クリップボードに添えられた書類をパラパラとめくると、確かにそこには家の項目もがあり──“借家”と書かれていた。 「借家?あの、これって‥‥」 「まさかお前達、この家、貰った──とでも思ってるんじゃないよな?」 雲鬼と雷鬼が、ニヤニヤと笑っている。 「文句があるなら霊界から金で買い戻せば良いだろう。霊界の傘下からは抜けたものの、霊界はお前達を雇う意思はあるぞ。また働きにでも来るか?コエンマ様は歓迎すると仰ってるぞ」 「なによそれ。そんなの、今まで通りで何も変わらないじゃない」 が言うと、黒鵺も「それは何の解決にもなってねぇだろ」と吠えたが、冷静に考えれば確かに“扱われ方”は全く違うのである。 「いいか?お前たちはもう霊界の住人ではなくなる。もし今後、お前たちが再び霊界で働いた場合の話だが、これからは霊界に働きに来るだけの身──“職場”となる。我々もお前達を“雇人”として扱うつもりだ」 「いっとくが、霊界に“寮”という概念など毛頭無いからな。衣食住は‥‥自分たちで何とかしろ」 「う‥‥」 黒鵺は、霊界の擁護をするつもりは毛頭ないが、どうして霊界はそんなに冷たいのかと、雲鬼に食って掛かった。 ただ、悲しいかな代替え案が全く思い浮かばない。蔵馬に知恵を借りようとして声をかけると、蔵馬は動揺も見せず、我関せずという形である。 どうしてこうも冷静でいられるんだ。この事態に、何を呑気にしてやがんだ。 何だか嫌な予感がして、恐る恐る尋ねてみる。 「おい、お前も何か言えよ。あの女、困ってるじゃねぇか」 「‥‥何が」 「何って、あいつらの住処が無くなるんだとよ。困るだろうが」 すると蔵馬は、今更何を?とでも言いたげに、「霊界の持ち物なのだから回収されるのは当然だろう」と吐き捨てたのである。 「お前、なんで平然としてんだ?まさか‥‥知ってたのかよ!?」 黒鵺が問いただすと、蔵馬は、気づかないお前が悪いとでも言うように、フイッと目を逸らした──その先で、と目が合った。 「何を怒っている」 がムッとした顔で蔵馬を凝視している。 「別に。気がつかなかった私が悪いんだし‥‥ってことでしょ」 「怒っていない者が、そのような態度をとるのか?」 怒ってはいない。だけど、どこか腑に落ちないのは事実だ。 「聞きたいんだけど。蔵馬は、こうなるっていつ気づいたの?」 「何を」 「私達が、“家を失う”って事」 すると蔵馬は逆に──『まさか今まで、露程にも考えたことはなかったのか』と、呆れていた。 そんな事は、を連れ戻しに人間界に来た時点で、大体こうなるだろうと察しはついていたらしい。 「どうして教えてくれなかったのよー」 蔵馬が答えずに黙っていると、黒鵺が、「伝えちまったら、女が気迷うと思った。それではいつまで経っても取り戻せない。だから伝えずにいた。──当たりだろ?」と、蔵馬の代わりに答えてやる。 上目づかいに蔵馬の顔を眺めながら、もはやその計算高さは『お手上げもんだ』だとして、黒鵺は手を腰にやって感心する。 「なぁ、汚ねぇだろぉ〜?」と、黒鵺はにぼやいて同意を得ようとしたが、は蔵馬の手前、否定も肯定もできずに苦笑いを浮かべるのみである。 だが雲鬼と雷鬼は口々に、『それはあまりにも卑怯ではないか』と蔵馬を罵っていた。 はというと、しばらく俯いていたものの、吹っ切れたように満面の笑みを見せて──。 「だ、大丈夫!私、魔界のどこかで蔵馬と一緒に生きていくから。雲鬼も雷鬼も心配しないで。私ってこうみえても順応性あるんだから」 「オイオイ‥‥お前にしては決断早すぎないか?あまり勇み足で決めても、ろくなことないぞ。自分が一番よく分かってるだろう」 優柔不断で、あーでもないこーでもないと色々世話のやけるのこと。雲鬼は、とにかく急ぐなと忠告する。 「霊界にある持ち物の引き取りは一両日中だが、住居の明け渡しは特別に3、4日待つつもりだ。それからは、住む場所が見つかるまで霊界で暮らせばいい。ぼたんも、それまでは一緒に暮らそうと誘っているんだ」 「ぼたんが?」 「そうだ。それに今、コエンマ様もお前たちの部屋をご用意くださっている。だからそうしろ。さすがにこの件は、たかだか数分で決めて良い話ではないだろう」 「いいの。もう決めたの。私は蔵馬と魔界で暮らします!」 は、蔵馬の腕をガッシリと掴んで、グイッと引き寄せた。 「──っ!!」 「あっ、ご、ごめんなさいっ!」 力任せに引っ張られる形になってしまい、傷が塞がったばかりの蔵馬は思わず顔を歪める。 に向かってよろける身体を、慌てて黒鵺が支えた。 「大丈夫かよ。お前、なんか顔色悪いぞ」 「‥‥蔵馬、大丈夫?」 「もしかして、今ので傷が開いたんじゃねぇか?」 「えぇ!?」 「よせ。俺の心配はいらん」 そう言って蔵馬はの肩に手を添えると、話の続きをするよう促す。この話の流れの勢いは、止めてはならない。 蔵馬が、の次の言葉を待っている。それを悟ってか、は雲鬼と雷鬼に自分の思いを語った。 そう。確かに家を失うのは辛い。でも蔵馬と2人で、「共に生きよう」と固く誓ったんだ。 家が無くなる事を予見していた蔵馬の言葉、こういう意図もあったのよねと、蔵馬の眼を覗き込むと、蔵馬はとても嬉しそうな顔を返してくれた。 その様子を見た雲鬼と雷鬼は、蔵馬とを見合い、これは‥‥しっかりと2人が出した結論なんだと悟る。 これが『怪我の功名』というヤツなのか。それとも『雨降って地固まる』か。 とにかく、あの時お互いに庇い合った事が、何かを考えるキッカケになった事は確かなのだろう。 「わかったよ。まったくお前というやつは──。それで、はどうするんだ?お前は、落ち着くまで霊界に来るか?」 瞬く間に状況が激変していく中、以上に誰からも何一つ聞かされていなかっただが、少しも動じることなく黒鵺の腕をつかんで、「もちろん私も黒鵺と一緒に住むわよ」と即答した。 「本当にお前って‥‥何事にも“刹那的”なんだなぁ〜。その性格、少しはに分けてやりたいぐらいだ」 ある意味羨ましいよと、雷鬼は感心してしまう。 「わかったよ。では、行きなさい。コエンマ様には私から伝えておこう」 「コエンマ‥‥かぁ。さすがにこうなると、怒られるかもね」 「どうかな。なんだかんだ言っても、コエンマ様は最後にはお前たちの味方だ。口うるさくて煩わしかっただろうが、コエンマ様はお前たちの為ならば、何をおいても駆けつけて下さる。特防隊を付けずに魔界にだっていらっしゃる。我々が霊界に戻れば、真っ先にお前たちの事をお聞きになる。それだけお前たちの事を心配していらっしゃるんだ」 魔界に行けと言えば、今度は人間界に行けと言う。やり方は不器用で乱暴だったが、魔界・霊界・人間界と、忙しい身で激務をこなしながら、それでも彼女たちが呼べばすぐに駆けつけ、助けてくれた。 「そのイアリングは餞別だそうだ。紛失・破損の場合は新たなイアリングを手配してやるから、速やかに届けよとのことだ」 「それって──」 「分かってやれよ?今でも、コエンマ様はお前達が心配なんだよ。良い“くされ縁”になってやれ」 「今日限りで、お前たちは霊界の住人では無くなってしまったが、お前たちさえ迷惑でなければ、これからもコエンマ様に顔を見せてあげなさい。今まで通り甘えて、利用して、ケンカでもしてくればいい。きっと喜んでくださる」 「ケンカって‥‥‥‥誰が!」 「何言ってんだよ。霊界で、コエンマ様と面と向かって口ゲンカできる者は、お前らぐらいだろう」 との口が達者なのは、同じく口が立つコエンマによって鍛えられた賜物だと、霊界人は皆‥‥思っている。 「そういえば、この家でコエンマ様と大ゲンカしたらしいな。ジョルジュが教えてくれたよ。惜しいなぁ、我々も見たかったよその光景」 黒鵺がククッと笑いながら、「こっちの女はもっとすげえんだぜ。なんでも、あの蔵馬と──」 すかさずが、「余計な事言わなくていいの!」と制した。 雲鬼は、「大体、察しがつきます」と腹を抱えて笑っている。 ただ蔵馬の場合、いくらが口達者とはいえ詭弁が多い為、破綻させて言い負かして終わらせることができる。 しかしコエンマは──。 「コエンマ様は、霊界にいらっしゃるというのに、圧されないようわざわざ人間界の姿で見下ろすんですよ。2対1、ぼたんも加われば3対1ですからね。せめて身長差で威圧しなけば──。コエンマ様も必死ですよ」 「今のところは互角だよな。お前ら少しは手加減してやれよ。コエンマ様が負かされた日は、一日ご機嫌が悪いんだからな」 「オイ、霊界の統治者にそんなことして、は咎めを受けたりしないだろうなぁ?」 「ご心配なく。コエンマ様も意外と楽しんでらっしゃいますから」 黒鵺はと言い争いをした事が無いのでよく分からないが、言われてみれば蔵馬とも案外楽しそうに思える。 だからといって、と言い争いをしたいとは思わない。理由は‥‥‥‥十中八九、自分が負けるからだ。 「では、一両日中に霊界から荷物をお引き取り下さい。我々は霊界に戻って、2人が泊まる部屋は不要だとコエンマ様にお伝えします」 「ねぇ雲鬼。せめて私たちが荷物を持って帰った後で‥‥コエンマ様にそのこと伝えてくれないかしら?」 全てを知られた後にコエンマに会えば、きっとまた何か言われるのが目に見えている。 「ダメだ。そんなことをしたら、お前たちの部屋を用意して下さっているコエンマ様にあまりにも失礼だろう」 「ハハッ。明日は久々にコエンマ様とのバトルが見られるかもな。俺も雲鬼も楽しみにしてるぞ」 雲鬼と雷鬼は好き放題言って笑いながら、亜空間結界を作って霊界に帰ってしまったのであったのである。 再び部屋が、静寂に包まれてゆく。 「明日、気まずいわよねぇ──どうしよ」 そう呟きながら振りむくと、月のない闇の中で、蔵馬と黒鵺の姿だけが淡く揺らめくように佇んでいた。 優しく手を差し出す彼らの姿に、徐々に胸が高鳴りだす。 「来い、。お前を、俺達の住処に案内しよう」 「良いところだぜ。きっと気に入る」 とは互いに見合うと、家にある物‥‥何一つ手に持つこともせず、彼らの元へ駆け寄った。 「何も持たなくていいのか?」 「いいの。な〜んにもいらないの。なんにも──」 蔵馬の腕を抱き、寄り添い、頬を彼の胸に埋めて、彼の温もりを感じながら‥‥こうして一緒に居ることこそが幸せなのだと、そっと囁く。 「お世話になりました」 とが、共に“我が家”に深々と頭を下げると、蔵馬も黒鵺も、感慨深そうに魔界での“我が家”を眺めていた。 「俺達の住処にいったら、まず仲間を紹介しよう」 「いいの?私達、人間よ?」 「関係ない。お前はこの俺が認めた女だ。異論がある者などいない。勿論‥‥そこの女の事も認めさせてやろう」 黒鵺は、を小脇に抱えてグリグリと肩を小突く。 「あの、いま思いついたんですけど‥‥貴方達のお仲間に会わせて頂けるのでしたら、私達もどうか仲間に入れてください。さすがに一緒に付いて盗賊するのは無理ですが‥‥医師というのはどうでしょう?貴方達が闘いで傷ついたら、私たちが治してあげます」 が胸を張ると、黒鵺がポンと手を叩いてを指さす。 「、それ名案だぜ!おっし、お前がついてりゃ怖いもんはねぇな。待ってろ、俺らは金を貯めて国を建てるつもりなんだ!」 と黒鵺が、いつになるやら分からない未来の話で盛り上がっている。 「気楽なことを言うな。霊界から与えられた道具は何も持ってないだろう」 すかさずは蔵馬の白装束を掴んで、「私達、薬剤師の知識もあるのよ。薬草だって調合できるわ。蔵馬も知ってるはずじゃない」と、自分を指さした。 2人は、花園で薬草を共に摘み調合した事がある。あの時は、が妖怪に襲われた為、あまり良い思い出ではないが──。 「そうだったな。しかし、こうまで環境が激変するとは──。全く、後始末を付ける時間すら無かったな」 どの口が言うのかと、黒鵺は思わず息をのんだ。全てお前が仕組んだんだろうと、喉元まで出かかった言葉を、吐き出す寸前にに後ろから羽交い絞めにされて‥‥思いとどまる。 「気にしないで。霊界と縁を切ったわけではないわ。このイアリングがある限り、私は霊界とつながっているもの。私は‥‥霊界を嫌いにはならない。今でも私の故郷だと思うし、これからも遊びにだっていくつもりよ」 「明日、荷物を引き取りに行くんだろう?俺も手伝ってやろう」 「蔵馬が霊界に!?でも‥‥」 「確かに、俺は霊界は嫌いだ。だが、全てを憎んではいない。コエンマは気に入らんが‥‥霊界鬼の言っていたお前とコエンマとの言い争いを見てみたいと思ってなぁ。お前、俺には負けるがあいつには勝つのだろうな?」 「やだっ、何言ってるのよ──!」 蔵馬も分かっている。霊界が関与しなければ、との時間はあり得なかったことを──。 あの時、自分が霊界の財宝を盗まなかったら。竹林に入らなかったら。怪我をしなかったら。一つでも欠けた時点でとの関係は存在しない。そして、が魔界に来なかったら──に辿り着くと、結果論とはいえ、霊界がを保護し育み、そして魔界に寄越してくれたことに感謝をしている自分がいるのは紛れもない事実だ。 竹林で初めて逢った時、を見つけて、思わず駆けていた足を止めた。 最初は、人間という異質な気に驚いて足を止めたと思っていた。だが違う。あの瞬間に‥‥既にに惹かれていたのだ。 これから、行く先々には困難が待ち受けるに違いない。これからは霊界の護衛なしで、人間が魔界に住むのだ。 しかし‥‥恐れはない。共に生きる。それ以上、何も望むことはない。 妖怪と人間。生きる時間の速さは違ったとしても、だからこそ、共に生きる時間がどれだけ愛おしく大切なのかと──。 ただ、盗賊業をしている以上、蔵馬が先に逝く可能性だって大いにあるのも事実。 しかしどちらが先であれ、決して後は追わず、生き続ける。尽きるまで泣いた後は、ただ前だけを見つめて──。 これは、蔵馬とが交わした約束。 俺は、昔の俺ではない。この俺に居場所があるならば、それはきっと──と共にある。
完結です。一応、ハッピーエンドで最終話を迎えることができたと思っております。 最終話をお読みいただきました方々、最後までお付き合い頂きまして、本当にどうもありがとうございます。 “夢”物語なのに、終わってみると、夢小説特有の甘さがあまり無かったです 新しい話をUPするごとに、温かいweb拍手やメッセージを頂き、お読み下さっている方がいらっしゃるというのは、私自身とても励みになりました。 なお、現在『光に咲く花』を連載しておりますが、内容は、このヒロインのと、南野秀一君との話です。 南野秀一君が居る以上、妖狐蔵馬は‥‥‥‥察しの良い方、お分かりだと思います。 この小説の妖狐蔵馬を好きになって頂けた方、『光に咲く花』を読まれる前の注意事項がありますので、お読みください。 →クリック |