『うたかたの光』 9(完)

 地上に静寂が戻る。
 公爵も消え、武将も消え、カルタグラの炎だけがゆらゆらと揺らめいている。
 ルイスらが辺りを見渡すと、今の今まであれだけの戦闘があったことも信じられないような静寂が広がっていた。
 聞こえるのは、風がそよぐ度に揺れるミカエルのショールが擦れる音だけ──。
(公爵の方々は‥‥)
 皆────天の力に滅んだ。
 リロイは、あまりにも惨い戦いに思わず心を痛める。
 いくら好かぬとはいえ、同族の悪魔でありながら、縋ってくる公爵や武将に手を差し伸べなかったこと。戦には一切加勢しなかったこと。悪魔の血を持ちながら天使に情けを求めたこと──。それらの全てがイザベルの耳に届かないことには心底ホッとするが、この戦いは後味が悪すぎる。
 ミカエルが、今にも泣き出しそうなリロイの姿を見つめていた。
「お前の姿。以前の戦で眼にした事があるな。暴れ回る悪魔の後ろで、我らの戦いをただ傍観していた」
「‥‥私をご存知なのですか?」
 ミカエルが頷く。
「悪魔のくせにおかしな奴だと気になっていたが‥‥なるほど、お前には人間の血が混ざっているのだな」
「傍観とはいえ、狩りに参加した以上は佇むのみで許される筈がありません。幾度となく、私は貴方がたのお仲間を手を掛けたことはありますよ」
「──知っている」
「知っているのに何故?貴方は、剣を私に振り下ろさない。私を滅ぼさないのは──これが天の慈悲というものですか。例え同族を滅ぼされても‥‥?」
「殺されたいのか?」
「そうではありませんが、悪魔が憎いならば徹底的に排除するべきです。神が甘いから、悪魔は傲慢になり、天使を狩ろうなどと‥‥」
 それ以上言うなと、ミカエルは手でリロイの言葉を制止する。
「我々の仕事は悪魔との闘いであり排除ではない。それに──難しい話はやめてくれないか。お前に剣を振り降ろさないのは天の慈悲ではなく、私自身の意思だ。この可愛い子を手にかけるのは、さすがに酷だと思ってな。それにこの子はお前を慕っている。お前の子か?」
 ミカエルがルイスの瞳を見つめながら言うと、ルイスは首を振りながらも必死に
「俺はただの使い魔です」
「使い魔か。では‥‥」
「でも、“筆頭”ですよ!」
 何気に強さをアピールするルイスにミカエルは大笑いしながら、「そうか強いか。でも私を“天使様”と呼ぶ悪魔だ。怖くはないな〜」
 そういって、ルイスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 リロイは呆気にとられている。
 人間界の大地を踏みしめる天使自体も珍しいというのに、自ら悪魔に触れ、かつ撫でまわす天使を見たのは初めてだ。ルイスもまんざらでもない。──不思議な光景だった
「さぁ。いますぐ帰りなさい。あの天使が帰ったからってホッとしているだろう。あれは“罠”なんだぞ。この地に毒牙が残っていると、今度こそ、あの怖〜い天使のお兄さんが、今度は軍団を引き連れて君たちをやっつけにくるぞ」
 腰に手を当て、チッチッと指を振るミカエルの姿は、悪魔と対峙する時とは打って変わって、奔放な子供のようにリロイの瞳に映った。
 手を振りながら天へと還っていくミカエルを、リロイとルイスは手を振りながら見送った。
「さぁ、今のうちに私達も帰ろうか。‥‥きっと魔界では、イザベル様が私達の帰りを待っていらっしゃっる」
 リロイが、そう言いながら闇を作り出す。
「神父様、バイバイ♪」
 ルイスが、精一杯の笑顔で元気に手を振った。
 悪魔とはいえ、無垢なルイスの笑顔に、神父は根負けして苦笑いを浮かべる。
 ミカエルが咎めなかったルイスを、神父が咎められるはずもない。
「バイバイ。今度は君の意思で、またここにおいで。一緒にお菓子でも食べよう!」

 神父が、地面に落ちた十字架を拾い上げ、胸に抱きながら呟く。
「お許しください天使様。『またおいで』などと申してしまいました。しかし、貴方を『天使様』とお呼びしたあの子を、私は悪魔とは思えず‥‥何故か愛おしいと思ったのです」
 十字架に被った埃を払いながら、神父は十字架を首に掛け直し‥‥
「天使様。あの子は、生まれる場所を間違えたのかも知れません。もし再びあの子に会えたなら、ぜひ話がしたい──。もしあの子が人間界に赴いた暁には‥‥その時は、私は導師として、あの子を導きましょう」

 魔界

「リロイでございます」
「おぉ。よう戻ってまいった。話は逃げ延びた公爵どもから、ある程度は聞いておる。此度は、公爵と武将を山のように失って、何とも残念じゃ。ほんに、全ての者を駆り出さなくてよかった。そなただけでも妾の元に戻って良かったわ。そなたは魔界にとって貴重な存在じゃからの。失ってしまうのは勿体ない!」
「‥‥ご寵愛頂き、恐縮です。しかし、あの場にいらっしゃった方々を、誰一人としてお助けすることができず、天使さえも手に入れる事は叶わず、誠になんとお詫びすればよいか」
「ホホッ。まぁよいじゃろう。此度の戦で、消滅した奴の代わりにめでたく公爵筆頭の座に就いた伯爵は、そなたに大層感謝しておったぞ。その代わり、戦を投げ出した公爵どもには罰を与えてやったわ。天使に屈する恥さらし者めは、許すわけにはいかぬ」
「罰とは。まさか、イザベル様──」
「案ずるな。殺してはおらん。羞恥者とはいえ、公爵位は戦力には違いないからな」
「はぁ‥‥」
 リロイが複雑な表情を浮かべる。
「リディアとその使い魔はどうした?よもや消滅したのか?」
 イザベルが尋ねると、リロイは「いえ‥‥」とドアの方に視線を送る。
 リロイの配下に促されるまま、おずおずと、リディアとルイスが足取り重くやってきた。
「あのぉ‥‥」
「なんじゃ」
 リディアは、その場に跪いた。
「申し訳ありませぬ!!」
「リディア様──!?」
「ルイスが公爵様方を護ると断言しながらこの不始末。お咎めは‥‥覚悟いたしておりますゆえ、どうか、ルイスだけは、ご容赦願えないでしょうか?」
 必死の懇願だった。あの場に居た公爵・大公爵が全滅した以上、到底許されるものではないと思っている。
「リディア殿‥‥」
 しかしリリアは、ケラケラと笑う。
「咎めじゃと?そんなものは無い。むしろ、褒美をやってもよいぐらいじゃ」
「‥‥は?」
「天使の中でも、『能天使』に会う機会は滅多にないと聞いておる。ましてや『長』と対峙する事は皆無に等しいとか。妾は、その姿を見ることが出来たのじゃ。あの場にいた者どもと引き換えにしても、一目見る価値のある者!良い物を見せてくれたそなたらには礼を言おう」
 リロイの顔が青ざめていく。
(本気で仰っているのか?この方は‥‥)
「大天使ミカエル率いる軍勢に、『能天使』。誠にあの天使の見目麗しさは素晴しい。それが、あの公爵どもめ。妾に献上するのも忘れて、我先に欲しがるとは何事じゃ!武将も、手練だと聞いておったのにあの様とは‥‥。いい気味じゃこと」
(‥‥)
「あの場に居合わせられなかったのは残念じゃが、実に楽しい戦であった。よい物を見せてもらったぞ」
「それは‥‥良かったですね。お役にたてて──光栄と申しましょうか」
「あの天使は、手中に収めて眺めるような代物ではないな。戦ってこそ美しく輝く宝石じゃ。いつかは妾もあの天使と、一戦交えてみたいのぉ」
 イザベルが頬を赤らめて言うと、すかさずリディアが
「イザベル様ほどのお力を持った悪魔が地上に参上なされば、天界は慌てて、その者を真っ先に呼び出すことでしょう。あの天使の使う武器も、闘い方も、終始ご覧なられたのはイザベル様ただお独り。一戦交えたとしても、勝利するのは勿論のこと。手に入れようと思えば、容易に捕まえられるますわ」
「フフッ、妾だけが知る天使か──」

 リロイ達は、イザベルの部屋を出るなり、皆どっと疲れがたまり、ふらふらと廊下を歩いた。
「お疲れ様です旦那様。女官長リディア様。それにルイス、ご無事でなによりです」
 扉の外で待っていたリロイの従者ライナスが、白湯が入ったグラスを手渡す。
 極度の緊張で喉が渇いていた3人は、グラスを受け取るなり一気に飲み干して胸を撫で下ろした。
「旦那様。よくご無事で戻られましたね‥‥ご心配申し上げておりました」
 ライナスは心底安堵するも、天使を捕り損ねた罪により、今後主人に下される罰を思うと恐ろしい。今すぐルイスを連れて、人間界に雲隠れするようリロイに促した。
 すると、リロイはニヤリと笑って──。
「正直、私も罰の事を考えると心底不安だったがね。出立前の話をお忘れになられたか、それとも天使を見ることが叶って、後の事はどうでもよなられたのか、お咎めはなく、むしろお褒めの言葉を頂戴したよ。もしかしたら、昇級すらもありえるほどのね」
「本当でございますか‥‥‥‥?」
「おや、昇級は不満かい?確かに、私は大公爵まで昇るつもりは毛頭ないがね‥‥」
「い、いえ。ただ‥‥配下の殆どを失ってまでも、見る価値のある天使だったのですか?旦那様は近くでご覧になられたのですか?」
「確かに大変美しい天使殿だったが、全てを捨ててでも見たいか‥‥と聞かれると、どうかな」
「そうですよね」
「ただ、大公爵程の位になると、もはや慈悲の心は無いに等しいからな。まったく、直属の配下でなくて良かったよ。彼女の命によって動きまわる配下は、さぞ大変だろう。もっとも、同情する義理は無いがね」
 リロイは、飲み干したグラスをライナスに返しながら──
「さて、今日は皆も疲れましたでしょう。人の血が混じる私もルイスも、天使を見すぎて“気”が衰弱しているからね。それにリディア殿は‥‥今すぐお休みになったほうがよさそうだ。天使の力を直に受け、神父の聖水で傷も負っておられる。私が治してさしあげましょう。こうみえても、ヴァンピールの血は“霊薬”でしてね。ライナスに、私の寝所まで案内させましょう」
「お恥ずかしいことでございます。妾は人の血は入っておりませぬ故、さすがに天使を直視してしまうと体に堪えます」
 ため息をつき、頬に手を添える。
「リロイ様には今一度申し上げますが、私は生粋の悪魔でございます。ルイス共々、お気遣い頂いておりますが、私はリロイ様が疎まれていらっしゃる、純粋なる悪魔です。私は人は狩りますし、今後も自らの生き方を変えるつもりはありません。もし、あの天使がイザベル様と対峙するとなれば、きっと私は‥‥」
 そういうと、リロイはくすっと笑って
「それでも、そこにルイスが加われば状況は違ってくるでしょう。ルイスと天使のどちらかを庇わなければならない事態に陥れば、貴方はルイスを選ぶでしょう。イザベル様が側でご覧になっていても──お咎め覚悟で──」
「はぁ、それはそうですが」
「生粋の悪魔でありながら、貴方には明らかに“慈悲”の心がある」
「私に‥‥慈悲が?」
「悪魔の貴方からすれば慈悲の心など不要かも知れませんが、私は大変素晴らしいと思います。私は、貴方のお力にもなってさしあげたいのです」
 リロイはリディアに微笑んだ。
 ライナスが、リディアとルイスを案内し、棟の階段を降りていく。どことなく、フラフラしているリディアの体を、双方からルイスとライナスが支えている。
 心配そうに覗き込むルイスに、リディアは気丈に微笑み、ルイスの頭を撫でる。
 ルイスがいずれどんな道を選ぶのかは分からないが、ただ一つ確信するのは‥‥リディアに仕えている限り、ルイスの心は悪魔に染まる事は無いだろう。
 母性を持つリディアはルイスを我が子のように可愛がり、ルイスもリディアを母のように慕っている。
 女官長リディアと、その配下の筆頭使い魔ルイス。
(私の立場は‥‥さしずめ“父”、ライナスは兄といったところか)

「リロイ‥‥と申したな」
 廊下を半分ほど歩いたところで、大剣を手にした恰幅の良い男性がツカツカと歩み寄ってくるのが見えた。
「イザベル様にお褒めの言葉を頂いたようだな。伯爵の分際で‥‥いい気になるなよ」
 魔界に残っていた、イザベル配下の武将のようだ。腕章から察するに、“筆頭”の座を得たようだ。
(おやおや)
 リロイとライナスは、その場に跪き頭を垂れると、武将は得意面をして、腕組みをした。うれしくて仕方の無いようだ。
「“筆頭”の称号、真におめでとうございます。“前”筆頭のバラム様や、大半の武将亡き後、一切を取り締まれる重責、お察しいたします」
「伯爵風情が我の心配をするものではないわ。ガハハハハッ」
 バラムに似た下品な笑いが廊下に響く。
「それはそうと、イザベル様のお言葉だ。ただ今より、女官長リディアを、男爵付き改め、伯爵リロイ付きの女官とする。“長”にするかはリロイ、そなたが決めろ。イザベル様の直属配下でないのは不満だろうが、その使い魔は兼ねてよりリロイ伯爵の配下になることを切望していたとのこと。イザベル様のせめてもの褒美じゃ」
 リロイとライナスは、互いに見合った。
「再び天使狩りが行われれば、今度は我こそが天使と対峙するゆえ、その使い魔を存分に鍛えておけよ。我に天使とやらを差し出すのだ。ガハハハッ」
 馬鹿笑いしながら、新たな筆頭武将は、漆黒の翼を羽ばたかせ、窓から滑空して消えていった。
「あれが新たな筆頭武将ですか‥‥。以前のバラム様とあまりお変わりになりませんね。しかし、今しがたバラム様が亡くなられたというのに、すぐに挿げ替えるなど‥‥なんとおぞましい。旦那様、筆頭の座というのは、それほどまでに栄光あるものなのですか?」
「あぁそうらしいな」

 悪魔が住まう城内で、二人は笑いながら廊下を駆けている。最初は小走り、それからは、息咳きかける──。
この台詞を言うために──。
リディア。そなたをリロイ伯爵付き女官長と任命する。ならびに、ルイス。お前を────私の配下とする

最終回です。それぞれの肩書きは以下のとおりです。
リロイ‥‥伯爵(変化なし)/リディア‥‥リロイ付き女官長/ルイス‥‥リロイ付き筆頭使い魔
ナタリーは、晴れて女官長です。イオラは女官長が所有する筆頭使い魔になるので、待遇はグンと上がります。平の使い魔が一目置く存在に

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