『うたかたの光』 6


(おのれぇ‥‥後ろにおったとは!)
 天使と武将の気が入り交じって、神父の全く気配に気づかなかった。
「この女悪魔め!神の力を思い知るがよい」
 あまりの熱さと痛みで、リディアはたまらず身を屈めて悲鳴を挙げた。
 酸のような煙がリディアの手首から立ち昇る。
「よくも‥‥!神父の分際で、妾の肌に傷を──」
 リディアは、ドレスの袖を手で引きちぎって、神父を睨みつけた。
「リディア様──!」
 ルイスがリディアを守ろうと、地上めがけて飛び出した。
「よしなさい、ルイス!」
 リロイは慌ててルイスを追いかける。
 ルイスの腕を掴んで引き戻そうとしたが、引き摺られてしまい、そのまま2人は地上へと滑空しつづけた。
 天使との距離はごく近く、天使が剣を振るえば、その剣圧に触れてしまうほどだった。
 地に足が触れる寸前に、光がまるで生き物のように素早く地を這い、1人の武将を掠め取った。
「グアァァ!」
(まずい、カルタグラ──煉獄の炎か‥‥)
 ひとたびカルタグラが開かれれば、それは閉じられるまで‥‥炎はゆらゆらと地を這い続ける。まるで餌を貪るハイエナのように──。
「放せ!放せ──!」
 炎にからめ捕られた武将らが地を斬るが、剣は空を斬るばかり──。カルタグラの炎に気を取られている隙に、天使は悪魔を斬り倒していく。
 ザシュッと血飛沫が舞い上がると、また1人、悪魔がカルタグラに葬られてゆくおぞましい光景が広がる。
 武将の数が減れば減るほど、リディアに天使の剣が向けられる順番が迫ってゆくのだ。
 悪魔の断末魔の悲鳴に目もくれず、ルイスとリロイは地に足を着けるや、大急ぎでリディアの下に駆けだしていった。
「リディア様!!」
 叫ぶと同時に、神父の聖水がルイスに向けて投げつけられた──。
(やられる!!!)

 キィィ―──ン!!

 ルイスを取り囲んで、ドームの如く結界が発生し、聖水は焦げるような音と共に蒸発し、真っ白な水蒸気を天蓋に昇らせた。
 この光景にリディアは目を丸くし、上空の公爵達はどよめき歓声を挙げた。
 リロイは──ルイスの力の発動に、ただただ驚くばかりであった。
 悪魔と死闘を演じていた天使達も動きを止め、驚くような瞳で、幼きルイスを凝視していた‥‥。
 身体から、毒気を発しない低級の悪魔。その内から、とんでもない威力が発せられたのである──。
 天使は毒気を元に悪魔の強さを知るのであって、ルイスの存在は異様で恐ろしい存在に違いないだろう。
 ラファエルは軽く地を蹴り、ルイスのすぐ側に降り立つと、その周りに武将を引き寄せながら、闘いを再開する。
 ルイスを監視できる距離で闘うつもりなのだと、リロイは悟った。
「リディア様。お怪我はありませんでしたか?」
「‥‥‥‥妾は平気じゃ」
 リディアがルイスを強く抱きしめる。
 主人の火ぶくれになった腕に、ルイスはとても心が痛んだ。
 神父はというと‥‥その場に立ち尽くし、頭を抱えて苦悶の表情を浮かべていた。
 この使い魔に結界を張る力が有るならば──。神父の自分は、聖水ではなく、もっと強い力を以ってこの悪魔を倒さなければならない。
 神父は、悪魔を滅する祈りを詠唱する為、十字架を構えるが──。
 しかし、なんなのだろう。このモヤモヤした気持ちは。この子を傷つける行為が可哀想でならないのだ。
 天使も同じ気持ちに苛まれているのだろうか‥‥。
 “毒気”を放ってさえいれば、切り捨てるのに迷いはないだろうが、使い魔級のルイスには“毒気”を発して自分の力を誇張する力は無い。“尖耳”以外に、この子を悪魔と言い切れない。
 天使達は、ルイスに斬りかかるのを明らかに躊躇しているように思える。
 次々に武将を倒すものの、手が空いた天使は総出で残った武将の討伐にかかり、一向にリディアとルイスを倒しにこないのだ──。ルイスとリディアを避けて闘っているように思えてならない。
 カルタグラの炎だけが差別無く地を這うが、ルイスの結界に阻まれ、炎はその行き先を変えている‥‥。
 ルイスとリディアは抱き合いながら、目を逸らし続け、悲鳴が挙がるたびに身を震わせた。
 リロイだけが‥‥その地獄絵図のような光景を見据えていた。
 無意識で自ら張った結界が、消滅したらどうしよう──。不安に駆られ、震えて泣きそうになるルイスの手を優しく握り、自分の胸に当てながら、微笑んだ。
「安心なさい。君の結界が例え消えても、あの炎はきっと君を襲わないよ。煉獄から吹く炎は、天使に刃向かわぬ者を襲わないんだ‥‥」

 形勢が逆転し武将の数が減ってしまった今、上空で控える女公爵達は、地上へ降りるタイミングを奪われてしまい、作戦を練り直していた。
 天使が虫の息になった時、最期に止めを刺してイザベルに献上しようと思っていたのに、予想外だ。
「なんじゃ、あの武将らは。全く使えぬではないか!」
「本当に、役立たずなこと」
 地上にさえ聞こえるその声に、リロイの口からため息が漏れた。
(ならば、自らが降りてきて闘おうとは思わないのか?)
「でもあの使い魔の先ほどの力、見まして?天使も神父も、指一本として触れられないでいるわ」
「うむ。だが力そのものを恐れているわけではなかろう。あの小僧の見目良い姿に臆しておるのであろう」
「そういえば‥‥。ほら、神父を見てごらん。使い魔に憂いを抱いてか、頬をぶつのも躊躇っておる。慈悲深い天使は罪悪感を感じておるようじゃ。あの小僧はれっきとした悪魔じゃというにのぉ‥‥」
「それほど、子供の容姿は誑かし易いのでしょうね。イザベル様が幼女の姿を好まれる理由がわかりますわね」
「しかし、ずっと通用するものでもないだろう。ほら、神父もそろそろ覚悟を決める頃。我らの目的は『天使狩り』。武将を倒し終わって、天に帰還されては意味がない。そろそろ地へと参るとするか」
「あらあら、まだよ。あの使い魔は神父の力を防いだわ。悪魔が、あの使い魔だけになった時、天使らは一体どういう行動を取るのしから。それも見てみたいと思わななくて?」
「確かにの‥‥。それは我も興味はあるのぉ」
 地上は戦時下だというのに、上空では、なんともだらけた井戸端会議が始まってしまい、リロイは小さくため息をつく。
 痺れをきらした公爵の一人が、「しかし方々。このままでは天使を手中に納めることは──」
 背筋が凍り、言葉を塞いだ。

 ──────空気が変わった。

 リロイは、体中に悪寒が走り、冷や汗が頬を伝うのを感じた。
 とてつもない巨大な‥‥肌を刺すような“気”が近づいてくる。

 上空でお喋りをしていた公爵達も、ただならぬ“気”に動揺を隠せず、上空のあちこちを指さしながら、気の方向と距離を各々に探り始めた。
 天使達の、さきほどまで弾んでいた息が、心なしか楽になっているような気がする。
「なんじゃこの気は!」
「新手の天使か!?」
「この気の位置は‥‥。上空からではない。地より現れるつもりじゃ!」
 公爵らがざわめいた。
(何かが来る──。この気は間違いなく上級天使。早くここを去らなければ!一刻も早く────!)
 この異様なほどの“気”は、すぐにでも魔界に帰還しなければ命取りになるほどの、危険なものだ。
 どんどんこちらに近づいてくる。あまりにも巨大な気を前に、足が竦んで身動きすらできない。
 神父が掲げる十字架からひときわ強い光が発し──光の中から天使が現れた。
 銀色の翼、大天使の紋章が刻まれたショール。金色の宝冠──ミカエルだ。
 リロイは、眼を擦りながらミカエルの姿を見つめた。
 淡くて清らかな光を放ち、頭部の宝冠から眩いばかりのダイヤが煌いている。
 その神々しい姿と言ったら────。

 公爵たちは一様に、美しさに黄色い歓声を挙げたのである。

煉獄の炎は罪人を焼く炎の為、『天に刃向かう者』が焼かれるそうです。結界が無い場合でも、リロイとルイスは“悪魔”ですが『天に刃向かう罪』は犯していないので無傷ですが、リディアは人を狩った事があるので多分‥‥焼かれます(結界があって良かった♪)。リディアに同行して傍観した筈ですが‥‥(汗)。

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