るのである。 エリカの勇者リュドラルは、初めてその光景をみた時、「地上界でのシステムとまるで違うね。まるで手品だね!」と、目を丸くして言った。 エリカは、「いいえ。違うわ」と、手をヒラヒラさせて否定のサインを作った。 これは手品ではない。 「確かにこの手紙は一見“紙”のように見えるけれど、手紙の形に具現化されているだけなの。この手紙は、“光”を具現化したもの。元の形は、手紙から放たていれるこの“光”と同じものよ」 「天使同士の郵便システムはそうなっているのか」 リュドラルは腕組みをしながら関心した様子だった。 実はこの技、高度の技術を要する為、使う事が可能な天使は限られている。 手紙を送るには、場所が同界であれ別界であれ、権天使以上の位に就いていなければならない。 只の一介天使であるエリカには、目の前の天使にさえ、送る事は出来ない。 エリカは、『その技を自分は使えない』ということを、リュドラルには言わなかった。 自分が一介天使であるという事を隠したかった。天使のくせに、エリカはプライドが高い。 「天使様ぁ〜、どうしたんですかぁ?さっきからお手紙持って固まっちゃってぇ‥‥。変ですよぉ?」 考え事をしていたエリカが、フロリンダの声でハッと我に返る。 「どなたからのお手紙ですか?早く読んでください天使様」 もう一人の妖精・リリィも、いつの間にか既に起きていた。 フロリンダがリリィを起こしたのだろう。 わざわざ起こさなくても良いのに‥‥とエリカは思った。 「んもう天使様ぁ。早くぅ!」 「天使様!」 二人の妖精に急かされ、「分かってるわよ」と、手紙の封を開け、中から小さな便箋を取り出す。 「天使様からのお手紙というと、ガブリエル様からですか?それとも、私達が存じ上げない天使様ですか?」 「フロリン。ラツィエル様からだと嬉しいなぁと思いますぅ」 ラツィエルとは、大天使の称号を持つ女天使である。 大天使という地位でありながら、エリカを自分の妹のように可愛がり、エリカに常に寄り添う妖精達が可愛いと、時折お手製ケーキで持て成しをしてくれる、心優しい女天使である。 「私もラツィエル様からだと嬉しいです。大天使様でいらっしゃいますのに、妖精の私達にも優しくして下さいますもの」 妖精達は、手紙に書かれている内容よりも先に、まず送り主が誰だかを知りたいとエリカに迫った。 エリカも、実を言うと妖精達と同じ気持ちだった。手紙を貰って一番知りたい事、それは手紙の“内容”ではなく“送り主”だ。 一体誰が、一介天使の自分に手紙を? エリカは便箋の文末に『FROM』の文字を見つけた。そこには、送り主の名前が書いてあった。 書かれてあった送り主の名前を見て、「‥‥え!?」。一瞬目が点になった。 「え‥‥嘘みたい!ミカエル様ですって!」 あまりの驚きと嬉しさで、エリカは息を弾ませて叫んだ。 手紙の送り主がミカエルと聞いた瞬間、それまで手を取り合い、「誰だろ♪誰だろ♪」と、歌いはしゃいでいたフロリンダとリリィの動きが、ピタリと止まった。 そして、大げさなぐらい、「え――――――――!?」と、後ろに飛び退いた。 二人のあまりの驚きように、エリカは更に驚き、思わず尻餅をつきそうになった。 天界・妖精界共に、彼の名を知らない者は居ないであろう、大天使ミカエル。 特に天使の間では、畏怖と敬虔の存在である。 同じ天使でさえ、ミカエルを畏れて皆、畏怖を抱き、御前にあらば跪くのだ。 妖精は、ミカエルの姿を目にした事さえ無いのだから、未知である大天使に、天使よりも強い畏怖の念を抱いていてもおかしくはない。 エリカは、今でこそミカエルに対して強い畏怖は無いが、実は天使に成り立ての頃、彼をかなり畏れていた。 エリカは二人の妖精達を安心させようと、「大丈夫よ。ミカエル様は怖くないわ。お優しい方よ」と言ってあげた。 するとリリィは、「ゴメンなさい天使様。ちょっと驚いただけです。ね?フロリンダ」と言う。 リリィがフロリンダの顔を見て目配せし、「そうよね」と同意を求めると、フロリンダは笑顔で頷いた。 「ミカエル様、お優しい〜って、ティタニア様から伺ってますから‥‥フロリン、怖くないですよぉ。天使様?安心しくてださ〜い」 リリィも、「私は一度だけお姿を拝見した事がありますが、お優しそうに見えました」と笑った。 「そうだったの。それなら良いのよ」とエリカは苦笑した。 妖精は、大天使という位に畏怖は感じるものの、ミカエルに対してはそうでもないらしい。 「でもぉ〜、どうしてミカエル様から直通でお手紙が来たのですかぁ?ミカエル様、大天使様ですよね?フロリン、『大天使様以上の天使様は、普通の天使に直接お手紙をお届けにならない』って、ティタニア様から聞い事あるんですけどぉぉ?」 フロリンダが思い出してそう言うと、リリィも、そういえば自分も聞いた事があると言った。 「天使様が天使様に手紙を送る際、『位が違えば権天使様を仲介しなければならない』と、私も聞いたことがあります。なんで大天使位でいらっしゃるミカエル様は、権天使様を仲介されなかったのでしょうか?」 リリィもフロリンダも、さすが天使の補佐を任されただけのことはある。ある程度の天界の知識と戒律を知っている。 しかし、彼女達の会話の中で、間違っている点が一つ。 手紙の送り主・ミカエルだが、実は彼、元熾天使。天界最高位の称号を持っていた天使なのだ。 その地位から退いた今は、大天使・力天使の地位を兼任する大天使長である。 彼女ら二人の妖精を含め、妖精界に住む妖精達にも、ミカエルが以前熾天使だったこと、そして、大天使の他に力天使の称号も持っている事も、一切知らされてはいない。 ミカエルの失位を知っているのは天使だけだ。 ミカエルが堕ちたという一報は、天界全土を大きく揺るがした。 ミカエルを嫌っていた一部の権天使達は、表面では「残念だ」とミカエルに同情を示したが、裏では、「彼は堕ちた事により、今まで築き上げた信用人望全てを手放した。いい気味だ」と貶していた。 しかし失位しても、ミカエルは決して卑屈にならず臆することもなく、ヒガミなども見られなかった。 何一つ変わらぬミカエル。逆に、堕ちて比較的自由に動ける地位に就いた為か、天使達と今まで以上に交流を持とうとした彼の心に天使達は驚き、そして感動を覚えた。 更に、自分の上司となってしまった天使達の前で、ミカエルは迷うことなく跪いた。 皆、跪くミカエルの姿を見てこう声をあげた。 「熾天使は最高位。ミカエルも、さぞやエリート気取りかと思っていたが‥‥これほど腰が低いものなのか。あぁ、なんと素晴らしい方なのだろう‥‥」 ミカエルに対する人望や信頼は、落ちるどころか、一層強く、そして固くなっていった。 更に、「我はミカエルの“友”故、ミカエルと共に堕ちるべき」と、熾天使ラファエルが、自分を失位してくれと神に懇願したのだ。 神はラファエルの懇願を受け入れ、ラファエルをミカエルと同じ地位に失位させた。 熾天使二人の失位の経緯を知った天使達は、二人の固い絆に感銘を受けた。 失位したミカエルを昔と変わらず、いや、前より増して尊崇しだした天使達に、一部の権天使は、その思いを改めるよう幾度となく叱咤をしたが、ミカエルとラファエルへの敬虔はもはや不動のものであり、彼らの多大なる人望と心の温かさの前には、権天使の言葉は実に無力だった。 下級天使に失位してもなお、熾天使の輝きを放つ翼に天使の誰もが憧れる。誰もが彼のように輝きたいと思っている。 エリカも勿論そうだ。ミカエルのように輝きたい‥‥‥‥ 『下級天使も上級天使も関係ない。全ての天使は、全てにおいて平等である』。これはミカエルの口癖だ。 エリカに直通で送ったこの手紙も、彼女を一人の天使として見ているからであろう。 エリカは手紙を胸の辺りで握り締め、心の中で叫んだ。 (あぁ。なんて素晴らしい方なのだろう。私もいつかミカエル様みたいな『大天使』になって、一緒にお仕事をしたい) 「‥‥‥‥様ぁ? 天使様!!」 自分の世界に浸っていたエリカだが、フロリンダの呼びかけで我に返った。顔を向けると、彼女は膨れ面をしている。 「んもう!天使様ったらぁ!お一人で何ニヤニヤしているんですかぁ?気持ち悪いですよぉ?」 「き、気持ち悪いって‥‥」 「天使様ぁ!ミカエル様のご用件は何なのですか?教えてくださいぃ」 「‥‥え?あ、あぁ。用件ね」 「大天使ミカエル様直々のお手紙ですもの。それはきっと物凄いご用件ですわ」とリリィ。 エリカは、そういえばまだミカエル様からのご用文を読んでなかったなと、手紙の内容を読み始めた。 手紙の内容はとても簡潔。回りくどいのが大嫌いなミカエルらしい。 「エリカ、今日は。本日、予定はありますか?無ければ、『シャマイム天』に来てください。 ミカエル」 「『シャマイム天』って‥‥天界ですか?」とリリィ。 「フロリン、聞いた事無いですぅ。天使様はご存知ですか?」 「ええ。天界で一番低い界よ。天使なら誰でも入って構わないの。でも私達一介天使にとっては、立入禁止の区域が数区あるから、好き勝手何処へでも入って構わないってもんじゃないけど」 エリカは、もう1年ほど訪れていないシャマイム天を、懐かしげに語る。 「『熾天使様専用区域』っていうのも有ってね。もしそこに私達一介の者が入ったら、権天使様に大目玉食らっちゃうだから、結構緊張する天界だったりするんだ。でも‥‥ね。私は天界の中ではシャマイム天が一番好き。楽しいわ。シャマイム天は、7つある天界の中で最も活気に満ちた、言わば天界の中枢なのよ」 シャマイム天は、地上界の都会と同じだ。その為、結構騒がしかったりする。 その天界に、ミカエル様は何故自分を呼ぶのか?エリカには、ミカエルの意図が分からなかった。 簡単な用事なら、手紙の中に書き記せばいい。直接会って話さなければならない用件ならば、何も人込み、いや天使込みに溢れたシャマイム天でなくたって‥‥。 (きっと、シャマイム天でなければならない理由があるんだわ) エリカは、読み終わったミカエルからの手紙を、マッチに灯る火を消すのと同じ仕草で横に振った。 手紙はたちまち光の粉となって、エリカの手から消えていった。 「リリィ、フロリンダ。留守番お願いね」 エリカは早速シャマイム天へ行こうと玄関へ向かった。 しかし、玄関に立てかけてあった姿見に映った自分の姿を見て、「あ!」と声を上げた。 (やだ、私ったら‥‥!) 自分の着ている衣装と言ったら‥‥白い無地のワンピース。襟はヨレヨレ。肘からは糸がはみ出している。更にスカートの裾は、雨上がりの地上を歩いた為、黒ずんでいる。 髪も洗いざらいのボサボサの為、今のエリカには、清らかな天使像のかけらもない。 こんな姿で行けば、『ミカエル様。小汚い天使と一緒に居たわよ』と周りの天使にそう陰口を叩かれるかもしれない。 自分の事だけならまだいい。 『あんな小汚い天使と一緒に居るなんて、ミカエル様も大した事無いわね』なんて言われたら!もし、ミカエルの評判を落としでもしたら、ミカエル様を尊崇する天使に何と罵られるやら‥‥ (着替えなきゃ!こんな姿でミカエル様の御前に出られないわ) 「わぁぁ。天使様ぁ。綺麗ですうぅ」 フロリンダが、衣装を着替えたエリカを見て思わず溜息を上げた。 「私も。見違えましたわ」とリリィ。 ラップドレス風の衣装。スカートは、床に付くぐらいの長さ。現に、スカートの後ろの裾はわずかに床に接している。 長すぎるスカートの割には、上半身には袖が無いので、細い肩は露わである。上下の露出のバランスが合っていないが、天使の正装は『上は露に/下は密に』である。 「素敵ですわ天使様。正装の天使様を見るのは初めてです」 「フフ。当たり前よ。正装を着るの、私も初めてなんだもの」 褒められるのは気持ちが良いものだ。照れながら、後ろを何度も振り返り、妖精に手を振りながら、玄関へと続く階段を降りていく。 あと一歩で階段を降りきる。 褒められると、人は調子に乗るもんだ。何を思ったか、ジャンプしてかっこよくドアノブを掴もうなどとバカな挑戦をした。 (せーの)と心の中で呟き、前方に飛び跳ね、右手をドアノブに向かって投げ出した。 カチャリ (――――――――え!?) エリカがドアノブに触れようとした瞬間、ドアノブがカチャリと回り、ドアが勝手に外へと開きはじめた。 ドアはみるみるエリカから遠ざかり、エリカの右手は空しく宙を掴んだ。 エリカが投げ出した右手はもはやドアノブには届かない。 (何でよ!嘘でしょ!?) もはや、突っ伏して転ぶしか道は残されていなかった。 「キャ――――!!」 転ぶ覚悟を決めたエリカは、有りっ丈の声を振り絞って悲鳴を上げた。 悲鳴を上げながらも、ドアを開けて向かってくるのが誰なのだろうと、エリカは、懸命に顔を上げて目を凝らした。 ドアの先に人影が見える。――――誰!? その人影は、倒れていくエリカを発見したのだろうか、慌てて部屋の中に飛び込んできた。 トサッ‥‥ 小さな音と共に、エリカの視界は真っ暗になった。 |