ミカエルからの手紙 3 「ただいまぁ〜!」ミカエルとの用事を済ませ、エリカはベテル宮に帰ってきた。 エリカの額には大粒の汗。ぜいぜいと息を切らし、ベテル宮に駆け込んできたエリカ。 「お帰りなさい、天使様。早かったですね」 「天使さまぁ。早いですねぇ。まだ20分しか経ってないですぅ。ミカエル様のお話。もう終わったんですかぁ?」 妖精達がエリカに話しかけたが、エリカは返答もせず、土足のまま、部屋に上がりこんだ。 まるで何か(誰か)を探すようにキョロキョロしているエリカを見て、妖精達は「あ‥‥」と、お互いに見合わせた。 ベテル宮の近くでミカエルと別れたエリカは、走ってベテル宮に帰った。 翼を出して飛んで帰れば速いのに‥‥あまりに焦っていた為か、そんな事すら思いつかなかった。 (リュドラルは──もう居ないか) 「ハァ‥‥」 エリカは立膝を付き、深く溜息を付いた。 落ち込んでいるエリカを後ろでじっと見つめていたリリィが重い口を開く。 「天使様‥‥。リュドラル様、先ほどまでいらっしゃったんですよ」 「――――――――え?」 「5分程前にぃ〜帰られたんですぅ。本当に‥‥たった今まで居たんですよぉぉ!」 フロリンダは、今にも泣き出しそうな顔だった。 それを聞いたエリカ。身体の力が抜け落ち、その場ににへたり込んだ。 なんというすれ違いだろう。タッチの差とはこの事だ。 エリカは、(なんでもう少し引き止めてくれなかったのよ!)と叫びだしそうな気持ちを必死に抑えて、「そう‥‥残念ね。リュドラル、私の事何か言ってた?」と、静かに尋ねた。 「はい。あの‥‥これを天使様にお渡しするようにと‥‥」 リリィが、テーブルに置いてある小さな箱を指差した。 エリカが箱を開けると、箱の中に入っていたのは金色のオルゴールだった。 オルゴールの上蓋の裏に、『エリカへ』と書いてある、四つ折にされたメッセージカードが挿してあった。 カードを開けると、そこには、エリカへのメッセージが書き記されてあった。 『エリカへ。お誕生日おめでとう。今日のエリカの服、素敵だったよ。今度俺の前に現れる時は、その服で、是非来て欲しい。じゃぁ。無理するなよ。これからも宜しく』 このメッセージは、前々から用意されていたものではなく、エリカがシャマイム天に行っている間に、リュドラルがここで書いたメッセージだった。 エリカはてっきり、リュドラルは『きっと自分に怒って帰ったのだ』と思い込んでいた。しかし、リュドラルはちっとも怒ってはいなかった。それどろか、多忙なエリカの仕事を理解し、私の身を案じてくれている。 (私、あんな振る舞いをしたのに‥‥それでも怒らないでいてくれるの?) エリカの眼に、涙が溢れた。 子供のように泣き出してしまったエリカを元気付けようと、妖精二人は必死にエリカを慰めた。 「天使様。リュドラル様は、天使様をお引止め出来なかった自分が情けないって仰ってました。でも、フロリン。ちゃんと「違います!」って言いました。「天使様の上司のお呼びが有ったから‥‥だから急いで行ったんです」ってお伝えしました」 リリィは、「もしお待たせしたり、参上しなかったら、天使様はクビになってしまうかもしれないから‥‥だから大急ぎで向かったんです。私もそうお伝えしました」と、エリカには非は無いと庇った。 お呼び立て──。エリカも、ミカエルからの直々の呼び立てに、さぞや急ぎの用事だろうと思って会いに行ったのだが、ミカエルの用事とは、『エリカの誕生日を祝う』事だった。 ミカエルは、エリカの誕生日を祝ってやりたかったのだった。 手紙には、その事は一言も書かれてはいなかった。イタズラ好きのミカエル──。きっとエリカを驚かせてやりたかったのだろう。 (私の誕生日を祝うだけに呼ばれたと知ってたら、リュドラルともう少し話が出来たかもしれないのに‥‥) 今更ミカエルを責めるつもりは無い。悪いのは自分だ。 私は今日が自分の誕生日だって事、すっかり忘れていた。だから、リュドラルが何故私に会いに来たのか‥‥全く分からなかった) ミカエルから、「エリカ。お誕生日おめでとう」と言われるまで‥‥気づかなかった。 今日という日が自分の誕生日だと気づいた時、もしかしたら‥‥と思った。 ミカエルから祝い言葉を頂き、「ありがとうございます。ミカエル様」とエリカは答えた。 一介天使に過ぎないエリカが、元熾天使ミカエルから直々に、祝いの言葉を頂戴した。 嬉しい筈なのに‥‥。エリカの心の中は、悲しみに沈んでいた。 「ミカエル様、私‥‥ベテル宮を発つ前、リュドラルに会ったんです。リュドラル、「待って」って言ってたけど‥‥私‥‥」 エリカにコーヒーを注いであげようと、カップを両手に持っていたミカエルの手が、ピタリと止まった。 「リュドラル‥‥?お前の勇者のか‥‥?」 ミカエルはカップを手に、エリカの台詞を自分の中で反復する。 (勇者がエリカに会いに来た。勇者は去ろうとするエリカを引き止めた。何の為に──?) すぐに、『リュドラルも自分と同じ目的で誘った』と悟った。 (なんて事だ!勇者リュドラルも、エリカの誕生日を祝おうとして来ていたのか!) ミカエルは、両手に持っていた空のカップを勢いよくテーブルに叩きつけた。 ビックリしたエリカが、「ミ、ミカエル様?」とオロオロしながら問う。 ミカエルは、エリカの頬を平手で軽く叩くと、「バカやろう!それならそうと、早く言えば良いのに‥‥!」と叱った。 「勇者が折角会いに来たのに、それをお前は無視して振り切ったのか!?」 「は‥‥はい。だって、ミカエル様からのお呼び立てが有りましたから‥‥」 「俺の呼び立てを断れば良いだけの話だろう!一介のお前でも、己が手中に手紙が有る時は、返信は可能なのだぞ!」 「し、しかし‥‥ミカエル様のお呼び立てをお断りするなど‥‥」 断ったら、後で他の天使に何と言われるか分からないから‥‥と言いたかった。だが、そんな事は勿論言える筈は無く、エリカは言葉に詰まった。 ミカエルは、言葉に詰まって俯いているエリカを見て、溜息を付いた。 そして、こうして天界で言い合いをしている場合じゃない。早くエリカを地上界に帰さなければと急いだ。 ミカエルは、エリカをヒョイと抱き上げると、背中から白銀に輝く大きな翼を広げ、地上界に向かって一気に飛び降りた。 「俺は只の天使だ。畏怖など無用だ。階級を気にしてあれこれ考えなくて良い。無論、手紙の事もな」 「───え?」 エリカがミカエルに顔を向けた。 ミカエルの羽音と風の音が合わさり、エリカには、ミカエルが何を言ったのかよく聞き取れなかった。 (何て言ったんだろう‥‥?手紙が何?) ミカエルは、自分を見つめるエリカを横目で見た。 (全く、俺をそんなに畏怖するんじゃないよ)と呟く。 あの時、エリカが言いたくても言えなかった言葉。その言葉の続きを知っていたかのように、エリカにこう嗜めた。 「元熾天使の俺からの呼び立てを断っても、他の天使がお前を悪く言ったりはしないさ。もし言う奴が居たとしても、お前が正当な理由で俺の呼び立てを断ったのならば、俺はお前を庇ってやるつもりだ。正当な理由で断ったのなら、お前に一切の非は無い」 「正当な‥‥理由ですか?」 「『天使は人間を優先しなければならない』という戒律が有るのは知っているな?」 「はい」 「あの時、お前は俺の呼び立てより、人間である勇者の訪問を優先しなければならなかった。違うか?」 「‥‥‥‥忘れていました」と、エリカ。 本当に忘れていたのか、自分の呼び立てを断るのが怖かったのか───恐らくは後者のほうだろう。エリカの答え方が、何処と無く、そう思えてならなかった。 「ま、そんな戒律が有っても無くてもだ。とにかくお前は、俺を『一天使』として見る事。元熾天使として君臨していた時の俺を忘れる事。それが出来れば、そんなこ難しい戒律論までいかない。万事解決だ。努力しろ。ほら、着いたぞ」 ───地上界、ベテル宮近く─── 人間の目に着き難い裏通りに降りたミカエルは、エリカを地面にそっと降ろした。そして、ミカエル自身も、迷う事無く地面に足を着けた。 地に足を着けたミカエルを見て、エリカは驚き「あっ!」と小さく声を上げた。 「ん?どうしたエリカ」 胸の前で手を横に振り、「い、いいえ」とエリカ。 (ミカエル様、地に足を着けちゃった。権天使様でさえ、地上に足を着けるのを躊躇されるのに‥‥) 『俺は一天使』。ミカエルの言葉と心がは本心なのだとエリカは感じた。 ミカエルは、「ほら早く帰れよ。帰ってお前の勇者に誕生日を祝って貰え」と、エリカの背中をポンッと手で押した。 「『誕生日』を持ったからには、これからはちゃんと覚えておくように。じゃぁな」 ミカエルは、白銀色の翼を大きく羽ばたかせると、大地を軽く蹴り、再び天へと昇っていった。 殆どの天使は、誕生日というものを持っていない。勿論エリカにも無い。リュドラルは、エリカに誕生日を持たせてやりたいと、去年、今日という日をエリカの誕生日と決めたのだ。 「有難うございました、ミカエル様」 エリカは、天へと昇ったミカエルに軽く頭を垂れた。 ミカエルの姿が雲に隠れて見えなくなると、エリカは一目散にベテル宮へと戻った。 しかし既に、リュドラルの姿はそこには無かったのだ‥‥‥‥ 床に座って落ち込んでいたエリカだが、ミカエルに背中を押された事を思い出した。 (こうしちゃ居られない!) エリカは、リュドラルから貰ったメッセージをオルゴールの中にしまった。そして、オルゴールを右手に抱え、翼を大きく羽ばたかせた。 (行こう!リュドラルの所へ!) 「リリィ、フロリンダ。ちょっとリュドラルに会いに行ってくるわ。留守番お願いね」 「え!?今から行くんですかぁぁ!?もう日が暮れてきましたよ」とフロリンダ。 「行くったら行くの!」 リリィが、「リュドラル様。帰り際に、『夜釣りに行く』と仰ってました。ですが‥‥何処にいるかまでは聞いていません」 「えぇ?リリィ聞いていないのぉ?──天使様ぁ。無理ですよぉぉ!」 「大丈夫よ!リュドラルがよく行く釣り場は大体知ってるから、探してみるわ!大丈夫、絶対見つけてみせるから」 自信に満ちたエリカの言葉に、「フロリンも探すの手伝いますぅ!」「私もお手伝いします!」と妖精達。エリカの熱意に押されたのか、協力しようと立ち上がった。 「ありがとう!」 3人は、夜空に輝く星に向かって舞い上がっていった。 (リュドラルにもう一度会おう。ちゃんと会って話をしよう。オルゴールのお礼と手紙の返事、今日中に伝えなくちゃ。今日までは私の誕生日だもの) 夜の空に映える、私の純白の翼‥‥‥‥。リュドラルは、夜空を見上げてくれるだろうか? そして、私を見つけてくれるだろうか? 「神様!どうか、夜の水鏡に、私の翼を映して下さい!!」 エリカはそう心の中で叫ぶと、満天の星空の中を駆けていった。 |