『うたかたの光』 3


 全ての者が驚愕した。
 リロイは、金縛りにでもあったかのように硬直し、身体を微動だに動かせずにいた。
「“天使を狩る使い魔”‥‥なんと良い響きじゃ。そうは思わぬか?のぉ皆の者」
(くっ‥‥)
 リロイが、苦しそうに辺りを見渡す。
 ルイスを所有するリディアは、すっかり有頂天になってはしゃぎだし、ナタリーはというと「天使狩りをする時には是非、私も同行させて下さい」と言っている。
「ホホッ、そうと決まれば早速じゃ。手ごろな天使を一匹捕えてまいるがよい」
「今からですか!?それはあまりにも急ではありませんか──」
「何を言うか。善は急げという言葉を知らんのか?」
「ですが──」
 あまりにもしつこいリロイの反論に、イザベルは、女官達にこのような提案する。
「妾からのせめてもの褒美として、ルイスが最初に捕えた天使は、それを所有するリディアの物にしても良いと約束しよう。2匹目の天使は、もちろん妾のものじゃ。それ以上捕えることが出来たら女官長どもで競売でもするがよい。ただし‥‥天使が身に付けていた宝物の全ては、全てルシファー様に献上すること。お前たち、異存はあるか?」
 女官達は、誰もNOと言わなかった。
 捕えた天使を配下にして良いと言われたら、異論など無いだろう。
「そうと決まれば出立じゃ。リロイ、行ってまいれ」
「‥‥しかし」
「まだ言うか!何度も言わすな。天使を捕えて、妾の前に差し出せと申したのじゃ」
 いきなり天使を捕えてこいと言われても困る。それに、リロイにそんな力などないのだ。
「恐れながら‥‥。私独りではとても‥‥」
「ホホホッ。そなた独りだと、一体誰が申した?」
「?」
「案ずるな。妾の配下を付けてやろう。総勢五百の大軍勢──。どうじゃ、申し分なかろう?」
 それでも無理だ‥‥。リロイは思った。
「恐れながら、イザベル様はお出になられないのですか?」
 イザベルは、ソファに肘をかけて体を預けると‥‥
「フフッ。そなたは話が読めぬのぉ〜。その“妾”の代わりを務めるは、神父の聖水を防ぐ有能な使い魔じゃろうが」
 ──―ニヤリ。
「し、しかし‥‥。ですがあの子はまだ使い魔──いえ、ただの使い魔ではありません。人の血を持った悪魔は、我らにとって貴重な存在でございましょう。もし何か遭れば、魔界にとって大きな損失になりますゆえ──」
 するとイザベルは、チェスの駒をリロイに思い切り放り投げた。
「ええい、ウルサイ!貴重だから何じゃ。そなた、伯爵の分際で大公爵の妾に意見するつもりか!?たかが使い魔を「あの子」などと気色悪い!これだから、人の血を持つ半端者めは嫌いなのじゃ!!」
 イザベルは、駄々をこねる子供のように、目に留まるチェスの駒を掴んではリロイに叩きつけ、終いには盤ごと投げつけた。
 投げる物が無くなると、今度は椅子を蹴りながら、癇癪を起こして泣きじゃくった。
 こうなると、もはや手がつけられない。ここで再度命令を拒めば、イザベルの怒りの矛先は今度は女官達に向けられるだろう。
 “皆殺し”──それだけの力を、大公爵のイザベルは持っているので、非常に性質が悪い。
 『小悪魔』というネーミングは、彼女に一番似合っているだろう。
 悪魔という生き物は、人間のように『年齢に応じて肉体が成長する』というものではない。
 その悪魔自らが、“この姿こそが最も能力を発揮しやすい”と望んだ時、肉体の成長は止まるのである。
 武将は40才、女官は30才前後で成長が止まる。
 人間を魅了するインキュバスサキュバスは20才、イザベルのように無垢な子供を襲う悪魔は、10才程度で肉体の成長は止まってしまう。
 魔界では、人間のように、見た目で年齢を判断することは不可能である。
 とはいえ、生きている以上は年を取ってゆき、それは人間と変わらない。
 年を重ねれるほどに知性は増える‥‥‥‥しかし恐ろしい事に、理性は共だって成長しない。
 子供の姿を保つ悪魔は、年を重ね知性が増えても、理性は肉体の精神のままなのである。
 子供特有の“無垢と残酷”がその身に同居する世界―――。大人の姿を持つ悪魔より、子供の姿を持つ悪魔の方が、“残酷”さは際立って強いのだから厄介である。
 イザベルの毒気が異様に高まっている。
 ここで「しかし‥‥」と更に反論しようものなら、イザベルは激高するに違いない。そうなれば、もはや手が付けられなくなるだろう──。
「‥‥分かりました。イザベル様の御為に、このリロイ、お力を尽くしましょう」
 結局リロイは、イザベルの前に跪き、頷くしか選択肢はなかった。
 承諾する代わりに、「ただし、私も同行するという事を、お許しいただければ──ですが」と付け加えて。
「それでよい。そなたの同行に関しては、妾に異論は無い。むしろ多勢で結構なことじゃ。早速準備いたせ。ホホホッ今から楽しみじゃ」
 イザベルは、大急ぎで自身の配下(武将・公爵ら)を呼びよせると、腕に自信があるものは『天使狩り』に参加するよう命じ、天使を狩った者には褒美として、大公爵に昇格させてやると約束をした。
「よいか、妾の趣味に似合った天使を連れてくるのじゃぞ」
「イザベル様。“妾”も行って宜しいですか?」
 リディアが聞くと、「勿論じゃ。そなたが一緒だと、ルイスも力を発揮しやすかろう」とイザベルは笑みを浮かべて応えたのだった。
 その極端な変わりよう。リロイは深く一礼し、呆れながら静かに部屋を後にした。

 リロイの足取りは非常に重かった‥‥。これから天使を狩りに行く――。天界に赴いて狩りに行く時間は無いから、人間界に上がり、神父を使って天使を召喚させることになる。
 つまりは神父を襲い、人が悪魔に狩られる様を目にすることになるのだ。
 リロイは立場上は悪魔である為、表だって悪魔の所業を止める事は出来ず、まして目を背ける事も出来ない。そのような素振りを見せただけで、反逆者となってしまうからだ。
 反逆者の汚名を着せられても、刃向うだけの力があれば迷いはしないだろう。
 階段の踊り場で、リロイは壁にもたれて目を覆い‥‥乾きかけた額の血を見つめながら、しばらくその場から動けずにいた‥‥‥‥。

「えぇ!?俺が──天使を倒す??」
 熟睡している所を叩き起こされたルイスは、パジャマから正装に着替えながら、驚きの声を上げた。
 リディアの使い魔ら数名が、ルイスの背にマントを羽織わせたり襟を正したり、寝癖をきれいに櫛でほぐしたりしている。
「無理ですよご主人様!俺、そんな力はありません!」
 ルイスはおじけずき、リディアのドレスの裾を掴んで『自分には無理です』と何度も拒否した。
「しっかりせい!そなたは、神父の聖水を防いだのじゃぞ。例え相手が天使だとしても怯むことは無いであろう」
「あ、あれは偶然ですよ!!」
「そんなことは無い。そなたの力は、大公爵のイザベル様も認めてくださっておるのじゃ」
「でも‥‥」
 ここまで臆病な悪魔も珍しい。(何でお前が筆頭なんだ)と、怒る他の使い魔の気持ちも分からなくはない。
 悪魔の位では使い魔は最下級ではあるが、それでも一般の使い魔と“筆頭”使い魔では扱いは違う。
 ルイスの世話係にはサキュバスを付けているが、ルイスの為を思えば、あえて同姓の使い魔を付けたほうが、競争心が生まれて良いのではないか?と思うこともしばしばある。
(ほんに、困った子じゃ‥‥)
「よいかルイス。この狩りに成功すれば、イザベル様はそなたに関心をお持ちになることであろう。イザベル様のご寵愛を受け、あの方に必要とされれば、妾たちは イザベル様付きの女官になるかもしれんのじゃ」
「それって、凄い事なんですか?」
「もちろんだとも!今、妾は男爵様付きの女官である故に、イザベル様の命令には勿論じゃが、不服にも男爵様の命令にも従わねばならぬ。じゃが、イザベル様付きとなれば違う。男爵様は、おいそれと妾に命令が出せぬじゃろう。そなたも、男爵様の横暴なお振る舞いに耐えるのも辛かろう」
 男爵は男臭くてマッチョ好きであり、彼が所有する使い魔はいずれもむさ苦しい男ばかりである。
 汗臭い使い魔の中に埋もれ続けるのはリディアにとっては拷問であり、話しかけられるのもうんざりだ。
 男爵のことを言いたい放題愚痴るリディアだが、そういうリディアの使い魔の方も、趣味こそ違え偏りは激しく、華やかで美しいものを好む彼女の使い魔の殆どは、美形揃いで見目麗しい優男ばかりである。
 主人が主人なら配下も配下────といったところだろうか‥‥。
「まぁ、今回の狩りですぐにイザベル様付きのご配下となれるのは難しいが、伯爵様付きご配下となれるのは確実であろう。そなたの目指すリロイ伯爵直属のご配下になれるのじゃ」
 途端に、ルイスの顔がパァッと輝く。
「俺が頑張ったら、リロイ様は褒めてくださるかなぁ」
「当たり前じゃ!」
 リディアがホッとしてルイスを抱きしめながら、ポンポンと背中を叩く。
 すっかり身支度のできたルイスの目の前に闇が走り、闇の中からリロイ伯爵が現れた。
 リディアとルイスは、揃ってその場に跪く。
「リロイ様。お待ち申しあげておりました」
 ルイスは、リディアよりも早く顔を挙げ、リロイの衣装がいつもより違うことに気付いた。
 漆黒のマントを翻し、肩や胸には、簡素だが美しい甲冑を身に纏っている。
 ルイスがじ〜っと見ているので、リロイは照れながら──。
「ハハ、あまりこの衣装は着慣れないからね。おかしいかな?」
 大げさにぶんぶんと首を振るルイス。無垢で純真なルイスの仕草に、リロイとリディアはくすくすと笑った。
「ルイスや。リロイ様も『天使狩り』にお出になって下さるそうじゃ。リロイ様。どうぞルイスを存分に鍛えてやって下さいませ」
 リディアはルイスの両肩を抱えると、リロイの前に差し出した。
 リロイはニコリと微笑み、少し屈んでルイスに目線を合わせる──
「ルイス、君と『天使狩り』をするのは初めてだね。魔道書で多少魔力はしたかもしれないが、それに奢ってはいけないよ。実践では何が起こるか分からないんだ。気を引き締めてかかろう」
「はい!オレ、頑張ります!!!」
「──肩がこわばってるよ。緊張しているのかな?」
「いいえ、大丈夫です!!俺‥‥頑張ります。絶対‥‥絶対!この手で天使を捕らえてみせます!!!」
 その言葉は、悪魔にとっては当たり前の発言であったが、ルイスの口からそのような台詞が出てくるなんて‥‥。
 リロイは、その言葉を喜ぶべきか悲しむべきか分からなかったが、取り敢えずは彼の頭に手をおいて、「頼もしいな」とクシャクシャと撫でることしかできなかった。
「オレ、絶対リロイ様のお役にたちますよ!だって‥‥」
 ルイスは、リロイから貰った魔道書をテーブルの上で開きながら、自身が覚えた魔法の数々を自慢し始める。
 その魔術の中には、本来であれば、使い魔級では使えないはずの高等魔法も含まれており、ますますリロイの中に“覚醒”の二文字が色濃くなってゆく。
 ルイスが次のページをめくろうとした時、ドアを無造作に叩く音がした。
「リロイ、そろそろ出立するぞ。女官長と使い魔の支度は済んでおるか──?」
 今すぐにでも飛び出したいと言わんばかりの血気盛んな武将の声が、ドアの向こうから高らかに響いた。
 リディア、ルイス、リロイの3名は顔を見合わせて、静かに頷く。
「さぁ、気を引き締めてかかろう。くれぐれも無理だけはしないようにね──」
 リロイがルイスに向かってウインクすると、「承知いたしました!!」。ルイスとリディアは声をそろえて、きりっと応えた。

 リロイは、ドアに向かってこう応える。
「準備万端、整いました。ただいま──参上いたします」
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