ミカエルからの手紙 2

 勢いよく前へと突っ伏した割には、不思議な事に痛みはないし、床の冷たさもなかった。
 でも‥‥立ってはいない事は確かだった。
 自分は一体、どんな体勢で地面の上に倒れているのか?視界が遮られている為、何も分からない。
 取り敢えず‥‥と、起き上がろうと身を捩ったエリカ。顔を右に傾けると、耳元で鼓動が聞こえた。
(私、何者かに抱きかかえられているんだわ!)
 エリカはそう悟った。
 身動きできないままエリカが固まっていると、妖精達が小さな羽音を立てて、心配そうにエリカを上から眺める。
「天使様大丈夫ですか!?リュドラル様、有難うございます」
「リュドラル様ぁ。ナイスキャッチですぅ。んもうぅ!天使様ぁ、気をつけてくださいぃ」と飛んできた。
(――――え?リュドラル?)
 恐る恐る目を開けると、リュドラルが心配そうな顔でエリカを見つめていた。
 あの時、ドアを開けた犯人はリュドラルだった。
 リュドラルは、ドアを開けた瞬間、階段を見事に踏み外し、今にも転げ落ちそうなエリカを見て驚いた。咄嗟に駆け込み、間一髪でエリカを抱きかかえたのだ‥‥が、バランスを崩し、リュドラルはエリカを抱きかかえたまま、後ろに突っ伏したのだった。
「エリカ、大丈夫か!ったくよー。気をつけなきゃダメだぜー」
(それは私の台詞よ!)と、エリカは心の中でそう叫んだ。
(チャイムぐらい鳴らしなさいよ。リュドラルが勝手にドアを開けて入ってこなければ、私は華麗に着地出来たのよ。もう‥‥折角さっきまで気分良かったのに‥‥!)
 助けてもらった身なのに、リュドラルへの文句が次々に出てきしまった。
 私って、ダメな天使ね。
「はぁ‥‥」と、エリカは大きく溜息を付く。
 エリカの深い溜息を聞いたリュドラル。エリカが傷を負ってしまったと早合点したのか、「ケガは無いか」「脚打ったのか」「何処が痛いのか」と、矢継ぎ早に聞いてきた。
 そんなリュドラルへのエリカの返事は、「リュドラル。何でここに居るの?」という‥‥何とも素っ気無いものだった。
 開口一番、気の抜けたエリカの言葉に、リュドラルは「え?」と一瞬目を丸くした。しかし、「痛い」とか「苦しい」とかの言葉ではなかったことに安心したのか、「エリカ。とにかく大丈夫そうで良かった」と、笑った。
「全く‥‥チャイムが有るでしょ?突然ドア開けて入ってこないでよー」
「ご、ご免よエリカ!俺のせいで転びそうになったなんて‥‥本当にご免!」
 リュドラルは、パンッ!と両手を顔の前で合わせ、平に謝った。
 しかしすぐに顔を上げて説教をし始めた。
「でも、エリカ。フロリンダから聞いたけど、翼も出さず、階段の途中からドアに向かって飛んだんだってな!ったくダメだぜ!そんな危ないことしちゃ!!」
 エリカの顔がボッと赤くなる。妖精達に誉められて調子に乗って舞い上がり、ノリの勢いで飛んでしまったとは、とてもじゃないが恥ずかしくて言えない。
 リュドラルの忠告にムッとしたエリカは、「あっ、危なくないわよ!リュドラルが勝手にドアを開けなけりゃ、絶対上手く着地していた筈なんだから!」と言ってやった。
「『着地できるから』じゃないだろ!もし足を滑らしたらどうするんだよ!転んじゃうじゃないか!」
「そっ‥‥その時は受身を取って転ぶから良いのー!天使って身軽なのよ。リュドラルだって知ってるじゃないの〜?」
 それを聞いたリュドラルはカッとなった。リュドラルはエリカが大事なのだ。エリカには、どんな痛い思いもさせたくないし、些細なケガも負わせたくない。それなのに‥‥‥‥なんでエリカは自分の心を分かってくれないのだろうか?
(ま、分かってくれない所が可愛いんだけど‥‥)
 さっきの発言と矛盾している。リュドラルはガックリと肩をすくめた。
「そうだ。それはそうとエリカ。俺、実は今日さ‥‥‥」
 言い争いが終わり、リュドラルが口を開くと、「あのぉぉ〜」と、フロリンダが水を注した。
「あのぉ‥‥リュドラル様?いつまで天使様を抱いてるんですかぁ〜?」
 エリカも「うん‥‥そろそろ私、立ちたいんだけど‥‥」と、リュドラルの顔を見つめる。
 フロリンダの言葉に リュドラルの頭上に『?』マークが浮かんだ。
 ゆっくりと、目線をエリカから自分の手へ、そして自身へ‥‥。
 リュドラルの背中は地面に。両手は、エリカの肩にあった。露わな程のエリカの両肩を、リュドラルは両腕で、しっかりと抱きかかえていた。
「わ!わああああぁぁぁぁ!」
 リュドラルは、勢いよく立ち上がった。エリカを抱きながらの為、エリカの体が激しく揺れる。
「痛ッ!急に立ち上がらないで。ビックリするじゃないの」
 リュドラルは、エリカの肩からパッと手を放す。顔を真っ赤にし、頭を掻きながら、必死に弁解の言葉を探している。
「ご、ごめんエリカ!そういうつもりじゃないんだ!」
「そういうつもりじゃないって‥‥じゃぁどういうつもりなんですかぁぁぁ?」
 よしゃ良いのに、フロリンダが意地悪な質問をした。
 するとリュドラルは、耳まで真っ赤になってしまった。
「あれぇぇぇ〜?リュドラル様、真っ赤ですよぅぅ」
「あら、リュドラル様。どのような想像をしました?」
 リリィも、面白半分でリュドラルをからかっている。
 冗談が通じないリュドラルは、「ち、違うんだ!本当だよ。何のつもりでもない!お、俺‥‥」と、シャツの中に手を入れたり、服を引っ張ったり、キョロキョロしたり‥‥可哀想なぐらいパニクっていた。
 エリカは、こんなに焦っているリュドラルを見るのは初めてだった。(‥‥面白い♪)。不謹慎だがそう思った。
 エリカがリュドラルの目をジーッと見ると、リュドラルもエリカの目を見た。
 二人の目が合うと、リュドラルは更に赤くなり、弁解はしどろもどろ。
 エリカは、可笑しくなってクスクスと笑い出した。フロリンダとリリィも、キャッキャと笑い出した。
「大丈夫よリュドラル。誰も貴方を疑っていないって。ご免ね、助けてくれてありがとう」
 エリカはリュドラルに深々とお辞儀をして礼を言った。
「これからはもうそんな危ない事はするなよ」
「そうね。今度からは翼を出してから飛ぶ事にするわ」
(そういう事じゃないだろう)
 リュドラルはよっぽど言おうとしたが、また言い争いになってしまう事を恐れ、それ以上言うのを止めた。
 心身ともに落ち着いてきた(?)リュドラルは、初めてエリカの衣装をはっきりと見た。
 こんな衣装を身に纏ったエリカを見るのは初めてだった。
「エリカ。今日の衣装だけど‥‥似合うよ。綺麗だよ」
 リュドラルが、頭を掻きながら衣装を褒める。
 すると「そうでしょそうでしょぉ〜?天使様綺麗でしょぉぉ?」と、二人の妖精が嬉しそうにはしゃいだ。
「そうかな。似合うかな?」
 エリカは、リュドラルの前に立つと、その場で一回転してみせた。
「ああ。エリカって、いつもボーイッシュだし‥‥っていうか、ボーイッシュのエリカしか知らないけどさ。こんな衣装も似合うよ。素敵だよ」
 リュドラルが、照れながらも、真っ直ぐエリカの目を見てそう言った。
 妖精に褒められた時も嬉しかったが、リュドラルに褒められると何倍も嬉しい。 
「でも、エリカってさ。こういう衣装はいつも着ないよね。何か有るのかい?」
「え?うん。実はね。今日、ミカエル様と‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」  

───沈黙───

「あぁ――――――――!!!!!」
 エリカの顔が、たちまち青くなった。
(そうだ。私はミカエル様に会いに行くんだった!!まずっ!!)
 エリカは、急いで靴を履いてドアに手をかけると、「ゴ、ゴメンリュドラル。私急用があるの忘れてた!埋めあわせは必ずするから。じゃぁバイバイ」と、空いている片手でリュドラルに手を振った。
「え!?ちょ、ちょっと待ってよエリカ!俺‥‥これをエリカに──」
 リュドラルの言葉を聴く余裕すらなかったエリカは、「フロリンダ、リリィ。リュドラルのこと宜しくね。じゃぁね」と、リュドラルの言葉を制止。
 エリカはドアを開けると、純白の翼を広げ、空へと舞い上がって行った。
 暫くしてエリカが振り返ると、庭先まで追いかけてきたリュドラルが、呆然と立ち尽くして自分を見つめているのが見えた。
「リュドラル様、大丈夫ですか?」
「リュドラル様ぁ〜」
 リュドラルは、妖精の言葉など、全く耳に入っていなかった。ベテル宮の庭で、空に舞い上がっていくエリカを、ただボーっと、眺めているだけだった。

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