クリップボードに添えられた書類をパラパラとめくると、確かにそこには家の項目もがあり、“借家”と書かれていた。 「借家?あの、これって‥‥」 「まさかお前達、この家、貰った──と思ってるんじゃないよな?」 「霊界の持ち物ですよ。借りたら返す。当たり前でしょう」 雷鬼と雲鬼は、呆れながら呟いた。 「文句があるなら金でこの家を買いなさい。分割でもいい。なんなら今、頭金でも払うか?」 雲鬼はメモ用紙に金額を書くと、に渡した。 「こんなお金、持ってるわけないじゃない!」 「だったら霊界で働いて金を稼ぐか?お前たちは、霊界の傘下からは抜けている。だがお前たちが望むなら、霊界側は雇う意思はあるぞ。コエンマ様も歓迎すると仰ってる」 「なによそれ。そんなの、今まで通りで何も変わらないじゃない」 が言うと、黒鵺も「それは何の解決にもなってねぇだろ」と吠えたが、確かに扱われ方は全く違う。 「お前たちはもう霊界の住人では無い。今後、お前たちが再び霊界で働いた場合、霊界は“職場”であって、霊界はお前達を“雇人”として扱うつもりだ」 「いっとくが、霊界に『寮』は無いからな。衣食住は自分たちで何とかしろ」 「う‥‥」 黒鵺は、霊界の擁護をするつもりは毛頭ないが、どうしてそんなに冷たいのかと、雲鬼に食って掛かった。 ただ、悲しいかな代替案が全く思い浮かばない。蔵馬に知恵を借りようとして声をかけると、蔵馬は動揺も見せず、我関せずという形だ。 どうしてこうも冷静でいられるのか。この事態に、何を呑気にしてやがんだ。何だか嫌な予感がして、恐る恐る尋ねてみる。 「お前も何か言えよ。あの女も困ってるじゃねぇか」 「‥‥何が」 「何がって、あいつらの住処が無くなるんだぜ。困るだろうが」 すると蔵馬は、今更何を?とでも言いたげに、「霊界の持ち物なのだから回収されるのは当然だろう」と吐き捨てた。 「お前、なんで平然としてんだ?まさか‥‥知ってたのかよ!?」 黒鵺が問いただすと、蔵馬は、気づかないお前が悪いとでも言うように、フイッと目を逸らした──その先で、と目が合った。 がムッとした顔で蔵馬を凝視している。 「何を怒っている」 「別に怒ってないわよ。気がつかなかった私達が悪いんだから」 そうは言っても、少しくらいは教えてくれても良かったんじゃない?と、不満はある。 「こうなるって、いつ気づいたの?」 「何をだ」 「私達が、家を失うって事よ」 蔵馬が答えずに黙っていると、黒鵺がフッ‥‥と鼻で笑った。 「そりゃぁお前が立てた策だもんな。そう易々と教えられねぇよ。例えこの俺にさえもな」 少し嫌味な言い方だ。 「どうせ、事前に伝えたら女が気迷うと思ったんだろ?お前の女は優柔不断だしな」 悪口のように聞こえる言い方だ。が睨むと、黒鵺は罰悪そうに眼をそらした。 もはや蔵馬の計算高さは『お手上げもんだ』と、黒鵺は手を腰にやって感心する。 「お前は、昔からやり方が汚いんだよ。そう思うだろ?」 黒鵺はに同意を得ようとしたが、は蔵馬の手前、否定も肯定もできずに苦笑いを浮かべるのみだ。 「なに笑ってんだよ。お前だって巻き込まれてるんだぜ。文句の一つくらいあるだろうが」 言え言えと、蔵馬に向かって顎をクイッと突き出すが‥‥言えるわけがない。 物言えないを見かねて、雲鬼と雷鬼は口々に『それはあまりにも卑怯ではないか』と蔵馬を罵った。 はというと、しばらく俯いていたものの、吹っ切れたように満面の笑みを見せて──。 「大丈夫よ!私、魔界のどこかで蔵馬と一緒に生きていくから。雲鬼も雷鬼も心配しないで。私ってこうみえても順応性あるんだから」 「オイオイ、お前にしては決断早すぎないか?勇み足で決めても、ろくなことないぞ」 優柔不断で、あーでもないこーでもないと色々世話のやけるのこと。雲鬼は、とにかく急ぐなと忠告する。 「霊界にある持ち物の引き取りは一両日中だが、住居の明け渡しは3、4日待ってやるつもりだ。住む場所が見つかるまで霊界で暮らせばいい。ぼたんも、それまでは一緒に暮らそうと誘っているんだ」 「ぼたんが?」 「そうだ。コエンマ様も、お前たちの部屋をご用意くださっている。だからそうしろ。さすがにこの件は、たかが数分で決められる話ではないぞ」 「いいの。もう決めたの。私は蔵馬と魔界で暮らします!」 は、蔵馬の腕をガッシリと掴んでグイッと引き寄せた。 「──っ!!」 「あっ、ご、ごめんなさいっ!」 力任せに引っ張られる形になってしまい、傷が塞がったばかりの蔵馬は思わず顔を歪める。 に向かってよろける身体を、慌てて黒鵺が支えた。 「大丈夫かよ。お前、なんか顔色悪いぞ」 「ごめん蔵馬。大丈夫?」 「もしかして、今ので傷が開いたんじゃねぇか?」 「えぇ!?」 「よせ。俺の心配はいらん」 そう言って、蔵馬はの肩に手を添えると、話の続きをするよう促した。この話の流れの勢いは、止めてはならない。 蔵馬が、の次の言葉を待っている。それを悟ってか、は雲鬼と雷鬼に自分の思いを話し始めた。 確かに家を失うのは辛い。でも蔵馬と二人で、「共に生きよう」と固く誓ったことを。 家が無くなる事を予見していた蔵馬の言葉には、こういう意図もあったのよねと、蔵馬の眼を覗き込む。 すると、蔵馬はとても満足そうな顔を返してくれた。 その様子を見た雲鬼と雷鬼は、蔵馬とを見合い、しっかりと二人が出した結論なんだと悟る。 これが『怪我の功名』というヤツなのか。それとも『雨降って地固まる』か。 とにかく、お互いに庇い合った事が、何かを考えるキッカケになった事は確かなのだろう。 「わかったよ。で、はどうするんだ?お前は、落ち着くまで霊界に来るか?」 瞬く間に状況が激変していく中、以上に誰からも何一つ聞かされていなかっただが、少しも動じることなく黒鵺の腕をつかんで、「もちろん私も黒鵺と一緒に住むわよ」と即答した。 「本当にお前は何事にも刹那的だなぁ。その性格、少しはに分けてやりたいよ」 ある意味羨ましいよと、雷鬼は感心してしまう。 「わかったよ。では勝手にしなさい。コエンマ様には私から伝えておこう」 「コエンマかぁ。さすがにこうなると、怒られるかもね」 「どうかな。なんだかんだ言っても、コエンマ様は最後にはお前たちの味方だよ。口うるさくて煩わしかっただろうが、コエンマ様はお前たちの為ならば、何をおいても駆けつけて下さる。特防隊の護衛を付けずに魔界にだっていらっしゃった。我々が霊界に戻れば、真っ先にお前たちの事をお聞きになる。それだけお前たちの事を心配していらっしゃるんだ」 魔界に行けと言えば、今度は人間界に行けと言う。やり方は不器用で乱暴だったが、それも二人が心配で、そういう解決策しか見つからなかったからだ。 魔界・霊界・人間界。忙しい身で激務をこなしながら、それでも助けを呼べばすぐに駆けつけてくれた。 「そのイアリングは餞別だそうだ。紛失・破損の場合は新たなイアリングを手配してやるから、速やかに届けよとのことだ」 「それって──」 「分かってやれよ?今でも、コエンマ様はお前達が心配なんだよ。良い“くされ縁”になってやれ」 「今日限りで、お前たちは霊界の住人では無くなってしまったが、お前たちさえ嫌でなければ、これからもコエンマ様に顔を見せてあげなさい。今まで通り甘えて、利用して、ケンカでもしてくればいい。きっと喜んでくださる」 「ケンカって‥‥‥‥誰が!」 「何言ってんだよ。霊界で、コエンマ様と面と向かって口ゲンカできる者は、お前らぐらいだろう」 との口が達者なのは、同じく口が立つコエンマによって鍛えられた賜物だと、霊界人は皆、そう思っている。 「そういえば、この家でコエンマ様と大ゲンカしたらしいな。ジョルジュが教えてくれたよ。惜しいなぁ、我々も見たかったよその光景」 すると黒鵺がククッと笑いながら、「こっちの女はもっとすげえんだぜ。なんでも、あの蔵馬と──」 すかさずが、「余計な事言わなくていいの!」と制した。 雲鬼は、「大体、察しがつきます」と腹を抱えて笑っている。 ただ蔵馬の場合、いくらが口達者とはいえ詭弁が多い為、破綻させて言い負かして終わらせることができる。 しかしコエンマは──。 「コエンマ様は、霊界にいらっしゃるというのに、圧されないようわざわざ人間界の姿で見下ろすんですよ。2対1、ぼたんも加われば3対1ですからね。せめて身長差で威圧しなけば。コエンマ様も必死ですよ」 「今のところは互角だよな。お前ら少しは手加減してやれよ。コエンマ様が負かされた日は、一日ご機嫌が悪いんだからな」 「オイ、霊界の統治者にそんなことして、は咎めを受けたりしないだろうなぁ?」 「ご心配なく。コエンマ様も意外と楽しんでらっしゃいますから」 言われてみれば、蔵馬との言い争いも、案外楽しそうに思える。 逆に、血の気が多い黒鵺だが、実は意外にもと言い争いはしない。ブローチを付けるか外すか‥‥それで揉めたことはあったが。 蔵馬曰く、二人とも竹を割ったようなあっさりした性格らしく、それが功を奏しているのだろうか。 だからといって、この先、と言い争いをしたいとは思わない。理由は‥‥十中八九、自分が負けるからだ。 「では、一両日中に霊界から荷物をお引き取り下さい。我々は霊界に戻って、2人が泊まる部屋は不要だとコエンマ様にお伝えします」 「ねぇ雲鬼。せめて私たちが荷物を持って帰った後で、コエンマ様にそのこと伝えてくれないかしら?」 全てを知られた後にコエンマに会えば、きっとまた何か言われるのが目に見えている。 「ダメだ。そんなことをしたら、お前たちの部屋を用意して下さっているコエンマ様にあまりにも失礼だろう」 「明日は久々にコエンマ様とのバトルが見られるかもな。俺も雲鬼も楽しみにしてるぞ」 雲鬼と雷鬼は好き放題言って笑いながら、亜空間結界を作って霊界に帰っていった。 再び部屋が、静寂に包まれてゆく。 「明日、気まずいわよねぇ──どうしよ」 そう呟きながら振りむくと、月のない闇の中で、蔵馬と黒鵺の姿だけが淡く揺らめくように佇んでいた。 優しく手を差し出す彼らの姿に、徐々に胸が高鳴りだす。 「来い、。お前を、俺達の住処に案内しよう」 「良いところだぜ。きっと気に入る」 とは互いに見合うと、家にある物‥‥何一つ手に持つこともせず、彼らの元へ駆け寄った。 「何も持たなくていいのか?」 「いいの。な〜んにもいらないの。なんにも──」 蔵馬の腕を抱き、寄り添い、頬を彼の胸に埋めて、彼の温もりを感じながら‥‥こうして一緒に居ることこそが幸せなのだと、そっと囁く。 「お世話になりました」 とが、共に“我が家”に深々と頭を下げると、蔵馬も黒鵺も、感慨深そうに魔界での“我が家”を眺めていた。 「俺達の住処にいったら、まず仲間を紹介しよう」 「いいの?私達、人間よ?」 「関係ない。俺が連れている女に、異論がある者などいない。勿論、そこの女の事も認めさせてやろう」 黒鵺は、を小脇に抱えてグリグリと肩を小突いた。 「あの、いま思いついたんですけど‥‥貴方達のお仲間に会わせて頂けるのでしたら、私達もどうか仲間に入れてください。さすがに一緒に付いて盗賊するのは無理ですが、医師というのはどうでしょう?貴方達が争いで傷ついたら、私たちが治します」 が胸を張ると、黒鵺がポンと手を叩いてを指さす。 「、それ名案だぜ!おっし、お前がついてりゃ怖いもんはねぇな。待ってろ、俺らは金を貯めて国を建てるつもりなんだ!」 と黒鵺が、いつになるやら分からない未来の話で盛り上がっている。 「簡単なことを言うな。霊界から与えられた道具は何も持ってないだろう」 すかさずは蔵馬の白装束を掴んで、「私達、薬剤師の知識もあるのよ。薬の調合ができるわ。蔵馬も知ってるでしょ」と、自分を指さした。 二人は、花園で薬草を共に摘み調合した事がある。あの時は、が妖怪に襲われた為、あまり良い思い出ではないが──。※1 「そうだったな。しかし、こうまで環境が激変するとは──。全く、後始末を付ける時間すら無かったな」 どの口が言うのかと、黒鵺は思わず息をのんだ。全てお前が仕組んだんだろうと、喉元まで出かかった言葉を、吐き出す寸前にに後ろから羽交い絞めにされて、なんとか思いとどまる。 「気にしないで。霊界と縁を切ったわけではないわ。このイアリングがある限り、私は霊界とつながっているもの。私は‥‥霊界を嫌いにはならない。今でも私の故郷だと思うし、これからも遊びにだっていくつもりよ」 「明日、荷物を引き取りに行くんだろう?俺も手伝ってやろう」 「蔵馬が霊界に!?でも‥‥」 「確かに、俺は霊界は嫌いだ。だが、全てを憎んではいない。コエンマは気に入らんが、霊界鬼の言っていたお前とコエンマとの言い争いを見てみたいと思ってな。お前、俺には負けるがあいつには勝つのだろう?」 「やだっ、何言ってるのよ!」 蔵馬も分かっている。霊界が関与しなければ、との時間はあり得なかったことを──。 あの時、霊界の財宝を盗まなかったら。竹林に入らなかったら。怪我をしなかったら。一つでも欠けた時点でとの関係は存在しない。そしてなにより、が魔界に来なかったら──に辿り着くと、結果論とはいえ、霊界がを保護し育み、そして魔界に寄越してくれたことに感謝をしている自分がいるのは紛れもない事実だ。 竹林で初めて逢った時、を見つけて、思わず駆けていた足を止めた。 最初は、人間という異質な気に驚いて足を止めたと思っていた。だが違う。あの瞬間に‥‥既にに惹かれていたのだ。 これから、行く先々には困難が待ち受けるに違いない。これからは霊界の護衛なしで、人間が魔界に住むのだ。 しかし‥‥恐れはない。共に生きる。それ以上、何も望むことはない。 妖怪と人間。生きる時間の速さは違ったとしても、だからこそ、共に生きる時間がどれだけ愛おしく大切なのかと──。 ただ、盗賊業をしている以上、蔵馬が先に逝く可能性だって大いにあるのも事実。 どちらが先であれ、決して後は追わず、生き続ける。尽きるまで泣き、後はただ前だけを見つめて──。 これは、蔵馬とが交わした約束。 俺は、昔の俺ではない。この俺に居場所があるならば、それはきっと──と共にある。 ∧※1…花園 |