『うたかたの光』 4


 人間界に上がると、リディアは手ごろな大きさの教会に目を付けた。
 生意気なことに、教会の周りに結界が張られている‥‥。ある程度の力を持った神父がいるのがわかった。
 神父を守護する天使は“大天使”と決まっている。
 大天使は下っ端の天使だが、闘いに長けた天使のために、上級位の天使より、捕えるのが難しく実に厄介な存在である。
 美男子を好むリディア。天使を捕えた場合、それを狩った者は一定期間は自分の配下として良いと決められている。
 リディアにとっては、この狩りは絶対に成功させたいと思っている。
 鬼気迫るリディアの気迫は、ルイスにもビシビシと感じるほどであった。
(怖い、リディア様‥‥)

「神父様、またね〜」
 教会の中から、まだ幼い少女達が飛び出してくる。
 愛らしく無垢な瞳で、引きちぎれんばかりに、神父に手を振っている。
「はい。また明日ね」
 手を振られた神父は、これまた慈愛に満ちた美しい瞳で、少女に手を振り返し、別れを告げた。
 その姿は、まるで物語に出てくる『神父』そのものであろう。
 全ての子供たちを見送り、神父が教会に戻ろうとした時、ふと足を止めた。
 小さな男の子が祭壇に立ち、天井からつるされた十字架を、じっと見上げていたのである。
「君も、もう帰らなくては。お母さんが心配するよ」
「‥‥」
 男の子は答えない。
「さぁ、帰ろう。また明日おいで」
 膝を折り、同じ目線になった時、薄闇の中‥‥“猫”を思わせる、淡く光る瞳に寒気を覚えた。
 神父にとって、その子が教会にやってくる子供たちでないことは一目でわかった。
「──坊や、名前は?」
「‥‥‥‥ルイス」
「ルイス──」
 やはり、神父にとって、その子は初めて聞く名前である。
 神父が笑みを浮かべながら、男の子の眼にかかった艶やかな黒髪を払った時‥‥神父は、驚いて手の動きを止めた。
(み、耳が────!!)
 悪魔特有の尖った耳を見て、神父は慌ててルイスを突き飛ばして飛び退いた。
「お前は‥‥‥‥悪魔!?」
 神父は懐から聖水を取り出して振り上げたが‥‥‥‥ルイスに振り掛けるのを躊躇ってしまう。
 この一瞬の迷い、逡巡があるからこそ、悪魔は好んで子供の姿を使い、幾度となく人間の前に現れる。
 成人男性の姿をした手練れた武将よりも、一見頼りなげな姿のイザベルの方が、人間を貶める確率が格段に高いのもここで頷けるのである。
 神父の惑いによって生まれた僅かな隙をついて、ルイスは素早く呪文の詠唱を始める。
 咄嗟の判断の遅れた神父が、我に返り、今度は躊躇わずに聖水を振り掛けた。
 しかし、既に守護魔術が発動していたルイスには、もはや全く効果がなかった。
「悪魔め!この教会に何しに来た!」
 神父は、十字架をルイスにかかげ、ありったけの罵声を浴びせた。
 愚かにも油断をした自分を許せなかったのか、それとも‥‥悪魔であるのに、未だ無垢で愛らしいルイスの姿が悔しいのか‥‥。
 とにかく、ルイスに惑わされないよう、神父はルイスの瞳から目を離さなかった。
 もう一瞬の迷いさえ与えてたまるかと、キッとルイスを睨みを利かせ、震える手で十字架を抱え、自身の胸に引き寄せている。
 神父の恐ろしい形相に、何故かルイスのほうが後ずさった。
 主人と一緒に狩りを行っていた時は、神父の怒りの矛先は、あくまでも主人に向けられていた。
 しかも自分は、その光景を──神父の後姿を背後から眺めているだけだった。
 今、目の前にいる神父は、明らかに自分を恐れ、そして罵り、悪魔のルイスの存在の全てを否定している。
 これが普通の悪魔ならば、恐怖に陥った神父を肴にして優越感に浸るものだが、ルイスは戸惑いを隠せず、身震いをした。
 それが何故なのかわからないし、どうしてこんな感情を持つのかもわからなかった。
 人に恐れられるのは、悪魔の“誇り”である筈なのに‥‥‥‥。

 神父は、一向にルイスが攻撃をし始めないので、怪訝な顔を見せ始める。
『この子は本当に悪魔なのだろうか?』『私の勘違いではないだろうか?』。
 改めて見ると、この子はなんと愛くるしいのだろう。黄水晶のように澄んだ瞳をしているこの子を、果たして誰が“悪魔”と呼べるのだろうか‥‥。
「君は一体‥‥‥‥」
 聖水を手にしたまま、神父が駆け寄り手を差し伸べる──瞬間、天井の吹き抜けガラスが、けたたましい音を立てて割れた。
『手を触れるな、下賤な人間めが‥‥』
 神父は天井を見上げ、飛び散るガラスから避けるように飛び退いた。
 破片はそのままルイス目掛けて落下──。しかし、刺さる直前でルイスを中心にドーム状の膜が出現し、膜に触れた破片は粉となって砕け散った。
 膜が生まれる瞬間、ルイスの瞳が鋭く光った様を、神父は見逃さなかった‥‥。
 間違いない。この子は紛れも無く────“悪魔”なのだ。
 ルイスとの距離を離され、もはや神父は聖水をルイスにかけることが不可能となった。
 ガラス破片が、ルイスの毒気にみるみる侵されていく──。神父は、あわてて聖水を床に振りかけた。
 二人の距離が離れたのを待っていたかのように‥‥
「ルイスや、大丈夫かぇ?」
 リディアは、聖水溜まりになった床に苦も無く降り立ち、意地悪そうに、神父に向けて不気味な笑みを浮かべた。
(あぁ、私の聖水が‥‥!)
 ガラスの破片を踏みつけるたびに、床に滴った聖水がリディアの生足に向って跳ね返ったというのに、まるで“ただの水”に濡れたかのように、少し冷たそうに顔をしかめるだけである。
 聖水の力は──無力と化していた。
 神父の聖水だけだったら、あるいは効果はあったかもしれない。しかし、ルイスの毒気と交わった聖水は、効力を半減中和してしまっている状態だ。
 リディアは、ニヤリと神父が握り締めていた聖水ビンに目をやり、手を頭上に翳した。
 神父は恐れおののき、転がるように教会から立ち去り、庭にそびえる木々に身を潜めようとしたのだが‥‥
「!!」
 庭にそびえる樹木の太幹に、先ほどの悪魔とは比べ物にならない毒気を持った男が佇んでいた。
 大剣を構えた男の佇まいは、獲物を狙う豹のようい、鋭い眼力を発していた。
 神父が萎縮して立ち止まっていると、いつのまにか背後からリディアとルイスが取り囲み、神父の逃げ場を完全に断ってしまっていた。
「良くやったルイスとやら。そなたには後で、褒美をやろう」
 大剣を神父に向けながら武将が薄ら笑いを浮かべた。
「勿体ないお言葉でございます。ほれ、ルイスもお礼をせい」
 ルイスの功績を武将に褒められ、リディアは嬉しくて仕方がなかったが、ルイスといえば、複雑だった。
 遥かに階級の高い武将から直々にお褒め頂いたのに、ルイスは頷きもしない。
「ま、まぁこの子ったら‥‥。申し訳ありません。この子はなにせ初陣でいささか緊張しておりまして‥‥。魔界に戻り落ち着きましたら、改めて御前に参上いたしますゆえ、今はどうかお許しくださいませ」
「良い。怖れて口が効けぬのも無理はないわ。天使を呼び出しての決戦じゃ。本来は下賤な使い魔ごときが同席する場ではないからな。ワァッハッハ〜」
 武将は、これから天使が狩れるという高揚感に酔いしれている為、子供みたいに胸を張って高らかに笑う。

 その様子にルイスが戸惑っていると、急に群雲が立ち込め闇が走った。
 その中から、わらわらと、女公爵達が群れを成して現れたではないか──。
 彼女達の傍らに寄り添っているのは、ヴァンピールリロイである。
「リ、リロイ様‥‥」
 ルイスがポツリと呟くと、武将もリディアも揃って顔を挙げ、機が熟したかのように、互いに顔を見合って軽くうなずいた。
 武将は大剣を鞘から引き抜くと、上空の同胞にも聞こえるよう‥‥そしてもちろん神父にも聞こえるよう、よく響く声で叫んだ。
「公爵様方に申し上げます。これより神父に天使めを召喚させます。今しばらくお待ちくださいませ」
 神父の顔が青ざめる。まず、これ以上の『宣戦布告』は無いだろう。
女官長は、我や公爵様方の護衛を。ルイスはリロイと同行し、我らの援護をいたせ。参るぞ!!」

天使を狩りたい武将。狩るのが怖いルイス。配下にしたいリディア。狩らずに終えたいリロイ。皆がそれぞれ別の目的です。始めから目的がバラバラなので、天使と闘っても勝てるのだろうか?と不安‥‥。

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