『銀の天使』 2


──時は数百年前‥‥
 ルシファーが『ルシフェル』という天使の名を持っていた頃‥‥。ルシフェルの双子の弟・ミカエルが、熾天使の指揮官に成りたての頃だった。
 初めてにして大きな戦の指揮を、ミカエルは任されていた。
 ミカエルは一日中、悪魔と戦うための戦術案を模索していた。
 しかし、考えても考えても、良い戦術案は全くと言っていいほど思いつかなかった。
 週に2度開かれる天界会議。天界内で最上級の地位を持つ熾天使達と、戦の最前線に立つ12人の大天使達が寄り集まっても、一向に良い戦の術案は出なかった。
 悩んだ末に、ミカエルは、友人の智天使長に知恵を借りた。
「天界一『智』に富んでいるそなたなら、何か良い策があるのではないか?是非とも頼む。もし良い案があったら教えてくれないだろうか?」
 ミカエルが頼むと、智天使長は1人の天使を紹介した。
「俺と同じ『智』の者です。『エル』の名は持たない“民”の1人ですが、戦術の知恵においては右に出るものはおらぬと、『智』の者全てが認めています」
「ミカエル様のお力になれるのなら喜んで」と言って、紹介された者こそが、エリシスであった。
 ミカエルは、自分が今回指揮をする戦について話し、知恵を仰ぐと、エリシスはいとも易々と戦術案をミカエルに与えた。
「ミカエル様がこの度指揮をなさる戦について、『長』から既に伺ってまして、自分でも戦術案を考え、シミュレーションしていたのですよ」と、エリシスは笑った。
 エリシスが考えた案で、戦は大勝利。1人の犠牲者も出すことなく、天界・人間界共、被害は最小限にとどまった。
 エリシスの素晴らしい戦術案に驚いたミカエルは、この一件で、熾天使や大天使の中だけで物事を考えるのではなく、『智』に優れた智天使の力を頼り、これからは積極的に知恵を借りるべきだとミカエルは深く感じた。
 次の天界会議の際、ミカエルは独断でエリシスを同席させた。
 突然のエリシスの登場に熾天使達はどよめき、「戦に関わらぬ者は去りなさい」と、即座にエリシスに退出を求めたが、ミカエルは、その熾天使達の言葉を制止し、説得を始めた。
「先の戦については、そなた達も記憶に新しいであろう。天界が見事勝利を得たあの戦だ。天界・人間界、1人の犠牲者も出ず、被害も最小限にとどまった」
「やっぱり我が弟は素晴らしい!兄として、俺は鼻が高い」
 ルシフェルは、自慢の弟を皆の前で褒め称えた。
 ラファエルは、「さすがは私の相棒だ」とミカエルを称えた。
「私も、先の戦は良く覚えています。『ミカエルに指揮を任せて正解だった』と、神が褒めていらっしゃいました。私も、ミカエル様に指揮を任せて正解と‥‥。あの戦術案は、見事でございます」
 熾天使の1人は、ミカエルに深く敬礼をした。
 会議の出席者たちは、俺も私もと、ミカエルを称える彼らの言葉に賛成の意を唱え、いつしか会場は盛大な拍手に包まれた。
 するとミカエルは、「いや」と首を横に振り、「あの作戦は俺じゃない」とキッパリと否定をした。
「実はあの戦術。驚く事にこの智天使の“民”エリシスが、1人で考え出した案なのだ」
 途端に拍手が止み、会場は、水を打ったように静まり返った。
 会議の出席者皆、まさかという目でエリシスを見つめていた。
 ミカエルは、エリシスの横に並ぶと、エリシスを大いに褒め称え、これから後、大きな戦や決め事を行う際には、天界会議にエリシスを必ず同席させると、出席者達にそう伝えた。

 それからというもの、天界会議にエリシスは幾度か同席した。
 的を得た発言。率の良い戦術案。的確な決め事。
 会議に出席した誰もが皆、エリシスの素晴らしい知略知慮に感服し、彼を称えた。
 神さえも、エリシスの高い知恵に敬意を払い、異例中の異例であるが、天使の職務に『軍師』という職を作り、エリシスを天界唯一の『軍師』に任命した。
 さらに特例として、『エル』の名を持つ者にしか持つことが許されない“シンボル”を、エリシスに与えた。
 『銀の旗』。それがエリシスに与えられたシンボルだった。
 戦場では、エリシスは最上の階級である熾天使よりも上の地位に立ち、全ての天使を、その旗によって指揮・命令できる権利を持つと、神より直々に、その言葉を賜った。

 数日後、シンボルの旗を手にしたエリシスが初陣にたつ時がきた。
 熾天使の長も指揮官も、戦の場ではエリシスの『部下』として動いた。
 只の1人も、地位が低いエリシスが自分に命令をしても、一切の文句も言わず、素直にその命に従った。
 エリシスの知恵の素晴らしさを誰もが認めていたし、なにより、神の御前で、「この旗で、必ずや天界と人間界を守ってみせます」と誓ったエリシスに、誰もが深く感動し感服し、“戦場ではエリシスに全てを委ね従おう”という暗黙の了解が、天使たちにはあったのだ。

 ルシフェル1人を除いては‥‥

 エリシスから、旗を向けられ命令される度、ルシフェルの心は激しい屈辱感に襲われた。
 自分は天界一、神に愛されている天使。熾天使の中でも高い地位に立つ自分に命令できるのは、“神”のみ。エリシスだか何だか知らんが、こんな下っ端の天使に命令される謂れはない。
「ミカエル!右へ回れ!」
 戦場では、エリシスが、上空から純白の翼を広げ、天使の指揮を取っている。
 得意げに銀の旗を振りかざし、自慢の弟に馴れ馴れしく命令を出している。
 左の通路に向かって走っていた自分の可愛い弟が、エリシスの命令にアッサリ従い、今来た道を引き返していく。
 ルシフェルの目には、弟・ミカエルに首輪をつけ、連れ引き回しているエリシスの姿が見えた。
 銀の旗を持っているというだけで、奴は弟や俺に命令できる‥‥
 俺らはあやつの“”にされる‥‥
「ルシフェル、隊に戻れ!悪魔を誘い出すぞ」
 銀の旗を振りかざし、上空からまるで───見下すかのように命令をするエリシス。
「ルシフェル!何を突っ立っている!ぼさっとせずにさっさと隊に戻れ!」
 戦場に響き渡るエリシスの声。下級天使も見ている目の前で叱られ、ルシフェルの心は屈辱と恥辱で張り裂けそうだった。
(おのれ‥‥今に見ておれ‥‥そのしたり顔、いつか必ず引き裂いてやる‥‥)

「そのような事が‥‥。ではエリシスとやら、自業自得というものですね」
 バールベルトが、いとあっさりとエリシスを吐き捨てた。
「戦でのエリシスの言葉使いは多めにみてやって欲しいと、あの時、弟には言われた。勝つため、被害を抑える為に、エリシスも必死なのだろうから‥‥と。他の天使達にも同じ質問をしたが、返ってきた言葉はいずれも弟と同じ答えだった」
 そう、屈辱と恥辱を感じたのは、自分1人だけだったのだ。
(あの頃から、我の心はもう既に、天使のものでは無くなったのであろうな)
「さて」と、ルシファーは椅子から立ち上がると、バールベルトの手から再び旗を奪い取った。
「エリシスが捕らえられておるのは東塔の地下牢じゃったな」
「はい」
「東の塔へは行った事がない。そなた、我を案内せい」
 エリシスに会いに行くと悟ったバールベルトは、もし直接奴の顔を見たいのであれば、エリシスをここに連れて来させる為、帝王自ら暗い地下牢へ降りる必要は無いとキッパリ伝えた。
 しかしルシファーは、「我は、牢の中で怯えるエリシスをこの目で見てみたい。やりたい事もあるからの」と、旗を目の前に翳して呟いた。
「そういえば、先ほど面白い事をお考えになったとか‥‥何をなさるおつもりで?」
「この旗を、あやつの目の前で、武将にくれてやろうと思ってな」
「武将とは‥‥エリシスを捕らえた武将ですか?」
「そうじゃ。武将にくれてやり、その場で武将を『軍師』に任命してやろう。正確には一武将の地位から武将筆頭に上がるだけじゃが、エリシスの前では、武将を『軍師』に飾り立ててやるのじゃ。次の天界での戦で、その銀の旗を、天界人の前でこれ見よがしに武将に振らせてやろうではないか。天界人がどのような顔をするか‥‥今から楽しみじゃ」
 ルシファーの悪の考えには、バールベルトもほとほと感心してしまう。
 いやはや、生粋の悪魔より、悪魔らしい。
「それは面白うございます。エリシスがどんな顔をするか‥‥私も見とうございます」
「見せてやるぞ。そなたも参れ」
「え?良いのでございますか?」
「面白い話を我に聞かせてくれた褒美じゃ。受け取るが良いぞ」
「ありがたき幸せ」
 バールベルトは、深々と頭を下げた。

 バールベルトとルシファーと共に、東塔へと渡る通路を歩いていた。
 途中ルシファーは、池の辺で休んでいた獄吏に、バラムと言う名の武将を、東塔の地下牢に至急来させる様にと命令じた。
 ルシファーとバールベルト、二人の足音が、カツンカツンと乾いた塔内に響き渡る。
(フフフ‥‥面白くなってきた。退屈なのも今宵で終わりじゃ。エリシスを手にした今、期は熟した。あやつを人質にして、天界に宣戦布告をするもよし、堕落させ、堕天使として我が配下にし使うもよし。あるいは‥‥)
 さまざまな考えが、ルシファーの脳裏をよぎる。
 ようやく退屈な日々から抜け出すことが出来、面白くなりそうだと、ルシファーは不気味な笑みを浮かべた。

戻る 次へ トップ ホーム 天界用語 魔界用語