『血の憂鬱』 1

 図書室に、魔のオーラが立ち昇ってゆく‥‥。
 それは閃光が走ったと同時に──大爆発を起こした。
「ゲホッ、ウッ‥‥ゲホッ!」
 黒煙をかき分けて、ルイスが窓際に避難する。
「ったく‥‥何でだよ〜」
 これで、3度目の失敗。
「もう〜信じらんない!」
 さっきまで笑顔を絶やさなかった、幼なじみのイオラ
 最初は「ドンマイドンマイ♪」とルイスを励ましていたが、さすがに不機嫌になりつつあった。
 何度試しても、成功しない魔術。
(ひょっとして、オレって向いていないのかも‥‥)
 ルイスは、純血の悪魔ではない。悪魔と人間の混血である。
 混血とは、何とも厄介なもので──。
 人間の血が半分混じっているせいで、毎日苦労が絶えない身だ。
 狩りをしに主人と人間界に降りるも、肝心のところで──つまり、狩る直前でルイスは踏みとどまってしまう。
「人間に親しみや哀れみを感じるじゃと?バカなことを‥‥。そなたは悪魔なのじゃ。しっかりせい!」
「‥‥‥‥はい、ご主人様」
 しかし今日もルイスは狩りに失敗し、やっぱり主人にこっぴどく叱られた。
 そして、部屋を退室したところで、イオラとバッタリ出くわしたのだ。

 魔道書に被ったすすを払いながら、イオラは発破をかける。
「何も悩むことなんかないじゃない。人間を堕とすなんて‥‥。私の美貌にかかれば、人間なんかイチコロよ♪」
 イオラは机の上に座って足組みをし、得意のお色気悩殺ポーズ。
 ルイスは、ムッとしてそっぽを向く。
「簡単なのは、イオラが純血の悪魔だからだよ。オレの気持ちなんかわかんないよ!」
「そうね〜。アンタには無理かもねぇ」
 イオラは机から飛び降りるなり、ルイスの前で仁王立ちになった。
「何だよ!さっきまでオレに発破かけてたくせに‥‥」
「だって本当のことじゃない!私のさっきの悩殺ポーズ。チャームの魔法入りって、ルイスってば気づいてた?」
 ぽかんとし、「‥‥え?」という顔をするルイス。
 イオラは、魔道書の角でルイスの額を小突きながら、愚痴った。
「呆れた〜。私のチャームに反応しないなんて!このイオラ様の、特別大サービスのショット付だったのにー」
 自慢の足首をスカートのスリットから覗かせながら、イオラは軽くショックを受ける。
「ルイスって素質ないんじゃいの?魔術をかけられても、気づかないってだけだったら‥‥『鈍い』で大目に見てもらえるけど、狩りができない悪魔なんか、悪魔じゃないわ。もう、インキュバスなんかやめちゃえば?それだけが人生じゃないっしょ」
 イオラは、魔道書を肩の上でポンポンと弾ませる。
 先生きどりで、「そもそもルイスはね──」と、指差し説教に入るや否や‥‥
「こらこら、そんな事を言うものではないよ」
 低く‥‥優しい声が響くと同時に、イオラの手からスッと魔道書が奪われた。
 そして、その魔道書で彼女の後頭部をコツンと小突く者──。
「誰よ!」と、イオラはキッと睨みを利かせて振り返るが──声の主と目が合った瞬間、ガバッと床にひれ伏した。
「お‥‥お許しください!」
 深く頭を下げると、その者は静かに微笑む。
リロイ様‥‥!」
 ルイスは思わず声を上げた。その人は‥‥ルイスが憧れてやまない人だったからだ。
「気の強い女の子だね」
 イオラは恥ずかしそうに、エヘヘと笑って取り繕う。
「君は確か、この子にイオラと呼ばれていたね。使い魔なのかな?衣装からすると、“筆頭”のようだが‥‥」
「は、はい!私はナタリー様にお仕えしております、筆頭使い魔のイオラと申します!」
 イオラは再度、深々と一礼。
 “筆頭”を強調して自己紹介する彼女に、ルイスは半ば呆然と見つめていた。
「君達の声が聞こえて‥‥悪いと思ったが、話を聞いていた」
「はぁ‥‥」
「その中で、ちょっと気になったことがあってね。口を挟んでも良いかな?」
 良いかなと言われても、「ダメです」などと言えるわけがない。
「も、勿論でございます!何なりと──」
 イオラは、そう言葉を返した。
(私を見て気になったなんて‥‥。良い働きをするとか?“筆頭”にしておくのは惜しいとか?もしかして──さっきの私のチャームと美貌に‥‥)
 てっきりイオラは、お褒めの言葉を頂けるのだと思い、ドキドキしながら待っていた。しかし‥‥
「彼を、君の常識に当てはめてはいけない」
 悲しい事に、それはお褒めの言葉ではなく、忠告だった。
「見たところ、彼には人間の血が混じっているね。ということは、純血の悪魔の君とは違うということだ。一緒にしてはいけないよ」
 イオラの表情が、一気に強張っていく。
 リロイは椅子に腰掛け、隣に座るようルイスを手招きした。
 おずおずと、前に出るルイス。
 私も──と、つられて足を踏み出したイオラを、リロイの従者が止めに入った。
「‥‥何よ‥‥」
「ご存知でしょう。リロイ様も人間の血を持つ身。彼の事はリロイ様にお任せください」
「でも‥‥」
「人間の血が入っている悪魔は、とても貴重な存在です。あなたの言葉は確かに正しいが、今の彼には重過ぎる。ここは──引きなさい」
 この言われよう。まるで責められているようだ。
(私って‥‥悪者?)
「従者様‥‥!ルイスは友達なんです。キツイ事を言ったけど‥‥その‥‥本心ではなくて、あの‥‥」
 イオラは必死に弁解をした。しかし、彼にはすでにわかっていたようで──
「分かっていますよ。一緒に魔術の特訓に付き合ってあげたという貴方の優しさは、ルイスは勿論、私達にも通じています。だから、安心なさい」
 従者がそう微笑むと、イオラは笑顔を取り戻した。そして、その言葉に納得したのか、一礼をして帰っていった。

「君は女官リディアの使い魔だね。人間を堕とすことができなかったと、門前で叱られていたね」
 ルイスは、恥ずかしそうに俯く。
「叱られてすぐここに来て、魔道書を開いて──次の狩りに向けての特訓かな?」
 魔道書をペラペラとめくるリロイ。
 彼の従者──ライナスも、興味深げにその本を覗き込む。
「へぇ、魔道書入門‥‥。君は新入りの使い魔かい?」
 聞かれて、硬直するルイス。それは、ルイスにとって一番聞かれたくないことだった。
 キョトンとしているライナスにリロイはそっと‥‥(この子も“筆頭”使い魔だ)と、耳打ちをする。
 この本は新入の使い魔──あるいは、その“卵”たちが読む書物。
 顔を真っ赤にして俯くルイス。対して、気の毒なことをしたと、頭を抱えて青ざめるライナス。
「連れの者が失礼をしてしまった。だが、何も知らぬ故、どうか許しておくれ」と、リロイは魔道書をルイスに返した。
「‥‥いえ、とんでもないです!今更──こんな本を読んでいるオレが悪いんです」
 ルイスは力なく応え、魔道書を開く。偶然にも、さっき自分が失敗した魔術のページが開かれた。
 『召還〜闇〜 難易度2』のタイトルが、冷たく突き刺さる。
「オレ‥‥イオラの言うとおり、素質が無いんです。人間と対峙するとすごんじゃって‥‥。魔術はご覧とおり、難易度2でさえ失敗です。10段階でですよ。笑っちゃいますよね。
 同僚からは、「何でお前が“筆頭”なんだ」って言われちゃうし‥‥。さっきはさっきでご主人様に叱られるし‥‥。本当、ダメなんですよオレ。
 次の狩りは3日後‥‥。もうどうしたらいいか。せめて一介の使い魔になれたら、少しは気が楽になるのに‥‥」
 ルイスの愚痴を聞いていたリロイは、興味深げだった。
(悪魔の望みは、より高い地位に昇ること。誰もが寵愛を巧みに利用し、至高の地位を目指して生きているというのに、この子は‥‥)
 魔術を習得するのも主人に従うのも、全ては、栄光の地位を勝ち取る為。
 悪魔の階級は、下がりこそすれ上がることは滅多にない。一生同じ地位であり続ける。その為、そんな夢を抱く事さえ知らず、大半の悪魔は生涯を終えるものだ。
 しかし‥‥幸運にも『地位昇格』の快感に目覚めたら最後。あとは、ただひたすらに‥‥玉座を目指して突き進む。
 その思いは強く果てなく、帝王を蹴落としてでも、自分がその座に着こうとする。それが、『悪魔』なのである。
 だからこそ、高い地位を重く感じる悪魔は非常に珍しいのだ。
「なるほど。君はどちらかというと人間の血のほうが濃いようだね。──私と同じで‥‥」
 ルイスは、リロイの言葉に思わず顔を上げた。
「私も、狩りのときは毎度のように主人から叱られ、同僚からはバカにされたものだ」
「‥‥リロイ様が!?」
 リロイは、自分の身の上を懐かしげに語った。
「私は‥‥ヴァンパイアと人間の混血でね。君の気持ちは痛いほど分かるよ。特に私はヴァンピールとして、生まれながらに大きな宿命を背負っていたからね。──とても辛かったよ。でも‥‥」
 ライナスの肩に手を置いて──
「いつもライナスが、傍にいてくれた。彼のおかげで私は救われている」
「そんな‥‥」
 照れくさそうに笑うライナス。
「傍にいてくれる人がいることは、大切なことだ。君も、君の境遇と宿命を理解できる者が必要だ」
 腰を落とし、ルイスと目線を合わせる。
「私は君の力になれるだろうか?私にその資格があるなら、どうか話してほしい。君の悩みを、私に聞かせてはくれないか?」

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