闇に咲く花 4部-1話

 私の故郷は、どの世界だろうか。
 産まれたのは魔界。育ったのは霊界。暮らしたのは人間界。妖怪と同棲したのは魔界で、今もその世界で生きている。
 ただ私は、魔界を自分の『帰る場所』として認識している。そう──魔界は、私の真の『故郷』なのだ。

 黒鵺、、蔵馬、の四人は、暗黒武術会でいろいろと忌まわしい事件や事故に遭遇したが、なんとかそれらを乗り越えて魔界に帰ってきた。
 魔界では“借家”扱いになっていた住居を霊界に返却し、は、蔵馬率いる盗賊らの俗称である“アジト”と呼ばれる住処に招かれた。
 さて、をどう賊仲間に紹介するか。
 蔵馬は二人を素直に“人間”として紹介すると言ったが、それに対して黒鵺は待ったをかけた。
 妖怪たちは基本的に、人間を快くは思っていない。蔑視し、差別している。
 自分とて、暗黒武術会場で人間を観察していたが、好意的な印象は受けず、下賤で愚かな生き物としか感じなかった。
 とはいえ、もそんな“人間”の一人の筈である。それなのに、なぜ俺はを愛し、そして護っているのだろう。
 己の命よりも大切だと思える者に巡り合い、しかもそれが人間だなんて、に会うまでは考えもしなかった。
 全くもって不思議である。他の人間との何がどう違うのか、未だによくわからない。おそらく、一生答えなんて出やしないだろう。
 俺は、そんな人間のを、自分たちのアジトに連れてきた。人間を──妖怪の巣に招いた。
 魔界にとって、人間は『異質』だということはわかっている。ましてや、盗賊の巣の中は。
 それでも、連れてきた理由はただ一つ。の存在しない生活など、想像できないからだ。俺はもう‥‥そこまで来てしまったのだ。
 が人間であることは、もはや俺にはとってはどうでもいいことである。と離れたくはない。それが全てだ。
 しかし賊の皆は、この俺の心をわかってくれるだろうか。俺の愛した人間を認め、受け入れてくれるだろうか。
 もし受け入れられなければ、俺は副将の地位を捨て、この賊を去るつもりだ。覚悟は既にできている。
 たとえ独りになろうと、やろうと思えば盗賊業ぐらい、いくらでもできるだろう。さえ側にいてくれれば──。他に望むものは何もない。
 だがは、黒鵺とは違った視点に立ち、別の心配していた。
 賊を預かる頭と副将の二人が共に人間の女を突然引き連れて、しかも『愛する者』だと紹介され、いきなり存在を認めろと一方的に告げられる。
 いくら賊としては権力のある頭と副将の命令とはいえ、仲間はとうてい納得できないだろう。
 人間に情が移った妖怪なんか信用できないと、蔵馬と黒鵺を権力の座から引きずりおろそうと目論む連中が現れるのではないか──。
 が、その可能性について黒鵺に尋ねたところ、なるほどそういう見方もあるのか。考えもしなかったと、逆に感心された。まるで、他人事のように。
「感心している場合じゃないでしょう。ねぇ黒鵺。もし、私と一緒にいることで黒鵺の立場が悪くなるんだったら、私を“妖怪”ってことにしておいていいわよ」
「俺の立場?」
「そう、黒鵺の立場。人間と一緒にいるなんて、副将は一体何を考えてんだー!って、部下に陰口でもたたかれたらどうするつもり?やりにくいでしょう今後」
「はぁ?なんだそりゃ」
 黒鵺は、言いたい奴には言わせておけばいいと吐き捨てた。
「だいいち、俺が副将になった時だって、色々陰口をたたかれたもんだぜ」
「どんな?」
「軟派で口の軽い男は副将には相応しくないってな」
「なるほど」
「‥‥」
 黒鵺は一瞬固まってしまい──は慌てて前言撤回。必死に首をブンブン左右に振って取り繕った。
「言っとくが、今は違うぜ。部下は俺を副将として認めているし、慕ってくれている。──とにかくだ。言いたい奴は無理にでも粗を探しては難癖つけてくるもんさ」
 黒鵺は、そんな心配をするなんてらしくないと笑った。
 いつもは、黒鵺につられて笑うだが、なぜだか今日は笑おうとはせず、不安そうな顔を見せている。いつもとは違うの表情に、黒鵺は顔を曇らせた。
「もしお前が何か言われて苦痛を感じるなら、俺は賊を抜けても構わねぇぜ。所詮は賊なんて、群れてると都合がいいって理由で作った集団だ。お前の存在を認めない賊の副将なんか、預かる義理はねぇよ。それに、また必要となりゃぁ〜いくらでも作り直せる」
 黒鵺はそう言って笑った。
「賊なんて、あってもなくても関係ねぇよ。盗賊するなら。俺は独りでもやるし、案外その方が気楽でいいかもしれねぇ」
 に出会う前、黒鵺は副将の権力を利用して、数多の女を侍らせていた。
 どんな女でも、偽りでも情をかけて弄んでやれば、次第に自分を「愛している」と言い出した。
 飽きれば切り捨ての繰り返し。黒鵺は女には困らない生活を送っていた。
 賊の頭と副将に与えられた『特権』。どこの賊でも似たようなことをしていたから、自分もやったまでのこと。
 だが、に出会ってからは、そのようなことはしなくなった。
 さえいれば、それでいいと思うようになり、次第に、この女と共に過ごしていきたいと願いはじめた。
 ついには、侍らせている女に偽りの愛情を与える暇さえ惜しくなり、それどころか、次第に面倒で苦痛になっていった。
 は、今まで出会ったどの女とも違っていた。命をかけてでも護りたいと思えるほどの、女。
 この女を、俺は失いたくない。は‥‥他に代えられるような女ではない。
 俺が賊にいることでに負担がかかるならば、賊など必要ない。
 ふと、蔵馬の言葉が思い出される。『俺は、昔の俺ではない』。
(本当だな蔵馬。俺も‥‥もう昔の俺じゃねぇ)
 黒鵺はに、自分を卑下するんじゃないと叱った。
 は人間だから、確かに妖怪に比べて不利な面は多々ある。特に、力や能力の差は歴然である。
 だからといって、が足手まといだとか、負担だとか、そのような事は考えたことなど一度もない。
 が人間で弱いのならば、強い妖怪の自分が護ればいいだけのこと。ただ護りたいから護る。それはとても単純な話なのだ。
「お前と代えられるものなんか、ねぇよ」
 黒鵺はそう言って、を抱きしめる。
 それでも、彼の腕の中で身を任せながら、の心は不安でいっぱいだ。
 にとって賊が苦痛だと思うならば、じゃぁ俺は賊を抜けてもいいなんて、そんな簡単な問題だろうか。
 自分のせいで、黒鵺を賊から追い出すなんて──。自分のわがままで、黒鵺の人生を変えてしまっていいわけがない。
 そんなの許されない。たとえ黒鵺が許してくれても、私は嫌だ。
(私、そんな酷い女じゃないわ)
 いっそ、『これとこれに注意しろ』とか『これをやるな』とハッキリ言って欲しい。
 何も言ってくれないことが、かえって辛い。
「ただ側にいてほしい」と言われた時、「それだけ?」と言いたくなるのを必死に堪えた。
 私は、蝶よ花よと護られて、ずっとニコニコして佇んでいるような弱い女なんかじゃない。そんな性分じゃない。第一そんな私、似合わない。
 人間の私にだって、賊の為にできることはきっとあるはず。正直言って、人間への下手な気遣いなんかいらない。
 黒鵺は、いざが重い話をしようとすると、照れてすぐどこかへ行ってしまう。話したいことが沢山あるのに、それを避けてしまう。
 一方蔵馬は、に対して正面からきちんと向かい合い、いろいろな話をしている。が『なんとかの剣』を使おうとした時、必死に止めていた。※1
 と黒鵺に見られていようが関係ない。自分の思いを、しっかりに伝えていた。
 私だって、黒鵺ときちんと話したい。いろいろ話したい。
 もうすぐ、賊と合流する。ドキドキして、心が焦る。人間の私には、果たして何ができるのだろう。
 黒鵺には黒鵺の生活がある。はそこに後から入り込んだ身だ。絶対に迷惑はかけられない。
(ねぇ黒鵺、教えて‥‥。私は何をしたらいい?どうすればいい?私は、あなたの役に立ちたいのよ)


 黒鵺は妖怪だ。妖怪の中でも強い部類に入る。そして彼は盗賊を束ねる副将であり、高い地位に立っている。
 対しては人間であり、弱くて脆い。
 には、自分の強さをあからさまに見せたことはない。だが一緒に過ごすなかで、さすがに、なんとなくはわかるらしく、必死に追いつき、対等に立とうとしている。
 しかし、近づこうともがけばもがくほど、妖怪と人間の間に立ちはだかる絶対的な差を思い知らされ、その度にブツブツなにかを言って悔しい思いをしているようだ。
は妙なところで意固地になるからなぁ)
 いくら妖怪と張り合っても、所詮は人間だ。賊の部下達は、を排除しようと思いたてば、いとも容易く実行できてしまう。
 副将の俺を蔑み、あざ笑いたいのなら好きにすればいい。だが、力関係では俺を殺すことができないからといって、その矛先がに向いてしまうことだけは、なんとしてでも避けなければならない。
 盗賊として動きまわっている間は、どうしても隙ができてしまう。そんな時に、もしが襲われてしまったら──。
は連れていかん。当たり前だろう。まさかお前は、あの女を連れて盗賊に行くつもりなのか?悪いことは言わん。やめておくんだな」
「けどよぉ、俺がいない間にに何かあったらと思うとなぁ‥‥」
 それは『過保護』だと蔵馬は呆れた。なおも黒鵺がグチグチと言っているので、うんざりした蔵馬は、友ではなく賊を預かる頭として黒鵺を窘める。
「いい加減にしろ!お前は副将なんだぞ。そんな調子で部下を率いてもらっては困る。それに、お前の女を連れていったところで、足手まといにしかならんだろう」
「し、しかし‥‥」
 首を縦に振らない黒鵺。蔵馬は目をそらしながら、冷たくつぶやく。
「まぁ、お前の気持ちはわかるがな。‥‥ったく仕方がない。どうしてもと言うなら、時間稼ぎの“盾代わり”になら使ってやってもいいぞ」
「‥‥なん‥‥だって?」
 信じられない蔵馬の発言に、黒鵺は目を丸くして聞き返した。
「敵賊の気を反らすための“盾代わり”なら、使いものになるだろうと言っている」
「盾、だと?」
「なんだその目は。不服なのか?ならば、先頭を歩かせて罠にでもかかってもらうことにしようか。賊ごと罠にかかるよりは、女だけかかってくれれば、被害は最小限に──」
「蔵馬てめぇ!」
 カッとなった黒鵺は蔵馬の白装束をつかんで引き寄せた。怒りに燃える真紫の瞳は冷たく蔵馬を見下ろす。
「‥‥冗談だ。相変わらず頭に血が昇りやすいなお前は。ある意味羨ましいよ」
「お‥‥お前が言うと、冗談に聞こえねぇんだよ!」
「そう熱くなるな。貴様が女を失って、困るのは俺だからな。そう簡単に駒扱いにはしたりはせんよ」
(簡単にって──)
 もしを失えば、黒鵺は賊の副将として機能しなくなる。
 蔵馬がを殺せば、その瞬間──黒鵺は敵に回るだろう。
 だから、蔵馬はを殺すことはしない。とはいえ、それは直接手を下すことはしない──というだけだ。
 仮に何かが起こったとしても、蔵馬はを庇ったりはしない。助けることもしないだろう。
 最悪、わが身が生き残る為に、を差し出すかもしれない。
 しかし黒鵺とて、もし『』と『蔵馬の女』の命を天秤にかけられたら──。
 の無事が約束されるのならば、蔵馬の女を殺すことも躊躇わないだろう。蔵馬には口が避けても言えないが。
(だが、逆の立場になれば、きっと蔵馬も──)
「おい、何をしている。いい加減この手を放したらどうだ」
 蔵馬は黒鵺の腕をつかむと、グイッと引きはがした。
「案ずるな。賊の部下にを襲わせたりはせんよ。お前の女も同様に扱わせてやるから安心しろ」
 そう言われても、安心できない。賊の連中は人間のを疎ましく思い、襲うのではないか、傷つけるのではないか。最悪‥‥殺してしまうのではないか。
 自分が盗賊をしている間に、に何か遭ったら──。
「いい加減、くどいなお前は。お前がこんなに心配性だとは思わなかった。実に意外だ。では逆に聞くが、お前はこれから先、女を目の届くところに囲い、絶えず見張るつもりなのか?」
「それは──」
「お前の女だ。どうしようが俺には関係ないし、お前がそうしたいなら異論はない。認めてやろう。だが俺は、を囲うつもりなど毛頭ない。を囲うために連れてきたのではないからな。行きたいところに行き、やりたいことをさせる。これまで通り、何も変わることはない」
「だが、魔界は危険なんだぜ。特にここら一体はな。あちこち好き勝手に行かせていいのかよ」
「構わん。なにか遭れば俺が護る」
「なにかって‥‥いざって時、間に合うのかよ」
「なにかが起こっても、いつでも駆けつけられる距離にいれば間に合うさ。よほど突発的でない限り、妖気が変わる前兆は必ずあるからな。それさえ察知できれば問題ない」
 暗黒武術会で、が観客席の真ん前で観戦していた時、蔵馬はスタジアムの裏にいた。に気配を悟られることは、まずない距離だ。
 距離こそ離れてはいるが、何かが起こってもすぐに対処できる距離である。さすがにあの時は、突発的だったが──。※2
「女を監視するつもりか?」
「失礼な、人聞きの悪い。『護衛』と言ってくれないか。俺はの周囲に漂う妖気の変化を感じ取るだけだ。それ以上のことはせんよ」
 蔵馬は少し不機嫌そうに眉をひそめた。のプライベートを覗き見するような趣味などないと──。
「だが、お前の言うとおり魔界は危険なところだ。さすがに、危険な場所に足を踏み入れようとしたら、姿を見せて同行するか、あるいは止めたりはするが──。それ以外は、俺は遠くから見守るだけだ」
「だが、盗賊してる間はどうするんだ?もし、俺たちが目を離した隙に殺されでもしたら──」
「そんなことを言っていては、俺たちはどこにも行けないではないか」
 が危険な場所にいるから護るのであり、なにもないのに四六時中見張るのは不可能だ。だって気が休まらないだろう。
 それは護衛を通り越して、まさに『監視』と『覗き』だ。
「けどよぉ」
 すると、蔵馬はある『案』を黒鵺に持ちかけた。
「といっても、の案だがな。俺たちが盗賊をしている間、以前のように魔界にある病院で働くというのはどうだ?と提案してきた」
 すると、「またかよ!」と黒鵺は首を項垂れた。

∧※1…第3部-2話   ∧※2…第3部-4話  
が主人公の話って、新鮮です。
長編3部作の間、黒鵺に侍らせている女がいた!この女性は、治癒能力があるって理由だけで、黒鵺は手元に置いていたのですが‥‥。二股とかいって、読者の皆様にバッシングされたらどうしよう(怖)。
蔵馬も黒鵺も、盗賊で冷たい性格なんだから、ただの『物』として見ているだけなのですが、それでもダメかな?
それ以前に、黒鵺って映画だけの存在なので、受け入れられなかったらどうしよう…(爆)。


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