『うたかたの光』 2 ──数分後── 「お呼びでございましょうか?」 部屋に入室してきたのは、ヴァンピールのリロイ 伯爵であった。 突然の伯爵の登場に驚いた女官達は、少し慌てながらも、一様に皆、椅子から少し腰を浮かせて忠誠のポーズをとった。 そんな彼女らに、リロイは丁寧に会釈を返す。 “位”が全てを支配する魔界において、伯爵が下位の女官ごときに会釈するなど、まったくもってナンセンスなことである。 彼がその行為を、当然のように行うことによって、彼と同じ“伯爵”位の悪魔は、ほとほと迷惑している。 というのも、「同じ伯爵でも、リロイ様は素敵ね‥‥」と、比べられてしまうからである。 いい加減我慢しきれなくなった数名の伯爵が、リロイにキツイお叱りを与えてくださいと、イザベルに直談判することもあった。 しかし、大公爵位のイザベルにとってみれば、自身に実害が及ぶことはなく、彼の紳士的な行為は女官達には好感を得ており、よってリロイの株は上がり──比例してイザベルの株も上がっていく──のである。 その為、リロイの異質な行為を、イザベルはある程度黙認している。 「リロイ。そなたはルイス という使い魔をたいそう可愛がっておるようじゃな。先日は、愛用の魔道書まで与えてやったと聞くが、本当か?」 上目づかいでイザベルはリロイに尋ねた。 リディア は、その時の光景を思い出すかのように、胸の前で手を組み、可愛い乙女のように目を輝かせて語る。 「リロイ様のおかげで、あの子は見事に神父の聖水を打ち消すことが出来ました。あの日以来、次の狩りに備えて修行に励む毎日でございます。また最近では、将来はイザベル様のお傍で働き、叶うならば戦に赴いて微力ながらもお役に立ちたい──と、使い魔の身分でありながら、何とも恐れ多いことさえ申しておりますわ」 その言葉には、さすがのナタリーも「まぁ何と頼もしいこと‥‥!」と、胸に手を添えて驚く。 「フフッ。子供ながらに豪気な使い魔か‥‥面白い!せいぜい励め。その使い魔が妾の役に立つ日を楽しみにしておるぞ」 リディアはイザベルの言葉に、頬に手を添え、まるで自分自身が褒められたかのように、喜びはしゃぐ。 対してリロイは、「そうですか‥‥」と愛想笑いをするに留まって、どこか悲しげであった。 てっきり、リロイも共に喜んでくれると思っていたリディアは、拍子抜けである。 これを機会に、ルイスの活躍をもっともっと自慢して聞かせたかったのに、リロイに次にかける言葉が見つからず、リディアは思わず口を噤んでしまった。 二人のぎこちないやり取りを横目で見ていたイザベル。 リロイが、ルイスの活躍をそこまで喜んでいないことに、イザベルは不思議な違和感を覚えた。 ルイスに魔道書を与え、見事に彼の魔力は増大した。それはリロイの望みであり、その望みは見事に叶ったはずだ。 しかしリロイの表情は硬いのはなぜだろう? 教え子に簡単に魔力を抜かされた事による妬みや嫉妬だろうか? それとも‥‥‥‥ルイスが強くなると、リロイには困る事があるのだろうか? イザベルはある程度リロイを褒め称えながらも、リロイの心を聞き出そうと探りをいれていく。 「そなたは、あの使い魔に神父の力を防ぐ力が備わっておると、よもや見込んでおったのか?」 「いえ‥‥。確かに私は、あの子の魔力を伸ばしたかった。しかし、これほど一気に魔力が増大‥‥もはや、これは“覚醒”したと言ってもいいでしょう。いやはや‥‥。あの子の力には驚かされます」 「謙遜はするでない。とにかくそなたは、あの使い魔に何かを感じたのじゃな?そうでなければ、そなた愛用の魔道書など与えるはずなかろう。のうリディア?」 「誠に‥‥リロイ様は炯眼の持ち主でいらっしゃいますもの。リロイ様がきっかけを与えて下さらなければ、あの子はずっと“ただの使い魔”だったことでしょう」 自分の所有する使い魔が、まさかここまでの力を秘めていたとは。リディアは露ほどにも思っていなかったらしい。 実はリロイもそうだった。ルイスがまさか、こんな短時間で成長するなんて。少し計算が狂ってしまった。 「ルイスとやらの育て方によってはじゃが‥‥いずれは妾の筆頭配下にもなれるやもしれぬ故、一層励むように」 気味が悪いほどの嫌な笑い方をしながら、イザベルはワザとらしくリロイを見据える──。 ニヤリと浮かべる彼女の冷徹な笑みに、リロイは顔から血の気が引いていくのを感じた。 必死に動揺を見透かされないよう平常心を保ち、威圧感に押されぬよう、その場に立ち続けるのが精いっぱいだった。 実はここに来る少し前、従者のライナス から、ルイスが神父の聖水を防いだとの連絡を既に受けていたのである。 「旦那様!一刻も早く、ルイスを従者としてお迎え下さいませ!!」 ライナスは、部屋に入るなり血相を変えてそう叫んだのである。 短時間で大技を容易く使いこなせてしまったルイスの力は、『練習して魔力が高くなった』というレベルではなかった。 そう、まるで“覚醒”──。 自分の思い描いていた計画とは、大きくかけ離れていた。 彼の心身の成長に合わせるように、魔力を高め、己の立場をある程度選択できるような年齢に達したら‥‥彼を従者として迎えようと思っていた。 このままでは、天使狩りを快楽とする悪魔に、ルイスの力が利用されてしまう。 子供なら尚更。神父や天使の“情”を引き出すため、ルイスが戦の露払い役として、先頭に立たされてしまう恐れだってある。 こうなれば、一刻も早くルイスを自分の配下にしなければ‥‥と焦っていたら、早速イザベルからの呼び出しがかかったのである。 やり場のない怒りの矛先が‥‥‥‥ルイスに向かって激しく責めたてる。 ルイスを罵倒する言葉が後から後から溢れ出て、自分でも押し止めることができない。 「リロイ様!オレ、やりました♪」というルイスの無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶのが、実に疎ましい。 うめきながら、リロイは頭を抱えて壁に拳を叩きつけた。 自身の血から立ち上る仄かな人間の匂い‥‥‥‥。無性に香しく、何ともいえない高揚感が湧き上がってゆく。 我を忘れると同時に湧き上がる、血に対する高揚感。胸糞悪く、悔しくてたまらない瞬間である。 (やめろ‥‥!私は人間だ。悪魔にはならない!!) 迷っている暇はない。今はルイスの進退だけを考えるんだ。 公爵達に目を付けられてはならない。人を物のように扱い、まして、その所有権を巡る争いなど、あの子の目の前では決して繰り広げてはならないのだ──。 「私自身が、感じたことです。あの子には、私のような秀でた才能があるのです」 「私のような才能か‥‥。確かに、砂山から黄金を見つけるそなたの炯眼は妾も認めてやろう。では、改めて炯眼のそなたに聞こう。今後、小僧の力はもっと上がると思うか?」 「‥‥はい。ただし──」 「ただし?」 「私に任せていただければ!」 リロイの強く低い言葉が、静かな部屋に響く。 「私は、今日からでもあの子の側について、さまざまな事を教えていきたい。あの子はきっと、良い悪魔に育ちます。いかがですかな?女官長殿。あの子の導師を、私が行ってもよろしいでしょうか?」 「そ、それは願ってもない事ですが‥‥あの‥‥‥」 リディアの顔がかすかに曇った。 確かに、ルイスの所有権はリディアにある為、ルイスの進退はリディアの一存で決めてしまっても構わない。 しかし、イザベルがルイスの力に興味を持っている以上、勝手にリロイの案を承諾するすわけにも‥‥‥‥。 リディアがイザベルの顔を眺めると、イザベルは、リディアの気持ちを察したように、ため息をつきながら首を訝しげに傾けた。 リロイはヴァンピール。ヴァンピールは人を狩ることはしない。自らが狩りをしないというのに、ルイスに“狩り”を教えることは出来るのだろうか‥‥? 「全く、そなたはまた勝手な事を言いだしおって!」 イザベルは、はっきりNOと叫ばない。いや、『口が裂けても言えない』のだろう。 なぜならば、ここでダメだと言ってしまえば、リロイが炯眼であると、ついさっき認めた自分の“見る目”が節穴だと、女官達の前で暴露するようなものだからだ。 自尊心が極めて強いイザベルが、絶対にNOなどとは言えないことを、リロイは知っている。知っているからこそ、言ってやった。 これが『卑怯』だと言うなら言ってみるがいい。 イザベルの挑戦的な瞳を、リロイは眼をそらすこともなく見つめ返し続けた。 ふぃっと、ついにイザベルが根負けしたように目を逸らした。 「勝手にするが良い」 頬に冷えた汗が伝う。 「ただし、条件がある。その使い魔を、我ら魔界にとって良しとする“悪魔”として育てると約束するなら、そなたを導師にてもよい」 我ら魔界に良しとする“悪魔”。それはすなわち、“狩り”が十分に出来る悪魔として育てろということだ。 それについてはリロイも異存は無かった。そのような条件は、後でどうとでも取り繕える。 「大丈夫でございます。私に全て、お任せ下さいませ」 イザベルにとっては、リロイの返答は意外だったらしく、「そなた‥‥。先ほどから『任せろ』などと容易く申しておるが、そなたはヴァンピールであろう?“人間の狩り方”とやらを、しっかり教えてやれるものなのか?」と訝しげに聞いた。 するとリロイは、 「確かに私どもヴァンピールは、人間を狩ったりは致しません」と言うではないか。 「たわけ者!それでは何も教えられぬではないか!」 イザベルが、机を激しく打ち立てた。 「人間の狩り方については、今まで通り、女官長殿に教わるのが得策でございましょう。私は、それ以外の導きを‥‥。人間を狩るだけが悪魔の全てではありません。魔力の更なる増大、それも攻防長けた魔力が必要です。他にも剣術、武術、処世術。沢山ございますよ」 「‥‥‥‥悪魔は人間を狩るためにおるのじゃぞ?」 「で、ですから、女官長殿と協力しあって‥‥」 そこまで言って、リロイは絶望したように口を噤む。悪魔に“協力”という概念が無いのを忘れていた。 「魔力増大に異論は無いが、ルイスとやらが神父の聖水を防いだと聞いた以上、その使い魔には“狩り役”としての使い道が最も相応しかろうて」 (使い道──。まるで品物扱いだな) 「そなた、人の狩り方は教えられぬと申したな。では、他の者の“狩り方”は教えてやれるのか?」 「他の者‥‥と申しますと?」 「そうじゃのぉ。たとえば‥‥‥‥天使とか」
小説の拍手で、「ラ行の名前が多いですね」と言われました(笑)。ライナス、リロイ、リディア、ルイスと、見事にラ行ですが、偶然です‥‥。指摘されるまで、ここまで多いとは自分でも思わなかった(爆)。
※「砂に黄金」。諺では「砂に黄金、泥に蓮」と、2個セットで使われますが、今回は前半だけ。意味‥‥「つまらない砂山の中に、思いがけない宝(一粒の金)が混じっている」です。 |