『うたかたの光』 5 それを合図に、リディアは素早く武将の背後に回り込む。 ルイスは上空に駆け上がるとリロイと合流した。 「無事でよかった‥‥。私達が来るまで、よく神父に怯まず耐えたね。偉いぞルイス!」 リロイがルイスの肩を抱いてウインクすると、ルイスは弱々しくも気丈に笑みを浮かべた。 (リロイ様に褒められた‥‥) 地上では、神父と武将が早速闘いを始めていた。 武将がなぎ払う大剣を、神父は聖水を投げかけて静め、祈りを詠唱して攻撃を交わしたりしている。 剣を持たない神父は、圧倒的に不利である。いくら十字架を持っていたとしても、大物悪魔相手では、せいぜい軽い火傷どまりだ。 いつまで続けていても埒が明かず、長引けば疲れて隙が生まれてしまう。 「何をしている神父。このままでは死ぬぞ。ハハッ」 (くっ、仕方が無い‥‥) 胸に掲げた十字架を天に向かって突き出すと、神父は叫んだ。 「出でよ天界の守人。我が守護者『ラファエル』よ──!!」 十字架から光が走り‥‥淡い光の中から、暁に燃える炎の剣を携えたラファエルが現れた。 眩いばかりの強大な光を放つ大天使。 リディアは、あまりの閃光に目が眩み、ドレスの裾で目を覆い隠した。天使を見るのは初めてである。 ドレスの隙間から唯一見えたものは、地上で揺らめく天使の“影”だけであった。 「フッ‥‥苦しいか女官長。我の背に隠れるがよい。天使の血をたらふく浴びた我が剣の毒気を浴びれば、そなたも幾分は平気であろう」 リディアは、武将の背を風よけのように使い、大天使の光に対抗し、どす黒い魔の光を放つ大剣の光を浴びた。 位の高い悪魔ほど、“眩しい”だけでは済まず、身に纏わりつくような“熱”さえも感じる。 灼熱の太陽の光を身に浴びるようなものであり、公爵たちが、地上に降りることなく、上空で動向を監視しているのもその為だ。 上空にいても、天使の光はなおも凄まじい。 公爵たちは皆、眩しさを堪えて地上を見下ろすが、やはり耐え切れずに目を背ける。意地を張り目を背けず耐える者も、光の中に佇む天使の姿を見ることは出来ない。 唯一、光の中の天使の姿を見る事が出来たのは‥‥人間の血を持つリロイとルイスだけであった。 「あれが‥‥大天使!?」 ルイスが思わず呟いた。 「そうだよ。さすがに‥‥うっ!これは凄まじい閃光だ。まさかここまで光が強いとは──。この私でも長く見ることは辛いな」 目を細めながら、ルイスに向かって目線を落としたリロイは唖然とした。 何故なら‥‥ルイスが、目を大きく見開いていたからだ。 (この子、天使の姿を見ても辛くはないのか──!?) 「あれが天使‥‥。凄い‥‥綺麗‥‥」 ラファエルが、ゆるりと鞘から剣を抜く──。」 白銀に光る剣から、天まで昇る強大な炎が立ち昇った。深紅にも、金色にも見えるその炎は、まるで天使自身を護るように、淡く揺らめく。 ラファエルは、瞑目しながら剣を頭上に掲げると、淡い光は天まで昇り、その軌道を道筋にして、数名の天使が翼をはためかせて天より降り立ってくる。 「うわぁ‥‥!」 (かっこいい) ルイスは慌てて口を抑え、喉元まで出かかった言葉を必死で堪えた。 興奮して忘れそうになったが、我々は天使を狩りに来たのだから、天使の強さを褒め称えてはならない。もし公爵たちに聞かれていたら、謀反で殺されても文句は言えない。 チラリと公爵たちを見上げると、やはり誰もが天使を蔑む言葉を吐いていた。 光に怯え、目を覆いながらも悪態を付く彼らの姿は、どことなく異様な不気味さを感じた。 隣のリロイに目をやると、彼は天使に悪態を付くわけでもなく、睨みつけるわけでもなく、ただじっと地上を見下ろしているだけだった。 自分と同じで、天使の姿を見ることが出来る。天使を目の前にしても、殺意も憎しみも一切感じない。 『そなたはリロイ様に通じるものがある‥‥』 あの時の主人リディアの言葉の意味が、なんとなくだが分かるような気がした。 「そうだ!リディア様は──」 地上を見下ろすと、武将は天使を見据えながら剣を構え、リディアは武将に背に隠れながらも、天使の側に寄ろうとする神父に向かって毒気を放ち、威嚇して立ちはだかっていた。 「優男の神父めが。お主ごときが、よもやラファエルを守護天使に持っておるとはな‥‥」 「如何な“筆頭”武将でいらっしゃるバラム様とはいえ、ラファエルが相手となれば、お独りの闘いではお疲れになりますわ。待機なさっている公爵様方にお出ましになって頂いてはいかがでしょう。ラファエルは大天使の副指揮官。多勢でかかれば、仲間を呼ばせることが出来るやもしれません。そこで一網打尽にですわ」 「ほぉ、一網打尽とな」 「それに‥‥バラム様が天使を倒すお姿を、是非とも公爵様方にご覧になっていただきたいですわ。お褒めを頂ければ、イザベル様付配下の者の株も上がりましょう」 リディアは、自身の身が不安になったのか、はたまた武将の力を侮ったのか、妙な提案を持ちかけた。 バラムはリディアの案に承諾してくれた為、リディアはすぐ側にいた女官を手招きした。 リディアから命を受けた女官は、一気に上空へと飛翔してゆく。 神父は飛び立った女官を目で追い、そこではじめて──上空に無数の悪魔が自分を見下ろしているのを知って、身の毛がよだった。 一瞬の神父の隙を突いて、武将が剣を振るう。 ラファエルは、神父の前に割って入ると、武将の剣圧を炎によって抑えつけた。 ガキン──キン──!! 剣が重なり合う音が、教会内に響き渡る。 武将は、これから天使が斬れることがよほど嬉しいのか、剣を振りながら、薄気味悪い笑みを浮かべている。 そうだ。楽しくて仕方が無い。何故ならば、戦に長ける『大天使』と、対等に剣を交えているのだ。 自分が持っている剣が普通の剣だったら、最初の一撃で、剣はもちろん身体ごと真っ二つに斬られ、とっくの昔にカルタグラに葬られているだろう。 しかし、この魔剣は天使と同等に闘うどころか、天使が放つ光さえも吸い取る力を持つ。 ラファエルの剣は、バラムの剣と交える度に炎を発する。 飛び散った炎の大半はラファエルの剣に戻るが、残りはバラムの剣に吸い取られてしまっている。 ラファエルのこめかみから、うっすらと‥‥一筋の汗が流れ落ちる。 朝露にぬれた若葉から垂れる雫のように、清らかな汗は、美しい天使の顔によく似合う。 あぁ‥‥!そうだ!これだ!我ら悪魔という存在は、この一瞬──天使が苦悶の表情を浮かべるのを見たいがために、天使狩りをしているようなものだ。 「どうやらあの天使、だいぶ疲れを見せ始めたぞ。そろそろ地上へ参ろうではないか!」 『天使狩り』の話を聞きつけて追ってきた武将らが、公爵たちの脇を掠めて次々に地上へと降りてゆく。 「ホホッ、あやつらめ。我らの前を素通りしおってからに──。天使を早く倒したいのはわかるが、無礼ではないのか?」 「違いない。武将は血の気の多い猪と同じ。神父と天使以外、目に入らないのであろうな。しかしあの武将‥‥イザベル様の配下ではなかったぞ」 「ふん。おおかた、天使を倒して己が主人に召し出し、“筆頭”の座に就くつもりなのだろう」 地上に降り立った武将らは、こともあろうにバラムの前に陣取り、ゆるりと大剣を構えた。 バラムは、武将らの姿を見て驚愕する。 「なんだ貴様ら!何をしにまいったのじゃ!!」 「ふん、そなた独りに任せてはおけぬからのぉ」 横柄に応えた男は、舌なめずりをしながら天使の姿をしげしげと眺める。 「天使を横取りするつもりなんだろうが、そうはいかぬぞ」 「なんじゃと!?」 「よくも我らを出し抜いて天使を捕らえようとしたな。“筆頭”だからと偉そうに──。イザベル様からのご寵愛を頂きたいなどと申してはいるが、本音はルシファー様に召抱えられるのが望みなのだろう!」 天使を捕らえる武将の数が増え、一気に一網打尽──かに見えたのだが‥‥。 しかし、それは真逆であった。 統率力という概念が存在しない悪魔にとっては、多勢はまさに致命的な欠陥であった。 武将らが、我先にと天使に掴みかかる。 リロイはその光景を眺めながら、眉間に皺を寄せ、悲しげに瞳を閉じた。 互いを信頼せず、手柄と寵愛をその身に欲し、その目的の為には他者を退ける。 自らの快楽の為だけに天使を倒そうとする彼らの姿は、なんと浅ましく情けないことか‥‥。 そのおぞましい血が自分の中にも流れていると思うと、悔しさがこみ上げる。『恥』だとも思う。 そうこうしている間に、天使の数は着々と増えていき、あっというまに武将の数と同数となってしまった。 瞬く間に、地上は聖戦を思わせるような戦場と化し、あれだけ罵り合っていた武将らも、事の事態にやっと我に返ったものの‥‥周りを取り囲む天使を見渡し、青ざめる。 『天界の力』を発動される前に仕留めなければ、命取りになってしまう。 その戦いを遠巻きに眺めていたリディアは、武将らに加勢したいが、“女官”級の力は役には立たない。 下手なことをすれば、かえって足手まといとなり、もしかしたら、天使の攻撃の矛先がこちらに向いてくるかもしれない。 (妾に被害が及ぶことだけは、避けなければ‥‥) リディアが後ずさりをしながら後ろを振り向いた瞬間──。 「キャァァァァ!!」 彼女の右腕に、神父の聖水がかかった。 |